第84話 黄金のジャガイモ
セリアは、未だにその巨像から視線を引き剥がすことができずにいた。
その物理的な質量もさることながら、彼女の理性を最も激しく磨耗させていたのは、彫刻職人の異常なまでの職人魂だった。その石像のモデリングは、単にボスの容姿に似せているというレベルを遥かに超越していた。
骨格のライン。
鍬を握る独特の指の角度。
外見の微小なディテール。
そして、実務に没頭しているときの、あの波一つ立たない冷徹な目元。
下界の彫刻家が、毎日マコトの隣に張り付いてその生データを観察し続けない限り、不可能な領域の再現度だった。もしこの巨像が神界管理行政区の公文書館の前に配置されているのであれば、セリアも何ら違和感を覚えなかっただろう。神界には、功績を残した最高管理職の石像を建立するシステムが元から存在するからだ。
しかし――ここは下界だ。
文明の遅れた辺境の、ただの小さな農村の広場なのだ。そこに、彼らの最高責任者が、あたかもこの世界の全権を掌握する至高の絶対神のような威容で君臨してしまっている。
「……ボス」
「何ですか、セリア。バイタルの乱れが長期化していますよ」
「客観的な事実確認としてお尋ねしますが……あのオブジェクトを実際に設計・施工した開発担当者は誰なのですか?」
マコトは泥のついた枯れ枝を持ったまま、静かに首を振った。
「私には分かりません。住民たちが自主的に人員を集め、突如として建造を開始したプロジェクトですから」
「ボスは、建造中に一度も仕様の差し戻しを行わなかったのですか?」
「行いました。私は『公共スペースの私物化および非生産的な資材の浪費は、村の財政監査において致命的なエラーの対象になります。直ちに解体しなさい』と公式に通達しました」
「それで、彼らはどのようなアンサーを?」
「『もう基礎工事を完了してしまい、材料費の決済もクローズしているので、今さら計画の変更は不可能です』という回答でした。すでに投資されたリソースの埋没費用を考慮すると、これ以上の議論は非効率的であると判断し、私はそれ以上の追求を終了しました」
セリアは、夕闇の空を見上げながら、激しい目眩を堪えていた。
彼女は、行政官としての冷徹な演算の果てに、1つの残酷なシステムロジックを完全に理解し始めていた。
ボスは、決してサボっていたわけではない。職務怠慢を起こしてこの事態を容認していたわけでもない。彼は常に誠実に、100パーセントの正論で却下のコマンドを入力し続けていたのだ。
しかし――この下界の狂信者たちは、そのボスの「実直な却下」という態度そのものを、独自の歪んだ神学解釈によって『至高の謙虚さ』『神聖なる無欲』として全自動で脳内アップデートし、より一層その信仰のシステムを強化させてしまったのだ。
あの人は、試みる前に諦めて負けたのではない。
彼がどれほど誠実であればあるほど、その実直な拒絶のすべてが、狂信の燃料として100パーセントの効率で変換されてしまうという、不条理極まりないバグの仕組みが、最初からこの村のOSに組み込まれていたのだ。
「ボス――っ!」
その時、静まり返った広場に、1人の子供の無邪気な大声が響き渡った。
年齢は8歳前後といったところか。粗末な麻の服を着た少年が、数人の仲間を後ろに従え、小さな編み籠を両手で抱えて全力でこちらへと走ってくる。
彼らはマコトの目の前まで到達すると、まるできちんと訓練された部下のように、ほぼ同時にピタリと足を止めて直立不動になった。
「ボス、こんにちは!」
「こんにちは。業務の進捗は良好ですか」
マコトが短く応じると、先頭の少年が、まるで極上の成果物を提出するかのような誇らしげな表情で、抱えていた編み籠の蓋を開いた。
「ボス、これを見てくれ!」
籠の内部には、数玉のジャガイモが収められていた。
しかし――その中央に鎮座する1玉のジャガイモを視界に捉えた瞬間、セリアの琥珀色の瞳が大きく見開かれた。
それは、異常だった。
単に皮の黄色みが強いというレベルではない。それは、夏の夕暮れの黄金色の陽光を鏡のように反射し、まるで本物の純金のようにギラギラと怪しい輝きを放っている、物理的な不条理の結晶だった。
セリアは無意識のうちにその籠へと一歩歩み寄った。
「……何、これ。地質の変異種かしら?」
少年は、神の使者に質問されたと思ったのか、胸を張って満面の笑みを浮かべた。
「『黄金のジャガイモ』さ!」
「黄金の、ジャガイモ?」
「うん! リナ司祭様が言ってたんだ!『最初の収穫プロセスで、もし奇跡の成果物がポップしたら、それはすべてボスの偉大なる功績の証。最高の品質のものは、真っ先にボスの元へ奉納しなければならない』って!」
セリアは完全に身体を凍りつかせ、ゆっくりとマコトの方へと首を巡らせた。
マコトは、その黄金に輝く不条理の物体を見つめながら、珍しくその眉根を不審そうにひそめていた。
「……これを、私に提出してどうするつもりですか」
マコトが尋ねると、子供たちは互いに顔を見合わせ、不思議そうに首を傾げた。
「どうするって……ボスに喜んでもらうためだよ?」
