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美しい女

「な…、」維心が、やっと声を発した。「ならぬ!絶対にならぬぞ!なぜに維月をあちらへやらねばならぬ!それでなくとも、今は術に掛かっておって、何も知らぬのに!」

炎嘉も、それを聞いて我に返って叫んだ。

「そうよ!維月をそんなことに使うことなど出来ぬ!だいたい維月は美しいとは言うて、目が覚めるほどではないぞ!その女が何を言うか…」

焔も、絶句したまま声がない。十六夜は、冷静に二人を見て言った。

「そう、維月はそこまで美しいわけじゃねぇが、だが美しい。どうしてだと思う?」

維心が、皆が黙っているので、渋々ながら答えた。

「…それは…維月には、あの『気』があるからぞ。」

十六夜は、頷いた。

「そうだ。維月は陰の月。無意識にそこに居る者達にあわせて、気が変化するんだ。維月はそこそこに美しいんだが、それを二倍増しにも三倍増しにもするのが、あの『気』なんでぇ。加えてここで教わった、龍の王族の気品のある動きが出来る。全ての男を魅了して、思うように動かす、それが陰の月の力なんでぇ。誰が太刀打ちできるって、維月しかいねぇんだよ。」

炎嘉は、それを聞いて心配そうに維心を見る。維心は、ぶるぶると震えて言った。

「そのような…確かに維月は、世に並ぶものがないほど美しく慕わしいが、あれは我の妃。なぜに一時とは言うても、焔へ嫁がせねばならぬのだ。それに、維月の名は世に轟いておる。我の溺愛するたった一人の妃だと。」

十六夜は、また頷いた。

「だから、維織として嫁ぐんだ。幸いあっちの臣下達は維月の顔も維織の顔も知らない。そうして、綾って女があっちを出たら、返してもらう。維月には、話したら分かってくれるはずだ。」と、焔に釘を刺すように言った。「ただお前、維月に絶対手を出すんじゃねぇぞ。何もお前が憎くて言ってるんじゃねぇ。維月に手を付けちまったら、お前がこっちへ返す時に死ぬ思いをしなきゃならねぇからだ。ただ、臣下達やその女に見せるため。分かったか?」

焔は、コクコクと頷いた。もう、何がどうなっているのかも定かでない。維月が、我に嫁ぐのか。手を付けられぬとはいえ、僅かの間でも、我の妃と…。

「何を勝手に話を進めておるのだ!」維心が勢い良く立ち上がって叫んだ。「維月を焔の宮へやるなど…こやつが我慢出来るはずがあるまい!今の維月は、婚姻が何たるかも知らぬような、精神的に幼い女なのだぞ?!こやつが…こやつが維月に手を付けて、維月がどれほどに傷つくと思うておる!我は、そんなこと許すわけには行かぬ!」

維心は、踵を返した。炎嘉が、慌ててその背に叫んだ。

「維心!こら、待たぬか!」

しかし、維心はそこを出て行った。


逃げ込むように自分の居間へと駆け込むと、そこに維月は居なかった。おそらく、維心が戻るのが遅くなると言ったので、自分の部屋か、庭でも歩いているのだろう。

維心は、今朝維月と戯れていた正面の椅子に、崩れるように沈み込んだ。維月は、何も知らない。だからこそ、自分も無理強いなど出来ないと昨夜も手を出さなかった。それなのに、焔に預けろと言うか。手を出さないと言っていても、相手の宮へと表向き妃として入って、何かあってもこちらは文句も言えない。口では何とでも言える…あの維月に、ただでさえ懸想している焔が、手を出さずに居られるはずなどない。

維心は、頭を抱えた。確かに焔の宮には、落ち着いてもらわねばならぬ。早く内政を落ち着かせ、神世のほかの宮々のことを共に考える余裕を持ってもらわねば…。だがそのために、そんな犠牲を払うことなど、自分には出来ない。

維心が沈み込んでいると、ふんわりと何かが自分を包んだのを感じた。維心が顔を上げると、維月が維心を、そっと抱きしめていた。

「…維月…。」

維心は、維月を抱きしめ返した。維月はおとなしく抱かれたまま、言った。

「十六夜から、聞きましてございます。我は、形だけ鷲の宮へ参らねばならぬのですね。」

維心は、驚いて顔を上げた。

「我はそのようなこと許しておらぬ!」

維月を抱く腕に力を入れて、必死に言った。維月は、まるで以前の維月のように、穏やかに微笑んで維心の髪を撫でた。

「焔様は、我を娶るおつもりなどないのでございまするわ。あの、ただ我が月で、美しく装うことが出来、珍しいからお役に立つのだとか。我が良いと言わねば、お話は瑠維殿に参ります。瑠維殿には、お子様を育てていらっしゃるのに。我には、何もありませぬから。なので、我は参ろうと思いまする。」

