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『異世界に飛ばされた神だけど、誰も俺が神だと信じてくれない』  作者:
誤解の宗派

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第61章 聖なる圃場

 ルナ村を訪れる他所の者の数は、初夏の陽光が日に日にその熱量を増していくのと歩調を合わせるように、緩やかに、しかし確実にその数を増していった。

 始まりは、風の噂を頼りにやってきた二、三人の物好きな旅人に過ぎなかった。それが五人に増え、やがて十人の集団となって街道を進んでくるようになる。彼らの大半は、村の境界にある広場や素朴な石像を遠巻きに眺め、恐る恐る住人に声をかけては幾つかの排他的でない問いを投げかけ、日が傾く前には満足げに帰路に就くような、ささやかな滞在者たちであった。

 最高神マコトは、己の周囲で起きつつあるその微小な地殻変動について、特段の関心を払ってはいなかった。彼の合理的な事務主義に言わせれば、劇的な収穫量の増加を達成した先進的な農村が、周辺の発展途上にある集落から注目を浴び、技術的な視察の対象となるのは、至極当然の経済活動であり、社会現象の一端に過ぎないからだ。


 その朝も、マコトは東側に広がる開墾地の一角に立ち、土壌の含水率を測定する日常実務に没頭していた。彼は畝の間に深く腰を落とすと、黒々とした土を大きく一掴みし、手のひらの上で肉厚な感触を確かめるようにゆっくりと握り締めた。土粒が適度な塊を形成し、指を離すと脆く崩れるその様をじっと見つめ、彼は満足げに小さく顎を引いた。

「ふむ、十分に基準値を満たしているな」

 背後に直立し、板札に記録を書き留めていた青年ハンスが、その呟きを聞き逃さずに身を乗り出した。

「大旦那様、何が十分に満ちておられるのでしょうか」

「土壌の含水比のことだよ。今日このまま日没までにまとまった降雨があれば、明日の朝一番の灌漑作業は全面的に省略して構わない。無駄な労働力と水資源の消費を抑えることができるな」

 ハンスは、その完璧な気象予測と徹底された効率化の思想に深く感銘を受けながら、素早く木札に新しい注記を刻み込んだ。

「畏まりました。ただちに巡回員たちへ伝達いたします」


 その主従のやり取りから、十歩ほど離れた畝の境界の物陰に、旅の埃に塗れた三人の男女が息を潜めて立ち尽くしていた。彼らは、あの大いなる存在の作業を妨げることを恐れるかのように、境界線を一歩跨ぐことさえ躊躇い、ただただ遠巻きにマコトの背中を凝視していた。

「……あの御方が、噂に聞く大旦那様か」

「間違いない。あの神聖な佇まいを見ろ」

「しかし、一体何をしておられるのだ?」

 彼らの目には、マコトが地を這うようにして土を拾い上げ、それを至高の儀礼の如く見つめ、再び大地へと還す一連の動作が、世界の創世の理を検分する神聖なる一幕に映っていた。

「……やはりな。あの御方は、地を流れる微かな生命の息吹を、手掌の感覚だけで読み取っておられるのだ」

 一人が震える声で囁くと、残りの二人も畏敬の念に満ちた眼差しで、深く、何度も首をうなずかせた。


 そこへ、背後から音もなく近づいてきた青年レオンが、彼らに向かって穏やかに声をかけた。

「大旦那様にお目通りを求めて参られたのかな?」

 三人は弾かれたように振り返り、その神官の如き厳かな佇まいの若者に平伏せんばかりに頭を下げた。

「は、はい! 我らは遥か彼方より、その英知を拝したく……」

「ならば、そのように遠巻きにしている必要はない。こちらへ進み出るといい。大旦那様は、正しい実務を志す者を決して拒みはしないからな」

 レオンの言葉に促され、三人は互いに顔を見合わせながら、まるで聖域の踏み込みを許された巡礼者のように、恐る恐る畝の間へと足を踏み入れた。

 その気配を察し、マコトが作業の手を止めてゆっくりと振り返った。

「おはよう。他所の村の形だね」

「お、おはようございます、大旦那様!」

 先頭に立つ初老の農夫が、直立不動の姿勢のまま声を震わせた。

「我らはここから東へ二日、山を越えた先にあるラフェン村より参った者にございます。あの大いなる実りをもたらしたという、豊穣の神の圃場ほじょうを、この目で直に拝みたく、こうして参じました」

