準備
蒼は、華鈴の喪に服して墨染めの袿を羽織り、居間に座っていた。葬儀を終えたばかりの時に、十六夜がやって来て話があるとせっつくので、慌ただしくここへ連れて来られたのだ。
ここのところずっと華鈴の部屋で側についていたので、外のことはすっかり頭から抜けていた蒼は、急いで意識を神世の何某かに戻した…そうだ、王としての責務を果たさないと。
「…では、母さんが維織として鷲の宮に披露目に行くんだな?この月の宮から。」
十六夜は、頷いた。
「そうだ。オレは、しばらく預けていいかと思ってたんだが、維心が絶対駄目だとうるさくてな。」
蒼は、それを聞いて顔をしかめた。それはそうだろう、その間何をされても文句が言えないんだから。
「事情は分かったが、もしもオレだとしても断ったよ。自分の妃に何されるか分からないのに。王は、妃に対して責任があるからね。嫌な思いをさせたくないし。」
十六夜は、手を振った。
「あいつは責任云々でなくただの嫉妬だがな。まあ、見せるだけでいいんだから。そんなわけでしばらくまた、維月が帰って来るからな。」
蒼は頷いた。
「それは構わないけど、母さん記憶ないだろう?華鈴の事だって知らないし、この暗い雰囲気に耐えられるのか。あの性格で。」
十六夜は、肩をすくめた。
「暗いったって、神世では四十九日で喪の着物は脱ぐだろう?それに、前の維月と違って龍の宮の侍女達に躾けられてるから、結構おとなしいぞ?お前も、普通だし。」
蒼は、息をついて十六夜を恨めしげに見た。
「覚悟していたし、それにもう、そろそろ悟らなきゃ。オレは不死で、妃も娘も寿命があるんだからな。先に逝くのは必然だ。こうして最後まで見送ってやれたんだから、良かったと思ってる。だから、泣いたのも華鈴が逝った直後だけだ。今は不思議に穏やかな気持ちだよ。」
十六夜は、そんな蒼を見て大氣と碧黎のことが頭に浮かんだ。前世の維心も、長く生きてこんな感じになっていた。やはり、悟らなければ残される者はつらくて仕方がないのだ。大氣のあの捌けた様子も、長く皆を見送って来た結果なのだろう。そう思うと、大氣や碧黎を責める気持ちにもなれなかった。
十六夜は、言った。
「そうだな。オレも月の女を見送るのが、普通になっちまってた過去を思い出したよ。維月の時だけ、平静でいられなかったがな。」
蒼は、苦笑した。
「そうだったな。なんだか、遠い昔のような気がするよ…オレ、人だったんだよな。」
蒼はそう言うと、窓から庭の方へと視線を移した。十六夜は、葬儀のすぐ後に来たこともあって、さすがに少し遠慮して、言った。
「…じゃあ、オレはこれで。詳しい予定は、また知らせるよ。お前も忙しいだろう。」
蒼は、十六夜が珍しく気遣ったようなことを言うので、驚いたような顔をしたが、笑った。
「なんだよ、十六夜らしくないな。いいよ、突然来るのはいつものことだし。じゃあ、連絡を待ってる。」
そうして、十六夜は月の宮を出て龍の宮へと戻ったのだった。
公青の宮に、茶会の願いが来たのは、それから一週間後のことだった。
公青は、突然のことに驚きながら、玉座で考え込むような顔をした。
「…ふーん…茶会と。ここで開けと言うのか。別に良いが、我は妃など要らぬぞ。奏と子育てが大変で、そんなことにまで気を回しておる暇がないわ。」
すると、筆頭重臣の相留は言った。
「噂では、鷲は内政が不安定になっておるのだとか。それと言うのも、一度は捨てた神世に、また戻る決断をした今の王に対する反感が募っておるのだと聞いておりまする。ただ、此度こうして茶会を開くからには、恐らくあちらの宮の面倒を追放しようとしておると見て間違いないのではないでしょうか。」と、脇に控える筆頭軍神の隼を見た。「隼殿も新たな神だと気にして見ておってくれておったのですが、最近鷲の王が龍の宮へ出て来ておったとか。何やら婚姻がどうのとか、そのような話だったと聞いておりまする。」
公青は、眉を上げた。
「婚姻?龍の宮には今、独身の皇女は居らぬのではないか?」と、顎を擦った。「…だからこその、茶会かの。」
隼は、首をかしげた。
「どうでありましょうか。此度は上から二番目の宮の王達も招いて格上の神ばかりの茶会を開くようですので、確かにありえぬことではありませぬが。」
公青は、しばらく考えていたが、右手でパンと肘掛を叩いた。
