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『異世界に飛ばされた神だけど、誰も俺が神だと信じてくれない』  作者:
セリアの介入

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第95話 信徒たちの歓呼

 万年豊作教会の正面広場を、重々しい静寂が包み込んでいた。セリアはその場に立ち尽くしたまま、微動だにできなかった。豊かな胸元が未だに小さく上下している。これまで彼女が自らの思考システムに必死に溜め込み、抑圧し続けていた過労と困惑のデータが、ほんの数瞬前、ついに限界突破して大気へと放出されてしまったのだ。彼女はゆっくりと両目を閉じた。そして、再び瞼を持ち上げた瞬間、最高位行政官としての卓越した理性が、即座に猛烈な後悔のログを検出した。

「……私は」

 その唇から漏れ出たのは、先ほどまでの絶叫が嘘のように掠れた、か細い一言だった。

 神界管理行政区を率いる管理官たる者、どのような異常事態に直面しようとも、常に冷徹な平常心を稼働させていなければならない。それが職務の絶対的な規約だ。それなのに、感情のコントロールを完全に見失い、下界の無知な住民たちに向けて声を荒らげてしまうなど、あってはならない職務怠慢だ。どれほど不条理な不整合が起きようとも、怒声はデバッグの手段になり得ない。


「申し訳ありません」

 セリアは居住まいを正すと、広場を埋め尽くする信徒たちに向かって、丁寧に腰を折って一礼を捧げた。その謝罪に、方便の成分は1文字も含まれていなかった。自らの放った正論が認証されなかったからではない。この下界の不条理な環境を客観的に理解できず、ただ純粋な熱狂を稼働させているだけの作業員たちに対して、自らの個人的なフラストレーションを一方的に出力してしまったという、手続き上の不備に対する真摯な反省だった。


 空間は依然として静まり返ったままだった。リナは真新しい白の法衣の胸元に教典を抱きしめたまま、しばらくの間、深く頭を下げるセリアの姿をじっと見つめていた。

 そして――。リナもまた、手元の分厚い書籍を抱えたまま、同じように深く深く腰を折ったのだ。

「いいえ、セリア様。直ちに面を上げてください。謝罪を出力すべきなのは、完全にオレたちの側です」

 セリアはゆっくりと頭を上げ、琥珀色の瞳に不審のログを灯した。

「……へ?」

「オレたちはあまりにも、貴女様の処理能力に甘え、すべての過酷な管理タスクを一人で背負わせ続けてしまいました」

「違います」

 セリアは大慌てで首を横に振り、最大級の却下コマンドを入力した。

「その因果関係の解釈は根本的な部分でエラーを――」

「どうぞ、それ以上のご説明は無用に願います、セリア様」

 リナは聖母のような穏やかな微笑をその顔に浮かべ、深く頷き返した。

「オレたちの受信システムに、もはや1ビットの不整合も存在しませんから」

 セリアの胸の奥に、ほんの一縷の、藁にもすがるような希望の光が灯った。

「……理解、されたのですか?」

「はい」

 リナはどこまでも晴れ晴れとした声調で、完璧な神学の結論を出力した。

「セリア様は、あの気の遠くなるような永劫の時間の中……ただひたすらに、ボスのその至高の謙虚さを誰よりも近くで守り、支え続けてこられた。それこそが、何よりも確固たる原点なのだと」

 リナの隣に立つレオンも、深く感じ入ったように激しく首を縦に振った。

「オレの論理的な分析から見ても、ようやくすべてのパズルが噛み合ったぜ。なぜ、あのボスがどんな難題の前でもあれほど平然と冷徹な正論を出力し続けられるのか」

「……なぜ、ですか?」

「ベースとなる環境の裏側で、常に完璧な管理業務を執行し、ボスの背中を支え続けている唯一無二のパートナーが稼働していたからだ」

「まったくその通りだ!」

 村長であるモレンも、深い皺の刻まれた顔に感動の涙を浮かべて後に続いた。

「もしセリア様というハイエンドなリソースが傍らで機能していなければ……ボスといえど、オレたちのような未熟な作業員の不手際を仕分けする激務の過程で、とうの昔に過労状態を起こしていたに違いねえ」


 セリアは小さな口を半開きにしたまま、言葉のログを完全に失った。彼らは……またしても、100パーセント完璧に、仕様の異なるバグデータを全自動でジェネレートしてしまったのだ。しかし不条理なことに、今回の反論のログは、現地住民たちの歪んだ解釈システムを通過した瞬間、彼女に対する「畏怖と敬意のステータス」を天井知らずに跳ね上げる、最悪の燃料として処理されてしまった。


