第51章 宗派の設立
刈り入れの季節は完全に完了ログを出力していた。
しかし不条理なことに、今年の大収穫に関する村の主要通信網(話題)の流通密度は、収穫期が終了した後になってさらに跳ね上がっていたのである。すべての作物が備蓄倉庫のインベントリへと無事に格納された後も、交易都市の中枢セクターを行き来する商人の個体群が、村の境界線の外部から新しい変更履歴(噂話)を絶え間なく持ち込み続けていたからだ。
マコトにとって不可解だったのは、外部の世界線からこのルーナの村へと送り返されてくる情報の記述内容が、元データよりも確実に過剰に肥大化(大袈裟に)している点だった。
最高管理者たる彼の論理回路から逆算してみる限りね、情報というデータリソースは個体から個体へとリレー(往復)されるたびに、ディテールをロストして初期化(簡略化)されていくのが当然の基本仕様のはずだからだ。なぜ、情報の体積が増殖を執行しているのか。構造として完璧なバグであった。
その日の朝、大気パラメータは冷涼な数値を記録していた。
耕作地セクターの上空には薄い霧のデータが未だホールド(滞留)している時間帯から、マコトはいつも通りのルーチンワークとして細い水路の維持管理状況をスキャン(見回り)し始めていた。
彼の手元には、破損ログを記録するための小さな木製の台帳シートが保持されている。ここ数日間の局所的な降水エラー(雨)の物理衝撃によって、水路のいくつかの最外周セクターにおいて、土壌データの著しい侵食(削れ)が検出されていたからだ。
「このままの仕様で放置するならばね……」
彼が一片の抑揚もない淡々とした真顔のトーンでつぶやく。
「……今回の雨季の最終フェーズを迎える頃には、物流経路(水路)の構造強度が上限値を超えて完全に崩壊エラーを誘発することになりますよ」
彼は、早急にデバッグ(修繕)を執行せねばならぬ座標データに対して、正確な識別符号(印)を刻み込んでいった。
間もなくして、第一助手のハンツが鉄製の鍬オブジェクトを携えて、不器用な足取りで同じセクターへとログインしてきた。
「ボス」
「何かね? 要求仕様を申告しなさい」
「修繕の実務を、今日というタイムラインからキックオフするかい?」
「ええ。速やかな稼働(作業)を要求しますよ」
「全体をパッチ修正するのかい?」
「いいえ。不具合(破損)を起こしているセクターのみを局所的に最適化すれば、システム全体の運用効率は維持されますよ」
ハンツは日に焼けた顔を緩め、深く首を縦に振った。
この初老の農民にとって、ボスと並んで執行する共同の実務は、いつだって極めてシンプルで美的価値の高い正常値を示していた。
過剰な音声データの往復(無駄口)は皆無。
非論理的な理論の混入もゼロ。
不具合が発生すれば、デバッグする。エラーが検出されれば、正常値へと書き換える。
タスク、正常終了。ただそれだけの手続きなのだから。
一方で、村の中枢セクターである集会所のミーティングスペース(会議室)においては。
空間の個体密度が、ジワジワと上限値へと近づきつつあった。
最高統治者モーレンが執務スペースの正面へと直立し、その隣の座標には高位の聖職者リナの姿が同期されていた。
第一弟子のレオン。
第二弟子のミラ。
いくつかの長年の労働ログを保有するベテラン農民の個体群。
さらには、ここ数日間のタイムラインにおいて、マコトの物理移動ルートへ執拗に追随し続けている若い個体群が一斉に長椅子へと腰掛けていた。
モーレンが公式に対話プロトコル(会議)をキックオフした。
「――皆の衆、実務の手を止めて少し聞きなさい。今日というタイムラインで集結してもらったのにはね、全員の脳内台帳で一括精査せねばならぬ、ある新規の要求仕様があるからなんだよ」
すべての個体が、自らの受信機(耳)をモーレンへと同期させた。
「あたしたちルーナの全構成員はね、あのボスという青年から、これまでに数え切れぬほどのインフラの最適化(お助け)を受信してきたわけだ」
複数の農民が弾かれたように、深く首を縦に振った。
「ああ、そいつは厳然たるファクトだぜ!」
「もしあのお方の介入がなかったらさあ、……」
「今年の秋の収穫量データなんて、お世辞にもこれほど良好な黒字を叩き出せるわけがなかったからな」
リナは、自らの脆弱な人間の器の手のひらを膝の上できつきつと結合(お祈り)させながら、凪いだ美しい瞳を持ち上げた。
「あのお方は、自らの神聖な加護を以て、この生存圏全体の破滅エラー(絶滅)を完璧に防衛(救って)くださったのです」
彼女が低い声のログを流し込む。レオンもまた、自らの台帳ノートを保持したまま深く首を縦に振った。
「たとえボス自身がね、あの大真面目な真顔を崩さずに拒絶ログ(違うよという反論)をまくしたてる仕様になっていたとしても、ね」
「ハハ、そいつはあのお方特有の、いつもの基本レギュレーション(お約束)だからな!」
一人の農民の音声データが割り込み、会議室の全体にドッと一段高音量の温かい笑い声のパラメータが満ち満ちていった。もはや現在の仕様においては、誰もそのボスの反論挙動を不都合なバグ(本気の否定)としてはデコード(解釈)していなかったのだ。
