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mission23 大聖軸から白鼠領へ

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mission23 大聖軸から白鼠領へ

…………

 久々に、アルタノッドで海岸線を走る。


 海岸には再び雪壁が厚く盛られていた。木組の砦は解体され、材となって隅に集められている。戦いの後に少し雪が降ったから、血痕や津波の跡は真新しい雪に覆われてしまっていた。寒の戻りの時期なので、流氷も僅かに厚みを増している。


 クラウナーはアルタノッドに乗ったまま、沖の絶望の槍(グランギニョル)を眺めた。ニーナが破壊した槍は、くすんだ黄金の残骸となって朽ちようとしている。


「もう少し走る?」


 アルタノッドの首を叩きながら聞くと、アルタノッドは足踏みをした。まだ走り足りないらしい。寝込んでいる間は手入れも人任せだったから、アルタノッドも寂しかったようだ。クラウナーはアルタノッドの腹を軽く蹴り、海岸線を更に走る。


 イライヤに会いに行くには、まずローランの猫で大聖軸へ向かい、その後エヴァの猫を借りて白鼠領の小聖軸へ向かう必要がある。小聖軸から先は猫を借りられるかはわからないから、アルタノッドも一緒に行くことにした。アルタノッドはニーナくらいの少女なら相乗りしても疲れない。出発前に脚を慣らすため、少し長く散歩に出る。


 海岸哨戒も再開されているが、第三小隊は外されていた。フェリーチェとピエールは第二小隊に一時的に編成され、ミゲルはジョルジオと共に騎士団としての後処理に追われている。クラウナーとニーナは療養中扱いだ。


 騎士団の小隊とすれ違う。手を上げて挨拶をする。天気は快晴で、沖合に災厄獣の気配もない。槍は大量羽化を終え、短い休眠期に入っている。クラウナーが一人で散歩に出ても危険はない。


 肩に乗った鼠が、クラウナーを急かすように「ちちち」と鳴いた。この鼠はクラウナーの左肩を居場所と決めたようで、起きている間は肩の上で何がしか伝えようと鳴いたり、呑気に寝たりしている。意外と雑に扱っても落ちないので、クラウナーも気にしないことにした。小さくても騎士団の聖獣だ。そんなに間抜けではないだろう。


「戻りたい?」


 鼠に問うと、尻尾で首筋をくすぐられた。


「明日の昼には発つから、大丈夫」


 鼠は控えめに「ちぅ」と鳴いた。クラウナーは指先で少し撫でてやる。


 そういえば、領を跨ぐほどの長距離を移動するのは初めてかも知れない。


 大聖軸から銀狼領へ来た時は、金猫を借りたからすぐに着いた。あれは移動とは呼べないだろう。クラウナーは大聖軸と銀狼領しか知らない。ニーナを連れて、白鼠領へ無事辿り着けるだろうか。


 鼠が、クラウナーの不安を察したように肩を駆け下りアルタノッドの頭へ駆け登った。アルタノッドは気にした風もない。


 まあ、聖獣が二頭もいれば大丈夫だろう。アルタノッドは賢いし、この白鼠も、呑気ではあるが悪い奴ではなさそうだ。


※※※※


 出発の日、ニーナは眠り続けるノワーレの隣にずっと座っていたが、クラウナーが迎えに行くと、ぱっと顔を上げて立ち上がった。ノワーレのお下がりの外套と襟巻きをしている。ニーナはノワーレよりずっと小さいから、袖は随分折り上げられていた。ニーナ用の外套も新しく与えられているが、今はノワーレのものを着ていたいのだろう。


「ノワーレ……行ってくるね」


 ニーナはノワーレの耳元で囁き、足元の銀狼二頭と抱擁を交わした。「ノワーレを守ってね」というニーナの囁きに、狼たちは軽く喉を鳴らして応えた。


 前庭に繋いだアルタノッドの所へ向かうと、すでにローランが猫を抱いて待機していた。カジャカが隣で手を振っているので、クラウナーも手を上げる。ジョルジオとユーリ、シャンティ、ミゲルもいて、クラウナーが頭を下げるとまたもジョルジオに髪の毛をぐしゃぐしゃに撫でられた。


