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mission33 約束されざる未来

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mission33 約束されざる未来

…………

 騎士たちが苦しみ始めた。イライヤの、ローランの声が海から響き渡り、傷の痛みに弱った心を突き刺してゆく。

 ある者は泣き、ある者は誰とも知れぬ相手に謝罪を繰り返し、ある者は窓から飛び降りた。

 人類を呪う歌が、城砦を蝕んでゆく。


 慌てふためくシャンティが茶室に駆け込んできたのは、ノワーレたちが海岸に向かうことを決めた時と同時だった。


「誰か、手を貸して! このままじゃみんな死んじゃう!」


 クラウナーが猛然と駆け出した。騎士たちの療養棟へ向かい、入り口で聖杖を突き立てる。全身の聖紋を一息で開き、呪いの歌に負けぬ声量で歌いはじめた。


 戦いの聖歌(イム・ド・サマカント) 第八十二楽章 労われる者のための女神の慰撫 独唱


 ノワーレたちが追いついた時にはすでに騒動は収まっていた。騎士たちは皆眠りにつき、看護を担う者たちが安堵の息をつく。クラウナーは聖紋を閉じると、眉を寄せて笑んだ。


「これでしばらくは大丈夫……シャンティ、歌える人を集めて歌い続けて。あの声に勝てなくてもいい、女神様の声が必要だ」


 シャンティが頷き、歌える者を集めるために駆け出した。


 ノワーレは、クラウナーの目が先程より暗く見えることに気づいていた。もともとあまり表情豊かな方ではない。それでも穏やかな顔をしていることの方が多い人間なのに、シャンティが去った途端に表情を失くしている。


「クラウナー、何を見た」


 ノワーレが問うと、クラウナーは首を振り、しかし、気丈に目を上げた。


「津波が来る……でも、抑えられない訳じゃない。ノワーレが、海底に向かえば」


 クラウナーが青い顔で言うのに、ノワーレは、「わかった」とはっきり頷いた。ニーナが「なら、わたしも」と言いかけるのを手で制す。


「ニーナは残れ。歌唱者が少なすぎる。この吹雪じゃ騎士だって碌に戦えないし、何より負傷者ばかりで戦力が足りなすぎる。お前はクラウナーと一緒にここを守るんだ」


 ニーナは何か言いたげに口を開きかけたが、ノワーレは首を振った。クラウナーの不安げな視線を感じる。おそらく、ノワーレ自身の無事は預言にはなかったのだろう。それでもきっと、ノワーレが行かねば銀狼領が沈むことだけは見えている。


 イライヤとローランの歌声に、胸の傷跡が疼く。潮騒とひび割れた伴奏がノワーレの体の中で渦を巻き、黄金に蝕まれた心臓をさらに侵そうと脈動させ、ノワーレの気を逸らせる。冷たく暗い海に飛び込めば、この不快な脈動から逃れられるだろう。命を引き換えにして。


 ノワーレだって、海に誘われている。


「ニーナ」


 ノワーレは、不安も怯えも飲み込んでニーナに微笑む。


「津波が去って、私が戻らなかったら……迎えに来てくれないか。ニーナにしか頼めない」


 ニーナは、泣くのを堪えた顔で頷いた。


「必ず迎えに行く……絶対、わたしが助けてあげる」

「ありがとう、ニーナ。頼んだからね」


 クラウナーが、ニーナの隣で何かを諦めたように目を伏せた。


「ノワーレ……カジャカもだ。多分……カジャカがいないとローランを連れて帰ってこられない……」


 フランツと共にノワーレたちに着いてきていたカジャカが、泣き濡れた顔を上げた。両手で涙を拭いながらクラウナーの傍までやってきて、じっと顔を見上げる。クラウナーはカジャカを見下ろし、苦虫を噛んだような顔で、絞り出すように続ける。


「預言は、未来を約束してくれるわけじゃない。女神様は可能性がある未来を見せてはくれるけれど……危険を回避できる訳じゃないのは、これまでの戦いでわかっているでしょう?」 


