mission26 黄金の傷
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mission26 黄金の傷
…………
貫かれた胸の穴は塞がっていたが、傷は残った。
それ自体は構わない。騎士である以上、生傷は絶えないし、傷跡だって数え切れないくらい残っている。
胸の穴は、黄金色に輝く石のようなもので塞がっていた。
胸の真ん中に、絶望の槍が生まれたようだった。
痛みはない。違和感もない。ただ、皮膚がひび割れたように黄金が覗いている。
深い青だった目の色も、胸と同じ、絶望を秘めた黄金に変わっていた。
見え方に変化はない。むしろ、普段よりよく見える気がする。
ノワーレはしばらく半裸のまま鏡を見つめていたが、諦めて服を着た。気にしたところでどうしようもない。目をくり抜いたり、胸の傷から黄金を抉り取ったりはできないだろう。何より、ノワーレ自身には何の不都合もないのだ。
時折、耳の奥に低い耳鳴りのような囁きが聞こえる以外は。
「ノワーレ、終わった?」
ドアの向こうからニーナの声がする。
「いいよ、おいで」
上着の釦を嵌めながら言うと、ニーナが不安げな顔で入ってきた。ノワーレが目覚めてから、ニーナはずっとノワーレにべったりだ。ニーナがいない時はクラウナーが傍に寄ってくる。
今日はノワーレの快気祝いだ。と言っても特別なことはない。いつも通り皆で食卓を囲むだけだ。目覚めてから三日、ようやく普通に生活して良いとの許可が出た。臨海祈念院からやってきた研究士たちは、ノワーレの目覚めを十年ぶりの奇跡と評した。同じことを試しても、皆が目覚められたわけではないらしい。
クラウナーとニーナが白鼠領に赴き、海から生還した女の話を聞いて、ノワーレの隣で歌い続けた。十日ほど、昼も夜もなく、二人は交代で歌い続けてくれたのだと言う。
「ノワーレ、もう傷、痛くない?」
ニーナがノワーレの隣にへばりつき、肩のあたりから見上げてくる。子守唄のひとつさえも知らなかった子が、ノワーレのために歌を覚え、歌い続けたくれた。
「痛くないよ、ありがとう」
ノワーレが頭を撫でてやると、ニーナは嬉しそうに笑った。ノワーレが守るはずだった相手に、助けられている。
「早く行こ、みんな待ってるよ」
ニーナに手を引かれ、ノワーレは主塔へ向かう。ずっとベッドの上で過ごしていたから、皆と食卓を囲むのは久々だ。廊下の先ではクラウナーが待っていて、ノワーレを見て手を振った。相変わらず尻尾を振る子犬のようだと思うが、一方で、クラウナーの顔つきが子犬のようばかりではなくなったのも、ノワーレは気づいていた。
「一緒に行こう」
嬉しそうに言われ、ノワーレは手を上げて応える。ニーナが嬉しそうに後をついてくる。二匹の子犬にまとわりつかれているようだが、悪い気分ではない。
主塔の食堂へ入ると、既に皆が席に着いていた。ジョルジオ、ユーリ、シャンティ、ミゲル、賓客扱いのローランとカジャカの他に、ノワーレの知らない顔が二人。淡い紅色の癖毛の女と、亜麻色の髪に眼鏡の男。
女の目は、ノワーレと同じ、黄金だった。
「あんたがノワーレ? 目、お揃いじゃん」
女が気怠い笑みを見せた。ノワーレは思わず面食らう。客をもてなすべき銀狼の人間としての言葉が、何一つ出てこない。
ノワーレが戸惑う間に、隣の男が立ち上がりノワーレに右手を差し出した。
「白鼠騎士団のフランツだ。こちらは白鼠騎士団副長のイライヤ・ブランスリ。銀狼のノワーレ、お会いできて光栄だ」
ノワーレは、狼狽しつつもとりあえず握手を交わす。
「こちらこそ……白鼠の女王隊と名高きお二人にお目にかかれるとは……なぜうちに?」
ノワーレの問いに、イライヤが気怠く答える。
「海から生還した者として、あんたのお見舞いに来たの。目が覚めて良かったね」
イライヤはだらしがない姿勢で座ったまま、黄金色の目でにやりと笑った。
「少しの間いるからさ、教えてあげるよ。こうなっちゃった体の不便なところとかね」
ノワーレの後ろにいたニーナが、何故だかノワーレの左手をぎゅっと握った。ユーリが微笑み、「ほらほら、突っ立ってないで座れ。ノワーレの好物たくさんあるぞ」とノワーレたちを促す。
いつも通りジョルジオの隣に座ると、ジョルジオが、ノワーレを見て眩しそうに笑んだ。
「よく戻った」
