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『異世界に飛ばされた神だけど、誰も俺が神だと信じてくれない』  作者:
セリアの介入

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第83話 巨大石像

 セリアは、その場から一歩も身動きが取れなくなっていた。

 先ほどまで村の全域に重々しく響き渡っていた青銅の鐘の音は、夕闇の彼方へと緩やかに溶けて消え、代わりに『万年豊作教会』の巨大な扉へと吸い込まれていく住民たちの、静かな足音だけが周囲を満たしている。

 大声を上げて走る者は1人もいない。互いの名を呼び合う喧騒もない。彼らはただ、定められた帰巣本能に従うかのように、淡々とその聖域へと歩みを進めていた。それが、この集落における、議論の余地のない「日々のルーティン」として完全に定着しているのだ。


「行きましょう、セリア」

 マコトの感情の起伏を一切排した声が、セリアの思考システムを強引に現実へと引き戻した。

「……え? あ、はい」

「こちら側のルート(道)を通ります。最短距離の計算に基づいた経路です」

 セリアは機械的に頷き、再びボスの少し猫背気味の背中を追って歩き始めた。しかし、彼女の琥珀色の瞳は、もはや足元の泥道を見てはいなかった。

 このルナの村に到着した直後は、ただののどかで平和な辺境の農村にしか見えなかった。

 だが――事態の全貌エラーを察知した今、彼女の視界に映るすべての風景が、まったく別の不穏な色調を帯びて再構築され始めていた。先ほどまでは見過ごしていた、微小な「不整合の残滓」が、次から次へと網膜に引っかかってくる。


 ある民家の軒先では、まだ10歳にも満たないであろう幼い少年が、真剣な面持ちでジャガイモの苗に給水を行っていた。少年はその実務の最中、小さな口をモゴモゴと動かし、何かを一心不乱に暗唱している。その文字列の断片は、セリアの聴覚センサーに『第3章、効率的間引きの定義……』として不吉に感知された。

 別の民家の庭先では、初老の婦人が、収穫したばかりの乾燥ジャガイモの束を軒下に吊るしている。しかしそれは、冬に向けた通常の食糧備蓄ストレージの手順とは明らかに異なっていた。ジャガイモの根元には、丁寧な手つきで、一縷の綻びもない小さな「純白の紐」が蝶結びにされていたのだ。

 通常の農業プロセスにおいて、備蓄用の作物に装飾用のリボンを付与する合理的な理由は1つとして存在しない。

(あれは……単なる乾燥保存ではないわ。明確な儀礼的カテコライズ(魔除け)……あるいは、信仰における聖遺物の保管手順だわ)

 セリアはこめかみの拍動が一段と激しくなるのを自覚した。この村の人々は、あまりにも生活のすべてをジャガイモに関連付け、そして――その知識の源泉である『ボス』の影を色濃く投影させすぎている。


 2人は村の中央広場を通過した。

 露店の商人たちは定刻通りに木製の荷車を閉じ始め、1人の頑強な鍛冶職人が、本日の業務終了を告げるようにふいごの火を消していた。その職人は、マコトの姿を視界に捉えた瞬間、素早くその作業の手を止め、親しげに手を挙げた。

「ボス、お疲れさん!」

「お疲れ様です」

「明日には、注文されてた規格の新型の鍬を、予定通りモレンの家へ納品デリバリーしておくぜ」

「ありがとうございます。初期不良のチェック(検品)を済ませた後、実務に投入します」

 交わされる対話は、どこまでも冷徹で、事務的なものだった。しかし、マコトがそのまま歩み去った後――その鍛冶職人は、誰も見ていないと確信した瞬間に、マコトの背中に向かって、極めて敬虔な動作で深く深く頭を下げたのだ。

 ほんの1秒にも満たない、ごく自然な、しかし骨の髄まで叩き込まれたような拝礼の動作。もしセリアがリスク管理の視点で周囲を徹底的にスキャンしていなければ、確実に見落としていたであろう微小な挙動だった。


 セリアは隣を歩くボスへと視線を戻した。

 マコトは相変わらず、何の一物もない澄み切った瞳のまま、淡々と泥道を踏みしめている。自らの背後で住民たちがどのような精神的アプローチを行っているかなど、1ミリの猜疑心も抱いていない様子だった。

