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『異世界に飛ばされた神だけど、誰も俺が神だと信じてくれない』  作者:
セリアの介入

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第85話 大いなる混乱

 セリアは、子供たちが今しがた走り去っていった泥道を、しばらくの間ただ呆然と見つめ続けることしかできなかった。子供たちは黄金のジャガイモを宝物のように抱きしめ、限界まで興奮した面持ちで、あの『万年豊作教会』へと向かってまっすぐにひた走っていった。その小さな口からは、マコトが口にした実務的なアドバイスが、まるで神聖な御言葉のように幾度も反復されている。

「……ボスは植えろって言ったぞ」

「植えればもっと増えるんだって!」

「早くリナ司祭様に報告しなきゃ!」

 少年たちの歓声は、夕闇に包まれつつある集落の喧騒の彼方へと、完全に溶けて消えていった。


 セリアは細い指先で自らの額を強く押さえた。先ほどまでは単なる嫌な予感に過ぎなかったものが、今や、住民たちのあまりの斜め上の解釈によって、脳内が真っ白になるほどの「大いなる困惑」となって彼女を襲い始めていた。

 彼女は、ボスの思考を誰よりも深く理解している。あの人は決して、新たな教義や神託を子供たちに授けたわけではない。ただの一般的な農業の基礎知識――「最も品質の高い個体を種芋として次に残す」という、品種改良の合理的なプロセスを説明しただけに過ぎない。もしある個体が他の個体よりも優秀なら、それを今すぐ食べずに次回の栽培へと回すのが、農業において最も正しい最適解だ。それだけだ。ただそれだけの、当たり前の事実だ。


 しかし――あの子供たちの耳が受信したのは、そのような乾燥した農業理論ではなかった。彼らの脳内が処理したのは、至高の『ボス』から下された、文字通りの『新たなる神託』だったのだ。そして、セリアの卓越したリスク管理能力は、その「神託」を受け取った住民たちが、今日の太陽が完全に沈むよりも前に、この村の狂信システムをさらに取り返しのつかない規模へと肥大化させるであろうことを、頭の痛い混迷として予測していた。


「……ボス」

「何ですか、セリア。著しく顔色が悪いですよ」

「客観的な事実確認としてお尋ねしますが……」

 セリアは、脳内をズキズキと駆け巡る混乱を堪えながら、慎重に言葉を選んで問いかけた。

「……このような、住民たちの突飛な解釈による暴走は、この集落において、日常的な頻度で発生しているのですか?」

 マコトは泥のついた枯れ枝を持ったまま、不思議そうにほんの少しだけ首を傾げた。

「どのプロセスのことを指しているのですか?」

「現地住民が、ボスに対して何らかの質問を行い、それに対してボスが回答を返す、という一連の流れのことです」

「はい。彼らは非常に勤勉な気質を持っていますから、実務における疑問点を頻繁に私へと提示してきます」

「そうではありません」

 セリアは頭を小さく振った。

「私が尋ねているのは……彼らがボスの回答を聞いた後、その言葉を勝手に神格化して、明らかに過剰な行動を起こしているという点についてです」

 マコトはほんの数秒だけ視線を落とし、過去の記憶を精査するように思考を巡らせた。

「確率としては、それなりに高い頻度で発生していると思います」

「ボスは、その状況に対して不自然さを抱かれないのですか?」

「不自然、ですか?」

「はい。彼らはあまりにも盲目的に、ボスのすべての発言に耳を傾けています」

 マコトは、黄金色の夕暮れの中で、未だに野良仕事に精を出している遠くの農夫たちの姿を、ただ淡々と見つめた。

「それはおそらく……彼ら自身が、私に対して質問を行ったからではないでしょうか」

「……え?」

「質問を行うということは、通常、その疑問を解決するための回答を求めているという状態を指します。ならば、提示された回答に従って実務を執行するのは、作業員として極めて合理的かつ当然の行動則です」


 セリアは、その完璧すぎる正論を前に、次の反論を口にする気力すら失いかけていた。なぜなら、彼の言うことは100パーセント正しいからだ。もし誰かが質問をしたならば、返ってきた回答に従って次の作業を処理する。それ組織を構成する人間として、あまりにも当たり前の常識だ。

