↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
22/51

mission19 津波防衛戦

 Now loading…


mission19 津波防衛戦

…………

 西側エリア 損耗率60%

 北側エリア 損耗率観測不能

 東側エリア 損耗率32%

 南側エリア 損耗率12%


 西側エリア 危機警告 戦線崩壊危機継続中

 北側エリア 危機警告 戦線状況観測不能


 危機警告 戦線が後退しています

 フィールドを精査し、戦線を立て直してください

…………

 沖合から、災厄獣の咆哮が聞こえた。

 クラウナーの腕の中で、ニーナが泣き濡れた顔を上げた。腫れた目が虹色に輝く。


「だめだ、来る……」


 足の裏に、地鳴りを感じた。

 流氷が軋む。遥か沖、流氷を突き破って現れた黄金が蠢き、真っ黒な潮と共に信じがたい速度でこちらへ迫って来る。


「歌唱大隊! 総員構え!」


 ギヨームの声が響いた。


「第十五楽章、斉唱!」


 歌唱大隊全員が動いた。一〇〇名が海を臨む木組砦の露台に瞬く間に整列し、一斉に、聖杖をどん、と床に突き鳴らす。


 第一声から、強いフォルテシモが吠えた。


 第十五楽章、命ある者のための讃歌。人類を、聖獣を信じ讃える混声六部の大合唱。


 一〇〇名の歌声が空気を揺らし、地鳴りを止め、襲い来る黒と金の津波を押し留め、流氷の壁を突き立てた。

 ブレスの間にシャンティの独唱が響く。力強く高らかなソプラノ。女声筆頭歌唱士《マスター・ソプラニスタ》の高音が流氷の上で惑う騎士たちを勇気づけ、続くメッゾソプラノとアルトの美しい混声が恐怖を宥め、テノールが戦いへの意志を再び呼び覚まし、バスが心を奮い立たせる。筆頭歌唱士たちへ続き、各隊が歌声を響かせ続ける。


 ギヨームが露台から降りてきて、クラウナーの背後に立った。


「まだ嘆くには早い。この程度の危機などいくらでもありました。恐るるに足る状況ではない」


 ノワーレがいないのに?


 クラウナーは言えない。抱きかかえたニーナの脚は震えており、もう自分の支えなしでは立っていられないのだとわかる。ついさっき、空に生まれた氷の槍をクラウナーは見た。自分の歌をニーナが聞き、正しく理解し、危機を退けたはずだった。二人で力を合わせ、振り絞り、早熟羽化槍を破壊した。そう、恐るるには足りない。対処できる危機だ。


 なのに、どうしてノワーレがいないんだ?


「違う……」


 クラウナーの腕の中で、ニーナが呟いた。


「わたしが海に行くまで止まらない。だって……わたしを探してる」


 ギヨームが何か言おうとクラウナーの肩を掴んだ時、木組砦の床が震えた。


「逃げて!」


 ニーナが叫んだのと、床が割れたのは同時だった。


 床を突き破り、黄金の槍が生えて金切り声を上げた。割れた露台から歌唱大隊が何人か落ち、何人かは黄金の槍に突き刺され絶命した。クラウナーは衝撃に跳ね飛ばされ、ニーナがクラウナーの腕の中から飛び出して走った。手から氷の槍を生み出して黄金の槍の腹へ突き立てる。再び上がる金切り声。人類を呪う声と共に割れた露台の隙間から黒く捩くれた腕が伸び、人によく似た形の化け物が現れる。一体、二体とよじ登って来る。


 クラウナーの背後から、巨大な鎌が振るわれた。


 鎌の一閃で人型の災厄獣の首が落ちた。鎌がクラウナーの横で細剣に変わり、胴のあたりの嘆石を突き壊す。


「こっちだ!」


 誰かに服を掴まれ引っ張られた。背中にアルタノッドを感じ、飛びついてよじ登るように跨る。隣の蒼熊《そうゆう》の上には大鎌を携えたカジャカがおり、ローランがカジャカの背中を支える形で相乗りしていた。足元をチュテレールが黄金の槍を目掛けて駆けて行く。チュテレールが目指す先、絶望の槍(グランギニョル)の根元には、ニーナが一人で蹲っている。