 群衆の中から、1人の浅黒く日焼けした老農夫が、ゆっくりと前へ進み出てきた。その両手は、数十年間にわたり下界の過酷な土壌を耕し続けてきた実績を物語るように、無骨で、酷く荒れて硬くなっていた。老農夫はセリアの目の前で足を止めると、これ以上ないほど敬虔な動作で、泥道に頭が届かんばかりに深く深く平伏した。

「……心からの感謝を、セリア司祭様」

 セリアはパチパチと瞬きを繰り返した。

「……なぜ、私に感謝を通達するのですか?」

「ボスを守り、今日まで傍らで支え続けてくださったからです。アルス様――いいえ、ボスがこの地へ降臨されてから、オレたちのひもじい生活インフラは劇的に立て直されました。もしセリア様という最高位の管理官がいてくださらなければ……オレたちは一生、ボスの大いなる御光に出会うことすらできなかった。これは村の全作業員を代表した、正当な実績への感謝データです」


 セリアは、泥まみれになって拝礼する老農夫の姿を、しばらくの間じっと見つめ続けた。その言葉の因果関係は――客観的に見て、何一つ間違っていなかった。なぜなら、あの大事故を引き起こし、最高責任者であるマコトを下界の時空へと消失させてしまった直接の原因を作ったのは、他でもない彼女自身だからだ。もし彼女が書類の仕分けを誤らなければ、ボスがこの辺境の村に降臨し、ジャガイモのインフラを最適化する職務に従事することなど、天地がひっくり返ってもあり得なかった。しかし――それこそが、彼女を何一晩も苛み続け、自責の念として脳内メモリーを磨耗させていた最大の「致命的なエラーログ」だったのだ。彼女にとってそれは、断じて他者から祝福され、感謝されるべき実績などではなかった。


「セリア司祭様」

 今度は、粗末な麻の服を着た若い母親が、まだ幼い娘の小さな手を引いて歩み寄ってきた。小さな少女は、ボスの漆黒の法衣を指して、その素朴な両手でセリアの細い指先をぎゅっと包み込んだ。

「ありがとう、司祭様」

 少女は満面の笑みを浮かべ、どこまでも無垢な音声データを出力した。

「ボスの隣に、ずっと一緒にいてくれて」

 セリアはその小さな顔を、言葉を失ったまま見つめ返した。網膜の解像度をどれほど上げても、子供の瞳の構成要素に、1ビットの虚飾や操作の計算など検出できなかった。そこにあるのは、純度100パーセントの純粋な「感謝」の数値だけ。マコトがこの地へ降臨して以降、日々の配給量や作物のクリティカルな生産量が劇的に向上し、生活環境が豊かになったという実績から逆算された、確固たる生命の喜びそのものだった。


 少女は晴れやかに破顔した。

「お父さんがね、『ボスがたった1人のリソースで下界へ降臨されたら、きっと寂しくて処理落ちしちゃう。だけど、お隣にこんなに綺麗な司祭様がいてくれるなら、仕様の整合性は完璧だね』って言ってたもん!」

「……あ、う……」

 セリアの喉の出力システムが一時的にフリーズし、合理的な反論のテキストが1文字も出てこなかった。

 気がつけば――周囲に密集していた村人たちが、1人、また1人と、波のように前へ歩み出てきていた。彼らは、神界の宗教セクターで要求されるような大仰な供物や捧げ物を携えているわけではなかった。自らの魂の救済を求める非生産的な請願を提示するわけでもなかった。彼らはただ、自らの生存を支えてくれる有能な最高位管理官に対して、寸分の狂いもない「実績への感謝データ」を出力したいだけなのだ。

「感謝いたします、セリア司祭様」

「ボスを今日まで守ってくれて、本当にありがとう!」

「40億年の長きにわたり、プロジェクトを共に執行してくださったことに、深く感謝を!」

「どうかこれからも、ボスの最適な運用を傍らで支えてやってください!」

 押し寄せる感謝の音声ログは、どれも極めて素朴で、過不足のない事実の羅列だった。しかし、その累積ボリュームは瞬く間に広場全体を満たし、耐え難いほどの質量となってセリアの脳内システムへと蓄積されていく。


 マコトは泥のついた枯れ枝を持ったまま、その熱狂的な仕様環境を、波一つ立たない瞳で淡々と観察していた。彼の論理回路を以てしても、なぜ一時的な逆上のアラートが、これほどまでに良好なコミュニティ活動へと全自動でクローズされたのか、そのバグの特定には至っていなかった。しかし――組織を構成する人間たちが、互いの実績に対して正当な評価を出力し合っているという状態は、労働環境の適正化という意味において、決して非推奨なものではない。