「無理はするなよ、まずは腕と、他にも使いすぎたところを直してもらってこい」


 ジョルジオの顔色は良くなかった。娘が眠り続けている上に、団長として、戦没者や怪我人の処理で忙しいのだろう。それでもわざわざ見送りに来てくれるのが、ジョルジオの優しさだと思った。銀狼は皆、本当に優しい。元気のない顔をしたニーナも、ジョルジオに両手で髪をわしわしされながら色々言われている。


「無茶をするな。クラウナーの言うことをちゃんと聞け。ノワーレのことは俺たちが見てるから、お前もちゃんと食って寝ろ」


 まるっきり子供扱いで、救世主も形無しだ。ミゲルがニーナのポケットに飴やら菓子やらを詰め込み、シャンティがぐしゃぐしゃになったニーナの髪を直してやる。皆、戦場でのニーナを見ているはずなのに、扱いは変わらず第三小隊の末っ子だ。


 ユーリがクラウナーの隣に来て「ありがとうな」と笑んだ。


「俺たちは諦めてたんだ。海に落ちた人間は助からない。でも、君たちは信じてくれるんだな」


 ユーリはクラウナーの顔を見なかった。クラウナーは、ユーリがノワーレの首を落とすために単騎で隊を離れ、ノワーレの元へやってきたのを見ていた。ミゲルがノワーレの首を落とすために残っていたのもわかっていた。騎士の責任だ。二人は悪くない。皆、海に落ちた騎士がどうなるかを経験しているのだ。


 本来的には騎士ではないクラウナーとニーナだけが、常識を無視することができる。


「白鼠騎士団の副長は、海に落ちても目覚めたそうです」

「らしいな。会ったことはないが、恐ろしく強い騎士だと聞いている」

「手がかりがなくても、僕ならノワーレを起こせます」

「それは君と引き換えに、だろ?」


 ユーリに言われ、クラウナーは微笑む。


「引き換えにしなくていい方法も、エヴァ様なら知ってるかも」


 ユーリは困ったように眉を寄せ、それでも微笑んでクラウナーの背を叩いた。何も言えないのだと思った。頼む、とも、いらない、とも。


「おーい、猫が早くしろってぐずりだした。そろそろいいかい?」


 ローランに言われ、ニーナが皆の元を離れてクラウナーの隣に来た。クラウナーはまずニーナを抱き上げてアルタノッドに乗せてやり、ニーナの後ろに自分も跨る。

 ローランが猫を雪の上に下ろし、クラウナーに「気をつけろよ」とだけ言って離れた。


 猫が太い尻尾を揺らし、アルタノッドに向け「にっ」と鳴いた。雪山と雪山の隙間に向けて歩き出す猫の後ろを、アルタノッドはゆっくり着いていく。


 雪の隙間を抜ける時、オーロラ色の波に拐われるような感覚があった。


 瞬きを終えた時にはもう着いていた。大聖軸の正門前に、怒った顔のエヴァが猫を抱えて仁王立ちしていた。


「クラウナー! ニーナも! ふたりとも、わたくしは怒ってますからね!」


 やば、と思った時にはもう遅かった。ローランの猫はさっさと戻ってしまい、今度はエヴァの猫が「にゃーん」と気の抜けた声で鳴いて、気がつくと大聖軸の上層階、分厚いガラスの天蓋に覆われた庭園へ移動していた。隣はエヴァの私室だ。誰か客を呼ぶ時、エヴァは絶対にここを使う。真冬でも暖かく、雪に左右されない常緑の庭だ。


「エヴァさま……」

「いいから早く降りなさい。ジョルジオとローランから全部聞いたわ。まずはクラウナー、あなたの右腕を治してあげる。ニーナも、一回全部見せなさい」


 有無を言わさぬ口調で言われ、ニーナが怯えてクラウナーを見上げた。クラウナーは「大丈夫、怖くないよ」と言いながらアルタノッドを降り、ニーナを抱えて下ろしてやる。エヴァが、「動きはするのね」と注意深くクラウナーの動きを観察した。クラウナーは素直にエヴァの前に出て、示された椅子へ腰を下ろす。ニーナが不安げにクラウナーの隣に立つ。


 エヴァはクラウナーの前に膝を折ると、クラウナーが差し出した右腕の袖を捲り上げ、手のひらでそっと撫でた。じわ、と手当の力を感じ、クラウナーは脱力する。腕だけでなく、ほとんど全身灼きついているのを、エヴァは容赦無く見抜いて行った。


