mission35 生き残った者
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mission35 生き残った者
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ニーナに力強く引き上げられ、ノワーレはイライヤ共々流氷の上に倒れ込んだ。ガルディエーヌが遅れて這い上がり、流氷が動いて海への亀裂を閉ざす。右手に結ばれていたクラウナーの髪は焼け焦げて千切れ、微かにぶら下がっているだけだった。
「ノワーレ! しっかりして!」
ニーナがノワーレの背を強く叩いた。ノワーレは海水を必死に吐き出す。呼吸に喘ぎながら、カジャカとローラン、イライヤもそれぞれ介抱されていることを確認する。意識を失いかけるたび、胸の傷が疼いてノワーレを叩き起こす。
「ノワーレ、痛いの?」
ノワーレが胸を押さえていることに気づいたニーナが、ノワーレの外套を剥いだ。ぐっしょり濡れた外套を投げ捨て、上衣の前合わせを裂く勢いで開く。
ノワーレは、自分の黄金の傷跡の中心に、虹色に輝く石を見た。
ちっぽけな、何の役にも立たないであろう、礎石だった。
黄金の傷跡が、礎石が輝くたびに少しずつ脈動を抑えていった。ニーナが恐る恐る礎石に触れる。礎石は一気に輝きを増し、ノワーレの胸の疼きも消え去った。
「ニーナ……なんだ、これ」
「わたしが貰った石だ……」
ニーナが茫然と呟き、慌てて自分の外套を脱いでノワーレの胸を隠した。
「ノワーレを海で見つけたとき、槍が刺さってて、抜いたらすごく血が出たから……慌ててこれ、押し付けたの。そしたら血が止まって……そのあと、忘れてた」
「……ずっと、ここにあったのか」
ノワーレは、自分と同じ顔の女に刃を向けられた時のことを思い出した。ここに希望がある。女は言ったはずだ。
海に消えたあの女は何者だったのか。ノワーレに何を見、何を伝えようとしたのだろう。
クラウナーがノワーレの隣に屈み込み、ノワーレに自身の外套を着せてくれた。きちんと前を閉めてから、ニーナに外套を返す。
「ノワーレ、無事で良かった……」
クラウナーはまだ聖紋が淡く輝く顔で笑い、ノワーレの顔に張り付く濡れた髪をかき上げた。クラウナーの手から仄かな温もりが伝わり、ノワーレの髪が一瞬で乾く。ぐっしょり濡れていたはずの衣服も全て乾いた。女神の権能で、ノワーレに残る海水を退けたのだ。
「ローランも、イライヤもまだ息がある。たぶん、なんとかなるよ」
クラウナーは言って、ニーナごとノワーレを抱きしめた。ノワーレはそれで、海から上がって初めて脱力した。
耳の奥に、潮騒が聞こえる。
あの少年は、何を言おうとしたのだろう。
ニーナによく似た、しかし、ニーナとは対照的な、暗い顔の少年。
――遍く人類に無上の平穏を。
彼は、海底で王を名乗る者は、人を怨み、殺そうとしているのではなかったか。
災厄獣どもの嘆きは、彼の意思とは別なのか?
呆然とするノワーレの足首を、誰かが掴んだ。
「……イライヤ」
流氷の上に真っ黒な海を吐きながら、イライヤが寝返りを打つ。もつれた薄紅の髪の隙間から、力のない黄金の目が覗く。
「……また、戻ってきちゃった」
掠れた声が呟いた。
「また……悲劇のための駒になるなんて……」
ノワーレが何か言おうとした時、カジャカの蒼熊が唸る声がした。視線を向けると、同じく流氷の上に倒れ咳き込むローランの背を、カジャカが叩いている。
ノワーレが安堵を覚えた途端、イライヤが、「かわいそうに」と囁いた。
「助けちゃいけなかったか」
「……もう、どっちでもいい。きっと私は死なせてもらえる命じゃないんだ」
「なんだそれ」
「あんただって、女神のための物語のひとつだ。銀狼の姫騎士」
イライヤの掠れた言葉に、何故だかノワーレはぎくりとした。
女神のための物語。
海底の少年も、女神も、遍く人類のためを思っているのだとしたら。
「イライヤ……あなたは何を知っている」
「何も……ただ、女神なら助けられたはずの命が、何人も死んでるだけ。キリエリもジャッドも、もういない。カジャカも……あれから独りぼっちだ」
ノワーレの隣でニーナが何かを言おうとイライヤににじり寄った時、ローランの「うわっ」「やめないか」という声が聞こえた。
カジャカが横たわったローランに馬乗りになっていた。ユーリがカジャカを羽交締めにして止めており、フェリーチェがおろおろし、ピエールがローランを庇っている。
