鷲2
蒼は、炎嘉から書状を受け取っていた。確かに鷲の事はうっすら記憶しているとのこと。なので知っている事を対面の前日に来て話し、次の日共に焔に対面するとのことだった。
蒼は、息をついて書状から顔を上げた。
「…炎嘉様でもうっすらとなんだな。鷹の時は、維心様も炎嘉様も、箔炎様と面識があって、心安かったのに。今度はほんとに大変そうだ。」
目の前で膝をつく翔馬は頷いた。
「はい。古くからの記憶を持つ王達が知らぬとなれば、かなりの間神世と関わって参らなかったということですので。初対面に近い感じでしょうか。」
蒼は、深いため息をついた。
「近いっていうか、初対面なんだよ。少しでも面識があるのはその焔の何代か前の王なんだろうから、今回の焔は全く誰にも会ったことがないんだ。問題は、どうして今出て来る気になったのか、その始めがどうして月の宮なのかってことだ。普通なら、龍の宮へ打診するのが筋だろう。あそこが神世の中心で、ちょっと神の流れを見てたら、いくら神世を長く離れていても分かることなんだから。」
翔馬は、神妙な顔で下を向いた。
「はい…。確かに我が宮の臣下達も皆そのように申しておりまする。」
蒼は、またため息をついた。別に何だっていいが、月の宮にごたごたを持ち込むのだけはやめてほしい。オレが王だし、今は十六夜も碧黎様が心配だって月から地の宮ばっかり見てるのに。オレの判断でどうにかなりそうな事態だけは、絶対に持ち込まないで欲しい。
蒼は、ただただ焔が面倒な男でないことだけを祈っていた。
屋久は、月の宮から焔の訪問を七日後に受けるという書状を受け取っていた。戸砂が、心配そうにそれを読む屋久の前に膝をついて何か言うのを待っている。屋久は、書状を畳んで言った。
「鷲の王に書状を送る。と言うて、どこへ持って参れば良いものかの。ここから山脈の方角へ飛べば、あちらの軍神が迎えに出るとのことであったが。」
戸砂は、不安げに頷きながらも、言った。
「では…角真に。」と、筆頭軍神の名を上げた。そして、思い切ったように言った。「それから、我が。」
屋久は、驚いたように片眉を上げた。
「主が?何者か分からぬとか申したのではないのか。」
戸砂は、思いつめたような顔をして、屋久を見上げた。
「だからこそでございます。万が一にも月の宮へご迷惑などお掛けする事がないように、我が直々に参ってあちらの様子を見て参りまする。それが、誠鷲であるなら、これよりのことはありませぬゆえ。」
屋久は、まじまじと戸砂を見た。非力で、力にはいつも脅えてばかりであるように思っていたこの重臣が、まさかそんな覚悟を持っていたとは。
屋久は、しばらくじっと戸砂を見ていたが、ふっと笑うと言った。
「そうか。ならば角真と主、そして我が参ろう。」戸砂は、驚いたような顔をした。屋久は続けた。「なに、我とて誠あれが鷲であるのか、興味がある。見届けてやろうぞ。そうして、月の宮の蒼殿の所へ行かせようぞ。」
戸砂は、この王がまさかそんなことを言うとは思わなかったらしい。驚いたように口をぱくぱくさせていたが、やっと言った。
「そのような!王にはお子もおありにならないのに、今王に何かあっては、一族の存続に関わる事態でございます!我らが参りますゆえ、王はこちらへ。」
しかし、屋久は急に険しい顔をしたかと思うと、首を振った。
「ならぬ。万が一の時、主らだけで何が出来る。我は王。だからこそ主らは仕えておるのではないのか。我は臣下だけをそのようなわけの分からぬところへ参らせるほど、落ちぶれた王ではないわ。」
戸砂は、それを聞いて絶句し、そうして深々と頭を下げた。まるで、父王を見るような。確かに、屋久様はあの王のお血筋なのだ。
「ははー!」
頭を下げる戸砂を前に、屋久は月の宮からの書状をまた元通りの文箱へと収め、そうして焔が言った山脈の方角へと飛び立つ準備を始めたのだった。
その、山脈の奥深く、大きく切り立った断崖の途中に、まるで隠れるように立つ宮の中で、焔は軍神の報告を受けていた。
「ただ今、弦殿が迎えに出ておりまする。」
焔は、玉座に座って肘をついていたが、眉を上げた。
「あやつは、己で参ったと申すか?」
膝を付く軍神は、答えた。
「は。あちらの軍神一人と、恐らく臣下の一人と共に、王の結界に向かっておられたので、ご指示通りにお迎えに参ったのでございまするが。」
焔は、面白そうに頬を緩めた。
「ふーん、あやつも王だったのかの。我でも得体の知れぬ宮へ、臣下だけを行かせることなどない。己で臣下を装って参るであろうからの。見たところ、そんな気概のある神であるように思えなかったのに。」と、その軍神に手を振った。「まあ良い、弦にここへ直接連れて参れと申せ。」
その軍神は、頭を下げた。
「は!」
