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『異世界に飛ばされた神だけど、誰も俺が神だと信じてくれない』  作者:
セリアの介入

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第91話 反論

 万年豊作教会の正面広場に、再び重苦しい静寂が訪れた。

 数瞬の間、そこに集まった何十人もの村人たちの誰一人として、指先一つ動かそうとはしなかった。ただ無数の、純粋で狂信的な眼差しのベクトルだけが、広場の中央で立ち尽くしている漆黒の法衣の女性――セリアへと、一心のままに照射されていた。その視線の中に、1ビットの猜疑心も存在しない。そしてまさにそれこそが、セリアの脳内システムを最大級のパニックへと突き落とす最大の要因だった。

 彼女はこの下界へ、行方不明の最高責任者を神界へと連れ戻すという初期の職務仕様書に基づいて降臨したのだ。新興の集落教団における最高位の「司祭」へと強制アップデートされるためでは、断じてない。


「……司祭様」

 群衆の最前線から、1人の腰の曲がった老婦人が、震える足取りで一歩前に踏み出してきた。年齢は客観的に見て70歳を超えているだろうか。老婦人は、下界の住民としてはこれ以上ないほど敬虔な動作で、深く深く腰を折って最敬礼を捧げた。

「どうか、オレの幼い孫の実務をご指導ください、司祭様……」

 セリアは咄嗟に「違う」と声を大にして言い放ち、激しく首を横に振った。

「いいえ! 私は司祭ではありません!」

 老婦人は、大いなる慈悲の神託を授かったかのように、皺くちゃの顔に穏やかな笑みを浮かべた。

「ええ、ええ。真に偉大なお方ほど、いつもそのようにおっしゃるものです」

「……違います! そういうレトリックではなく、私は純然たる事実として、ただの一般職員なのです!」

「何も問題はございません。オレたちには、ちゃんと分かっておりますから」


 セリアは、両手をだだりと下げたまま完全に硬直した。一体、彼らは何を「仕様通り」に処理したというのだろうか。当の本人である彼女自身が、彼らの受信システムを1ミリも理解できていないというのに。

 彼女が次の反論ログを出力するよりも早く、今度は書記チームの若い男が、興奮を抑えきれない面持ちで前に出てきた。

「セリア司祭様!」

「ですから、私は――」

「もし、ボスが日々の帳簿管理や農地のインフラ最適化の職務で多忙を極めておられます際……オレたちが教典の記述内容についてバグを見つけた場合、セリア様に直接決裁を仰いでもよろしいでしょうか!」

「却下です!」

 セリアはそんな要求を正面から突っぱねるように、反射的に即答した。

「なぜですか、司祭様?」

「なぜなら、私はあなたたちが家宝のように扱っているあの『ジャガイモの書』のテキストデータを、1文字も閲覧していないからです!」


 若い書記は、まるで未踏の最高位ログを発見したかのように、驚愕のあまりその場に息を呑んだ。

「……素晴らしい。なんという深遠な管理哲学だ……!」

「え……?」

「あえて既存の教典マニュアルを物理的な拠り所としない!『オレはそんな二次データではなく、ボス本人から40億年かけて直接メインサーバーの教えをシステムに刻み込んできたんだ』という、圧倒的な実績の証明だ……!」

「その通りだ! 次元が違いすぎる!」

「格が違うぜ、さすがはボスの第一アシスタント様だ!」


 セリアはゆっくりと顔を上げ、黄金色から深い紫色へと移り変わる下界の夕空を、虚ろな目で見つめた。なぜだ。自分が一体どのように相手の言葉を遮り、論理的に突っ込みを出力しても、彼らの脳内システムを通過した瞬間、なぜすべてが完璧な『狂信のアップデート』というアウトプットへと全自動で書き換えられてしまうのか。

