第6話 ルナは、約束を守ります
数日後、歴史の授業で班ごとの発表が行われた。
「それじゃあ、次。6班」
教師に呼ばれ、月たち4人は教壇の前へ並んだ。
スライドに合わせて担当の生徒が原稿を読み上げ、最後に西城茜がまとめを終えると、教室前方のタイマーは6分58秒を示していた。
月はその数字を確かめた。予定どおりだった。
「素晴らしい出来だ」
教師は満足そうに頷き、手元のレジュメを持ち上げた。
「今日の発表の中では、この班が一番よくできていた。資料も見やすいし、構成も分かりやすい。時間配分までほぼ完璧だな」
教室がざわめく中、教師は4人を順番に見た。
「この資料は、4人で分担して作ったのか?」
月が答えようとした、そのときだった。
「私がスライドを作りました」
茜が先に答え、少し照れたように笑った。
「昨日も遅くまで頑張って、徹夜しちゃいました」
月は茜を見た。
資料は先週には完成していた。昨日、修正を頼まれた覚えもない。
「私は構成を担当しました」
「私はレジュメを作りました」
ほかの2人も続けて答えると、教師は感心したように頷いた。
「そうか。3人で分担したんだな。よくまとまっている」
そして、最後に月へ尋ねた。
「朝比奈は、何を担当したんだ?」
「ルナは――」
「朝比奈さんには、細かいチェックを手伝ってもらいました」
月が答えるより先に、茜が笑顔で口を挟んだ。
「チェックか。そうか、細かいところを確認したんだな」
教師はそれ以上尋ねず、茜たちへ向き直った。
「西城を中心に、よく頑張った。次回の発表でも、みんなこのくらい分かりやすい資料を意識するように」
教室から拍手が起こった。
「西城さん、すごい」
「資料、めっちゃ見やすかったもんね」
茜は照れたように笑いながら、隣の2人にも礼を言っていた。
月はその横で、静かに立っていた。
スライドも、構成も、レジュメも、すべて月が作ったものだった。けれど、先生は茜たちが作ったと思っている。
「あの、先生――」
月が口を開きかけたとき、次の班を呼ぶ声が響いた。
教壇の前を離れながら、月はもう一度茜を見た。
どうして、自分が作った資料を茜が作ったことになっているのか、月には分からなかった。
*
昼休みになると、月は弁当を取り出した。 ふと机の上のメモ帳が目に入り、ページを開く。
『つけ回されるのは嫌』
一条先輩の後を追ってはいけない。観察もしてはいけない。
月はその一行を読み返してからメモ帳を閉じ、弁当袋へ手を入れた。
「……お箸がありません」
袋の底まで確認したが、いつも入っているはずの箸が見当たらない。
少し考えた末、月は弁当箱を持って食堂へ向かった。そこなら、箸をもらえるかもしれない。
昼休みの食堂は大勢の生徒で賑わっていた。
「すみません。お箸をいただけますか?」
カウンターの店員に尋ねると、割り箸を一膳渡してくれた。
「ありがとうございます!」
割り箸を受け取った月は、教室へ戻ろうと出口へ向かった。
けれど、その途中で足が止まった。
窓際のいつもの席に、凪がいる。今日も友人たちと昼食を食べていた。
今日は、一条先輩を見に来たわけではない。お箸をもらいに来ただけだ。
そう自分に言い聞かせながら、月は窓際から離れた空席に腰を下ろした。
教室へ戻ろうとしていたことは、いつの間にか頭から抜けていた。
弁当箱を開くと、白いご飯に卵焼き、ブロッコリー、ハンバーグが並んでいた。園長先生が毎朝作ってくれる弁当だった。
「いただきます」
手を合わせ、左手に弁当箱を持ったところで、誰かが月の肩へ強くぶつかった。
「……っ!」
身体が傾き、弁当箱が手から滑り落ちた。
ご飯もおかずも床へ散らばり、食堂のざわめきに紛れて乾いた音が響いた。
「あら」
振り返ると、上級生らしい女子生徒が四人立っていた。
その中の一人、長い黒髪を高い位置で結んだ女子生徒が、口元に手を当てる。
「ごめんなさぁい。気づかなかったわ」
そう言いながら、笑っていた。
「お弁当なんだ」