 問題は――この村の住民たちは、単にマコトの回答を「実務のアドバイス」として受信しているのではない、という事実だ。彼らはそれを、自らの魂の戒律として完全に盲信している。そして、単に信じているだけではない。彼らはそれを、世代を越えて遵守すべき絶対的な規約として全自動で運用してしまっているのだ。住民たちのこのあまりに純粋で歪んだ熱狂のシステムが、セリアを激しい迷走へと突き落としていた。


 2人は再び、マイペースに泥道を進み始めた。

 セリアは、限界を迎えつつある脳を稼働させ、周囲の風景を見渡した。見れば見るほど、精査すればするほど、住民たちがボスの言葉を家訓や戒律へと変造してしまった不穏な証拠が、次から次へと検出されていく。ある素朴な平屋の門柱には、下界の拙い文字でありながら、異様な熱意を込めてこう彫刻された小さな木製プレートが掲げられていた。


『汝の基盤たる土壌を、誠実に管理せよ。』


 セリアがその文字を確認してわずか数歩後、また別の民家の玄関先に、同様のプレートが出現した。


『水流の過剰は、運用の浪費なり。足るを知り、最適な配分を心がけよ。』


 セリアの官給靴が、完全に地面に凍りついた。その文字列――彼女は、ほんの15分前、あの芋畑の給水路の脇で、マコトがハンスという農夫に対して放った冷徹な事務報告の音声を、寸分の狂いもなく記憶していた。あの人がただのインフラ最適化のつもりで口にしたロジックが、降ろされてわずか15分足らずの間に、文字通りの『聖なる戒律』として住民にサンプリングされ、家の門に堂々と掲げられてしまっているのだ。


「……ボス」

「何ですか、セリア。著しく移動速度が低下していますよ」

「客観的な事実の照合としてお尋ねしますが……」

 セリアは指先で、その木製プレートを指し示した。

「……あれは、先ほどボスが口にされた業務報告の文言そのものではないですか?」

 マコトはそのプレートをチラリと一瞥し、感情の起伏を取り払った声で言った。

「ええ。確かに私が先ほど出力したアドバイスのテキストと、完全に一致しています」

「なぜ、あれがこのような家訓のプレートに変換されているのですか?」

 マコトは静かに首を横に振った。

「私には理解しかねます。私がこのルートを通過した時には、すでにあの仕様で設置されていました」


 また、その回答だ。「私には分からない」。そしてセリアは、100パーセントの確信を以て理解していた。この人は、本当に、純然たる無自覚のまま、ただ正論を口にしているだけなのだ、と。


 2人が再び歩みを進めると、大きな収穫物保管倉庫の前で、数人の農夫たちが木造屋根の修復作業を行っていた。その中の1人が、マコトの漆黒の法衣を視界に捉えた瞬間、パッと顔を輝かせて梯子から飛び降りてきた。

「あ、ボス!」

「何ですか。修復業務の進捗は良好ですか」

「はい! 昨日、ボスに教えてもらった通りの手順で梁を補強してみたら、強度のデータが完璧に安定しました! 大成功です!」

「よかったです。それは私の功績ではありません」

 農夫は、不思議そうに首を傾げた。

「え? ボスの功績じゃないって……どういうことですかい?」

「実際にその高所作業に肉体を投入し、タスクを完了させたのはあなたたち自身です。私は単に、力学の基本原則を説明しただけに過ぎません。評価されるべきは、あなたたちの労働です」