「ニーナ!」


 叫んだ。同時にニーナが右手を掲げ、空が光り、幾本もの氷の槍が降り注いだ。


 災厄獣の断末魔がそこここから響いた。


 クラウナーはアルタノッドを走らせた。蒼熊がアルタノッドを追い、焦れたカジャカが熊を前に出し、クラウナーの行手を遮る災厄獣の首を片っ端から刎ねた。ローランがなにか歌っている。歌唱大隊が崩れたから、独唱出来る者として蒼熊に揺さぶられながらも声を張り上げている。そこここから息のある者が歌声を上げ始める。まだ終わっていない。絶望に呑まれてはいない。


 チュテレールが蹲るニーナの襟首を咥え、自身の背に放った。ニーナはチュテレールの首にしがみつきながら唸り声を上げる。


「うあああああ!」


 ニーナが吠えた。天が輝き、空に現れた巨大な氷の槍が目の前の絶望の槍(グランギニョル)に落下して激突し、脳を揺さぶる金切り声と共に割れ砕け散った。


「ニーナ!」


 アルタノッドが追いつき、クラウナーはアルタノッドを降りてチュテレールに蹲るニーナに手を伸ばした。ニーナの目は虹色に爛々と輝いて、どこか遠くを見ている。


「クラウナー……歌える?」


 ニーナが掠れ声で呟いた。


「わたし……行かなきゃ。ノワーレを取り戻さなきゃ……わたしを連れてくのに邪魔だったんだ……わたしが行って、取り返して来る」

「海に落ちた者は、戻っては来ません」


 ニーナの前に、金馬に乗ったギヨームが立った。ニーナが震えながら顔を上げる。頬からは血の気が失せ、焦点の合わない目でギヨームを見上げる。


「撤退です。今すぐここを離れなさい。人の命は須く尊いが、あなた方の命は何にも変えられない。絶対に生き延びなくてはならない人間もいるのです」

「わたしは死なない」


 ニーナが言った。ニーナの思いだが、ニーナ自身の言葉ではない、とクラウナーは思った。ニーナは半ば女神の力に呑まれている。それでもまだ、自分の意思として顔を上げ、ギヨームを見ようとしている。


「わたしは死なない。世界はそのようにできているからだ。だが、わたしがここで諦めれば、すべて終わりだ」

「騎士団も歌唱大隊も諦めてはいません。まだ戦いは続いている。撤退するのはお二人のみです」

「わたしも、クラウナーも、撤退しない。女神はわたしたちに諦めることを許さない!」


 ニーナが喚いた時、クラウナーの脳裏に声が響いた。


 ――危機警告

 ――防衛ラインを突破されました。全体損耗率47%

 ――フィールドを精査し、防衛陣を立て直してください。


 クラウナーの視界が急に暗くなった。目の前に光はなく、体は芯から凍えるように冷たい。光の差さない海底。女神の威光も届かぬ暗黒の底に、誰かが倒れている。


 ノワーレだ。


 ノワーレの胸に太い何かが突き刺さっている。光が差さない海底ですら鈍い光を放つ黄金の槍。ノワーレの手が僅かに動き、自身の胸から槍を抜こうと足掻いている。


 ノワーレが、生きている。


「わたしならノワーレを助け出せる! 女神はノワーレを選んだんだ、ノワーレは世界に必要だ!」


 ニーナの叫び。クラウナーは手探りでアルタノッドの手綱を取り、背に跨る。ギヨームが立ちはだかる。ギヨームの抑えた声音が重くのしかかる。


「いいえ。彼女は優秀な騎士ではありますが、ただの騎士です。あなた方が命を賭ける相手ではない」


 ――危機警告 戦線が後退しています。

 ――行動を選択してください。


 ――撤退しますか?

 ――任務を放棄し、海底へ向かいますか?


「……任務を、放棄します」

 クラウナーは、誰かの声へ向かって呟いた。


 チュテレールが遠吠えを上げた。高く、何度も。


 どこか遠くで、ガルディエーヌが答える声がした。


「ニーナ、行こう」


 クラウナーが言うと、ニーナが僅かに頷き、チュテレールが沖へ向けて走り出した。クラウナーもアルタノッドを走らせた。


 ガルディエーヌの遠吠えが聞こえる。ノワーレを待っているのだ。二頭の銀狼もまた、ノワーレを諦めていない。


「わたしが海に潜る。クラウナー、歌ってて!」


 風に煽られながらニーナが叫び、クラウナーも「わかった!」と叫んだ。

 自分の歌声はニーナに届くと知っていた。どんなに距離があっても、地上と海底でも、この声は届くはずだ。


 流氷を駆け、氷の裂け目を越え、災厄獣の群れと戦う騎士たちを追い越しながら、最も陸から遠い絶望の槍(グランギニョル)の遺骸を目指した。あの近くにノワーレがいる。海の底で槍に貫かれ、今ももがいている。