そうして、その軍神は出て行った。弦というのは、この宮の筆頭軍神だった。弦が行くぐらいなので、恐らく王族ぐらいの気を感じたのだと思ってはいたが、まさか王が来ていたのとは。
焔は、果たしてどんな答えを持って来たのかと、一人ほくそ笑んだ。
屋久は、角真と戸砂だけを連れ、言われた通り自分の宮から北の山脈へ向けて飛んでいた。もっと軍神を連れて行くべきだと臣下達は反対したが、それでも何かあった時のことを考えると、失う数は少ない方がいい。それに、あの焔の気を見ても、あちらがその気で来たら、敵うはずなどなかった。何人軍神を連れていても、変わらないのだ。
たった三人で飛んでいると、いよいよ山脈が近くなって来たところで、数人の軍神が目の前に現れた。急に現れたところから、この辺りに結界があって、そこから出て来たのだと見て取れた。しかし、その当の結界が、屋久には気取れなかった。戸惑っていると、相手のうちの一人は言った。
「我は、王・焔様の筆頭軍神、弦。主らは、あちらの屋久様の宮の使者か。」
角真が慌てて前に出ようとするのに、屋久は片手でそれを制して、前に出た。
「月の宮からの答えを持って参った。我は、王の屋久ぞ。」
相手は、少し驚いた顔をした。しかし、すぐに側の数人に頷きかけると、その数人は頭を下げてスッと飛び去って行く。屋久がそれを見送っていると、弦が言った。
「我が王の御元へ、お連れ致しまする。こちらへ。」
屋久は、背後で戸砂と角真が身を強張らせたのを感じた。これから、知らぬ土地、知らぬ種族の結界へと入るのだ。相手が敵意を持っていたなら、まず生きて出て来れぬだろう。
それでも屋久は、何でもないように頷いた。
「参る。」
弦が、軽く頭を下げてから先を飛び始める。
屋久は、その後を追って飛び始めた。角真が、戸砂を庇うようにして後ろから来るのが分かる。
そうして、焔の結界内へと入った。
そこは、清々しい空気の、人の手が全く入っていない山深い地だった。
高い山々が連なり、確かに飛べない人にはここまで入って来るのはつらいだろう。眼下には、大きな岩が転がる河が流れていた。
それに沿うようにして飛んでいた弦が、そこから山の方へと方向を変え、高度を上げ始めた。屋久が前方を見ると、断崖の途中、大きく抉れたようになった場所に、その宮は建っていた。ずっと横に、幾つもの対が連なって、それは大きく頑強な、そして美しい宮だった。そこへ近付くと、数人の軍神達がわらわらと出て来た。角真と戸砂が、一気に緊張した面持ちになる。この弦もそうだが、皆大変に大きな気の軍神達で、屋久の気でも敵うはずなどないほどだったのだ。
まるで、龍の宮の軍神達を見るようだ。
屋久は、そう思ってさすがに緊張した面持ちになった。軍神達は、弦に近付いて来て膝をついた。
「弦殿、王より、玉座の間へとお通しするようにとのことでございます。」
弦は、頷いた。
「では、ご案内を。」と、屋久を振り返った。「我が王がお待ちでございまする。どうぞ、こちらへ。」
屋久が頷くと、弦はすーっと滑るようにその宮の到着口だろう場所へと降りて行く。屋久は、遅れてはならぬと慌ててその後へと続いた。
降りて見ると、その宮は上空から見るより数段大きかった。龍の宮に匹敵するのではないかと思われるほどだ。天井が高く、そしてあちらこちらに施された彫刻もそれは細かく見事なものだった。
赤い毛氈が敷かれた上をどんどんと歩いて行く弦に従って、屋久はその中を歩き抜けた。その間も、その踏みしめる毛氈の織りの質の良さに、王の着物すら仕立てられそうな物だと密かに感心していた。自分が作った膨大な借金を、返してやろうと言うだけはある、と屋久は思った。
かなり歩かされたように思っていると、正面に大きな扉が見えて来た。弦は、その両脇に控える軍神に何かを言い、軍神の一人が、脇にある小さな戸から中へと入って行く。自分が来たことを、中へ伝えに入ったのだと屋久は知った。
待っている間、屋久は戸砂を振り返って小さな声で言った。
「どうだ、戸砂?主は、何を思う。」
「大変に、力のある神であるようでございます。」戸砂は、戸惑いながらも小さな声で答えた。「まるで龍王のような。ここまでの宮を維持出来る力は、あちらの世でもそうありませぬ。」
屋久は、頷いた。遥か昔、鳥から分かれた鷲。同じように分かれた鷹を見ても、鷲ならばここまでの力を持っていてもおかしくはない。
そうしていると、入って行った軍神が出て来て、弦に何か言った。弦は頷いて、屋久を振り返った。
「では、中へ。王のご許可が下りましてございます。」
途端に、大扉が大きく開かれた。
赤い毛氈がずっと伸びたその先の、数段高くなった場所にある玉座で、焔が肩肘をついてこちらを見ていた。