目覚めてから何度も言われていた。言われるたび、ノワーレも胸が詰まるくらいに込み上げる想いがある。
「はい」
一言が精一杯だった。父に頭をぐしゃぐしゃに撫でられ、ローランが楽しげに笑う。ニーナは隣で嬉しそうににこにこしているし、クラウナーも楽しげだ。
暗い海から、戻って来られた。
胸に傷は残っているし、目の色も変わってしまった。
けれど、今くらいは、全て忘れて家族の優しさに浸っていてもいいはずだ。
こちらを見ているイライヤの笑みを見て、ノワーレは思う。
どうせこの体は、碌なことにはなっていないだろうから。
※※※※
翌日からは海岸哨戒にも復帰した。フェリーチェとピエールはユーリ率いる第二小隊たちに厳しくも愛あるしごきを受けていたらしく、それぞれヘロヘロの顔をしていたが、ノワーレを見ると「やっと帰ってきた〜」とヘロヘロのまま笑み崩れた。
「やっぱ隊長じゃなきゃやだ〜! 私たち隊長の舎弟で子分なんですよ! もう海に落ちるとか嫌ですからね!」
「帰ってきてくれて嬉しいっす。やっぱ第三が落ち着きますね」
二人は口々に言い、ミゲルが「よかったねえ」と呑気な顔で笑う。
ミゲルの横ではなぜか着いてきたイライヤが興味深げに皆の様子を見ており、ピエールを手招きした。
「ねえ、小隊の人数少ないね。四人で全部?」
「うちは先鋒隊なんで、人数いらないんすよ。昔は副長……ミゲルの単騎でしたし。本当は一番奥の親玉見つけて即戻る役割なんですが、まあ、見つけた時にはもう羽化してることの方が多いんでそんなことも言ってられなくて。ノワーレ様が第二から独立する時に、じゃあミゲル一人じゃ危ないしってんで先鋒隊になって、俺ら舎弟が駄々捏ねて着いてきたって感じです」
「で、銀狼一族のノワーレが隊長で、激つよ単騎だったミゲルが殿?」
「っす。俺とフェリーチェは羽化してた時の突撃部隊」
「へー。面白いね。うちとは全然違う」
ニーナとクラウナーはノワーレの後ろで、初めて聞く情報に興味津々の顔をしていた。小隊の歴史など聞いて面白いのだろうか。ニーナとクラウナーがくっついている以上、これまで通りの先鋒の役割は果たせないので、敢えて説明もしていなかったのだが。
交代の小隊が戻ってきて、ノワーレたちに手を上げて合図をした。ノワーレも手を上げ返す。
「フェリーチェ、ピエール、行きな。ニーナとクラウナーは後から追いかけろ。ミゲルは最後尾で監督」
フェリーチェとピエールが返事と共に銀狼を走らせ、ニーナとクラウナーもそれぞれ狼と馬で二人の後を追った。槍はまだ休眠期だから、少し先を走らせても問題はないだろう。少し遅れて着いて行ったミゲルに後を任せることにする。
「あんたは行かないの?」
イライヤに問われ、ノワーレは肩をすくめた。
「徒歩のあなたがいますからね。ここから見守ります」
イライヤはノワーレの言葉に、「あら、ごめん、知らないか」と指を鳴らした。
途端、足元の雪から白鼠の群れが湧き出して、瞬く間に肘掛け付きの椅子の形に体を組んだ。鼠が密集しているのは割と不気味だし、椅子の足だけ大きな鼠なのも結構怖い。こいつが全ての重量を支えるのだろうか。
「え……えぇ?」
ノワーレが驚いている間にイライヤは悠々と鼠椅子に腰を下ろした。足を組んで頬杖を付き、女王の貫禄で笑う。
「ま、狼ほどの速度は出ないけどね。追いかけよ」
「え、それで動くの……? 鼠……潰れないんです?」
「鼠、結構思いっきり踏んづけちゃっても平気だよ。うっかり潰れてもすぐ湧くし、海に落ちてもいつの間にか戻って来るしね。ほら、行こう」
イライヤに急かされ、ノワーレは傍らのガルディエーヌに跨った。鼠椅子の様子を伺いながらゆっくり走り出すと、鼠椅子はイライヤを乗せたまま特に苦も無く着いてきた。やはり足元の大きい鼠が動きを担うらしい。ちょっと想像を絶する膂力だ。
海岸は穏やかだ。そこここに崩れた槍や、休眠期の槍がありはするが、災厄獣の気配はない。空は青く、流氷はゆっくりと揺れ、水平線は雪に白く烟る。
この流氷の下に落ちたなど、信じられない。
「ノワーレ、あんまり海を見てたらだめだよ」
イライヤが言った。
「引き摺られる。耳鳴り、止まってないでしょ」
ノワーレは思わずイライヤを振り返った。鼠たちの上に気怠げに座り、イライヤは目を伏せている。