維心は、座ったまま維月を抱きしめ、そう話す維月を見上げた。ああ、間違いなく維月。自分を犠牲にしてでも、子を守る…。ただ維月は、瑠維が己の子だと思いだしておらぬ。それでも、守ろうとするのだ。

「維月、焔とて男なのだ。何をするか分からぬ。相手の宮へ入ってしもうては、我とて手を出せぬ…。」

維月は、寂しげに笑った。

「はい。分かっておりまするわ。ですが、信じて参ろうかと。この身が役に立つのです。十六夜も見ておってくれまするから。そのように、ご案じにならないでくださいませ。」

維心は、維月を抱きしめてその胸に顔をうずめた。必要なことかもしれない。だが、そんな風に手離すことなど出来ぬ。この姿を皆に見せ、これが妃だと皆に示すだけなのに。そう、臣下達と、あの面倒な女に…。

維心は、そこでふと思った。そうだ、これが妃なのだと皆に見せれば良いのだ。

維心は、ガバっと顔を上げた。

「十六夜らは、まだ応接間に居ったか?」

維月は、突然に維心がしっかりした調子で話すのに驚きながら、維心を見下ろして言った。

「え?はい…恐らくそうなのではと。十六夜とは、月から話しましたから。話を聞いて、では我が参らねば、と思いましたの。」

維心は維月を放すと、立ち上がった。

「参る!」と、足を進めながら言った。「主はここに居れ!」

維心は叫びながら、急いで十六夜や炎嘉達の居る応接間へと向かった。


応接間へと飛び込むと、炎嘉と十六夜、遅れて焔が立ち上がって、こちらへ向かって歩いて来ようとしているところだった。三人は、維心が飛び込んで来たのでびっくりして固まる。維心はそんな三人には構わず、いきなり言った。

「披露目の席を設けよ!」維心は、焔に向かって言った。「そこへ維月を行かせる!月の宮から、喪中なのですぐには嫁げぬと申して、先に顔見世にだけ参ると!ならば行かせても良い!」

炎嘉と十六夜が、顔を見合わせた。そして十六夜が、言った。

「維月から聞いたのか?」

維心は頷いた。

「主は我の同意もなくあれに言いおって。あれが事情を聞いて行かぬと言うはずはないではないか!だが、見せるだけなら。ようは、その女に見せたら良いのだろうが!」

炎嘉が、焔を振り返って言った。

「確かにの。焔とてあまり長く維月を側に置いたら、己を抑えられぬようになるだろうし、良い考えぞ。確かに王妃が亡くなった月の宮は喪中。すぐには嫁げぬという理由は通る。維織は月の子なのだし、親族の喪に服さぬわけには行かぬしな。維月は、維織として鷲の宮へ披露目に参ったら良いのだ。」

十六夜も、焔を見る。焔は、視線を落としていたが、顔を上げて言った。

「良い。では我が宮で、披露目の式を開こうぞ。そうして、そこで維月を皆に見せ、認めさせる。それで良いか。」

維心は、やっと頷いた。

「良い。それなら許そうぞ。長く、我が宮を離れることは許さぬ。」

それを聞いた炎嘉が、はーっと肩を落として大袈裟に息をついた。

「困ったヤツよ。どうあっても維月よな、主は。迷うておったのが嘘のようよ。それでは我では太刀打ち出来ぬ。どうせ、一時は我にと惑うた維月も、今は主に夢中であろうが。」

それには、維心は少し、戸惑ったような顔をした。

「いや…夢中かどうかは分からぬが…。」

すると十六夜が横から吐き捨てるように言った。

「維月はコイツのことばっかだ。オレのことは兄弟感覚だってのに、維心には赤くなったり青くなったり忙しいったらないぞ?今は早く無事に術が解けて、これを笑い話にしてぇよ。」

炎嘉は、頷いた。

「安堵した。我だって、あのままならここから連れ去ってしもうたやもしれぬ。それを案じておったからの。こうして、少し距離がある方が良い。下手な希望など、我には毒でしかないわ。ましていつか取り上げられると分かっておるのに…この方が、良い。」

そうして、炎嘉と焔は、思いのほかすぐに終わった話し合いにホッとしながら、それぞれの宮へと帰って行った。

詳しい日程の調整は、各宮の臣下が行なう。その結果を、王達は待ったのだった。

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