第8章 初の面接実務
その集落の統治者たる村長は、幸運なことに村の集会所に滞在中であった。
先導役の男によれば、それは極めて稀な「強運」の類であるらしい。
しかしボス――この世界線において「マコト」という識別符号を思い出すことになる最高神の論理的見解によれば、強運や偶然などというものは、確率論的な事象の偏りを知的生命体が都合よく誤認しただけの不確実な概念に過ぎなかった。もっとも、彼はその精緻な因果関係を敢えて口にして説明することはしなかった。
今日の短い実務経験から、彼が事実を事実として解説しようと試みる行為は、単に相手側の爆笑の燃料を提供するだけに終わるというシステム挙動を学習していたからだ。
集会所は、開拓村の中央広場に面して建設されていた。
建物の容積自体は天界の神殿に比べれば塵芥に等しい規模だったが、周囲の粗末な平屋群に比べれば、それが統治の実務を司る中枢機関であることを示すには十分な構造を持っていた。
入り口からは、手書きの台帳や収穫物の詰まった麻袋を抱えた数人の農民たちが慌ただしく出入りしている。ボスはその物理的な物流の様子を、歩きながら静かに観測していた。
人間という生命体は、どうやらあらゆる事象を記録(データ化)することを好む習性があるようだ。
それは管理の観点から見れば極めて健全なアプローチと言える。もっとも、過去数十億年の歴史において彼が目にしてきた人間の記録の大半は、最終的に下位部署の処理能力を圧迫するだけの「無駄な残業書類」へと変貌を遂げるのが常であったわけだが。
「……おい、あんた。緊張してるかい?」
先導役の男が、ボスの顔を覗き込むようにして問いかけてきた。
「いいえ、微塵も」
その返答には、一微ミクロンの躊躇も含まれていなかった。
ボスは至って平然としていた。彼は過去に幾度となく巨大な銀河系の誕生を特等席で観測し、数多の世界が因果の法則に従って形成されるプロセスを監督し、次元の壁が崩壊する天界規模のバグに対面してきた絶対者だ。それらの超次元的な実務に比べるなら、一世界の辺境に群生する人間の村長と対話することなど、実務的な難易度はゼロに等しかった。
しかし先導役の男は、その最高神としての絶対的な平穏を、単なる「肝の据わった若者の自信」であると都合よく認知エラー(誤解)しているようだった。人間の解釈というものは、常に表層的なデータに縛られている。
彼らは粗末な木製の扉を押し開け、執務室へと立ち入った。
室内の奥には、頑丈な体躯を持った一人の初老の男が、数枚の手書きの書類を険しい表情で精査している姿があった。年齢のパラメータは人間の尺度で五十を超えたあたり。髪には白いものが混じり始めているが、その背筋は軍人のように真っ直ぐに伸ばされていた。
外来者の進入を知らせる衣服の擦れる音を感知し、その男は台帳から顔を持ち上げた。
「おや?」
先導役の男が、親しげに片手を掲げて声を張る。
「村長、起きてるかい。俺だよ」
「ハンツか」
ボスはその対話ログを脳内で静かに処理した。
なるほど、この自分の飯代を立て替えた日に焼けた年長の男は、システム上の識別名(名前)を「ハンツ」というらしい。実務上、極めて有用なデータであった。これでようやく、彼の個体識別符号を脳内で「草原で遭遇した最も年長の人間のオス」という非効率な文字列から、「ハンツ」という簡潔な記号へと更新することができた。
「で、そっちの見慣れない若者は誰だ?」
村長が、ボスの姿を鋭い視線で見つめながら問いかける。
ハンツはボスの方へと視線を巡らせたが、その表情は一瞬にして居心地の悪そうな、何とも形容し難い複雑な歪みを見せた。自らの脳内にある、常識を逸脱した目の前のデータを、いかにして統治者に説明すべきかという実務的なプログラミングに苦慮しているようだった。
「いや……その、今日この付近に流れ着いた外来者さ」
「見れば分かる」
「で、まともな仕事を探してるんだがね」
「それも、お前のその困り顔を見れば一目瞭然だ。それで?」
ハンツはしばしの間、言葉を詰まらせて沈黙した。それから諦めたように深い溜息を吐き出す。
