帰郷
次の日の朝、十六夜が維心の居間に来た時には、維心は一人で正面の定位置の椅子に座っていた。十六夜は、また連れて帰るなとごねるのかとうんざりしたが、その前に進み出た。
「さあ、維月を連れて帰る。どこに居る?」
すると、意外にも維心は落ち着いた様子で答えた。
「今侍女達が準備をさせておる。もう来るかと思うぞ。」
十六夜は、昨日までは嫌がって大変だったのにどうしたのだろうと、維心に詰め寄った。
「維心?お前、どうしたんだよ。心境の変化か?ここひと月、連れて帰るって言うたびに駄々こねて、結局こんなぎりぎりになっちまったのによ。」
維心は、ふっと笑った。
「今でも連れて帰られるのは嫌だ。だが、昨夜…」維心は、少し言いにくそうにしたが、思い切って言った。「やっと維月が良いと申してくれての。二人で過ごした。今のあの身も、最早我の妃ぞ。」
十六夜は、驚いたような顔をした。
「え、あいつそんなこと分かったのか?あの姿になってから、すっかり箱入りだったのに。」
維心は、嬉しそうに微笑んだ。
「我に嫁ぐために、学んだのだと言うておった。なので、焔が何もせぬとはいえ、それはどうなるのか分からぬからということで、後悔はしたくないと、昨夜我に許してくれた。なので、我は未だ維月があちらへ僅かでも行くのは嫌ではあるが、少し落ち着いたのだ。」
十六夜は、ふーっと肩で息を付いた。
「ゲンキンなヤツだな。いっつも言ってるじゃねぇか、心が大事で、体の繋がりはどっちでもいいってさ。」
維心は、声を立てて笑った。
「おお、そうだったの。だがしかし、我は気付いたのだ…維月が、その身を許すほど我を想うておるという事実が、我に安堵感を与えるのだとの。その行為そのものではなく、それに至る心持ちの問題なのだ。我は維月の心の誠を昨夜知った…なので、もう無理は言わぬよ。」
十六夜は、ふん、と鼻を鳴らした。
「オレには未だに兄弟感覚だがな。ま、それでいい。あいつもそのうちに思いだすだろうけど、それまでにオレにまで想いがあったら、混乱するだろうからな。あくまで術が掛かってる間は、普通の神のように一人を愛してるってのがあいつの心にとってもいいんだと思う。」
維心は、それを聞いて気付かされた。十六夜は、わざと自分を押し付けずにいるのだ。維心が維月に愛されずに長く居ることが出来ないのを知っているから、自分が退いて後ろから見ているのだ。それは、維月が二人を愛してしまったと悩むのを防ぐため…。確かに、前世維月は十六夜と維心を愛して直後は苦しんだ。今の記憶のない維月が、同じように二人を同時に愛して苦しんではいけないと思っていたのだ。
維心は、相変らず維月のことを優先的に考えている十六夜に、頭が上がらなかった。自分は、自分のことばかり考えていた。自分の気持ちを…。
「…主は、本当に維月のことばかりよ。我は、いつまで経っても主には敵わぬ…。」
維心は、今まで嬉しそうに浮き足立った気であったのが、一気にどすんと暗い気になった。十六夜は、それを見て苦笑して維心の顔を覗き込んだ。
「維心、お前ってほんとに素直だな。オレとお前は考え方が違うんだから、お前が思ってるような感じでオレが辛いとか我慢してるとか思ってるなら間違いだぞ?維月は、やっぱりオレには何でも話してくれる。お前との婚姻のことは、まだ言う機会がないから言ってないだけだろう。今日連れて行く間に、きっと話してくれるぞ?オレはあの、維月の変わらない信頼感が嬉しいのさ。お前とは違う。」
維心は、黙って頷いた。確かに、価値観が微妙に違うのだから、十六夜はそうなのかも知れない。
維心が何とか心を浮上させようとしていると、脇の布が揺れて、侍女が入って来て頭を下げた。
「維月様の、ご準備が出来ましてございます。」
そうして、維月が進み出た。華やかでありながら品のある質の良い袿を着付けられた維月が、髪を綺麗に結い上げられて、かんざしをこれでもかと挿された姿で立っていた。いつもなら、そのまま上から大きなベールを着て隠しているのだが、今日はまだそのベールを被されていない。維心は、その姿を見て今までの浮かない顔はどこへやら、ぱあっと表情を明るくすると、跳ねるように立ち上がって維月の手を自分から取った。
「おお維月…!何と美しいのだ。」と、維月を抱き寄せた。「それなのに、月の宮へ参るか。もっと見ておりたい心地よ。」
維月は、困ったように微笑んで維心を見上げた。
「すぐに帰って参りまするわ。十六夜も共に来てくれますので、ご安心くださいませ。鷲の宮へ参っても、月には十六夜が居りまするし、話も出来るかと。」
維心は、渋々頷いた。どうしても側を離したくないが、そんなことは自分のわがままでしかない。それが分かっていたので、同意するよりないのだ。
「気をつけて参れ。何があったら、我とてすぐに参るから。呼ぶが良い。」
維月は、微笑んで頷いた。
「はい、維心様。」
そうして、維心はじっと待つ十六夜を見た。
「十六夜、頼んだぞ。維月は前とは違うゆえ…主だけが頼りよ。」
十六夜は、維心に頷いて見せた。
「分かってるよ。心配するな。」と、維月に手を差し出した。「さ、こっちへ、維月。行くぞ。月の宮へ。」