マコトは感情の起伏を取り払った声で、静かに首を振った。
「そのジャガイモは、あなたたちが労働を投入して得た、正当な成果物です」
「うん」
「ならば、その所有権および消費権はあなたたちに帰属します。直ちに自分たちの手で調理し、栄養補給に回しなさい」
「ええっ!? でも……リナ司祭様が……」
「最高の成果物は、奉納しなければならないって……」
子供たちが困惑するのを見て、マコトは静かに膝を折り、彼らと目線の高さを均一に合わせた。朝の朝礼で規約を説明するかのように、極めて理路整然と語りかけた。
「あなたたちがそれを私に譲渡してしまえば、あなたたちの取り分がその分だけマイナスになります。収穫物の本来の目的は、現地の労働者の生存維持のはずです。その原則を歪めることは、管理職として容認できません」
子供たちは一斉に沈黙した。
「衣服や住居と同じです。成果物は消費されて初めて価値を持ちます。過不足なく、必要な人間が、必要な量を消費しなさい」
彼らは再び互いに顔を見合わせた。
目の前にいるボスの言っているロジックは、信じられないほど合理的で、完璧に正しいように聞こえる。しかし――教会のリナ司祭が毎日説いている、崇高な教義のシステムとも、どこか噛み合わない不整合を起こしているように思えた。
マコトは籠の中から、その物理法則を無視して輝く黄金のジャガイモを、事務的に指先でつまみ上げた。それを数秒間、品質検査を行うように精査する。
「形状の規格、および栄養価のパラメータは極めて良好です」
褒められたと思った子供たちの顔に、パッと笑みが戻る。
「だろ!?」
「はい。通常の個体とは明らかに遺伝子構造が異なります」
「うん!」
マコトは小さく頷き、コト、とその黄金の物体を子供の籠へと差し戻した。
「ならば――これを次の栽培サイクルにおける『最上位の種芋』として登録しなさい」
「……たねいも?」
「はい。これが現時点で最も優秀なクオリティを持つ成果物であるならば、それを消費して終了させるのは長期的なロジスティクスにおいて非合理的です。これを再び土壌へと投入し、次世代の増殖プロセスに用いる。そうすれば、理論上、次回の収穫期にはこれと同等の品質を持つ個体の出現確率が劇的に向上します」
子供たちは、パチパチと瞬きを繰り返した。
彼らの拙い脳内システムには、そのような「品種改良による農業の拡大投資」という概念は、1ビットも存在していなかったのだ。
マコトは子供の籠の蓋を、パタンと事務的に閉じた。
「今日それを食べてしまえば、その価値は1で終了します。しかし、それを土壌というサーバーへ再投資すれば、次回の収穫期には10にも100にも増殖する。どちらが合理的か、計算するまでもありませんね」
子供たちは、信じられないほどの驚愕と、未来への爆発的な希望の輝きをその瞳に宿し、激しく首を縦に振った。
「なるほど……!」
「食っちまうより、植えた方がもっと増えるんだ!」
「よし、アタシ、これ絶対に畑に植える!」
彼らは大興奮のまま、黄金のジャガイモが収められた籠を宝物のようにもう一度強く抱きしめると、一斉に向きを変えて駆け出し始めた。
「リナ司祭様に報告しなきゃ!」
「うん!『ボスから新しい啓示を授かった』って!」
「奉納するな、投資しろって言われたぞ――っ!」
少年たちの歓声のログは、夕闇の街道の彼方へと、爆発的な勢いで拡散していった。
セリアは、その子供たちの小さな後ろ姿を、ただただ言葉を失ったまま見送った。
彼女の胸の奥で、未だかつてない規模の致命的な偏頭痛が、今度こそ完全にシステムフリーズを起こし始めていた。
彼女は、ボスの本意を100パーセント理解していた。あの人は、ただの一般的な農業の基礎知識――「最も優秀な個体を種芋として残す」という、品種改良のロジックを説明しただけに過ぎない。そこには1ミリの宗教的意図も、誘導の計算も存在しなかった。
しかし――あの子供たちが全力で向かっている先は、どこか。
『万年豊作教会』。あの狂信のインフラそのものだ。
彼らは間違いなく、あの聖域で司祭や大人たちに向かって、大興奮でこう報告するだろう。
『ボスから、さらに高位の神託を授かった。黄金の成果物を奉納する甘えを捨て、それを聖なる大地へと再投資させ、大農神の御国をさらなるスケールへと拡大せよとの御言葉だ!』――と。
セリアはそっと、その痛む両目を閉じた。
これからあの施設の内部で、どのような「新たな教義」が全自動で生成され、定着していくか。それを予測するために、神界の最高性能演算器を稼働させる必要など、どこにも存在しなかった。
神託の追加。
教義の進化。
底知れない神格化。
当の本人は、泥のついた枯れ枝をのんびりと眺めながら、未だに自らが引き起こした新興宗教のアップデートの事実に、1ビットのバグも気づいていない。
セリアは、手に持った事務杖をミシミシと音を立てるほど強く握り締め、ただただ夕暮れの広場で立ち尽くすことしかできなかった。彼女の下界救出ミッションの仕様書は、今や完全に、不条理の嵐によってバラバラに引き裂かれようとしていた。




