↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルナは、恋をした。―完璧な御曹司に振られたので、まず私のことを知ってもらうことにしました―   作者: たまご
高校編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/22

第7話 ルナは、頼まれました

朝のホームルームが終わり、1時間目の数学が始まった。


「それじゃあ、教科書の42ページを開いて」


教師の指示に、教室のあちこちで机の中を探る音が重なった。


月もいつものように、机の左側へ手を伸ばした。学校に置いて帰る教科書は、毎日同じ順番で重ねている。


ところが、指先に触れるはずの背表紙がなかった。


「あれ……?」


奥まで手を伸ばしても、何もない。右側にはノートや筆箱、昨日配られたプリントがいつもどおりに入っているのに、左側だけが空になっていた。


月は立ち上がり、机の中を覗き込んだ。


数学だけではない。現代文も、世界史も、英語もない。


昨日の放課後、確かにしまって帰った四冊が、すべてなくなっていた。


念のため鞄や教室の後ろにあるロッカーも確認したが、どこにも見当たらなかった。


「朝比奈、どうかしたか?」


教壇から声をかけられ、月は顔を上げた。


「……先生。ルナの教科書がありません!」


「忘れたんじゃないか? 家に持って帰ったとか」


「いいえ。ルナは昨日、ここに置いて帰りました。それに、現代文と世界史と英語もないんです」


教師は月の机を確かめると、眉を寄せて教室を見回した。


「誰か、朝比奈の教科書を見た者はいないか?」


返事はなかった。


教科書に目を落とす生徒もいれば、隣の生徒と顔を見合わせる者もいたが、誰も名乗り出ようとはしなかった。


「……分かった。とりあえず今日は、隣の人に見せてもらいなさい。放課後になっても見つからなければ、一緒に探そう」


「分かりました。ありがとうございます」


月は隣の生徒に頭を下げ、教科書を見せてもらうことになった。


その日、授業が変わるたびに教科書を借り、その都度礼を言った。


教室の後ろでは、数人の女子生徒が顔を見合わせ、小さく笑っていた。




4時間目が終わり、昼休みになった。


月が鞄から弁当を取り出そうとすると、机の横に西城茜がやってきた。


「朝比奈さん」


「はい」


「ごめん。急に委員会の集まりが入っちゃって」


茜は申し訳なさそうに両手を合わせた。


「今日、ベーカリーに限定のパニーニが出る日なんだけど、今からだと買いに行けなくて……朝比奈さん、代わりに買ってきてもらえないかな?」


月は教室を見回した。


「宮本さんには頼めないんですか?」


「葵も委員会があるの。ほかの子も用事があるみたいで……」


茜は困ったように眉を下げた。


「だから、朝比奈さんにしか頼めなくて。お願いできないかな?」


月は嬉しくなった。


茜が自分を頼ってくれている。それなら、きちんと期待に応えたい。


「分かりました!」


月が頷くと、近くで話を聞いていた女子生徒が振り返った。


「あ、朝比奈さん、ベーカリーに行くの? じゃあ、私の分もお願いしていい?」


別の机からも声が上がり、注文が次々と増えていった。


チキンのパニーニにベーグルサンド、飲み物やデザートまで頼まれ、月は慌ててメモ帳を取り出した。


「待ってください。順番にお願いします」


一人ずつ商品名と個数を確認しながら書き留めていくうちに、ページは細かな文字で埋まっていった。


「せっかくだし、みんなでテラスで食べない?」


女子生徒の一人が提案すると、周囲から賛成の声が上がった。


買った商品は食堂のテラスにある窓際の大きなテーブルへ届けることになり、月はその場所もメモ帳に書き加えた。


注文をすべて確認したところで、ふと手を止める。


「代金は、どうしたらいいですか?」


茜が周囲を見回した。


「これだけいるなら、一人ずつ渡すより、あとでまとめて精算した方が楽じゃない?」


何人かが同意すると、茜は再び月へ向き直った。


「朝比奈さん、いったん払っておいてくれる?」


「……分かりました」


「ありがとう! 本当に助かる」


茜は嬉しそうに笑った。


月は取り出しかけていた弁当箱を鞄へ戻し、財布とメモ帳を持って教室を出た。




昼休みのベーカリーは、大勢の生徒で混み合っていた。


月はメモ帳と商品を照らし合わせながら注文を揃えていったが、トレーは二枚使っても足りず、最後には店員が大きな紙袋を二つ用意してくれた。


「まあ、ずいぶんたくさん買うのね」


「はい。みなさんの分です!」


月は会計を済ませると、商品が潰れないよう気をつけながら袋へ収めた。


二つの紙袋を胸元まで抱え、月は人混みを避けて食堂棟へ続く渡り廊下に入った。荷物で前が見えにくく、歩くたびに揺れる袋を支えるだけでも精いっぱいだった。


向こうから男子生徒が歩いてきたが、荷物に視界を遮られ、月には足元しか見えなかった。ぶつからないよう壁際へ寄り、そのまますれ違った。


相手が凪だったことにも、月は気づかなかった。


「あっ!」


背後から聞こえた月の声に、凪は振り返った。


紙袋からパンの包みが一つ床へ落ちている。月が拾おうと身体を傾けた途端、反対側からも一つ滑り落ちた。


「あっ、待ってください!」


慌てて抱え直そうとしたものの、今度は紙袋そのものが傾いてしまい、月はその場から動けなくなった。


凪は小さく息を吐くと、来た道を戻り、床に落ちた二つの包みを拾い上げた。


「……?」


突然、視界の下から手が伸びてきた。月が顔を上げると、そこには凪が立っていた。


「一条先輩! ありがとうございます!」