(……本当に、これっぽっちも気づいていらっしゃらない。完全に無自覚ノンレジストだわ)

 それこそが、セリアにとって最大の恐怖リスクだった。

 マコトという男は、他者が自分をどのようなカテゴリー( Reputation )で評価しているかに対して、極端なまでに興味関心を示さない。彼の脳内システムを占拠しているのは、常に『目の前にある実務が、規定のクオリティとスケジュール通りに完了したか否か』という、冷徹なまでの実績評価だけだ。

 だからこそ、彼は気づかないのだ。住民たちの「有能な管理者に対する実務的な敬意」が、一体いつ、どの処理段階で「絶対的な神に対する狂信的な」へと変質してしまったのかを。


 2人は、村の幹線道路からわずかに外れた、少し幅の広い白石が敷かれた広場へと折れた。

 そして――。

 セリアの白い官給靴が、地面に完全に凍りついた。

「な……ッ」

 彼女の喉から、言葉にならない掠れた悲鳴が漏れた。呼吸器のシステムが一時的に停止したかのように、胸の奥が激しく締め付けられる。


 白石が敷き詰められた広場の中央、夕闇の黄金色に照らされながら、それは不条理なほど圧倒的な質量を持ってそびえ立っていた。

 1尊の、巨大な人間の造形物。

 この下界の辺境では到底手に入らないであろう、純白の極上大理石から切り出され、寸分の狂いもなく精密に彫り上げられた、巨大な石像。その全高は、周囲に建ち並ぶ平屋の民家を3倍は優に超越する、圧倒的なスケールを誇っている。

 その巨像は、両手でしっかりと1本の「鍬」を握り締め、その視線は遥か世界の最果てにある大農地を見据えるかのように、まっすぐ前方に固定されていた。

 その顔の表情は、どこまでも静謐で、波一つ立たない。


 セリアは頭の中のデータベースを狂ったように検索したが、結果を待つまでもなかった。

 彼女は、その顔を、その立ち姿を、骨の髄まで知っている。

 うなじのあたりで無造作に切り揃えられた、実務の邪魔にならない髪型。

 理知そのものを湛えた、波一つ立たない独特の眼差し。

 そして、下界の粗末な衣服でありながら、まるで神聖な典礼服であるかのように美しく彫刻された、捲り上げられた袖口のシワにいたるまで――。

 すべてが、完璧に、寸分の狂いもなく、彼女の隣に立つ『ボス』のグラフィックそのものだった。


 石像の足元に位置する巨大な台座には、下界の彫刻技術を遥かに凌駕する緻密な職人フォントで、極めて巨大にこう刻まれていた。


『万豊至高大農神』


 セリアは完全にメルトダウン(凍結)していた。

 万豊。至高。大農神。

 どれほど網膜の解像度を上げて、その文字列を逆算デバッグしようとも、石に刻まれた物理的なデータが書き換わることはなかった。

 ボス。大農神。至高。

 その完全に調和バグした3つの単語が、厳然たる事実として、彼女の理性を無慈悲に粉砕していく。


「……ボス」

 セリアの声は、先ほどまでの事務的な凛とした張りを完全に失い、蚊の鳴くような掠れたトーンにまで低下していた。

「何ですか、セリア。著しくバイタル(声調)が乱れていますよ」

「あ、あの……あそこにゾーニングされている、巨大な構造物は一体何なのですか?」

 マコトは彼女の震える指先を追い、その巨大な純白の石像を見上げた。

「ああ」

 彼はいつも通り、何の一物もない声で短く頷いた。

石像オブジェクトです」

「い、いえ、それは客観的な材質の話であって……私が尋ねているのは、なぜあのオブジェクトの顔のモデリング(容姿)が、ボスと100パーセント一致しているのかという点です」

 マコトはしばらくの間、自分の顔を模した巨像を淡々と見つめ、事務報告を行うように平然と言った。

「私も以前、現地の開発担当(村長たち)にその仕様について不整合を指摘したことがあります」

「それで、どのようなアンサー(理由)が返ってきたのですか?」

「『これが一番、現場の職人にとって設計(作成)しやすかったからだ』という回答でした。フリーハンドで架空の神の顔をデザインするよりも、実在する人物の顔データをサンプリングした方が、開発工数(時間)を劇的に短縮できるという説明です。リソースの最適化という意味では、一定の合理性は認められます」


 セリアは、落涙しそうになるのを必死の思いで堪えながら、ゆっくりとボスの方へと首を巡らせた。

(……合理性? 工数の短縮? そんな方便、100パーセント嘘に決まっているわ!)

