第2話 ルナは、噂になりました
【高校編・全48話執筆済み】※第10話まで毎日更新/以降、毎週水・日更新
朝の昇降口での告白は、1時間目が始まる頃には、もう学校中へ広まっていた。
月が教室へ向かって廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちが次々とこちらを振り返った。
「あの子じゃない? 一条先輩に告白した1年」
「振られた子でしょ」
「よくあんな普通に歩けるね」
声を潜めているつもりなのだろうが、月には一つひとつはっきりと聞こえていた。
一条先輩に告白した1年生。それは確かに自分のことだった。
けれど、話したこともない人たちが、どうして今朝の出来事を知っているのだろう。
それよりも不思議だったのは、誰もが当然のように凪の名前を知っていることだった。
( 一条先輩は、本当に有名なんですね)
教室の扉を開けると、それまで賑やかだった教室が急に静かになった。集まった視線にも構わず、月はいつも通り挨拶をする。
「おはようございます!」
すぐに返事をする者はいなかった。教室の後ろから「普通に来たんだけど」と囁く声が聞こえ、何人かが笑いをこらえている。
やがて、一人の女子生徒が口を開いた。
「……おはよう」
「おはようございます! 西城さん!」
名前を呼ばれた西城茜が、意外そうに月を見た。 周囲からまた笑い声が漏れたが、月には何がおかしいのか分からなかった。
月はそのまま自分の席へ向かった。
席に着いて間もなく、茜と数人の女子生徒が月の机を囲んだ。
「ねえ、朝比奈さん。来週の歴史のグループ発表なんだけど、私たち、部活とか塾とかあって忙しいんだよね。資料、まとめてもらえない?」
隣にいた女子生徒も、それに続いた。
「スライドもお願いしたいな。できれば発表用の原稿も」
「先生に出すレジュメも作ってもらえる?」
次々と増える頼み事を、月は指を折りながら確認した。
「資料と、スライドと、原稿と、レジュメですね」
「そうそう。朝比奈さん、こういうの得意でしょ? 推薦で入れるくらい勉強できるんだし」
茜は月の返事を待つように、その顔を覗き込んだ。
「お願い。朝比奈さんにしか頼めないの」
月は嬉しくなった。自分にしか頼めないということは、自分の力が必要だということだ。
資料を集めたり、構成を考えたりする作業は得意だった。発表まで1週間もあれば、頼まれたものはすべて仕上げられる。
「はい! ルナがやります!」
「ほんと? ありがと!」
「助かるー!」
茜たちは笑いながら自分たちの席へ戻っていった。
少し離れたところで、一人が声を落とす。
「やっぱ断らないじゃん」
「便利すぎ」
その声は、月には届かなかった。月はさっそくメモ帳を開き、頼まれた仕事を書き留めていた。
もともと月は、クラスの中で少し浮いた存在だった。
冗談を真に受けたり、相手の意図とは違う返事をしたりすることがあり、その反応を面白がる生徒もいた。
そこへ今朝の告白が加わったのだから、話題に事欠かなかった。
「ていうか、一条先輩にあんな告白する?」
教室の後ろで、女子生徒たちが話していた。
「普通できなくない? 相手、人類の上澄みだよ?」
その声に、茜が小さく鼻を鳴らす。
「空気読めなさすぎ」
月は少し離れた席で、次の授業の教科書を探していた。
白鳳学院で、一条凪を知らない者はほとんどいなかった。
財界でも名の知られた一条家の跡取りであり、成績、容姿、運動神経、そのどれを取っても際立っていた。
だからSNSや生徒たちの間では、半ば冗談のように、
人類の上澄み
と呼ばれていた。
凪は大勢の生徒に囲まれていても、自分から誰かに近づくことはほとんどなかった。声をかけられれば短く答えるが、それ以上に会話を広げようとはしない。 その距離が、かえって人の目を引いた。
誰かが決めたわけではない。
それでも凪には、簡単には近づいてはいけないような空気があった。
けれど月が知っている凪は、廊下で散らばったプリントを拾ってくれた、あの美しい声の先輩だった。
*
昼休みになっても、2年A組では朝の告白が話題になっていた。
「いやー、朝からすごかったな」
「昇降口中に響いてたぞ。『付き合ってください!』って」
男子生徒たちが盛り上がる一方、当の凪は窓際の席で本を読んでいた。何度自分の名前が出ても、会話に加わる様子はなかった。
「なあ、凪。あの1年、結構可愛かったよな」
「それは俺も思った。1回くらい相手してやればよかったんじゃね?」
凪は本を閉じた。
「……うるさい」
「いや、だからさ――」
「興味ない」
それだけ答えると、凪は本を持って立ち上がった。
「おい、どこ行くんだよ」
「静かなところ」
背後から「悪かったって」と声が飛んだが、凪は振り返ることなく教室を出ていった。
「相変わらずだな」
残された男子生徒たちは、顔を見合わせて苦笑した。
「でもさ、あの1年、もう1回告白するって言ってたぞ」
「マジ? 懲りないな」
「しかも推薦組らしい」
「推薦組が凪に?」
「すげえ勇気」
凪がいなくなった後も、教室ではしばらく告白の話が続いていた。
放課後、月は一人、図書室の共用パソコンに向かっていた。
机には歴史の参考資料が何冊も広げられ、画面には発表用のスライドが並んでいる。
教科書と参考文献を照らし合わせながら必要な情報を整理し、図や表を加えていく。資料を一通りまとめると、今度はそれを7分間の発表に収めるため、説明の順序を考え始めた。
「ここは、先に説明した方が分かりやすいです」
月はスライドの順番を入れ替え、原稿にも修正を加えた。
資料、スライド、原稿、レジュメ。頼まれたものを一つずつ仕上げていった。
最後に月は、スライドショーのリハーサル機能を使い、発表時間を計った。
――6分58秒。
発表時間は7分だった。月は満足そうに頷いた。
みんなが発表しやすいように。
誰も困らないように。
月はもう一度、最初のスライドから確認を始めた。
窓の外では、夕暮れが少しずつ濃くなっていた。