 流氷が真っ二つに割れた端に、ガルディエーヌとミゲルがいた。ミゲルは流氷に剣を突き立ており、じっと海へ続く裂け目を見下ろしている。


「どいて!」


 ニーナがチュテレールから飛び降りて、迷うことなく海へ飛び込んだ。

 クラウナーもアルタノッドから降り、流氷に聖杖を突き立てた。ニーナとノワーレが戻るまで、何があってもここで歌い続けるつもりだった。ミゲルは何も言わなかった。ただ、クラウナーが胸に下げた礎石を握りしめ、歌い始めるのを見ていた。


※※※※


 ニーナとクラウナーが走り去った後、ギヨームは目を伏せ息をついた。二人の若者を止められないだろうことは分かっていた。それでも、海に呑まれた者は戻らないのだ。陸の者がどんなに願っても、一度海に落ちた者は助からない。戻ってきても、それは人の姿をしているだけの災厄獣だ。


 親しい者の形をした災厄獣の首を、誰が落とせると言うのだろう。


 皆、戻ってきた者を見て絶望するのだ。愛した者が二度と戻らないことに。

 せめて、成り代わられた彼女の姿を見せたくはなかったのに。


「ギヨームさま……」


 ギヨームの背後から、掠れた女の声がした。僅かに足を引き摺ったシャンティが、聖杖に縋り立っていた。


「私……喉を、潰してもいいですか。もう戻らないと分かっていても……あの子は、ノワーレは、大事な義理の妹なんです。せめて……あの子を助けようとしてくれてる二人だけは、守ってあげたいのです」


 筆頭歌唱士が喉を潰すほどの歌声をあげれば、今いる災厄獣を一時的に行動不能にするくらいは出来るだろう。その後、押し留められていた群れが再び動き出す時に、更なる危険が伴うというだけで。


 ギヨームの横に蒼熊が来て、ローランが「やれやれ」と言いながら降り立った。


「シャンティ、やめなさい。君はまだ戦況に必要な人材だ。今喉を潰すのは惜しい。あまり大隊長を困らせるんじゃない」


 ローランは右手を軽く振ると、礎石指輪《フォンタシオン・バーグ》を聖杖へ変えた。


「そういうのは、僕みたいなはぐれ者がすることさ」


 言いながら、聖杖を壊れた露台に突き立て呟く。


「カジャカ、僕を守れよ」


 蒼熊の上で、鎌を持ったままのカジャカが無表情に頷いた。


 ローランの独唱が響き渡った。戦いの聖歌(イム・ド・サマカント)、第一楽章の独唱。最も簡単で、最も単純な音律の繰り返し。しかしそれゆえに最も力を発揮しやすい、歌唱大隊の基本の歌。

 ローランの喉に、七色に輝く聖紋が浮かび上がった。聖紋は輝きながらローランの喉を覆い、胸を、背を覆い、混声六部合唱にも劣らぬ響きが戦場に広がってゆく。


 流氷が輝いた。溶け崩れていた流氷が厚さを増し、裂け目が埋まってゆく。災厄獣たちが動きを止め、ぐずぐずと崩れ散ってゆく。


 第一楽章を歌い終えたとき、見える範囲から災厄獣は消えていた。


 ローランは聖杖に縋って崩れ落ち、熊から降りてきたカジャカがローランを両腕で抱え、蒼熊の上に押し上げた。


「ローラン、ありがとう……」


 シャンティが言い、ローランは息を切らしながら片手を上げて応えた。喉と胸に聖紋が焼き付いて、いまは話すこともできないはずだ。女神の力は人の身には余る。

 ギヨームは眉を寄せ、伏せていた目を開く。吟遊者が場を引き取ってくれた。ならば、歌唱大隊も力を振るわねば。


「聖歌唱大隊、点呼! 無事な者は前へ! 負傷者は撤退だ!」


 そこここから声が上がった。今のローランの歌で気力を取り戻した者も多いだろう。若者二人が向かった沖へ視線を向けたまま、ギヨームは自らも歌唱陣へ加わる。


 銀狼の姫が戻って来ることはないだろう。


 ならばせめて、ニーナとクラウナーだけは生き残るよう、歌唱大隊として力を尽くさねばならない。

…………

mission19 完了


 戦線を放棄しました。

 状況を確認しています。


mission20へ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。