「――こいつ、自分の正体は宇宙を創った『創世神』だって大真面目に主張してやがるんだ」
執務室の中に、一瞬の完璧な空白が訪れた。
ボスは無表情のまま、次のシステム挙動を待った。
案の定、五秒の処理時間ののち、村長は腹の底から太い笑い声を響かせた。宿屋の農民たちのように下品に机を叩くような真似はしなかったが、それは明らかに「質の高い娯楽」を摂取した人間の情動の表出であった。
「ハハッ、そいつは驚いた。実に面白い若者じゃないか」
ボスは小さく首を縦に振った。
「ええ、嘘偽りのない厳然たる事実ですからね」
村長の笑い声は、さらに一段階音量を上げた。
ああ、なるほど。やはりこのルーチンか、とボスは完全に理解した。この世界の人間は、真実を提示されると自動的に笑う仕様で統一されているらしい。彼はもはや、そのエラー挙動に対して何の不快感も示さなかった。
「よろしい」
村長は手元の書類を机の上に設置すると、ボスの正面にある木製の椅子を指し示した。
「まずは座りなさい、創世神の若者よ」
ボスは静かに腰を下ろした。ハンツもまた、その隣の椅子へと慣れた動作で身を沈める。
ボスの全知のデータベースによれば、この一連のプロセスは人間の社会における「雇用面接」と呼ばれる実務タスクに該当するようだった。彼自身、そのような下位レイヤーの選考手順を直接体験したログは皆無であったが、実務を円滑に進めるために異論を挟む必要性は感じられなかった。
村長は机の上で太い両腕を組み、尋問のトーンを整えた。
「基本の確認から始めよう」
「ふむ。適切なアプローチだね」
「文字の読み書きはできるか?」
「できる」
「算術の計算は?」
「当然、完璧に執行できる」
村長は満足そうに首を縦に振った。
その回答の正確性だけで、この村に流れ着く大半の労働志望者のスペックを遥かに超越していたからだ。辺境の農村部において、読み書きと計算ができる個体は、それだけで一級の希少価値を持つ。
「これまで、どこかで実務に就いていた経験は?」
ボスは数秒、思考の処理速度を調整した。
問いのスコープ(範囲)が著しく広範であったが、因果律としての回答は極めてシンプルであった。
「あるよ」
「よろしい」
村長は手元にあった羽根ペンをインク壺に浸し、羊皮紙の台帳へと視線を落とした。
「では、具体的な職務経歴を教えてもらえるかね?」
ボスは回答のために口を開き――そして、一瞬だけ出力を停止した。
今日の短い実務経験から、この世界の知的生命体に対して「純度百パーセントの真実」をそのまま出力すると、対話のログが不毛なエンターテインメントへと歪んでしまうという学習データが脳内でアラート(警告)を発したからだ。
しかし、虚偽のデータを申告するという選択肢は、彼の論理回路には存在しなかった。彼は全宇宙の法則を布いた絶対者であり、嘘をつくという非論理的なコマンドを実行する機能そのものを持ち合わせていない。
ゆえに、彼はこれ以上ないほど生真面目なトーンで、仕様書を読み上げるように回答した。
「私は、全マルチバースにおける宇宙空間の創造と、物理法則の敷設業務を統括していた」
カサリ、と村長の持つ羽根ペンの動きが完全に静止した。
隣の席では、ハンツが深く絶望したように、両手で己の顔面を乱暴に覆い隠した。
ボスは、自らの脳内ログに新たなエラーが記録されたことを瞬時に察知した。
どうやら、またしても人間の許容量を逸脱したデータを提示してしまったらしい。
村長は重い溜息を吐き出すと、ペンの動きを止めたまま言った。
「……百歩譲って、それ以外の職歴は?」
「各世界線における知的生命体の文明発達の監視、および生態系のデバッグ業務だね」
「それ以外は?」
「死滅した個体の精神格を回収し、次次元へと安全に移送する輪廻システムの巡回管理だ」
ハンツの背中から、明らかな精神的スタミナの枯渇のオーラが漂い始めた。村長にいたっては、まるで虚空の彼方に存在する「本物の神々」に対して、この目の前にある不条理を解消するための加護を祈るかのように、長い時間天井の木目を凝視していた。