別の女子生徒が、床に落ちた食べ物を見下ろした。
「せっかく食堂があるのに」
「あ。でも、毎日ここで食べるのは大変よね」
女子生徒は料理の並ぶカウンターへ目を向け、月の弁当をもう一度見た。
「いろいろと」
小さな笑い声が重なった。
月は少し考えてから答えた。
「大変ではありません」
4人の笑い声が止まった。
「園長先生が毎朝作ってくれるので」
「……園長先生?」
「はい! ルナは施設で暮らしています」
女子生徒たちは顔を見合わせた。
「……へぇ」
「そうなんだ」
再び笑みを浮かべる4人を前に、月は椅子から立ち上がり、床へしゃがみ込んだ。
散らばったご飯やおかずを拾い集めていると、少し離れたところにハンバーグが一つ落ちているのが見えた。
月は手を伸ばした。
その指先が届きかけたときだった。
「あ」
ポニーテールの女子生徒の靴が、ハンバーグの上へ下ろされた。
柔らかな肉が押し潰され、崩れた断面から肉汁が滲み、ソースが床へ広がった。
「……っ!」
月の手が止まった。
「ハンバーグが……」
女子生徒は自分の靴底を見て、眉をひそめた。
「あら、嫌だ。靴が汚れちゃったじゃない」
「もう買い替えたら?」
「そうね」
別の女子生徒が、月へちらりと目を向けた。
「変なのがうつったら嫌だし」
4人が笑った。
その笑い声に混じる色には、黒が滲んでいた。
月は潰れたハンバーグを見つめた。
今朝、園長先生が作ってくれたものだった。いつもなら、甘酸っぱいソースの味がする。
けれど今は、靴に踏まれて形を失い、床に張りついていた。
月は伸ばしていた手を、ゆっくりと引き戻した。
「本当にごめんなさいね」
女子生徒たちは笑いながら立ち去っていった。
月は何も言わず、床に散らばったご飯粒やおかずを一つずつ拾い集め、
空になった弁当箱へ戻した。
もう、食べることはできなかった。
*
窓際で友人たちと昼食をとっていた凪も、月が食堂へ入ってきたことには気づいていた。
いつもなら真っ先に声をかけてくるはずが、今日は何も言わず、窓際から離れた席へ向かっていく。
凪はその背中を一度見送り、友人たちとの会話に戻った。
それから間もなく、少し離れたところで女子生徒たちの笑い声が上がった。
思わず声のするほうを見ると、月の席を女子生徒が囲んでいた。何を話しているのかまでは聞こえない。
「どうした?」
向かいに座っていた友人が尋ねた。
「……いや」
凪は短く答え、食事を続けた。
やがて昼食を終え、友人たちと席を立った頃には、女子生徒たちも月のそばを離れるところだった。
「あっ、一条くん!」
4人のうちの一人が凪に気づくと、ほかの女子生徒たちも慌てて髪や制服を整え始めた。
「一条くん、お疲れさま」
凪は軽く視線を向けただけで、その横を通り過ぎた。
「やっぱり、かっこいい……」
背後で浮き立った声が聞こえてくる。
食堂の出口へ向かう途中、凪は床にしゃがみ込んでいる月に気づいた。
周囲にはご飯粒が散らばり、月は床に落ちた卵焼きを拾い上げていた。
凪はその手元に一度目を向けたものの、声をかけることなく通り過ぎた。
月は、凪がすぐそばを通ったことにも気づかなかった。
*
放課後、月は中庭のベンチに座っていた。
鞄からメモ帳を取り出し、今日も何度か読み返した一行を確かめる。
『つけ回されるのは嫌』
今日は、一条先輩の後を追わなかった。観察もしなかった。
言われたことを、ちゃんと守ることができた。
満足してメモ帳を閉じようとしたときだった。
ぐぅぅぅ……。
静かな中庭に、お腹の鳴る音が響いたと同時に、月は自分のお腹へ手を当てた。
「……お腹がすきました」
今日の晩ご飯は何だろう。
園長先生のカレーかもしれない。それとも、魚の日かもしれない。
月はメモ帳を鞄へしまい、ベンチから立ち上がった。
「早く帰りましょう」
いつもより足早に校門を抜け、施設へ続く道を歩いていった。
【高校編・全48話執筆済み】※第10話まで毎日更新/以降、毎週水・日更新