維月は、頷いて維心の側を離れて、十六夜の手を取った。維心は、それだけで寂しくて仕方がなかったが、黙ってそれを見つめた。
そうして、十六夜は維月を抱いて、空へと飛び上がると、北東の空へと消えて行ったのだった。
月の宮では、蒼が出迎えてくれていた。維月は、術に掛かってからというものこちらには全く帰っていなかったので、蒼を見た時には少し、表情を硬くした。維月にしたら、知らない神だからだ。
蒼は、少し困ったように表情を緩めて、十六夜を見た。十六夜は、維月を見て言った。
「月の宮の王、蒼だ。いっつも話してやってるだろう?」
維月は、緊張気味に頷く。蒼は、進み出て言った。
「歓迎するよ、維月。覚えてはいないと思うが、ここは主の里。良いように使ってくれて良いから。」と、十六夜を見た。「じゃあ、オレはこれで。華鈴の四十九日が終わって、溜まってた政務が大変なことになってるんでね。」
蒼は、さっさとそこを離れて行った。維月は、十六夜を見て言った。
「蒼様は、大変に穏やかな気を持つ王でいらっしゃるのね。あんなに大きな気なのに、驚いてしまったわ。」
十六夜は、すっかり他人な維月の反応に苦笑したが、維月の手を取って言った。
「蒼は、人の世からの帰還者を受け入れている心の大きな王だって、皆には言われてるんだ。オレもお前も月だから、ここが言うなれば里ってことさ。維心がお前を離さないから、ここには戻って来てなかったけど、今回はいい機会だったと思ってる。さ、お前の部屋へ案内するから。行こう。」
維月は頷くと、周囲を珍しげにきょろきょろと見て、十六夜に手を引かれて奥にある部屋へと向かったのだった。
その道すがら、前から維心そっくりの神が歩いて来るのを見て、維月は思わず口に手を当てると、叫んだ。
「維心様っ!?」
相手は、側に寄って来ながら笑った。
「おお、久しいではないか、維月。そうか、まだ術は解けておらぬのだな。」
遠慮なく戸惑っている維月の手を取る相手に、十六夜が咎めるように言った。
「こら将維。駄目だって言っただろうが、維月は何も知らねぇんだからよ。」
将維は、それでも更に維月を引き寄せてその肩を抱きながら、拗ねたように十六夜を睨んだ。
「我だって長く姿すら見ておらぬのに。少しぐらい、良いではないか。」と、維月に頬を摺り寄せた。「突然に赤子になったとか聞いてそれから全く見ることもなく…我とて寂しいのだ。」
維月は、赤くなった。維心に気までそっくりなので、嫌だという感情はこれっぽっちも浮かんで来ない。だが、何だか肉親のような感じの感覚だった。
「あ、あの…将維様?もしかして、我の親族か何かでいらっしゃいまするか?」
将維は、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに面白くないような表情で維月を見た。
「何ぞ、何か思い出したか?」
維月は、将維に抱きしめられたまま首を振った。
「いいえ。維心様によう似ておられるので、嫌だという心地も起こらぬのでございまするが、それでも何やら、肉親に対するような感覚が…。」
将維は、それを聞いて見るからにがっくりしたように肩を落として、身を離した。
「何ぞ、やはりそうか。」と、十六夜を見た。「何やら維月の本音を聞いておるようで、良い気はせぬの。」
十六夜は、意地悪く笑った。
「だから、維月にとっちゃあそんな感じなんだろうよ。さ、もう放せ。」
将維は、意地になっているようで、また維月を抱きしめた。
「否ではないと申しておるのだから、良いではないか。」と、維月を見て言った。「維月、我はの、主の前世の息子であるのだ。維心と維月の間の子が、我。だから我は、こうして維心にそっくりなのだ。」
維月は、感心してそれを聞いていた。そうか、だからこんなに維心様にそっくりなのだ。維心様と、我の、お子…。
維月は、急に真っ赤になって袖で口元を押さえた。維心様と、我の…。
将維が、そんな維月を見て顔をしかめた。
「何だ、全く。すっかり素直になってしもうて。」
十六夜が、ふふんと笑った。
「そうだ。維月は維心が物凄く好きなんだよな?ここへ来る間も、ずっと話してくれてたじゃねぇか。」
維月は、赤い顔をしながら下を向いて、こっくりと頷いた。本当に維心と自分が夫婦で、そうして子が居る事実がとても嬉しかったのだ。
「あの…将維様が維心様との間のお子で、とても嬉しゅうございます。」
維月が言うと、将維は仕方なく腕を放した。
「しようがないの。ま、そのうちに元へ戻ると蒼からも聞いておるゆえ、我はそれを待つことにする。」と、急に険しい顔になると、十六夜を見た。「…だがしかしそれならば、焔にも釘を刺しておかねばな。主は何事にも甘いところがあるゆえ。此度はならぬぞ。」
十六夜は、それには表情を引き締めて頷いた。
「大丈夫だ。維月には、光に戻る方法もしっかり教えてあるからな。何かあったら、月へ戻れる。心配はない。」
将維は、頷いて維月を見た。
「ではの、維月。明日からは務めを果たして参るが良い。」
維月は、将維に頭を下げた。これは龍の宮で身についた、礼儀だった。
「はい、将維様。」
将維は、それを見てまた苦笑したが、そのままそこを去って行ったのだった。