「私は落ちただけ。でも、あんたは槍に胸を貫かれたって聞いたよ。多分、私より海の侵食が大きいはずだ。私は陽の光を浴びてぼんやりしてれば落ち着くけど、あんたはどうだろうね」
確かに、ずっと耳鳴りはしている。
無視できる範囲だ。けれど、潮騒のように、ずっとノワーレの中で鳴り響いている。
「クラウナーとニーナからあんまり離れない方がいい……聖紋が強大な人間の声は、耳鳴りを散らしてくれる。私のところにローランがたまに遊びにきてくれるのも、同じ理由」
ノワーレは胸の傷を押さえた。痛みはない。しかし、海に近づくと、僅かに違和感が増す。ずっと、ノワーレの胸の真ん中で疼いている。
「騎士として……海から離れてはいられない」
ノワーレが呟くと、イライヤは「わかるよ」と笑んだ。
「私たちは騎士……誇り高き強き者の末裔にして、民を守り人類の版図を広げる使命を貰った。まあ、私も白鼠の血は全く引いてないけどね」
イライヤの言葉に、ノワーレは思わず振り返る。イライヤは伏せていた目を開き、黄金の目でノワーレを見た。
「私も、流氷の上で拾われたの。赤ん坊のときに」
ノワーレと同じ、流氷の拾われ子。
イライヤとノワーレが海から生還したことと、目の色が変わったことは、関係があるのだろうか。
ノワーレが何か言いかけた時、脳に突き刺さるような耳鳴りが響いた。
ノワーレの隣で、イライヤも同じく顔を顰めた。ノワーレは思わず片手で頭を押さえる。耳を弄する潮騒。なにかが海底を這いずるおぞましい気配。胸の傷が大きく脈打った。傷から何かが体内に沁み出して、喉が、腹が、手足が痙攣する。海底で、槍の根元が黄金に輝きながら脈動した。脈動の亀裂から、真っ黒い命の紛い物が羽化し、陸を目指して登って来る。
ノワーレは右手の指輪を弩弓へ変化させた。無我夢中で巨大な弓身を雪に突き立て、遥か沖、まだ影すら見えぬ災厄獣に向けて、弓を二度、三度と発射した。
当たった、という手応えがあった。胸の傷が大きく脈動し、鎮まった。
遠くから、チュテレールの遠吠えが聞こえた。
「……見えた?」
イライヤが、隣で掠れた声を出した。ノワーレは弓を戻しながら頷く。ガルディエーヌがチュテレールに答えて長く吠えた。イライヤは椅子から鼠を一匹剥がすと、沖に向かって放り投げた。投げられた鼠は流氷へ落ち、ノワーレの矢が落ちたであろう沖へ駆けて行く。
「ニーナかクラウナーを呼びな。傷が悪化するよ」
「え……?」
「きっと、槍と共振したんだ。海に落ちた人間は逃げられない……カジャカみたいに、無意識にローラン以外の声を聞かないと決めてしまったとかなら別だけどね」
イライヤはもう一匹鼠を雪へ放すと、ノワーレを見た。黄金の目が光る。
「あんたの傷は体の中にある。聴覚と視覚だけじゃなく、そのうち体ごと持っていかれるよ」
遠くから、ニーナが喚く声が聞こえた。
「ノワーレ! 大丈夫?!」
ニーナを乗せたチュテレールが駆けてきて、ノワーレにぶつかるように雪煙を立てて停止した。ニーナがノワーレに飛びついてくる。
「大丈夫だよ。ニーナこそどうした」
抱き止めながら言うと、ニーナは「嘘だ!」とノワーレの目を覗き込んだ。
「わたしとクラウナーにも見えたんだよ。ノワーレが沖に生まれた災厄獣を弓で吹っ飛ばしたの。ノワーレに見えるはずがない位置にいたのに!」
ノワーレがどう説明したものか困っていると、クラウナーが金馬で駆けてきた。遅れてフェリーチェたちも戻ってくる。クラウナーは馬上で口元を押さえ、青い顔をしていた。
「ノワーレ……もしかして、預言を受けた?」
「そんないいもんじゃないよ」
答えたのはイライヤだった。
「女神様じゃない……捩じ込まれただけだ。絶望の槍を」
イライヤの足元に鼠が戻ってきた。手の上に掬い上げ、イライヤは呟く。
「周辺に他の羽化兆候はないね。はぐれもいない。クラウナーは預言を貰ったんだね?」
クラウナーは青い顔で頷いた。
「海底で、また、連鎖羽化が始まる……さっきのははぐれ羽化で、たぶん……十日以上は猶予がある」
「報告しておくよ。白鼠からも私とフランツが出られるし」
イライヤは言いながら、鼠を雪に放つ。
「私ひとりでも、白鼠としては最大級の戦力だからね」
イライヤが座る万の鼠たちが、ざわ、と蠢いた。
…………
mission26 完了
防衛戦の預言を受けました。
準備を進めてください。
mission27へ




