mission25 子守唄
Now loading…
mission25 子守唄
…………
その日はそのまま白鼠城砦にて歓待を受け、一泊してから戻ることとなった。明日になったらすぐ銀狼城砦へ戻れるよう、気難しくない金猫を探してくれるという。ローランの金猫は群を抜いて気難しい方らしい。夕餐の席でイライヤが笑う。
「元はキリエリの猫だしね。ローランじゃなく、カジャカに懐いてるんだと思うよ」
イライヤはニーナを気に入ったらしく、自分の隣の席に座らせていた。ニーナがクラウナーの隣がいい、と言うので、クラウナーがその隣、クラウナーの横にはフランツが座る。夕餐の円卓は、二人が緊張しないよう、他には白鼠騎士団の団長しかいなかった。もともと銀狼のように大勢で卓を囲むという文化でもないらしい。
「え、じゃあ、ローランの猫は?」
クラウナーが聞くと、フランツが「喰われた」と短く答えた。
「十年前にな。カジャカを守るため囮になった」
聖獣が死ぬ時は、災厄獣に食われるか、主人と共に老いた時だけだ。答えは分かりきっていたはずなのに。クラウナーは自身の配慮のなさを恥じたが、フランツは「気にするな」と無表情に言った。この男はぶっきらぼうで冷たく見えるが、冷酷ではないらしい。
イライヤが疲れたと言うので、夕餐の席は早めに解散となった。白鼠団長とフランツは不調法を詫びたが、クラウナーたちも、ニーナが疲れてきていたのでちょうど良かった。それぞれの客間に案内され、クラウナーはニーナと別れて明日に備える。
銀狼城砦へ戻ったら、すぐにノワーレの元へ行こう。歌い続けるくらい、いくらでもできる。
生まれる前から全身に聖紋を刻まれていた。聖紋の輝きと共に生まれ、自らの心身を女神のものと覚えてこれまで生きて来た。自身の心は自分だけのものなのだと知った後でさえも、自分を犠牲にしないで生きる方法など知らなかった。
ノワーレと出会って、クラウナーは初めて自分がただの十七歳でもいいのだと知ったのだ。
役に立たなくていい。
ノワーレは言った。
人類のためだけに自分を使わなくていい。そう言われた気がした。
そんなことを言ってくれるノワーレが、なぜ海に侵されなくてはならないのだろう。
新しい希望を与えてくれたノワーレが、なぜ絶望に呑まれなくてはならないのだろう。
ノワーレのような人こそ、生き残り人々を――自分を、導くはずなのに。
クラウナーが思考に沈んでいると、ノックの音がした。
「クラウナー……いる?」
心細げなニーナの声。クラウナーは、強張っていた心がやや緩むのを感じる。
「いるよ、どうぞ」
言うと、寝巻きにストールを巻いたニーナが不安げな顔で立っていた。
「眠れない?」
「知らない部屋だから……不安で」
「おいで」
ニーナは遠慮がちに部屋に入ってくると、長椅子へ腰を下ろし、小動物のように膝を抱えた。ニーナを心配してついてきたのであろう白鼠が、椅子の肘掛けからニーナの肩によじ登る。クラウナーが隣に腰掛けると、ニーナは思い詰めた顔を上げた。
「あのね……なにか、歌を教えて。わたし、ノワーレに歌ってあげられる歌、ひとつもないの」
必死な表情で言われ、クラウナーは面食らった。そうだ、銀狼城砦で、そんな話をしたことがある。あれは大規模防衛戦の前だったか。
「わたし、聖紋はないけど、イライヤはわたしの声も聞きやすいって言ってたでしょ? なら、わたしの声でも効果があるはずだよ。クラウナーとわたし、交代で歌えば疲れないし、ローランみたいに聖紋が灼けちゃうこともないんじゃないかな」
ニーナが必死に言うのに、クラウナーは、自分が一人で歌おうとしていたことに気がついた。三日三晩、あるいはそれ以上でも、歌い続けることはできる。歌唱大隊とは騎士が戦い続ける限り歌うものだし、上半身にしか聖紋がないローランにできたのだから、全身が聖紋の自分にできないわけがない。そう思っていた。
けれど、ニーナがいるのだ。
クラウナーは、ニーナが両手を膝の上で固く握りしめているのを見、そっと両手で包んだ。
ノワーレだって言っていた。一人で背負う必要はないのだ。
「うん、一緒に歌おう。教えてあげるよ」
約束したはずだ。そのうちなにか教えてあげる、と。いまがその時だ。
クラウナーは、簡単な子守唄を口ずさんだ。幼い頃に誰もが聞いたことがあるはずで、しかし、クラウナーは、親に歌ってもらって覚えたわけではない。歌唱大隊の訓練の一環で歌わされただけだ。クラウナーを育てたのは親ではなくエヴァで、エヴァは親代わりと言えるほどクラウナーの傍にはいられなかったし、その時々で世話をしてくれる人は代わるものだった。
「優しい歌だね」
ニーナは微笑んで、クラウナーの真似をして口ずさんだ。ニーナの舌足らずな声で歌われる子守唄は、クラウナーの心をも柔らかくほどいた。
簡単な歌だ。同じ節回しや歌詞を何度も繰り返すだけの、想いだけが意味を持つ歌。
歌に意味があるのではない。意思を言葉にし、いつまでも伝え続けるための方法として、歌がある、というだけだ。
一人ではない。ノワーレを想う人間は、たくさんいる。
