鷲3
屋久は、その気の大きさに息を飲んだ。
あの、夜に会った時には、ここまで大きな気を感じはしなかった。つまりは、あの時は屋久を驚かさないように、気を抑えていたのだろう。
弦が、棒立ちになってしまっている屋久を、怪訝な表情で見た。
「…屋久様?」
屋久は、ハッとした。そうだ、自分は王。焔からの求めに応じて、そうして月の宮と渡りをつけたのだ。何を恐れることがあるだろうか。
屋久は、背筋を伸ばすと足を進めた。後ろからは、もはやどうにでもなれという雰囲気の戸砂と角真の二人が、ぴったりと屋久について歩いて来る。屋久は、王としての誇りにかけて、どうあっても怖気づくわけにはいかないと、頭を上げたまま焔の前へと立った。
「よう来たの。」焔は、何でもないように気軽に言った。「別に主が来ずでも良かったのに。恐ろしかったのではないか?得体の知れぬ宮であろうが。」
屋久は、馬鹿にされているように思ったが、ぐっと堪えて言った。
「得体の知れぬ宮であるから、我が来たのだ。こんな大層な宮であるなら尚の事。」
焔は、満足げに頷いた。
「主を見くびっておったわ。王らしいところもあるではないか。」と、今気付いたように続けた。「そうそう、して、渡りはついたのか?それにしては、えらく早かったが。」
屋久は、黙って背後の戸砂に頷き掛けた。戸砂は、慌てて抱えていた文箱を持って、膝をついて差し出した。すると、焔は自分の横に膝をついている臣下の男に頷き掛け、その男は立ち上がって近付くと、戸砂からその文箱を受け取った。
そうして、その男は、膝を付いて文箱を焔に差し出す。焔は、それを受け取ると紐を解いて中を見た。
「…ふーん、なかなかに仕事の早いことよ。」焔は、それを眺めながら言った。「もっと先になるかと思うておったのに、七日後か。この書からは、月から受けるのと同じ気を強く感じる。つまりは、これは本当に月の宮から来た書であるな。」と、紙を手の先で擦った。「これは人が作る紙と同じ物であるし。こんなものは、人世からの帰還者を受け入れているという月の宮でなければ、神世では手に入らぬだろう。」
疑われていたのか。
屋久は、思った。しかし、思えばそうなのだ。支援が欲しいばかりに、偽物を持って来ることもありえないことではない。
屋久が険しい顔をしたので、焔はふふんと笑った。
「いくら神世を離れていたからとて、我は愚かではないぞ?少しは疑いもする。だが、主も愚かではないの。我に抗うことなど、せぬ方が得策だと思うたのだろう。」と、側の臣下の男を見た。「河。では用意させておった物を、これへ。」
河と呼ばれた男は、焔を見上げた。
「ですが王、まだ月の宮の王に目通りしたわけではありませぬのに。」
焔は、笑った。
「言うておった通り、渡りをつけたのだ。そこから先は、我のことぞ。あれぐらい、何でもないだろうが。」
河は、下を向いた。
「確かに…僅かなものではありまするが。」
焔は、頷いた。
「それ見よ。持って参れ。」
河は、まだ何か言いたそうだったが、頷いた。そして、近くの男に頷き掛けると、その男は出て行った。
戸砂と角真は、何事だろうと戸惑った顔をしている。黙って立つ屋久に、焔は言った。
「約したこと、守ろうぞ。これで、主の宮の財政を立て直すが良い。だが、二度はないぞ?此度は特別よ。我は、ここのところ気分が良いのだ。何しろ毎日退屈であったのでな。」
財政?!
戸砂と角真がびっくりしているところへ、ぞろぞろと大きな厨子を気で持ち上げた鷲の侍従達が、その部屋へと入って来た。その数は、大したもので、戸砂が呆然としている。そうしている間に、その列は毛氈の上を扉の前までになって、やっと終わった。河が、進み出た。
「では、中のご確認を。」
屋久が、戸砂を見た。戸砂は、びくっと屋久を見た。我が?!
「主、確認せよ。」
戸砂は、言われて転がるように前へ出ると、焔に頭を下げた。
「我は屋久様の筆頭重臣、戸砂でございます。中身の確認をさせて頂きまする。」
焔は、黙って頷いた。すると、河が言った。
「我は、こちらの筆頭重臣でありまする。戸砂殿、ではこちらから順に。」
戸砂は、ためらいながらも頷くと、河について厨子を一つ一つ開いて中を確認した。まるで龍の宮から下賜されたもののように、それは大変に良い品質で、厨子一つだけでも、屋久の宮なら一年、充分にやっていけるだけあった。それが累々とあるのだ。最後の厨子まで来る頃には、戸砂は涙ぐんでいた。これで、春香様にもご心労をお掛けせずに済む…。
河は、そんな戸砂の様子に、同情するような顔で、ちらと屋久の方を伺ってこちらを見ていないのを確認してから、言った。
「分かり申すぞ、戸砂殿。我とて散財するような王に仕えておったなら、どれほどに困ったことか。だがしかし、これでしばらくは安泰。我が王も、落ち着くようにと屋久様に重々申すとおっしゃっておられる。これよりは、少しは屋久様の行状も良うなって来ると良いの。」
戸砂は、頷いて河を見た。
「妃の春香様が、それは倹約をなさって何とか回して来た宮でございました。ですが此度、どうにも立ち行かなくなって参って…龍の宮へ、支援をお願いするところまで来ておったのでございます。ですが、これで宮が一気に立ち直りまする。」
それを聞いた河は、ふーっと息をついた。
「そうか、妃か。」と、屋久と何やら話している焔の方をちらりと伺った。「妃を娶ってくださるだけマシであるぞ、戸砂殿。我が王は、全く何をなさっても面白くないとおっしゃって、女遊びは元より全くで妃のお一人も居られぬのだ。神世から離れておったから、どこへも支援などしておらぬのに、職人は多いしで蔵はいつでも溢れておるが、それでもお世継ぎのことを考えると我ら頭が痛いのだ。」
どこでも、所変われば悩みは尽きぬのか。
戸砂は思った。そして、微笑んで言った。
「これよりは、焔様にも神世へ出て来られ、広く神世の女を見られるのであるから。きっと、お気にいるかたも現れようほどに。これほどに恵まれた宮であるのだから。」
河は、息をついた。
「そうであれば良いがの。」
すると、焔の声が飛んだ。
「河?終わったか。何を無駄話をしておる。」
眉が寄っている。どうやら、話のうち幾らかは焔の耳に入ったようだ。河は、慌ててそちらを向き直った。
「は、王よ。これらは、どう致しましょうか。あちらへお持ちすることに?」
確かに、屋久のほか二人でこの数を運ぶのは、いくら気で持つとは言って多すぎた。焔は、側に控える弦を見た。
「そうよな…弦。数人見繕って運ばせよ。」
弦は、頭を下げた。
「は!」
屋久が、軽く頭を下げた。
「では、我はこれで、焔殿。此度のこと、感謝し申す。」
焔は、微笑した。
「その必要はない。これは、礼であるからの。こんなもので良ければ安いものよ。」
戸砂は、それを聞きながら思っていた。確かに、これだけの品質のものが蔵から溢れているのなら、これぐらい何でもないだろう。
河が、戸砂を見て微笑んだ。
「ではの、戸砂殿。近いのであるから、これからは何某か相談に乗って頂くやもしれぬ。」
戸砂は、頷いた。
「何なりと。あちらの世であるなら、我も見知っておることが多いので。」
屋久が、歩いて行く。
戸砂は、角真と共にそれを追って急いでそこを後にしたのだった。