「考えていても始まらぬ。ま、しばらく華やかなことがなかったし、良いのではないか?日取りを決めて、龍の宮へ返事を。見合いの茶会であるということにはこだわらず、開くとしようぞ。さすれば奏にもいい気分転換になろうから。」
相留は、深々と頭を下げた。
「は!では早急にそのようにお返事を。」
相留が出て行ってから、公青は隼を見た。
「隼。」
隼は、膝を進めて公青を見上げた。
「は。」
「主、もう少し気を入れて鷲の宮のことを調べて参れ。別に接することも少ないし良いかと思うて調べさせておらなんだが、ここへ招くとなるなら話は別。何があるなら、こちらも構える必要があるからの。」
公青が言うのに、隼は頭を下げた。
「は!では、御前失礼致します。」
隼は、サッと出て行った。それを見送りながら、公青は面倒が起こらねば良いが、と思っていた。
鷲の宮へ維月が行くのは、またそのひと月後と決められていた。
焔から命を受けた軍神達が、月の宮へと迎えに来るのだという。なので、維月は月の宮へ戻ることとなった。
龍の宮では、維心がぎりぎりまで維月を宮へと留めたので、いよいよ明後日は鷲の宮へと迫ったその日、やっと戻ることを許した。それがまた、夕刻だったので、十六夜は仕方なく次の日の朝に、月の宮へ維月を連れて帰ることにした。
維心は、まだ何も知らないだろう維月に、何かあったらどうしようかと、心配でならなかったのだ。自分ですら、何も知らない維月には、未だに手を付けずにいる。それなのに、なぜに焔などにと、腹が立ったのだ。確かに焔は、手を出さないと言ったが、それを信じろと言う方が難しかった。何しろ、もしも自分ならそんな約束など、維月を前にしたら吹っ飛んでしまうのが分かっていたからだ。神世の誰よりも禁欲的な自分がそうなのに、焔などに我慢できるはずなどない、というのが維心の考えだった。
深いため息をついて案じる維心の前に、維月が例のごとく寝る前の挨拶に訪れた。
「維心様。」
頭を下げる維月を、せつなげに見た維心は、それでも精一杯気力を搾り出して微かに微笑み、頷いた。
「もう休むか。明日は、月の宮だの。」
維月は頷いて、顔を上げた。
「はい。それから明後日にはそこから鷲の宮へ。三日のほどの滞在で良いのだと聞いておりまする。なので、ご案じくださいますな。」
維心は、頷けなかった。
「焔が何をするか分からぬからの。案じられてならぬのだ。主は、まだ何も知らぬのだし…。」
維心が差し出す手に、維月は自分の手を重ねながら答えた。
「維心様…そのことでございます。我は、あれから渋る侍女達をせっついて、無理に婚姻について教わりましたの。というて、皆話すのは無理だと言うて、書庫から巻物を持って参って我に読むように申したのですけれど。」
維心は、驚いて維月を見た。
「ならば…主は、もう知っておるのか。」
維月は、少し頬を染めて視線を落として頷いた。
「はい…あの、書の上でだけでございますけれど。実は、学ぶとお約束した次の日には、侍女達に詰め寄っておりました。内容を見て少し驚いてしまって、なかなかに、維心様に言えずに来てしまいましたが。」
維心は、思わず立ち上がって維月の手を両手で取った。
「では…」
維月は、それこそ真っ赤になったが、頷いた。
「はい…維心様がそれほどに案じられまするし、我も維心様のためにと学んだこと、確かにもしも焔様と最初に、などということになったら、後悔するかと思いまするし…。」
維心は、思ってもみなかったことに、あんなに落ち込んでいたのもすっかり吹き飛んで、一気に気持ちが高揚した。やっと維月が…!
「おお」維心は、維月をいきなり抱き上げた。「おお維月、やっと、やっと主は我に嫁ぐか!」
実際にはとっくに嫁いでいたが、赤子から育てた維月がまた、自分を選んだと思うと、維心には感慨もひとしおだった。維月は突然に異様なほどテンションの上がった維心にびっくりしていたが、顔を赤くしたまま、頷いて維心の首に腕を回し、頬に頬を寄せた。
「はい。奥へお連れくださいませ。」
維心は、嬉々としてまるで弾むように奥の間へと足を進めた。
「参ろうぞ。案ずることはないゆえ。我が、全て良いようにする。主のことなら、我はよう知っておるから…。」
そうして、維心とまだ術が解けない維月は、その夜を共に、愛し合ったのだった。