「無茶ばっかりして……あなたのことを治せるのはわたくししかいないのよ。わたくしが寝てるタイミングだったらどうするの」

「いや……放っておけば治るかなって……」

「治りはするでしょうけど、痛むでしょう。特に、体の中は見えないんだから」


 エヴァの言葉を聞いたニーナが「痛いの?」と声を上げた。クラウナーは困ってしまう。痛まないわけではないが、無視できる範囲だ。


「聖紋は、使い過ぎると痛むのよ。人ならざる力だもの、体を蝕むの」


 クラウナーに代わり、エヴァが答えた。


「女神様は、人類が自ら版図を広げられるように、人々に聖紋と聖獣を与えた。けれど、そもそも女神様の力は人の手には負えないのよ。世界は女神様のためのものではあるけれど、女神様が作ったものではないし、世界の広げ方も女神様は知らない。女神様は人類繁栄のために力を与えてはくださるけれど、人は、女神様にはなれないの」

「……よくわかんない」


 ニーナが眉を寄せると、エヴァは微笑んだ。


「いいのよ。そもそもあなたは救世主なのだし、人類と同じ枠の中にはいないわ。女神様の力を使うたびにあなたが苦しむのは、体が人に寄せて作られているから。神のままだと人の世に現れることはできないのだもの。ほら、あなたもこっちにきて」


 エヴァはクラウナーの手当を終えると、ニーナを自身の前に立たせた。ニーナの両手を握り、目を伏せる。

 ニーナとエヴァの体がオーロラ色に輝いたのを、クラウナーは見た。ニーナの真っ青だった顔色が、本来の血色を取り戻す。


「……苦しくない」

「やっぱり、あなたも無茶していたのね。だめよ。人の体に合わせて戦わないと」

「でも……わたしが戦わないと、みんな死んじゃうところだった」

「そうね。人には、災厄の槍(グランギニョル)は壊せないものね」


 エヴァは立ち上がり、背伸びをしてニーナの髪を撫でる。


「苦しくなったらわたくしのところにいらして。治してあげる。あなたの体も、クラウナーと同じで他の人には治せないのだから」


 ニーナは頷くと、「ねえ、ノワーレも?」と聞いた。


「ノワーレ、海の中でも息をしてた。普通、人は海に落ちたら死んじゃうんでしょ? ノワーレは……人じゃないの?」

「……わたくしにはわからないわ」


 エヴァは困ったように笑み、それでも、不安げなニーナの手を取り語り続ける。


「わたくしにわかるのは、あの子が流氷の上で拾われた子だということと、銀狼に選ばれた騎士だということ。ジョルジオたちに愛されて育った、とってもいい子だってこと。他の人と同じく女神様が掬い上げた人類の一人だけど……もしかしたら、あの子は女神様に特別愛されているかもしれないわね」

「愛されてるってどういうこと?」

「さあ……女神様の愛が人類にとって何を意味するのかは、神々でないわたくしたちにはわからないことよ。神々の愛は優しさであり、執着であり、試練であり、殺意でもあり得る。神々の愛は人とは違うの。わたくしだって、神々に愛されたから四〇〇年も生きている」


 エヴァは微笑みながら、ガラス越しに空を見上げた。


「神々が……女神様が何を考えているかはわからない。でも、試練を乗り越えるための道筋は、必ず用意されてるはず。イライヤに会いにいくんでしょう? あの子も神に愛された子。愛される重みを知ってるでしょう。あの子が生きているのだから、ノワーレも目覚めるはずよ」


 エヴァは難しい顔をしたニーナと目を合わせると、にっこり笑いかけた。


「大丈夫。女神様はわたくしたちを見捨てたりしないわ。あなたが……ニーナがいるもの」

「……うん?」


 ニーナは納得できない、という顔をしたが、クラウナーは、エヴァの言いたいことがわかる気がした。


 救世主が遣わされた。そのこと自体が、きっと、女神が人類を愛している証左なのだ。


 女神に遣わされたニーナが求めるのなら、ノワーレもまた、女神に見捨てられたりはしないはずだ。

…………

mission23 完了


称号獲得


ニーナ「女神に愛されし救世主」


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