 カジャカがクラウナーの口を読んで首を傾げ、ノワーレは、ニーナがクラウナーの隣へ行きその背に手を当てるのを見た。クラウナーはニーナに僅かに微笑みかけ、しかし、すぐに目を逸らした。


「僕に見えたのは、ノワーレ……君が、カジャカと一緒に最初の津波に突っ込んで行くところと……その後に、どうしてか海が凪いだところだけ。海の中で何が起こるかはわからない……それでも、行く?」

「行くよ。海が凪ぐのなら、それで何人もの命が助けられる」


 クラウナーは顔を上げると、「そうだね……ノワーレなら、そう言うと思った」と、何も吹っ切れてはいない顔で笑った。ニーナがクラウナーの背に手を当てたまま宙を見上げ、すぐに腑に落ちない顔で首を傾げる。


「海の底……見えない。邪魔されてる……?」


 クラウナーが何か言いかけた時、これまで黙って話を聞いていたフランツが片手をあげた。


「ノワーレはともかく、カジャカは海には入れないんじゃないか?」


 その場にいた全員がフランツを見た。フランツはクラウナーの目の前で戸惑っているカジャカの肩に手を置いて続ける。


「ノワーレの噂は聞いている。海の中でも息ができていて、ニーナに引き上げられて助かったと。目の色が変わったり、胸の傷跡だったり、きっとノワーレは特別なんだろう。だが、カジャカはただの子供だ」

 

 フランツの言うことはもっともだ。人間は海の中では生きられない。生き残っているノワーレとイライヤが異常なのだ。自ら海に突っ込むなど、正気の沙汰ではない。


 クラウナーが見た預言は、ノワーレの無事も、カジャカの無事も保証はしていないのだ。


 クラウナーはニーナの顔を見ながら少し考えていたが、急に「ニーナ、何か、小さい刃物みたいなの、氷で作れる?」と聞いた。ニーナは「できるよ」と事もなげに答え、すぐに右手から小さな氷のナイフを生み出した。受け取ったクラウナーは、ひとつに編んでいた髪を解くと、そのまま一房切り落とした。


「えっ、どうしたいきなり」

「えっ、髪切った?」


 ノワーレとニーナが同時に声を上げ、フランツとカジャカが無言で驚く中、クラウナーは気にせず切り落とした髪を二房に分けた。それぞれを軽く編んで、一房をノワーレの手首に結びつける。


「僕は全身が聖紋だから、髪にも聖紋が刻まれてるんだ。切っちゃったからそんなに長くは保たないだろうけど……少しは海から守ってくれると思う」


 クラウナーはノワーレの右手首に結び終えると、そのままカジャカの前に膝をついた。即席のミサンガのようにした髪を見せ、カジャカが口を読めるよう、ゆっくりと問う。


「カジャカ……これが、君を守れるとは限らない。それでも、海に行く?」


 カジャカは、頷いた。クラウナーの前に細く華奢な手首を差し出し、結べと視線だけで迫る。


 クラウナーは微笑むと、カジャカの手首にも自身の髪を結びつけた。フランツが、「幼くても、ローランの騎士か」と苦々しい声で呟いた。


 ノワーレは外からの歌声に耳を澄ませた。幸い吹雪が悪化して、呪いの歌は少しだけ遮られている。雪は災厄から人類を守る女神の恩寵だ。女神が憂えているのだろう。


「フランツ、ニーナとクラウナーと共に城砦を守ってくれるか。どれだけの騎士が動けるかわからない」

「拝命した。白鼠騎士団として、人類のために身を投げ打つ覚悟はできている」


 フランツはカジャカの頭をひと撫ですると、ノワーレに向かって深く頭を下げた。


「お嬢様を……助けて欲しい。この十年、俺ではお嬢様を救うことはできなかった。俺にも海の声は聞こえるが……お嬢様が言う少年の声までは、わからない」


 カジャカがフランツを見、ノワーレを見た。涙はすでに渇き、目には強い意志の光だけがある。右手の中指の礎石指輪《フォンタシオン・バーグ》が、手首に結ばれたクラウナーの髪と同じオーロラ色に光った。


