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四章第10話 闇色の獅子と謎のあざ。

「リンダ!」


 デュランが私の名を呼んでいる。どうしてデュランがここに? 後ろからかけられたその声の方を見る。

 私は目の前のアゼルに背を向けた。

 その瞬間。


「きゃっ!」


 衝撃を感じて、私は地面に倒れた。

 背中に、何かが当たった? 今何かに突撃された?

 よくわからないままに、ような感触があった。

 反射的に上体を起こし、体をひねってアゼルの方を見る。

 彼は、私のすぐ近くにいた。そしてひざまずいて、私の左手をとる。


「え……っ」


 何? と思う間もなく、アゼルに取られた左手にバチッと静電気のような音と痛みが走る。

 離してと口にする前に、彼は私から飛びのくように離れた。


 何が起きているの?


 先ほど、私は何に転ばされた? アゼルは離れていた。槍も持っていなかった。

 無意識に地面に力なくおろした左手が痛む。

 魔法が使えない彼が、こんなことができるの? こんなことって何? 私は、彼に何をされた?


「リンダ!」

「リンダ様!」

「リンダ嬢! 伯父上、リンダ嬢に何をした!」


 デュランの声、オリビアとクリスの声も聞こえた。私はもう声の方を見なかった。アゼルから目が離せなかった。離すのが怖かった。アゼルは何も見ていないような眼と、うっすらと微笑んだような口元で、私の方に顔を向けている。


 怖い。

 この人は私に何をしたの?


 アゼルの私に向けるうつろな目線が不意に遮られた。

 私の目線の先にはデュランの背中があった。デュランが私とアゼルの間に立ったのだとわかった。少しだけほっとした。

 デュランは水の槍をその手に構えていた。


「リンダ様、大丈夫ですか?」


 私の両肩がオリビアの両手で包み込まれた。心配そうにオリビアが私を覗き込む。

 大丈夫なのかはわからないけど、意識はある。声も聞こえる。オリビアが私を心配しているのがわかる。だから小さくうなずいた。何にうなずいたのかはわからなかった。

 クリスはオリビアの隣で私がうなずいたのを見て小さくうなずいた。そしてクリスはすっとデュランの横に並んだ。


 デュランとクリスがアゼルと対峙するように向かったその時。


「はは……ははははっっ!!」


 突然響いた笑い声に、私は上体を動かしてアゼルの様子を覗き込んだ。

 アゼルは、天を仰いで笑っていた。


 急に笑い出したアゼルに、デュランもクリスも、オリビアも、私も、ただ黙って彼を見ていた。


 アゼルはしばらく笑った後、がっくりとうなだれるように下を向いて肩を落とした。そしてゆっくりと片手を口元に運び、指笛を鳴らした。

 急に鳴った指笛に驚く間もなく、答えるような獣の咆哮が聞こえた。


 がさりと中庭の緑をかいくぐってアゼルの後方から黒い影が現れた。


 先ほどの咆哮の主、それは闇色をした獅子だった。


 中ボスの闇色の獅子?

 どうして今ここに?


