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四章第15話 前世の記憶があるんです。

 ――私にも、前世の記憶があるんです――


 私の言葉に、誰も何も返さなかった。室内にしばしの静寂が走った。


 目の前のカイルは驚いたように目を見開き、瞬きを二、三度繰り返してから、椅子の背もたれに深く寄りかかり、ため息をつきながら頭を抱えるかのように片手で目のあたりを覆った。


「……リンダ嬢まで何だ。前世で生贄になってマグノリア侯爵に殺された記憶があるとでも言うのか?」

「いえ、私の記憶にある前世は、この世界……この国ではなかったです」


 私がそう言うと、カイルは小さく息を吐いて、顔を覆っていた手を力なくテーブルに落とした。

 カイルは苛立っているように見える。ただ、どうして前世の話がこんなに引っかかっているのかはわからない。堅実な彼のことだから信憑性のない話に対する苛立ちだろうか。


 カイルと違い、アルベルトは私の話に興味を示したらしく、柔らかい目を私に向けて質問をしてきた。


「リンダ、リンダの前世の記憶はどんなものなの? どんな世界?」

「……その世界には魔法もなくて、闇色の竜も魔物も、王様も勇者もいませんでした。そういった話は物語の、お話の中の世界だと思っていました」

「前世のリンダはどういう人だったの?」

「そうですね……なにものでもありませんでした。ただ働いて日々を過ごしているだけの、いてもいなくても世界に何の影響もない、誰も困らない。そんな人間でしたわ。私のいたところは平和で、戦いもなかったです。そして、ある日、私の住まいの近くで火事が起こり、私は煙に巻かれて亡くなりました」

「……亡くなったときの記憶があるんだ?」

「はい。……私は、前世の私は家族もなく一人でしたから、亡くなるときに思う相手もおらず……読み途中だった物語を思いながら、意識を失い、どうやらそのまま亡くなったようです」


 私の言葉にアルベルトが少しだけ眉をひそめた。

 亡くなった人への優しさや憐れみなのか、それとも今、私が何を言おうとしているのかがわからないという疑問なのかはわからなかった。


 私は少し目を伏せてアルベルトから目をそらしながら話を続けた。


「私は、前世で、闇色の竜と戦う英雄たちの物語を読みました。最後まで読む前に亡くなってしまったのですが、その物語は、今のこの世界ととてもよく似ていました。闇色の竜がいて、四英雄の血を引くもの達がいました」


 誰かが息をのむような音が聞こえた。デュラン以外の誰かだろうと思った。

 室内の全員が私を見ているようだった。だけど誰も口を挟む様子はなく、私の話を聞いてくれているのだと思った。


「その物語の途中で、姿を消した少女がいました。宰相の娘で、伯爵家の令嬢。四英雄の子孫の一人であるアルベルト・ローレル公爵令息の幼なじみの、リンダ・バーチという少女でした」


 カタリ、バタリと音がした。テーブルに手をつくような、椅子をひいたときのような。何人かがそれぞれに動いたのだろう。

 室内を見渡した。

 デュランは少し悲しそうに私を見ていた。

 クリス、オリビア、クローディアは驚きの表情だった。その目は信じられないと言っているようだった。

 カイルは少し睨むような目をして私を見ていたが、口元が手で覆われていて何を考えているのかいまいちわからなかった。

 アルベルトは、私をじっと見ていた。どういう気持ちなのかはわからなかった。


「……その話に俺たちも出てきたのか?」


 少し呆れたような口調でカイルが言った。やっぱりまだ、なにかが気に入らないのだろうと感じた。

 何が気に入らないのかはわからないが、それの気持ちを汲む義務もないと思った。


「はい。皆さま出てきましたわ。物語の主役は皆さまでした。四英雄と光の力を継ぐものたちが、封印からよみがえった闇色の竜と戦う物語。私……物語のリンダ・バーチは途中退場する単なる脇役でした」


 ゆっくりとそう告げた。

 カイルが隠そうともせずため息をつくのが聞こえた。そして苛立ち混じりに私に言う。


「マリーローズ殿下との間に何か取引でもあるのか?」


 マリーローズ? 取引? マリーがどうして今?

