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ルナは、恋をした。―完璧な御曹司に振られたので、まず私のことを知ってもらうことにしました―   作者: たまご
高校編

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第8話 ルナは、信じます

朝の廊下は、教室へ向かう生徒たちで混み合っていた。


月は鞄を抱え、人の流れに合わせて、教室へ向かっていた。


「朝比奈」


後ろから呼ばれ、足を止める。


振り返ると、担任がこちらへ歩いてきていた。


「はい!」


担任は月の前まで来ると、少し言いにくそうに口を開いた。


「昨日、施設の園長先生から連絡があったんだが……」


「園長先生ですか?」


「ああ。教科書のことだ」


「あ、そうです! 先生!」


月は思い出したように鞄を開け、四冊の教科書を取り出した。


「昨日、帰るときに見つかりました!」


「そう。そのことで――」


担任の言葉が止まった。


一晩かけて乾かしたページは、大きく波打っている。


表紙にはまだ泥が残り、端が破れたものもあった。


その上には、靴底の模様が薄く残っている。


「……これは」


「昨日、園長先生と乾かしました!」


「どこで見つけたんだ?」


「校舎裏の、ゴミ置き場の近くです」


月は泥の残った表紙を見る。


「誰かが間違えて持っていって、そこに置いたのかもしれません」


担任の眉が寄った。


「……朝比奈」


「はい」


「最近、誰かと何かあった覚えはないか?」


月は目を瞬いた。


「何か?」


「揉めたとか、嫌だと言われたとか」


月は少し考えた。


最近、誰かに嫌だと言われたこと。


思い浮かんだのは、一人だけだった。


「一条先輩の後を追っていたことでしょうか?」


担任の目が大きくなる。


「……一条?」


「はい」


「一条って、あの二年の一条凪か?」


「はい。二年生の一条先輩です」


月は不思議そうに首を傾げた。


担任は一瞬、言葉に詰まった。


「どうして一条の後を追ってたんだ?」


「好きだからです」


月は、今日の日付を答えるのと変わらない調子で言った。


担任は何かを言いかけ、やめた。


「それで、一条には何か言われたのか?」


「後を追うのと、行動を記録するのはやめろと言われました」


「記録…… ?」


担任の眉がさらに寄る。


「でも、一条先輩が嫌だと分かったので、もうやっていません」


月は迷いなく言い切った。


「それ以外は、分かりません」


担任はしばらく黙った。


「……そうか」


教科書を月へ返した。


「一条の後は、本当にもう追ってないんだな?」


「はい!」


「その方がいい。もう追わない方が、朝比奈のためだ」


月は瞬きをした。


「ルナのためですか?」


「ああ」


「どうしてですか?」


担任は少しだけ言葉に詰まった。


「……いいから。先生の言うことを聞いておけ」


月には、よく分からなかった。


けれど、先生は昨日、なくなった教科書を一緒に探してくれた。

今日も、自分のことを心配している。


なら、言われたことを守った方がいい。


「分かりました!」


担任は小さく頷いた。


「それから、また物がなくなったり、誰かに嫌なことをされたりしたら、すぐ先生に言うんだぞ」


「分かりました!」


月は四冊の教科書を鞄へしまった。


四冊とも、ちゃんと入っている。

今日は隣の生徒に見せてもらわなくてもいい。


それだけで、少し安心した。


*


昼休み。


月が弁当箱を取り出そうとしたとき、机の横に西城茜が立った。


「朝比奈さん」


月が顔を上げる。


「はい」


「昨日、ありがとう。本当に助かった」


「どういたしまして!」


「それでね。今日もお願いしていい?」


「今日もですか?」


「うん。今日も委員会があって、ベーカリーに行く時間がないの」


月は茜を見る。


昨日も、同じ理由だった。


茜には委員会がある。


自分には、昼休みに決まった予定がない。


「分かりました」


その返事を聞いた途端。


「あ、じゃあ私も!」


「俺もお願い!」


周囲からも声が上がった。


月はメモ帳を取り出す。


そして昨日と同じように、財布を持ってベーカリーへ向かった。


*


頼まれた商品を揃え、レジへ並ぶ。


店員が一つずつ商品を通していく。


やがて、合計金額が表示された。


月は財布を開いた。


紙幣を出す。

硬貨も取り出す。

もう一度、数える。


「……あれ」


足りない。


「大丈夫ですか?」


店員が月を見る。


「えっと…」


後ろから、苛立った声が飛んだ。


「まだ?」


「早くしてくれない?」


月は振り返った。


列が伸びている。


早くしなければならない。