極めて皮肉なことに、その全宇宙の祈りの宛先である当の創世神が、今まさに自らの正面の椅子に座って実直に面接を受けているというのに、彼らの限定的な認知能力ではその絶対的なファクトを検出することができないようだった。
「仕切り直そう」
村長は長い瞑目ののち、ようやく視線をボスへと戻した。
「あんた、この『人間の世界』において、これまでにどんな職業に就いていたんだ?」
ボスはわずかに首を傾げた。
「人間の世界において、かね?」
「ああ、そうだ」
「私は、これまでの生存ログにおいて、人間の肉体を以て下位世界に群生した経験はただの一度として存在しない」
再び、執務室の中に不気味な静寂が沈み込んだ。
ハンツはきつく目を閉じ、村長は自らのこめかみを指先で乱暴に揉みほぐし始めた。
ボスは、この「雇用面接」という人間の社会システムは、著しく効率が悪く、かつ論理的なバグ(すれ違い)を誘発しやすい欠陥設計であるという評価を、脳内の評価シートへと書き加えた。
「分かった、もういい」
村長は諦めたように首を振ると、羽根ペンをインク壺へと再度浸した。
「これ以上は時間の無駄だ。最も基本的な個人パラメータから台帳に記録していく。……名前は?」
「ボスだ」
ペンの先端が、羊皮紙の表面でぴたりと止まった。
村長が、ひどく不機嫌そうに顔を持ち上げる。
「名前を聞いているんだ、若者よ」
「ボスだ」
「それは名前ではない。役職か、あるいはただの符牒だろう」
「いいえ、私の周囲にいた全職員は、私の個体を識別する符号として常にその名称を行使していた」
「だから、それを世間じゃあ『あだ名』って言うんだよ!」
「違いますね」
「いや、あだ名だ!」
「違います」
ハンツが再び両手で顔を覆う。村長は肺の底から大きな呼吸を繰り返し、自らの理性の残滓を必死に繋ぎ止めようとしていた。
「……あんたが、生まれた時に定められた『本当の名前』だ。それを言いなさい」
ボスは、その厳格な要求を前にして、この日最大の中断を発生させた。
固有の識別符号。
それは天界の全職員すら呼ぶことを忘れ、宇宙の歴史のどの公式台帳にも記載されていない、悠久の過去の残滓。現在のこのような、開拓村の粗末な税の計算助手という局所的な実務において使用するには、著しくその魔術的質量が大きすぎる、古くて重い識別子であった。
しかし、人間のシステムは、台帳に記録するための正確な文字列を頑なに要求している。
ボスは脳内の最深部、創世の黎明のセクターから、一つの古いデータをサルベージし、出力した。
「……マコト、だ」
村長の羽根ペンが、ようやく羊皮紙の上を滑らかに動き始めた。
【マコト】。
その文字列が、この異世界線の台帳に公式に記録された。強制転生という不条理な事故が発生して以来、初めて彼の本名が物質的な媒体に刻まれた瞬間であった。
「ふむ」
村長は台帳を見つめ、満足そうに頷いた。
「最初からそう言えばいいんだ。そっちの方が、遥かにまともな人間の響きじゃないか」
ハンツもまた、ぱちくりと瞬きをしてボスの顔を見た。
「なんだ、あんた。そんな普通の名前を持りやがったのか」
「隠したログは一度もありませんよ。君たちが尋ねなかっただけだ」
ハンツはその極めて実直な正論に対して、反論する言葉を持たなかった。確かに、今まで誰も彼の「名前」を正確に問いかけてはいなかったからだ。
村長は気を取り直したように、台帳の次の項目へとペンの先端を走らせた。
「よろしい、マコト。これでようやく面接の記録が成立した」
ボス――マコトは、己の古い本名が他者の口から発話される感覚に対して、いささかの奇妙な違和感を覚えていたが、それを敢えて指摘することはしなかった。それは彼の本質を示す正確なデータであることに相違ないからだ。
「では、最後の質問だ」
村長は羊皮紙を見つめたまま、事務的なトーンで問いかけた。
「あんたの『前職』、つまりここに来る直前まで就いていた具体的な役職(仕事)はなんだ?」
マコトは、偽らざる客観的事実をそのまま実直に出力した。
「創世神だ」
村長の羽根ペンが、本日何度目か分からぬ完璧な停止を記録した。