 マコトは、二日という移動コストを支払ってまで技術視察にやってきた彼らの勤勉さに、小さく感心して頷いた。

「二日間の徒歩移動か。それは実務的な観点からも骨の折れる旅だったね。それで、私の圃場を見たい、と?」

「はっ! まさに、この大いなる奇跡の地を一目だけでもと!」

 マコトは首を緩やかに横に振った。

「もしお前たちが、ここを『私の圃場』と呼ぶのであれば、それは情報の一面しか捉えていない。この土地は、ルナ村の民全員が共有する生産基盤であり、公的な資産だ。私はただ、その管理手順を最適化し、実務の効率化を手伝っているに過ぎないよ」

 マコトにとっては、土地の所有権と管理権の明確な区別を述べた、至極真っ当な官僚的説明であった。しかし、私欲という概念を持たないその言葉の響きは、三人の巡礼者の耳には、現世のあらゆる王侯貴族の強欲さを遥かに超越した、至高の神聖さとして響き渡った。

「……ご自身のものとすら、見做して(みなして)おられないのか」

 一人が涙ぐむように声を詰まらせた。

「これほどの豊かな実りを生み出しながら、すべてを民へと委ねられるとは……なんと底知れぬ無欲、なんと広大な御心か……」


 マコトは彼らの奇妙な感動を気にとめる風もなく、再び畝にしゃがみ込むと、根元に生えていた小さな野草を指先で手際よく毟り取った。

「せっかく二日もの移動時間を投資してここまで来たのだ。ただ突っ立って眺めているだけでは、実務の肥やしにはならないよ。ほら、お前たちも同じように腰を落としなさい」

 三人は神託に従うように、大急ぎで泥の上に膝を突いた。マコトは再び土を大きく掴んで彼らの眼前に差し出した。

「まず、土の色を見なさい。そして、その匂いを嗅ぐんだ」

 言われるがままに、三人は土に顔を近づけ、深く息を吸い込んだ。

「……いかがでしょうか」

「健康的な土壌というものは、有機物の分解プロセスが適切に進んでいるため、独特の芳醇な香りを放つものだ。生気が失われた死んだ地とは、明らかにその匂いの質が異なる」

 三人は必死になって土の香りを嗅ぎ比べたが、彼らにとっては、それはどこまで行ってもただの泥の匂いに過ぎなかった。当然である、彼らの村の土壌は未だ科学的な管理がなされておらず、比較の基準を持っていないのだから。

 マコトは彼らの困惑した表情を見ても、何ら落胆することはなかった。

「気にする必要はない。これは実務の反復による『経験値』の問題だからね。毎日、何百回と土に触れ、その性質を五感で記録し続ければ、誰でも自然と違いを識別できるようになる。農事に奇跡などない、ただの積み重ねだよ」