 ノワーレは耳の奥に、少年の声を聞いた。


 ――跪き、首を垂れるといい。私の■ ■として。


 金色に変わってしまった目に、暗い海へ沈みゆく黄金の玉座が見えた。海底の瓦礫の上に崩れ落ち、黄金の血が流れ出す。


 不快だ。一度海に落とした程度で銀狼を下せると思われているとは。


「任された」


 ノワーレはフランツに答え、「いくぞ」と歩き出した。


「無事な騎士は動き出しているはずだ。まずは合流して、クラウナーが受けた預言を伝える」


 フランツが何匹かの鼠を放った。鼠はすぐに戻り、フランツの肩に上って何度か鳴く。


「団長と副長が既に外へ出ているそうだ。問題なく動ける騎士は三十名に満たない程度……あとは補佐しかできないだろう。第三は全員無事で、団長と共にいる」

「わかった。向かおう」


 療養棟を離れ、ノワーレたちは城砦の裏門から海岸へ出た。横殴りの雪が吹き付ける中、呪いの歌が絶えず響いている。壊れた砦や荒れた本陣が先の防衛戦から片付けられないまま残っており、ジョルジオたちは本陣跡で、沖合の玉座が沈みゆく様を吹雪越しに見ていた。


 ジョルジオはノワーレがやってきたのを見てきつく眉を寄せた。表情で何事かを察したのだろう。ノワーレが何か話し出すのを制し、一言だけ問うた。


「行くのか」

「行きます」


 ジョルジオの背後でユーリが首を振り、ミゲルが目を伏せた。父が止めないのだから、二人には尚更止められないだろう。もう、ノワーレがただの騎士では無くなってしまったことを、皆がわかっている。


「この歌はイライヤとローランです。クラウナーが、私とカジャカが行けば被害を抑えられると預言を受けました。ニーナとクラウナーを置いていきます」


 狼と熊の吠え声が聞こえた。猛吹雪の中、ノワーレの銀狼二頭と、カジャカの蒼熊が駆けてくる。


 ノワーレはいつも通りガルディエーヌに乗り、チュテレールにニーナを任せた。ノワーレの隣で、カジャカもまた蒼熊に跨る。


 ノワーレは耳の聞こえないカジャカにどう意思を伝えたものか迷ったが、諦めて、カジャカの顔を見た。


「死ぬなよ」


 それだけ言うにとどめ、口を読んだカジャカが頷く。


 耳の奥で、少年が囁く。


 ――さあ、帰って来い。


 自分が帰るのは海ではない。この銀狼城砦だ。


 吹雪の向こう、遠い沖合で、黄金の玉座が最後の飛沫を上げながら海に飲まれた。次いで、真っ黒な波がものすごい速さで押し寄せてくる。


 狼と熊の足元に、大量の白鼠が沸いた。フランツが鼠を波打ち際に集め、鼠が壁になろうと積み上がってゆく。


 クラウナーが聖杖を雪に突き刺す音が背後から聞こえた。波と共にイライヤの声が届く。絶望のソプラノにローランの虚無のテノールが重なり、カジャカが幼い顔を怒りに染めた。手に巨大な鎌を握り締め、もうすぐ到達する真っ黒な津波を睨みつける。


「ノワーレ、カジャカ、行って!」


 クラウナーが叫んだ。聖紋の響きに押され、ノワーレとカジャカは猛然と獣を駆った。


 吹雪に白く染まる視界の向こうから、真っ黒な虚無が押し寄せる。


 絶望の歌声を聞きながら、ノワーレとカジャカは、真っ黒な波に向かって突っ込んで行った。


…………

mission33 完了


 緊急任務「白鼠の女王討伐戦」を開始します。


 討伐対象 「白鼠の女王 イライヤ」

 討伐対象 「献身の歌唱者 ローラン」


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