 私は今マリーの名を出してはいないはず。マリーとは同じような前世の記憶があって、このゲームを知っているもの同士ではある。

 だけど、今出てくる理由がわからない。取引なんて言われた理由も。


「取引? ってなんですか?」

「あの王女様も未来が見えるそうじゃないか」

「え……?」


 私は素で驚いた顔をしていたと思う。

 その話をどうしてカイルが? 驚いて周りを見ると、誰も驚いてはいないようだった。

 マリーが未来を知っている。それを当たり前に受け止めているらしい。

 特訓で何かあったのかもしれない。特訓に行っていない私にはわからない。


 だからそうですねとも違いますとも言えない。


「……よくわかりませんが、私は、前世で見た物語を何か取引? とかに使うつもりはありません。どうして欲しいというわけではないんです」

「俺たちは都合の良い駒じゃない!」


 カイルが声を荒げ、バンッとテーブルを叩いて立ち上がる。

 私はそれに驚き、立ち上がって距離を取ろうとした。


 だけど急に動こうとしたせいか、驚いて焦ったせいか、私の足は椅子の脚に引っかかってしまった。

 体が大きく横に揺れてぐらつく。

 アルベルトが私の体を支えようと手を伸ばした。


「危ない」


 アルベルトが私を支えるために、私の肩に触れたその瞬間。


「痛っ……!」

「っつ……」


 私とアルベルトは反発するように離れた。


 私は立ち上がった体をもう一度椅子に沈めた。触れられた左肩をさすりながらアルベルトを見た。左肩と左手の甲が熱くなっているようだった。

 アルベルトを見ると、眉をひそめて私に触れた右手を見ていた。彼にも痛みを与えてしまったのだとわかった。


「すみません、アルベルト様、私がよろけてしまったばかりに」

「大丈夫……。リンダは、今も痛む?」

「……刺すような痛みは、触れたときだけです」


 私は自分の肩をさすりながら、自分の痛みに目を向けた。

 一瞬、左手の甲が痛んだ気がして、あざを見た。

 あざ。

 生贄の刻印。生贄の目印。

 どうしてこんなことになったんだろう。


「前世の記憶を話してどうにかなるなら、とっくに話してた。どうにかする方法があるなら、私だって知りたかった。私だって、生贄になんてなりたくなかった。知りたくなかった……」


 生贄になんてなりたくなかった。生贄になることを知ったら耐えられない。

 なのに知ってしまった。

 知りたくなかった。


「前世の記憶なんて、私だって欲しかったわけじゃない……」

「リンダ……」


 アルベルトが戸惑った声で私の名を呼んだ。うつむいた私の耳にその声は届いていたけど、遠い遠い、別世界のもののように感じた。

 左手の甲に滴が落ちた。

 何かが堰を切ったようにあふれ出した。


「私だって、こんな役に立たない前世の記憶は欲しくなかった……! 物語からリンダ・バーチがいなくなったのは、戦いに参加しない脇役だからで、それだけだと思ってた。四英雄の血もひいていない、単なるアルベルト様の幼なじみで、便利屋みたいなもので、だから自然と話に出てこなくなるんだろうと思ってた。思っていたのに……生贄になって、それでいなくなっていたなんて……、自分が確実に近いうちに死ぬなんて、そんなの知りたくなかった!」

「リンダ!」


 デュランが私を止めようとしたのか、名を呼んで、立ち上がった。

 だけど近づくことはしなかった。

 あざがあるから、生贄の刻印があるから、触れられない。

 ぼやけたデュランの姿がやたらと遠くにあるように感じた。


 ガタガタと席を立つ音がして、駆け寄る足音がして、誰かが声を上げた。


「ディア! やめろ、止まれ!」

「え……?」

「見ただろ、アルベルト様を。光魔法は、恐らく同じだ。生贄の刻印は、四英雄と光魔法属性にはつけられないんだ」


 足音は一つ止まって、一つはそのまま私に近づいた。

 ゆっくりと、ふわりと、壊れやすいものを包むかのように私の体に手が触れた。


「リンダ様、痛くありませんか?」

「はい……」


 オリビアが私を抱き締めてくれたのだとわかった。

 私は、はい、と答えたものの、それ以上は喉が詰まって声が出なかった。

 オリビアの腕の中で、私は声にならない声を上げて泣いていた。

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