 私は思いがけない魔物の登場に、地面をつかむように手を握りしめた。左手が痛むような気がしたが、かまっていられなかった。

 デュランは水の槍を構え、クリスも弓を構えた。私の両肩を包んでいるオリビアの手に力がこもった。


 この人数で中ボスに勝てるはずがない。


 体が硬くこわばった。


 闇色の獅子は、ゆっくりとアゼルに近寄り、懐くように擦り寄った。

 アゼルは獅子の頭を撫で、すっとその背に乗った。獅子が来た道を戻るように体の向きを変えた。


「アゼル!」

「伯父上」


 デュランとクリスがアゼルの背に叫ぶ。

 アゼルはその声に答えるように私たちの方に顔を向けた。


「さようなら」


 泣くような目で笑っていた。


 そうしてまた指笛が鳴る。闇色の獅子はアゼルを背に乗せたまま走り去っていった。



 その姿が見えなくなるまで、私は固まっていた。何も言えなかった。何が起きたのかよくわからなかった。妙に泣きたかった。

 デュランもクリスもオリビアも、少しの間、何も言わなかった。たぶん、言えなかった。


 少ししてからデュランが構えたままだった槍を思い出したように下げて言った。


「……追うべきだっただろうか?」


 同じように弓をおろしながらクリスが答える。


「いや、私とデュランだけでは危険すぎる」

「なんだったんだ? クリス、知っているか?」

「わからない。あれは、魔物だよな」

「闇色の獅子が……どうして、今ここに?」


 デュランとクリスの会話を聞いて、私はぽつりとつぶやいた。

 二人は割り込むように会話に入ってしまった私を見た。そしてクリスがデュラン、と私の方へ彼を歩ませた。


「リンダ、大丈夫か?」


 デュランはまだ地面に座り込んだまま、オリビアに両肩を支えられている私に手を差し伸べた。

 立ち上がるために差し伸べられたデュランの右手に自分の左手を重ねた。

 その瞬間。


「っ痛っっ……!!」

「……っ」


 思わず手を振りほどき、痛んだ左手を右手で包み込む。

 デュランの手に触れた瞬間に、電気が走ったかのような痛みがあった。静電気なんてものじゃない。強い痛みが手を離しても残る。


「リンダ……今のは?」

「ごめんなさい、手が痛んで……」

「その手の甲は……?」


 デュランの声に自分の両手の甲を見る。

 私の左手の甲に、雪の結晶のような形の青白いあざがあった。


「なに……これ」


 誰に聞くでもなく、ただ疑問を口にした。返ってくるはずもなかった。

 筆記の成績が良くても、どれだけ歴史を勉強していても、この世界の病気やけがの知識があっても、こんなあざは知らない。

 私が知っているゲームの情報でもわからない。これがゲームに出てくるものなのかもわからない。

 これは何? いつからこんなものが?


「リンダ様、その、今は痛みますか?」


 私の両肩に手を添えて上体を支えてくれているオリビアが聞く。

 私は首を横に振った。先ほどから彼女に支えられたままだけど、痛みはない。


「リンダ様に治癒をしてもよろしいでしょうか?」

「よろしいのですか?」

「はい。治癒をかけさせてください」


 その問いかけに私はうなずいた。

 オリビアは了解を得るようにデュランとクリスの方を見る。二人がうなずいたのを確認してから、私に治癒魔法を使った。


 温かさに包まれて、転んだときにできていた小さな擦り傷は治った。打ったような皮膚の赤みも引いた。治癒魔法は確実に効いていた。

 だけど、左手を見るとあざは変わらずにそこにあった。


 私を含めた四人は私の手の甲を見て、それから顔を見合わせた。

 おそらく誰も状況が把握できていない。私だけではなく四人全員が。


 口を開いたのはクリスだった。


「デュラン。カイルをこちらに呼んでいいでしょうか。彼なら何か知っているかもしれない」

「そうだな……。カイルはクローディア嬢と一緒だったか、彼女にも来てもらおう。それから、アルベルトにも来てもらおう」

「共有しておいた方がよさそうですね。すぐにこちらに来てもらっていいでしょうか」

「ああ、クリスとオリビア嬢は、彼ら来るまでうちにいてもらえるだろうか」

「もちろんです。では、私とオリビアで手紙を出します」


 私は左手をさすりながら、そんな分担がされるのを見ていた。


「リンダ。まだうちにいてくれるだろうか」

「あ、はい」

「……疲れただろう。みんながつくまで休んでいてくれ」

「はい……失礼します」


 デュランと短い会話をして、私は一礼して部屋に戻った。

 ルナたちバーチ家のものには滞在が延びることを伝え、一人にしてもらった。今は誰かと話す気にならなかった。


 部屋の机に置いてあった髪飾りが目に入る。デュランからもらった、今は石が一つ取れてしまった髪飾り。

 触れたくなってその髪飾りに手を伸ばす。


「いたっ……」


 髪飾りに触れた瞬間、痛みが走る。小さくかしゃんと音を立てて、髪飾りは机の上に落ちた。

 先ほどと同じような、デュランの時と同じような、電気が走るような痛み。


 髪飾りにも触れない……?


 右手の指をそっと髪飾りに伸ばして、意を決して触れてみる。


「……っ」


 右手で触れようとしても、左手のあざに痛みが走った。何かに反応しているかのようにあざが痛む。


 左手の甲を見る。あざと違って押してみても痛みはない。こすってみる。洗ってみる。

 何をしても青白いあざは消えない。すりすぎて周りの皮膚がうっすら赤くなっていた。それでも電気が走るような痛みはない。

 根本的にあざとは違う。

 違うけど、何かはわからない。


 オリビアに触られていたときに痛みはなかった。このあざは何に反応しているのだろう。

 デュランと、髪飾り? この髪飾りにはデュランの魔力が込められている。だから? ううん、だとしてもどういうこと?


 説明がつきそうでつかない。わかりそうでわからない。このあざが何か、この痛みがなんなのか。何に反応しているのか。何のためにつけられたのか。


 わかっているのは、これはアゼルがつけたものだ。それだけだ。それしかわからない。

 うつろな彼の目を、泣きそうな目で笑う彼の表情を思い出す。

 アゼル・パームは何をしたかったのだろう。


 私は、これからどうなるのだろう。

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