 男たちは、その「積み重ね」という言葉の裏にある、永劫の歳月を思わせる重みに、ただただ何度も激しく頭を下げ続けるのだった。


 陽光が天頂へと昇りつめる頃、三人の視察者は、拝むような手つきで何度も一礼を繰り返しながら、ルナ村を去っていった。

 街道の境界に立ち、彼らは再び、青々とした苗が整然と並ぶ東の開墾地を振り返った。

「私は、今日のこの景色を、死ぬまで忘れることはないだろう」

「ああ……神が直々に泥を弄び(もてあそび)、我ら凡愚の民に土の息吹を説いてくださったのだ」

「あの地は……ただの畑ではない。神の英知が直接、地表へと顕現せし、祝福された圃場なのだ」


 その日の日没前、彼らはそれぞれの家へと辿り着いた。遠方への旅の成果を待ち侘びていた村人たちが、堰を切ったように彼らの周囲を取り囲む。

「いかがであった! 噂は真実か!?」

「神にお会いすることは叶うたのか!?」

 三人は深く、厳かに首をうなずかせた。

「ああ。我らは、確かにこの目で拝してきた」

「して、どのような地であったのだ? 神の宮殿はさぞや眩かった(まばゆかった)のだろうな!」

 その問いに、初老の農夫は大きく息を吸い込み、魂の底から絞り出すような声で告げた。

「宮殿などない。あのお方は、ただ一枚の粗末な衣を纏い(まとい)、民と共に泥にまみれて働いておられた。そして、我らのような他所の者にも、等しく土の理を読み解く智慧を授けてくださったのだ」

 集まった村人たちは、息を呑んでその言葉に聞き入った。

「では、その神の畑とやらは、一体どのような様子なのだ?」

 三人は互いに顔を見合わせ、やがて最も若い男が、確固たる信仰の宿った目で静かに語った。

「あれは、現世の不浄な畑などではない。あそこにこそ、世界のすべてを養う大いなる実りの源流があり、神の指先が直接、土を導いておられるのだ。我らが受けたのは、農事の型ではない。世界の理を説く、最初の一歩なのだ」

 部屋の中は、凍りついたような静寂に包まれた。人々はその圧倒的な光景の描写に、平伏したいほどの厳かさを感じていた。やがて、座の最上段にいた老人が、震える白髭を揺らしながら低く呟いた。

「なれば……あの地は、神が直接管理される『聖なる圃場』に他ならんな」

 その決定的な言葉に、異議を唱える者は誰一人としていなかった。彼らの胸の内に、新たな巡礼の地としてのルナ村の姿が、揺るぎない楔となって打ち込まれた瞬間であった。


 同じ頃、ルナ村の会所では、マコトが次週の灌漑スケジュールを分刻みで構築する事務作業に没頭していた。その緻密な数字の列を横から覗き込みながら、ハンスが感心したように微笑んだ。

「大旦那様、本日は随分と多くの視察者が訪れましたね」

「ふむ。情報が外部に露出し、技術移転の需要が高まっている証拠だ。良い傾向だよ」

「良い傾向、でございますか?」

「ああ。彼らが我が村の合理的な栽培手順を正しく持ち帰り、それぞれの集落で再現すれば、周辺地域全体の生産性が底上げされる。それは巡り巡って、我が村の交易条件をも向上させるからね。情報の独占は、中長期的な発展を阻害するだけだ」

 マコトは羽根筆の先を整えながら、極めてマクロな経済合理性に基づいてその意図を述べた。ハンスはただ、その世界のすべてを包括するような大いなる配慮に、ただただ敬服するばかりであった。

「やはり、大旦那様の見据える先は、我らの想像の及ばぬ高みにございますね」

「いや、ただの合理的な計算だよ」

 マコトは再び木札へと意識を戻した。彼にとっては、あの東の開墾地はどこまで行ってもただの『生産現場』であり、効率的に作物を育てるための空間に過ぎなかった。

 しかし、彼は夢にも思っていなかった。

 この日を境に、ルナ村の外の世界の人々が、あの泥臭い開墾地を別の名で呼び始めることになろうとは。


 それはもはや。

『東の開墾地』でもなければ。

『実証用の畑』でもなかった。


 世界の人々は、底知れぬ畏敬を込め、その地をこう呼んだ。


『聖なる圃場』


 何も知らない最高神マコトは、今日も初夏の爽やかな夜風を浴びながら、計画通りの含水比が維持されていることに満足し、ただただ真っ直ぐに、愛する作業の平穏の中を歩み続けるのだった。


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2026/09/09 公開予定

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