「セリア」

 マコトがいつもの抑揚のない声で、新しいコマンドを提示した。セリアが引きつった顔のまま、ゆっくりと首を巡らせる。

「住民たちの満足度パラメータは、極めて良好な数値を維持しています」

「……はい、ボス。おそらく……客観的には、そのように分析できるかと」

 マコトは満足そうに短く頷いた。

「良好な実績データですね」


 セリアの唇が、哀れなほどに乾いた、疲れ果てた苦笑を刻んだ。最高責任者はいつだって、最終的な実績のアウトプットしか見ていない。もし組織の構成員全員が、日々のタスクをクローズして満ち足りた幸福な表情で帰宅ルートにつくのなら――あの人の冷徹な不変のロジックにおいて、今日という1日は『完璧に良好な運用実績』としてシステムに記録されるのだ。


 まさに、その瞬間だった。

 群衆の最果ての列にいた1人の農夫が、興奮のあまり両手を限界まで天へと突き上げ、最大出力の発声を執行した。

「ボス、万歳――っ!!」

 その呼びかけに呼応するように、周囲の自警団員たちも一斉に、激しい熱狂のパラメータを爆発させた。

「至高の大農神、万歳!!」

「大農神の御国に、奇跡の豊作あれ――っ!!」

 わずか数秒の処理遅延すら挟むことなく――万年豊作教会の正面広場全体が、大地を揺るがすほどの爆発的な歓呼の轟音によって、文字通り完璧に震え上がったのだ。

「至高の大農神、万歳!!」

「セリア最高位司祭様、万歳――っ!!」

「ボスのバイタルが、永劫に不変であらんことを!!」

「セリア司祭様が、永遠にボスの右腕として君臨されんことを――っ!!」


 空を焦がさんばかりの、圧倒的な歓呼の嵐。子供たちは大興奮の面持ちで泥道の上をピョンピョンと跳ね回り、農夫たちは自らの使い古された鍬を高く高く掲げ、教典の編纂を担う書記チームにいたっては『本日、教団の歴史に最大級の公式アップデートが執行された!』と感激のあまり、涙を流して互いに抱き合い合っていた。


 セリアは、その完璧な調和の中心で、完全にすべての表情の構成パラメータを喪失したまま、幽霊のように立ち尽くしていた。ほんの数分前。彼女は管理者としての公式な反論コマンドを最大出力で入力し、この歪んだ狂信のインフラシステムを根本から粉砕しようと試みたはずだった。しかし――絶望的なシステム仕様の結果。彼女の放った100パーセントの実直なる拒絶そのものが、信徒たちの熱狂的な神学フィルターによって『崇高なる愛と過労の証明』へと全自動で強制アップデートされ、彼女のために拳を突き上げて歓呼する狂信者の人口パラメータが、劇的にスケールアップして竣工してしまったのだ。


 彼女は、ゆっくりと首を巡らせ、隣の最高責任者の横顔を、言葉を失った目で見つめ返した。

「……ボス」

「何ですか、セリア」

「……客観的な実績評価として報告します。私は……またしても、デバッグに致命的な失敗を犯してしまいました」

 マコトは、未だに自分たちの名を叫びながら熱狂的に鍬を掲げ続けている群衆の仕様を淡々と見つめ、感情の起伏を一切排したトーンのまま、静かに首を縦に振った。

「ええ、その通りです。彼らの受信システムは、未だに私たちのテキストデータを正確に処理していません」


 そのアンサーは、あまりにも平坦で、どこまでも落ち着いた。それはまるで、これほど世界そのものを根底から強制書き換えしてしまうような超巨大な大火災が目の前で竣工しているというのに、それを『まあ、数数値の不整合が出ているだけだから、いつか定例の進捗報告の場で仕様通りに説明すればロールバックできるだろう』と、完璧に平然とした日常タスクの1つとして容認してしまっているかのような、絶対神の不変のロジックそのものだった。


 セリアは、夕闇の完全に没した、深い紫色の下界の空を、虚ろな目で見つめ返した。どうしたことだろう。数千年の長きにわたる過酷な管理統制のキャリアの中で、どれほど難解な時空のエラーに直面しようとも、自らが保有する「論理と規約の正しさ」に対して、1ビットの猜疑心すら抱いたことなど一度もなかった。

 しかし――このあまりにも実直で、あまりにも噛み合わない絶対神の隣で、ただただ爆発的な歓呼の嵐を全身に浴びながら。彼女は、その生涯において初めて、自らが数億年間盲信し、守り続けてきた『論理という名の聖なる仕様書』そのものが、この圧倒的な不条理の世界の前では、何の意味も持たないただの脆弱な記号に過ぎないのではないかという、底の知れないシステムバグの深淵に、声もなく震え始めるのだった。


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2026/09/09 公開予定

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