声が届くのは、クラウナーとニーナだけなのかもしれない。けれど、いまも銀狼城砦では、ノワーレのために多くの人が力を尽くし、心を砕いているはずだ。
※※※※
声が聞こえる。少年の声だ。知らない声だ。ノワーレに何か言っている。
おまえも死んでしまえばよかったのに。
優しい声だ。呪いの言葉とは裏腹に、心からノワーレを憐れみ、慈しみ、悲しんでいる。
殺してやれればよかった。
愛を囁くように、少年は言う。
体が冷たかった。海に落ちたのだ。女神の威光が届かぬ海では何者も生きられない。命は存えることができない。
かわいそうに。勝手に産み落とされて、戦うために育てられた。おまえは銀狼の血など引いていないのに。
かわいそうに。誰の娘でもなく、誰のきょうだいでもない。争いのために生み出され、使命などという呪いを与えられた。神に愛されるなど、残酷を望まれることでしかないのに。
そうなのだろうか。
銀狼の血を引いてはいなかった。流氷の上で拾われただけの命。父とも兄とも血は繋がっていない。強き者の末裔、銀狼の姫と謳われても、偽りでしかなかった。自分がこれまで信じてきたことは全て偽りで、真実などひとつもなかった。女神は残酷だ。なぜ、偽りの命に使命など与えたのか。
なぜ、女神はノワーレなどを愛したのか。
胸が痛む。絶望の槍に貫かれたのだ。このまま死んでしまえば楽なのかもしれない。己の命や使命に惑うことなく、冷たい海の中で終わってしまえたら。
歌が聞こえる。
かわいそうに。抗う者よ。反逆者よ。女神はお前に安らぎを与えはしない。安寧の時は訪れないだろう。私の手を取れば、冷たい安らぎを与えてやれる。残酷を望まれ心を引き裂かれる必要もない。
歌が聞こえる。
かわいそうに。まだ女神はお前に立てという。残酷を望まれた者よ。一度は私に忠誠を誓った偽りの命よ。私の元へ下るのなら、残酷を与える側に回れるだろう。かわいそうな紛い物、命の器、残酷のための偶像よ。
誰かが歌っている。ノワーレもよく知る子守唄だ。
残酷を望まれた偶像よ。お前の魂は神々の手の中にある。かわいそうに。かわいそうに。
子守唄が聞こえる。幼い頃に誰かが歌ってくれた。
子守唄が聞こえる。幼い頃、誰かが歌いながら自分を抱いてくれていた。誰かの体温を感じる。誰かが自分を抱いている。
子守唄が聞こえる。優しい声だ。この声を知っている。
かわいそうに。女神に愛されてしまって。だから声が海底へ届く。海底に捉われた者にも届いてしまう。かわいそうに。かわいそうに。
子守唄が聞こえる。幼い声だ。この声を知っている。
守ってあげると言ったはずだ。
子守唄が聞こえる。この声を知っている。
ノワーレを見て、子犬のように笑う二人だ。
胸が痛む。守ってやると言ったのだ。女神に愛された二人を導くのだと。
銀狼に養育された娘。そうだ、銀狼は自分を育ててくれた。愛して、慈しんで、娘として、妹として、一人の騎士として、信じて育ててくれたはずだ。
子守唄が聞こえる。
愛と、慈しみの歌だ。想いが込められた素朴な歌だ。そうだ、自分は愛されて育った。騎士として信じられてきた。
子守唄が聞こえる。
ノワーレは、目を開ける。
※※※※
誰かが隣で眠っている。よく知る体温だ。寒がりで、最初こそノックしてきたが、冷える夜には勝手にノワーレのベッドに潜り込んでくるようになった。ノワーレは手探りで布団を掻き寄せて、隣のニーナの肩を覆ってやる。この子は寝相が悪いから、すぐ布団を跳ね飛ばすのだ。
「ノワーレ?」
クラウナーの声がして、ノワーレは目を開く。眩しい。いま何時だろう。なぜクラウナーが部屋にいるんだ?
「ノワーレ……良かった」
クラウナーの声が泣きそうに歪み、震える手がノワーレの頬を撫でた。
そうだ、自分は海に落ちて、ニーナに引き上げられたのだ。
「……クラウナー」
声は、驚くほど掠れていた。
クラウナーがノワーレの胸に突っ伏し、隣で眠るニーナを揺すった。
「ニーナ、起きて……ノワーレが、起きた」
隣で眠っていたニーナが体を起こし、ノワーレの目が開いているのを見て、眠たげな顔が一気に歪んだ。
「ノワーレ! 起きた! やった!」
そのままクラウナーごと抱きつかれ、ノワーレは一瞬呼吸に詰まる。「重い……」と呟くと、二人は慌ててノワーレから離れた。二人とも真っ赤な目に涙を溜めて、ぐずぐずの顔をしている。
「……どれくらい、寝てた」
「今日で、十四日……ノワーレ、起きて良かった……」
クラウナーが涙声で言い、ニーナがノワーレの顔を覗き込んで、泣いてるのか笑っているのかわからない顔をする。
「ノワーレ……目が、金色だ……」
言われたが、何のことだか分からなかった。
廊下から、忙しない足音が聞こえる。誰かが喚いている。甲高い声はシャンティだろうか。ノワーレが起きたって聞こえたけど! ねえ! と喚いている。
ノワーレが、父や兄たちにもみくちゃにされるのは、もうすぐだ。
…………
mission25 完了
称号獲得
ノワーレ「海からの生還者」
mission26へ




