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ルナは、恋をした。―完璧な御曹司に振られたので、まず私のことを知ってもらうことにしました―   作者: たまご
高校編

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第15話 ルナは、一条先輩を呼んでもいいです

※この作品は、一部過激な表現が含まれます。閲覧にご注意ください。

「朝比奈さんが、危ないんです」


息の切れた柚の声が、廊下に響いた。


凪の眉が寄る。


「何があった」


「分かりません。でも……三年生が話してるのを聞いたんです。それで教室に戻ったら、朝比奈さんが西

城さんたちといなくなってて……男子も待ってるって」


「男子?」


「はい。何をするつもりなのかまでは分からなくて……でも、その三年生たちが、さすがにやばいって話

してて」


その瞬間、少し前の光景が凪の頭に浮かんだ


階段を下りた先。


女子生徒たちに囲まれていた月。

左右から腕を掴まれたまま何も言わず。

ただ、まっすぐこちらを見ていた。


「……旧校舎」


柚が顔を上げる。


「え?」


「あいつ、旧校舎の方に連れていかれてた」


言い終えるより先に、凪は走り出した。


「一条先輩!」


柚も追う。


一緒にいた男子生徒たちが、ぽかんとその背中を見送った。


「……何?」


「一条が走った」


一人が面白そうに笑った。


「行ってみようぜ」


「お前絶対野次馬だろ」


そう言いながらも、男子生徒たちも後を追った。


*


旧校舎の奥。


ほとんど使われなくなった体育倉庫。


扉が閉まった。


月は部屋の中を見回した。


古い跳び箱。

壁に立てかけられたマット。

使われなくなったボール。


床には、大きな体操用マットが一枚広げられている。


そして、知らない男子生徒が三人。

全員、上級生だった。


一人が壁にもたれたまま、月を見る。


「どんだけ待たせんだよ」


茜が笑った。


「ごめんなさい。思ったより抵抗するんですもん」


月は後ろを振り返った。


扉の前には、茜たちが立っている。


「ルナ、帰ります」


月は出口へ向かった。


「え、もう?」


「帰ります」


「ちょっと待ってよ」


腕を掴まれた。

月はすぐに振り払おうとする。


「離してください」


「まだ何もしてないじゃん」


「帰ります!」


いつもより強い声だった。

出口へ進もうとする。


けれど、男子生徒の一人が、その前へ立った。


月が一歩下がる。


「どいてください」


「そんな警戒すんなって」


男が近づく。

月は横を抜けようとした。


その瞬間。

腕を強く掴まれた。


「……っ!」


身体が引かれる。

体勢を崩し、そのままマットへ倒れ込んだ。


「やめてください!」


起き上がろうとした身体を押さえられる。

月は腕を引き抜こうとした。


「離してください!」


身体を捩る。

手首に食い込む力が痛い。


「嫌です!」


脚を引こうとした。

別の男子生徒に動きを止められる。


「帰ります!」


「暴れんなって」


「離して!」


何度腕を引いても、抜けない。


「やめて!」


制服の襟元に手がかかった。


月の呼吸が止まった。


「触らないでください!」


身体を丸めようとする。


その瞬間、強く布を引かれる。


ぷつっ。

ボタンが一つ、床へ転がった。


さらに引かれ、縫い目が裂ける。


「やめて!嫌です!」


月は何度も首を横に振った。

扉の前から、笑い声が上がる。


「やっと嫌がった」


「今まで何しても反応薄かったもんね」


茜が笑った。


月は必死に身体を動かした。


けれど、自分の身体なのに、動かせない。


「やめて……!」


少し離れたところでは、女子生徒の一人がスマートフォンをこちらへ向けていた。


「ちゃんと撮れてる?」


「撮れてる」


「顔も入れてよ」


月にはもう周囲を見る余裕もなかった。


息がうまく吸えない。

喉が震える。


「やめて……」


力は緩まない。


「離して!」


もう一度、身体を捩る。


「誰か……」


息を吸った。


「誰か助けて!」


声が、旧校舎へ響いた。


*


旧校舎へ入った凪は、足を止めた。


正面には階段。

廊下の先には、使われなくなった教室が並んでいる。


少し遅れて、柚も追いついた。


「何階でしょうか……?」


「分からない」


そのとき。


廊下の奥から、かすかに声が聞こえた。


凪が顔を上げる。


「……あっち」


次の瞬間には走っていた。


「朝比奈さん……!」


柚も後を追う。

奥へ進むにつれて、声がはっきりしてくる。


「――離して!」


一番奥。

古い体育倉庫。


凪は扉を勢いよく開いた。


大きな音が響く。


全員が振り返った。


「……は?」


男子生徒の一人が固まる。


「なんで……一条凪が?」


凪は答えなかった。


視線が、部屋の中を走る。


マットの上。

押さえつけられている月。

乱れた制服。

床に落ちたボタン。

スマートフォンを構えている女子生徒。


凪の目が、月へ戻った。


「どけ」


低い声だった。

男子生徒が一瞬、動きを止める。


「いや、これ――」


「どけ」


凪は男の腕を掴み、強く引き離した。


「っ……!」


月の手が自由になる。

もう一人も咄嗟に手を離した。


月はすぐに身体を起こし、破れた制服の前を両手で押さえた。

ほとんど間を置かずに、柚も部屋へ飛び込んでくる。


「朝比奈さん……!」


その姿を見た瞬間、息を呑んだ。

続いて、複数の足音。


「凪!」


凪の友人である男子生徒たちが、次々と部屋へ入ってくる。


「何だよ、急に――」


言葉が止まった。


そのうちの一人が、状況を見て乾いた笑いを漏らした。


「……皆さんお揃いで、何をしてたんでしょうね」