 マコトがいつもの抑揚のない声で、完璧な正論を告げると、その農夫は感激のあまりその場に震え上がり、涙を浮かべて満面の笑みを浮かべた。

「さすがはボスだ……。これだけの奇跡を授けておきながら、すべての栄誉をオレたちのような底辺の作業員に譲ってくださるなんて……。これぞ真の『ボスの教え』だ!」

「ええ、その通りだ!」

 隣で木材を運んでいた別の農夫も、深く感じ入ったように激しく首を縦に振った。

「ボスがオレたちを先導してくださらなきゃ、オレたちは一生、梁の不備にすら気づけなかったんだ。ボスの偉大なる御言葉があってこその、オレたちの命です!」

 マコトはほんの数秒だけ視センスを落とし、彼らの熱狂を不審そうに分析したが、やがて無駄な議論を終了させるように、小さく頷いた。

「……ならば、良好です。引き続き安全第一で業務に励んでください」

「はいっ、ボス――っ!」


 セリアは、自分の顔を両手で完全に覆い隠した。

 本当に、深い思考の乱れが、彼女の脳を容赦なく締め付けていた。

 ボスは完璧に、誠実に「自分の手柄ではない」と否定したのだ。嘘偽りなく、100パーセントの事実を以て拒絶した。

 しかし――この下界の狂信者たちは、そのボスの「実直な拒絶」という態度そのものを『崇高なる慈悲』『聖なる無欲』として全自動で脳内変換し、より一層その狂信を爆発させてしまったのだ。

 あの巨大な純白の石像も。あの異様な活気を孕んだ万年豊作教会も。そして、あの不吉な『ジャガイモの書』も。すべては、この住民たちの手に負えない暴走と、不条理極まりない誤解の無限ループによって生成された怪物の結晶なのだ。あの人が「違う」と言えば言うほど、住民たちは「それこそが真実」だと、より一層深く、骨の髄まで狂信を刻み込んでいく。


 セリアはゆっくりと両手を下ろし、重い溜息を吐き出しながら、あまりの噛み合わなさに立ち尽くしていた。彼女は、この救出ミッションにおいて、最大級の壁にぶつかっていることを完全に理解していた。

 今、自らの目の前で発生している事態は、単なる「一次的な誤解」などという生易しいレベルのものではなかった。もしこれが単なる誤解であるならば、正しい説明を提示し、一度だけアナウンスすれば、システムは正常に戻るはずだ。

 しかし、このルナの村で起きている事象は、すでにその次元を完全に逸脱していた。信仰、風習、歴史。それらの精神インフラが、完全に土着の伝統として立ち上がり、マコトという本人の意図とは無関係に、全自動で独立稼働してしまっているのだ。

 住民たちのこの果てしない暴走のせいで、セリアの頭の混乱はもはや無視できないレベルにまで上昇していた。そして何より、最も致命的なのは――当の『神』本人が、未だに自らを『ただの一般的な農業の知識を少しだけ多く保有している、しがない平民の会計士』として客観的に誤認し続けているという、不条理な現実そのものだった。


 セリアは再び、自らの思考の限界を告げる額の熱を感じていた。

「……ボス」

「何ですか、セリア。顔色が一段と青白いですよ」

「あ、あの……私の頭が、この村の住民たちの暴走と不条理さを処理しきれず、激しい混濁でどうにかなりそうです」

 マコトは歩調を止め、セリアの方へと向き直った。彼は、まるで不調を起こした精密機械の状態を観察するように、彼女の青白い顔をしばらくの間、無言で見つめた。

「肉体的な飢餓ですか?」

「……いいえ、違います」

「睡眠時間の不足ですか?」

 セリアは、その質問に対して一時的に言葉のログを失った。確かに、睡眠は不足していた。あの大事故の発生以来、彼女は神界管理行政区の執務室で、何一晩も一睡もすることなく、ただ一つの目的のためだけに極限まで張り詰め続けていたからだ。

 マコトは彼女の沈黙を肯定と受け止め、満足そうに小さく頷いた。

「ならば――直ちに現時刻を以てすべての職務を一時中断し、最低8時間の適切な睡眠を確保しなさい。話はそれからです」


 セリアは、ただ礼儀正しく苦笑を浮かべることしかできなかった。

(……ああ、ボス。もし、私のこの困惑の原因が、住民たちの恐るべき暴走のせいではなく、そんな単純な寝不足によるものだけであったなら、一体どれほど楽だったことかしら……)

 彼女は、自らの脳内で最大級のアラートを鳴り響かせ続ける『万年豊作教会』の影を見上げながら、あまりにも実直で、あまりにも噛み合わない絶対神の隣で、ただただ深く、深い溜息を吐き出すのだった。


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