ノワーレは立ち上がり、重い体を引きずるようにカジャカの傍へ向かった。ミゲルに羽交締めにされているカジャカの肩を掴んで振り返らせ、カジャカが自分を見たことを確認して、頭を軽く叩く。
「殴るのはやめな。こいつ、弱いからさ」
ノワーレがゆっくり言うと、カジャカは怒りに染まった顔のまま、ぼろぼろと涙を溢し始めた。
だって、僕を置いて行った。
カジャカが、声の出ない喉で必死に言った。
僕は、僕の名前は、希望の鐘の音だって言ったのに、勝手に絶望して……僕は、両親が残した希望だって、ローランが言ったのに。
ノワーレはカジャカの隣に座り込み、その頭を掴んで顔をローランへ向けた。
「私じゃない。ローランに言いな」
カジャカは息もできないくらいにしゃくり上げ、力なくローランの胸を叩きながら、掠れた吐息だけで怒鳴る。
僕を生かしたのはあなたなのに、あなたまで僕を置いていくのか! だったら最初から助けるな! 僕は……僕は、もう、お父さんもお母さんも覚えてない……あなたしか僕にはいないのに……勝手に希望にして、勝手にいなくなるなんて……卑怯だ……。
「……すまなかった」
ローランが、カジャカに殴られながら掠れた声で言った。
「僕が間違っていた……そうだな、おまえさんは、僕の希望だ」
ローランは殴りかかるカジャカを止めもせず、殴られながらその頭を撫でた。
「……でも、女の子が僕は無いだろう……お母さんの真似をして、私、にしておきなさい」
照れ隠しのように言いながら、しゃくり上げて突っ伏すカジャカを抱き止める。
流氷の上をにじり寄ってきたイライヤが、ノワーレの背中に寄りかかってきた。ニーナとクラウナーが一緒になって着いてきて、心配そうに立ち尽くす。
「騎士として、再構築された……」
イライヤが呟き、ノワーレはぎくりとする。
「……聞こえてたのか?」
「起きてた。動けなかっただけで」
イライヤはノワーレの背にもたれたまま、流氷の上で膝を抱える。
「……私たち、多分、人間じゃないね」
ノワーレは、頷けなかった。
「海の王に忠誠を誓ったら、どうなったんだろうね」
イライヤの呟きは、ノワーレにしか聞こえなかったはずだ。
流氷の向こうから、鼠が一匹駆けてくるのが見えた。イライヤを目指してきた鼠は、真っ直ぐにイライヤの肩へと駆け上がる。肩の鼠の鳴き声を聞き、イライヤは力なく笑う。
「そう。フランツ、ちょっとは使えるようになってんじゃん……」
イライヤは鼠を掴むと、陸の方へ放り投げた。鼠は再び陸へと向けて駆けてゆく。
「伝令?」
「そう。フランツが、私が引き上げられたのを知って喜んでるってさ」
「……あなたの鼠は?」
「さあ。一緒に海に落ちたけど、そのうち湧いてくるでしょ……逃げられなかったんだから。ローランの猫も、そのうち戻ると思うよ」
ノワーレは、困惑して立ち尽くしているニーナとクラウナーを見ながら、イライヤにだけ聞こえる声で呟く。
「女神様を……信じられない?」
「どうだろう……神の愛って、わかんないよね」
言ったきりイライヤは黙り、ずるずるとノワーレの背から落ちて流氷に倒れ伏した。慌てたニーナがノワーレからイライヤを引き剥がし、クラウナーが抱き上げてアルタノッドへ乗せる。
「ノワーレ……帰ろ? 動けないなら背負ってあげる」
ニーナが言い、ノワーレは首を振る。立ち上がると、ガルディエーヌとチュテレールが足元に擦り寄ってきた。ノワーレはガルディエーヌに跨り首を掻いてやる。
見渡すと、ローランはカジャカの蒼熊の上に引き上げられ、カジャカは怒りながら蒼熊に跨っていた。流氷まで来ていたのは第三小隊の面々だけで、フランツたちはまだ陸にいるらしい。クラウナーがイライヤを支えながらアルタノッドに跨り、ノワーレを窺う。
「ノワーレ……大丈夫?」
「問題ない。帰るだけなら……でも、疲れた」
ノワーレの言葉に、チュテレールに乗ったニーナが狼を寄せてきた。
「寝ちゃったらわたしが連れ帰ってあげる。怖いのが来ても守ってあげるね」
いつものあどけない声で言われ、ノワーレは頷く。
「うん……、頼んだ」
それだけ言って、ノワーレの意識は半分途切れた。
ガルディエーヌに揺られながら、ゆっくりと流氷を戻る。
海岸では、津波をやり過ごしたジョルジオたちが、ノワーレの帰りを待っている。
…………
mission35 完了
判明
謎の少年「海底の王」
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