 マコトは泥のついた枯れ枝をのんびりと持ったまま、隣で硬直している部下のバイタルを客観的に精査していた。

「セリア」

「……はい、ボス。何でしょうか」

「あなたの報告通り、あなたは未だあのマニュアルを閲覧していませんね」

「はい、そうです」

「ならば――後ほど実務担当者から予備のテキストの在庫を公式に借用し、一読しておきなさい。仕様の不整合を防ぐためです」

「ボス、問題のボトルネックはそこではありません!」

 セリアは、もはや涙目になりながら叫んだ。マコトは不思議そうに、ほんの少しだけ首を傾げた。

「違いますか?」

「違います! 私は、あの施設の司祭職への就任要請を、公式に却下しているのです!」

「ああ、なるほど」

 マコトは満足そうに短く頷くと、おもむろに首を巡らせ、広場を埋め尽くす住民たちの頂点に立つリナへと視線を向けた。

「彼女はそのタスクへの従事を希望していません」


 セリアの胸に、ようやく一縷の救いの光が灯った。さすがはボスだ。彼が公式に「ダメだ」と言い渡した以上、これ以上の不条理な仕様変更は容認されないはずだ。

 ――しかし、リナはどこまでも穏やかな、崇高な微笑をその顔に浮かべて深く深く頷き返した。

「ええ、もちろん分かっております、ボス」

「……へ?」

「ボスご自身が、これほどまでの偉業を成し遂げながら、幾度となく『私はただのしがない平民の会計士です』と公式に拒絶されるのですから……その全幅の信頼を寄せる一番弟子が、安易にその権威を受諾するはずがありません。それこそが、正当なる継承者の証拠です」

「いや、それは合理的な行動則ではないわ!」

 周囲の村人たちも、リナのその完璧な神学解釈に深く感じ入ったように、一斉に激しく首を縦に振った。

「まったくその通りだ!」

「能力のパラメータが上限を突破している存在ほど、自らのステータスを極限まで低く見積もる。これぞ真の『ボスの教え』の真髄だ!」

「セリア司祭様、なんと謙虚であられるお姿か……!」


 セリアは自らの両手で額を強く押さえた。違う。断じて違う。それはボスの教えなどではない。あの人はただ、自らが『ただの事務員である』という客観的な実績データに基いて、寸分の狂いもない正論を出力しているだけなのだ。そして自分も、その規約に従って住民たちの盲信にこうして異議を唱えているだけだというのに。


「――全員、私の言葉のデータを正確に受信しなさい」

 セリアの声調は、今までにない冷徹な、最高位管理官としての厳格な張りを帯びていた。その声音の威圧感に圧倒されたのか、広場を満たしていた熱狂的な喧騒が、またたく間に水を打ったような静寂へと移行していく。すべての住民たちが、彼女の口から紡がれる「次の神託」を、1文字の聞き漏らしも許側ぬタスクとして注視した。

 セリアは深く、長い息を吸い込み、相手の前提を根底から突き崩すために、言葉を極限まで厳密に仕分けして出力した。

「私は、あなたたちの言う『司祭』ではありません。環境上の役割が根本的に違います。そして、あなたたちが自ら生成して運用しているあの『大いなる教え』という名の不整合なシステムを、私は1ビットも理解していませんし、肯定もしていません。私はただ、ボスの日常職務を実務的にサポートするためだけに稼働している一般職員です。それ以上でも、それ以下でもありません」


 付け加えた方便は1文字もない。合理的な補足説明もすべて排除した。そのテキストデータは、彼女が提示できる、純度100パーセントの客観的事実だった。

 マコトは隣で、書類の最終チェックを行うように満足そうに小さく頷いた。

「はい。規約通りの正確な業務報告です」

 セリアはボスを振り返った。少なくとも――最高責任者だけは、自分の出力した反論と実績データを正当に認証してくれた。

しかし――。

 下界の住民たちの処理プロセスは、彼女の予測仕様を宇宙の彼方まで置き去りにして、全く別のベクトルへと暴流していった。


 リナは、もはや言葉を失った深い感動の涙をその瞳に浮かべ、ゆっくりと、極めて敬虔にその頭を深く垂れ下げた。

「セリア様……ありがとうございます。オレたち愚かな作業員に、これほどまでに崇高な『原点』をリマインドしてくださるなんて……」

「……リマインド? 一体、何をデータ更新したというのですか?」

「『ただボスの傍らに立ち、その職務を誠実に支えること。それこそが、この世界において最も尊く、最も無上の栄誉である』という、教団の根源的な行動則です!」

 セリアは、その場で全身の全機能がメルトダウンした。

「……は?」

「セリア様は、自らの累積稼働や最高位の権威などという表面的なステータスには一切言及せず、ただ『私はボスの作業員である』という一点のみを誇りとして掲げられた。そのお姿こそが、オレたちの生涯を捧げて崇めるべき、最高の司祭としての仕様そのものです!」