けれど、何を戻せばいいのか分からなかった。


店員が財布の中身と金額を見比べた。


「ああ……これじゃ全部は買えませんね」


「全部は……」


「この金額なら、半分くらいです。どれを戻しますか?」


月はメモ帳を見た。

全部、誰かに頼まれたものだった。


一つ戻せば、その商品を頼んだ人だけが受け取れなくなる。


誰のものを戻せばいいのか。

月には、その基準が分からなかった。


「早くしてよ」


また声が飛ぶ。


メモ帳。

トレーの商品。

財布の中のお金。

レジに表示された金額。

後ろで待つ人たちの声。


考えなければならないことが、一度に増えた。


月の手が止まる。


「……すみません」


少し考えてから、メモ帳の一番下を指した。


「これは戻します」


「まだ足りません」


「では、これも」


一つ。

また一つ。


月はメモ帳の下から順番に、商品を減らしていった。


ようやく店員が頷く。


「これなら大丈夫です」


「これでお願いします」


会計を済ませ、月は残った商品を抱えてベーカリーを出た。


昨日より、紙袋は少なかった。


けれど、メモ帳には、買えなかった商品がいくつも残っている。


どうして今日は、お金が足りなかったのだろう。


昨日は、同じようにみんなの分を買えた。


月は歩きながら、昨日の昼休みを順番に思い返した。


商品を買った。

テラスへ持っていった。

みんなへ渡した。

代金を尋ねた。


西城さんは、

『あとでまとめて払う』

と言った。


そこで、月の足が止まった。

昨日の代金を、まだ受け取っていない。


月は紙袋を抱え直し、食堂へ向かった。

食堂のテラスでは、今日もクラスメイトたちが食事をしていた。


月が近づくと、一人の女子生徒が紙袋を覗き込んだ。


「私のプリンは?」


「ごめんなさい。買えませんでした」


「えー」


月は買うことのできた商品だけを、一人ずつ渡していく。


最後に、西城茜の前で止まった。


今日も茜は、友人たちと食事をしていた。


「西城さん」


「なに?」


「西城さんのサンドイッチは買えませんでした」


茜の笑顔が止まった。


「……え?」


「お金が足りませんでした」


「足りなかったって、どういうこと?」


「ルナの財布に入っているお金では、全部買えませんでした」


「は?」


茜の声から笑みが消えた。


「頼まれたものも買えないわけ?」


「昨日より、お金が少なかったので」


月は、先ほど気づいたことを思い出した。


「ルナは、昨日の代金をまだ返してもらっていません」


テーブルの周りが静かになった。


ほんの一瞬、茜は月を見つめる。


それから困ったように笑った。


「……何言ってるの?」


「?」


「昨日、ちゃんと返したよ?」


「返してもらっていません」


「返したって」


茜が周囲を見る。


「ね? みんなも返したよね?」


宮本葵がすぐに頷いた。


「うん。返したよ」


「私も」


「朝比奈さん、受け取ってたじゃん」


別の席からも声が飛ぶ。


「また請求するつもり?」


「足りないなら、買う前に確認するよね。普通」


「あーあ。プリン楽しみにしてたのに」


月は、一人ずつ顔を見た。


昨日。

あとで払うと言われた。


そこまでは覚えている。


そのあと、誰かからお金を受け取っただろうか。


月は記憶を最初から辿る。

何度思い返しても、その場面はなかった。


月の記憶では、受け取っていない。

けれど、西城さんも、宮本さんも、他のみんなも返したと言っている。


月は黙った。


自分の記憶と、みんなの言葉。

どちらかが違っている。


これだけたくさんの人が、同じことを言っている。

月は小さく首を傾げた。


「……ルナが、忘れているのでしょうか」


茜は大きく息を吐いた。


「それより、買えなかったものはどうするの?」


「どうする、とは?」


「みんな食べたかったんだけど」


「でも、お金が足りませんでした」


茜の眉が寄る。


「頼まれたことくらい、最後までちゃんとしてよ」


周囲からも声が重なった。


「本当だよ」


「できないなら最初から引き受けなきゃいいのに」


「もういいよ」


月は黙った。


頼まれたものをすべて買うことはできなかった。

それは事実だった。


最初に財布の中身を確認していれば、

足りないことを、先に伝えられたかもしれない。


ならば、自分にも間違いがあった。


「ごめんなさい」


月は小さく頭を下げた。


茜はもう答えなかった。


月は空になった紙袋を畳み、テラスを離れた。


背後では、何事もなかったように別の話が始まっていた。

【高校編・全48話執筆済み】※第10話まで毎日更新/以降、毎週水・日更新


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