嬉しそうに頭を下げた拍子に、二つの紙袋が一斉に前へ傾いた。


「あっ」


凪は咄嗟に手を伸ばし、落ちかけた荷物を押し戻した。


「お前……頭を下げるな」


「はい!」


紙袋が崩れないことを確かめた凪は、月の両腕を埋め尽くす荷物へ目を向けた。


「……それ、全部食べんの?」


「違います。クラスの皆さんに頼まれました」


「全部?」


「はい!」


「……お前、パシリでもやってるのか」


月は瞬きをした。


「パシリ?」


「……分からないならいい」


それ以上説明せず、凪は踵を返した。


「あの、一条先輩!」


呼び止められた凪が足を止める。


月は紙袋の向こうから顔を覗かせ、嬉しそうに笑った。


「今日も素敵です!」


凪は肩越しに一度振り返ったものの、何も言わずに歩き出した。


月はその背中を見送ってから、荷物を抱え直して食堂へ向かった。




食堂のテラスには、すでにクラスメイトたちが集まっていた。


窓際の大きなテーブルには、パスタやステーキプレート、サラダが並んでいる。月は抱えている紙袋と、テーブルの上の料理を見比べた。


「あれ……?」


月がテーブルへ近づくと、クラスメイトの一人が声をかけてきた。


「あ、来た来た。私のサーモンサンドどれ?」


「みなさん、パンを食べるんじゃなかったんですか?」


一瞬、周囲が静かになった。


「ああ、今はこっち食べてるだけ」


「パンはあとで食べるから。持って帰ってもいいし」


「そうなんですね」


月は納得すると、メモ帳で注文を確認しながら、一人ずつ商品を渡していった。


テーブルの中央には、西城茜も座っていた。友人たちと楽しそうに話しながら、パスタを食べている。


「西城さん、委員会はどうしたんですか?」


茜の手が一瞬止まった。


「ああ。思ってたより早く終わったの」


「そうなんですね」


「私のパニーニある?」


「はい!」


月が差し出すと、茜は受け取ったパニーニをテーブルの端へ置き、そのまま食事に戻った。


すべての商品を配り終えたところで、月はもう一度メモ帳を確かめた。注文したものはすべて渡せている。


けれど、誰も代金を払おうとはしなかった。


「代金は……」


「ああ、ごめん。今みんな食べてる途中だから、あとでまとめて払ってもいい?」


「はい。では、ルナは教室に戻ります」


月は空になった紙袋を畳み、テラスをあとにした。


教室へ戻る頃には、昼休みも半分以上過ぎていた。


ようやく弁当箱を取り出し、手を合わせる。


「いただきます」


その後も昼休みが終わるまで、代金を渡しに来る者はいなかった。


*


放課後になっても、教科書は見つからなかった。


担任と一緒に机やロッカーを確認したが、四冊ともどこにもない。


「おかしいな……」


教師は困ったように眉を寄せた。


「明日になっても見つからなければ、もう一度クラスのみんなに確認する。今日はもう帰りなさい」


「はい。ありがとうございました」


月は礼を言い、昇降口へ向かった。


靴を履き替えて校舎を出ると、月はいつものように校門へ向かった。


その途中、道沿いの植え込みから、濡れた紙の端が覗いていることに気づいた。


近づいてみると、何冊かの本が枝葉の間に乱雑に散らばっていた。開いたまま泥に埋もれているものもある。


そのうちの一冊に、見覚えのある表紙があった。


「……あ」


数学、現代文、世界史、英語。


朝から探していた4冊の教科書だった。


月はその場にしゃがみ込み、一冊ずつ拾い上げた。


ページは水を吸って波打ち、表紙には泥がついている。その上には、靴で踏まれた跡まで残っていた。


今日は朝から晴れていたのに、どうして濡れているのだろう。それに、なぜ教科書がこんなところにあるのかも分からなかった。


月は制服の袖で表紙の泥を払い、4冊を重ねた。


「……ここにあったんですね」


なくなっていた教科書が、全部見つかった。


月はそれを胸に抱え、児童養護施設「光の丘」へ続く道を歩き出した。


*


「おかえり、月」


光の丘へ帰ると、園長がいつもの笑顔で迎えた。


「ただいま帰りました」


月が靴を脱ごうとしたところで、園長の目が腕の中の教科書に留まった。


笑顔が消える。


「……どうしたの、その教科書」


月は泥のついた表紙を見下ろした。


「見つかりました」


「見つかった?」


「はい! 朝からなくなっていたんですけど、校門へ向かう途中の植え込みにありました」


月は嬉しそうに笑った。


園長は月の腕から教科書を一冊受け取った。


水を吸って波打ったページ。破れた端。泥の上に残された靴跡。


ページをめくる手が止まった。


「……誰かに何かされたの?」


月は考えた。


昨日、教科書を机の中にしまったことは覚えている。


けれど、そのあと何があったのかは知らなかった。


「分かりません」


小さく首を横へ振った。


「でも、全部見つかったので大丈夫です」


そう言って笑う月を、園長は黙って見つめた。


「……そうね。まずは乾かしましょう」


「はい!」


月は靴を脱ぎ、廊下の奥へ向かった。


園長は玄関に残ったまま、腕の中の教科書へ目を落とした。


月は幼い頃から、人の言葉を素直に受け取る子だった。誰かに意地悪をされても、その悪意に気づかず、何事もなかったように笑っていることがあった。

今日も、教科書が見つかったと心から喜んでいた。


けれど、泥だらけの表紙に残された靴跡は、偶然ついたものには見えなかった。


園長はその一つを指先でそっとなぞった。

【高校編・全48話執筆済み】※第10話まで毎日更新/以降、毎週水・日更新


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。