「ボス。客観的な事実確認インベスティゲーションとしてお尋ねしますが……貴方はあのオブジェクトの建造計画に対して、管理者としての拒否権(却下)を行使されなかったのですか?」

「行使しました」

 マコトは即答した。

「私は『実務に直結しない非生産的な構造物の建造は、資材と労働力の無駄である。直ちに計画を白紙(却下)に戻しなさい』と、公式に仕様変更を命じました」

 セリアの胸に、ほんの一縷の、藁にもすがるような希望の光が灯った。

「では、なぜ計画がクローズされずに、このように竣工(完成)してしまっているのですか?」

「計画の却下を言い渡した直後、現地の住民たちは全員、揃ってこのようなエラー報告(反論)を口にしたのです」

 マコトは当時のログを不審そうに思い起こしながら、淡々と言った。

「『さすがはボス様だ。これほどの偉業を成し遂げながら、どこまでも謙虚であられる。その一切の権威を拒絶するお姿こそが、真の神の証明だ。やはり、俺たちの手でこの偉大さを後世に残さねばならない』……と」

 マコトは小さく首を傾げた。

「却下の命令インプットに対して、なぜ『神の証明アウトプット』という不整合な結論が導き出されたのか、私の論理回路では未だにそのバグを特定できていません。ですが、彼らが『どうしても作りたい』としつこく請願ワークフローを提出してきたため、実務の進捗に支障をきたさない範囲であればと、最終的に建造の許可アプルーバルを出しました」


(駄目だわ。このシステム、完全に手遅れ(デッドロック)だわ……!)

 セリアは両手で顔を覆い、天を仰ぎたくなった。

 ボスは完璧に、そして誠実に計画を却下したのだ。嘘偽りなく、100パーセントの正論で拒絶した。

 しかし――この下界の狂信者たちは、そのボスの「謙虚な拒絶」という実直な態度そのものを『神聖なる神の証拠』として勝手にアップデートし、より一層その信仰の熱狂を爆発させてしまったのだ。断れば断るほど、ボスの神格化のステータスが上昇していくという、不条理極まりないバグの無限ループ。


 セリアは、夕闇の黄金色の陽光に照らされながら、威風堂々とそびえ立つ『万豊至高大農神』の巨像を改めて見上げた。

 その足元を通り過ぎる数人の村人たちが、ごく当たり前の動作で足を止め、石像に向かって深く深く一礼し、それから何事もなかったかのように家路へとついていく。

 誰も不審に思わない。誰もその存在を疑問視エラーしない。彼らにとって、この巨大なボスの石像が村の中央にそびえ立っている風景は、息を吸うのと同じくらい「当然の日常規格」なのだ。


 セリアは巨像を見つめ、そして、そのすぐ隣に立つ、泥のついた枯れ枝をのんびりと持った本物のボスを見つめた。

 片方は、ただ事務作業を終わらせて、早く我が家(神界)へ帰りたいだけの、哀れなほど実直な事務官。

 そしてもう片方は、この地の全住民から、人生のすべてと魂の収穫を捧げるべき絶対神として奉られている、純白の大理石の巨像。

 ――そして、最も絶望的なシステムエラーは。

 その2つの存在が、完全に「同一のオブジェクト(マコト)」であるという、不条理な事実そのものだった。


 セリアの最高位行政官としての卓越したプライドは、下界へ降臨してわずか数十分にして、完全に粉々に粉砕されていた。彼女は手に持った事務杖をぎゅっと握り締めたまま、夕暮れの広場で、ただただ言葉を失って立ち尽くすことしかできなかった。


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2026/09/09 公開予定

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