 これまで机の陰で黙々と写本を続けていたレオンが、羽ペンを置き、深く感じ入ったように口を開いた。

「オレの論理的な分析から見ても……セリア様こそが、この教団の最高指導者にふさわしいお方だと思いますよ」

「なぜ……なぜそのような不整合なエラーが導き出されるのですか、レオン!」

 セリアは、弱々しくなった声で問い詰めた。レオンは、その無精髭の生えた顔に小さな、しかし確信に満ちた笑みを浮かべた。

「だって、この村の中で唯一、あのボスに対して真っ向から仕様の差し戻しを入力できるのは、セリア様だけじゃないですか」

「な、に……?」

「オレたちの拙い知識じゃ、ボスの提示する正論に100パーセント従うことしかできない。だけど、もしオレたちが実務の過程で致命的なバグを犯してしまったとき……ボスを恐れず、ボスの隣でオレたちのために公式な警告を下して守ってくれるのは、ボスと対等に言葉を交わせるセリア様しかいないんだ。それこそが、オレたちが最も必要としていた、先導者としての真のゾーニングですよ」


 セリアは、マコトを見つめ、それから広場に平伏している住民たちを見つめ、再びマコトの波一つ立たない瞳を見つめ返した。

 そして――彼女は、ようやく理解したのだ。自らが犯してしまった、致命的なデッドロックの存在を。

 彼女は最初から、住民たちの暴走を止めるために「反論コマンド」を入力し続けていた。相手の主張に真っ向から突っ込みを入れ、事実に即して正そうとしたのだ。

 しかし――この狂信的な住民たちのシステムにおいて、あの絶対神に対して不整合を恐れずに真っ向から異議を唱え、なおかつ一度もデリートされることなく平然と隣に立ち続けているその事実そのものが、『ボスから最大級のアプルーバルを授かっている、唯一無二の最高位聖職者』であるという、議論の余地のない絶対的なバグの証拠として処理されてしまっていたのだ。そして、ボスの信頼を最も多く保有している存在こそが、この教団員たちを正しい実務へと先導するのに、最もふさわしい最高位司祭であるという、完璧にバグった調和。


 セリアは、ゆっくりと両目を閉じた。彼女が出力した、たった一つの実直なる「異議」。それが、降ろされてわずか数秒足らずの間に、彼女を教団の最高指導者へと強制アップデートするための、最も完璧な大義名分へと全自動で変換されてしまった。

 隣では、マコトが泥のついた枯れ枝を持ったまま、住民たちの熱狂データを不審そうに眺め、ぽつりと冷徹な事務報告を漏らしていた。

「セリア。どうやら……彼らの受信システムは、未だに私たちのテキストデータを正確に処理していないようですね」

 セリアは、クスクスと小さく笑い声を漏らした。それは、広場の喧騒に混じって響く、楽しげな笑いなどでは断じてなく、もはや手持ちのリソースではデバッグ不能となったシステムエラーの果てに漏れ出た、哀れなほどに乾いた、疲れ果てた失笑だった。

「……ええ、本当に。ボス……彼らは、最初から私たちの言葉なんて、1ビットも理解していませんし、聞く気すらありませんもの……」


 神の無自覚な正論と、人間の実直すぎる狂信、物理的な事実に即した完璧な反論が調和した瞬間――下界へ救出に赴いたはずの最高位管理官が、自身の放った真っ当な突っ込みそのものを燃料にして、教団の最高位司祭へと完全に強制アップデートさせられてしまうという、不条理の嵐。セリアは迫り来る世界の理そのものの強制書き換えへの果てしない大いなる困惑に、ただただ声もなく、夕暮れの広場で立ち尽くすことしかできなかった。


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2026/09/09 公開予定

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