口調は軽いが、目は笑っていなかった。


一人の上級生が出口へ向かう。

すぐに別の友人が前へ出た。


「待て待て」


「どけよ」


「いやぁ……これは無理ですよ、先輩」


別の友人も、出口を塞ぐように立った。


さっきまでの軽い空気は、もうなかった。


スマートフォンを持っていた女子生徒が、そっと腕を下ろす。


凪が気づいた。


「それ」


女子生徒が固まった。


「……え?」


「置け」


「でも――」


「置け」


女子生徒は何も言えなくなった。


近くの机へ、ゆっくりスマートフォンを置く。


凪の友人の一人が、その前へ立った。


「触るなよ」


「返してよ」


「撮ってたんだろ」


「……」


「なら、そのままにしとけ」


女子生徒の顔色が変わった。


凪は柚を見る。


「君」


「はい」


「学年主任と教頭、呼んできて」


柚はすぐに頷いた。


「分かりました!」


走っていく。

凪は友人たちを見る。


「一人も帰すな」


一人が上級生たちを見ながら答えた。


「帰すわけないだろ」


凪はそれ以上言わなかった。


月へ視線を戻す。


マットの上に座ったまま。

制服の前を両手で押さえている。


目元には涙が残っていた。

凪の視線が、一瞬止まった。


そして何も言わず、自分のシャツのボタンを外した。

月が瞬きをした。


「?」


シャツを脱ぐ。

下には、白い半袖のインナー。


凪は脱いだシャツを月へ投げた。


「着ろ」


月が慌てて受け止める。


「でも、一条先輩の制服です」


「いいから」


「一条先輩が着られなくなります」


「俺はいい」


月は凪を見る。

けれど凪は、すでに顔を逸らしていた。


月は少し迷ったあと、シャツへ腕を通した。


大きい。

袖も余る。


破れた制服を隠すように、前を閉じた。


「……ありがとうございます」


凪は答えなかった。


少しして、凪は月の前にしゃがんだ。


「お前、さっき」


月が顔を上げる。


「廊下で俺と目が合っただろ」


「え?」


月は瞬きをした。


「なんで助けを求めなかった」


少し考える。


そして。


「ああ……」


視線を落とした。


「一条先輩に、話しかけるなと言われたので」


凪が黙る。


「なので、話しかけませんでした。でも―― 」


そこで、月の声が途切れた。


自分の膝の上に置いた手を見る。


小さく震えていた。


さっきまでは気づかなかった。


月はその手を、もう片方の手で押さえた。


「でも……」


声が掠れる。


「……後悔しました」


一粒。


涙が膝へ落ちた。


「話しかけるなって言われても……言えばよかったです」


もう一粒。


「一条先輩が、すぐそこにいたのに」


月は唇を噛んだ。


堪えようとする。


けれど、一度溢れた涙は、止まらなかった。


「怖かったです……」


月は息を詰まらせる。


「もう帰れないのかと思いました」


少し間を置いてから、凪を見る。


「一条先輩に、まだルナのこと何も知ってもらえてないのに……」


凪が月を見る。

涙が次々と頬を伝った。


「すごく、怖かったです……っ」


凪は黙ったままだった。


やがて。

片手が上がる。

ほんの一瞬だけ迷って。

月の頭へ置かれた。


月が顔を上げる。

涙で濡れた目が、凪を見る。


「……一条先輩が来たとき」


「……」


「もう大丈夫だって思いました」


凪の手が止まった。


「一条先輩だったから……安心しました」


次の瞬間。


月は凪の胸元へしがみついた。


「……おい」


インナーを握る指が震えている。


「一条先輩……っ」


月はそのまま声を上げて泣いた。


「怖かったです……」


「……」


「でも、一条先輩が来てくれたから……もう大丈夫だと思いました……っ」


凪は両腕を浮かせたまま、僅かに固まった。


「ルナが呼ばなかったから……一条先輩は知らないままで……」


息を詰まらせる。


「それなのに、来てくれました……っ」


凪は何も言わない。


月の震えはまだ止まらない。


しばらくして、凪は片方の手を、もう一度月の頭へ置いた。


「…… 普通、危ないときは別だろ」


月が胸元から顔を上げる。


「別?」


「ああ」


「でも……一条先輩は、見かけても話しかけるなって……」


「だから、こういうときは別」


「こういうとき、とは?」


凪は一度目を閉じ、小さく息を吐いた。


「……自分じゃどうにもできないとき」


月は聞いている。


「嫌なことされそうになったとき。危ないと思ったとき」


凪は月を見る。


「俺がいたら呼んでいい」


月の目が、少し大きくなった。


「『話しかけるな』という約束より、そちらが優先ですか?」


「ああ」


「では、危ないときは一条先輩を呼んでもいいですか?」


「呼べ」


月はゆっくり頷いた。


「分かりました」


少し間が空いた。


「……危ないときだけですか?」


凪が月を見る。


「は?」


月は涙の残った目で、真剣に凪を見ていた。


「危なくないときは、まだ話しかけたら駄目ですか?」


「……」


「朝の挨拶も?」


「お前……」


「帰りも?」


凪の眉間に皺が寄った。


「……調子乗るなよ」


月は瞬きをした。


「調子には乗っていません。確認しています」


「……」


「おはようございます、も駄目ですか?」


凪が深く息を吐いた。


「……好きにしろ」


月の目が大きくなった。


「前と同じでいいんですか?」


「好きにしろって言ってんだろ」


月の表情が、ほんの少し明るくなる。


「分かりました」


涙の残る顔で、小さく笑った。


「では、明日からまた挨拶します」


「……」


凪は何も答えなかった。


けれど、もう、「話しかけるな」とは言わなかった。

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