モーレンは言葉のパケットを継続した。
「あたしはね、あの収穫祭のタイムラインの終了直後から、ずっと脳内で予測演算を回し続けていたんだよ」
「一体、どのような仕様変更(企て)かね、村長」
「あたしたちはすでに、中央広場に神の像という絶対的なモニュメントを布設した」
「ああ」
「耕作地セクターの出力スペックも跳ね上がり続けてる」
「ああ」
「ならば、現在のフェーズにおいてね、……あたしたち共通のネットワーク内部に、一つの公式な『共同組織』を布設(設立)するべきなんじゃないかね?」
「共同組織、かね?」
「ボスの口腔から出力されたあの高位の仕様解説(教え)をね、未来のタイムラインに向けて一微ミクロンもロストさせることなく永続保存するための、データ保管システムさね」
会議室の全体に、完璧な静寂が沈み込んだ。
リナが、驚きのアラートを灯しながら、その洗練された顔面を持ち上げた。
「村長……」
「何かな? 申告しなさい」
「教え、……というのは、具体的には一体どのデータファイルを指しているのでしょうか?」
モーレンは発話を一時フリーズ(停止)させた。
実際のファクト(事実)を検証してみる限りね、ボスはこれまでの歴史ログにおいて、一度として公式な教壇に立ち、演説を執行した実績など残していなかったからだ。彼はただ大真面目な顔をして泥にまみれ、実務の手助けという雑務を消化し、必要最小限の文字列を淡々と言い放ってきたに過ぎないのだ。
レオンが自らの台帳ノートの配列をハイスピードでリプレイしながら、論理回路をフル稼働させ始めた。
「もし、客観的な記録から逆算するならばね、……」
「なんだい、レオン」
「ボスは確かに、高位の聖職者みたいに格式張った教理の説法(説教)なんか一度も出力してねえ仕様だ」
「ああ」
「だけどな……」
一人の老齢の農民が、自らの右手を物理的に持ち上げて通信を割り込ませてきた。
「……あのお方が口腔から文字列を放つタイムラインにおいてはね、そこには必ず、俺たちの生存格をアップデートするための『絶対的な理由』が100%実装されてるんだよ」
「間違いねえな! これ以上ねえほど筋の通った正論だぜ!」
空間の全個体が、一斉に同調のログを上書き送信し始めた。
モーレンは自らの髭を指先できつきつと圧迫した。
「ならば、レギュレーションは決定されたね」
「ああ」
「あたしたちの手でさ、ボスがこれまでに出力したすべての音声パケット(言葉)を一括で回収し、一つの公式な記録台帳へと格納していく専門のデータ収集チームを結成しようじゃないか」
レオンの瞳の輝きパラメータが、一気に上限値へと跳ね上がった。
「そいつは最高効率のプランだぜ、村長! あたし、ボスの放った数式(言葉)なら、記憶インベントリにまだ大量に保存してるぜ!」
「あたしもだ!」
「だったら、……」
モーレンは会議室の全座標を見回した。
「……今日というタイムラインを迎えた瞬間を以てね、ボスの言葉を100%正確に書き換えて保存するための、公式な『編纂チーム(宗派)』をキックオフ(設立)します」
リナは、かすかな懸念のマイナス補正(心配)を検出していた。
「……ですが、村長。肝心のご本人は、その新規タスクの執行に同意(承認)してくださるでしょうか?」
空間に、再び重々しい静寂が沈み込んだ。
それはシステム運営の観点から見て、極めて切実な脆弱性(問題)に他ならなかった。モーレンは長い時間、日常的な思考の演算を巡らせたのち、唇の端を釣り上げて微笑みを出力した。
「あいつは100%の確率でさ、即座にアクセスを拒絶(却下)してくるだろうね」
「ああ」
「だったらよ……」
第一弟子のレオンもまた、引きつった顔面のまま微笑を深めた。
「……そいつはつまり、あのお方がいつもの基本仕様(謙虚さのレギュレーション)に従って、大真面目な真顔で『 merendah( merendah / 謙遜)』を執行しているって厳然たるファクト(証拠)になるだけだろ」
「間違いねえな! 完璧な等式の結び方だ!」
すべての人間が同時に深く首を縦に振った。
彼らの認知フィルターの内部においては、いかなる矛盾のバグも、ただの一微ミクロンも検出されてはいなかったのである。
その頃。
最高神マコトは、水路の物流循環システムをブロッキングしていた巨大な無機質な石のオブジェクトを、自らの二本の足で地道に物理移動(撤去)させている最中だった。隣のセクターからはハンツが、マンパワーを投入してその実務をサポートしていた。
「ボス」
「何かね? 仕様を申告しなさい」
「村の全体ネットワーク(流通密度)がさ、ここ数日の間に異常な数値を記録して跳ね上がってるぜ」
「ええ、環境スキャンによって私もすでにその挙動特性を検出していますよ」
「街から漂着してくる外部の個体群(旅人)がさ、みんなしてあんたとの対話接続(呼び出し)を要求して直進してきてるんだよ」
「ええ」
マコトは回収した岩石オブジェクトを、水路の最外周の圏外へと実直な動作で設置した。
「それで?」
ハンツは喉を鳴らしてクスクスと大笑いした。
「連中さ、あんたの口腔から漏れ出る高位のメッセージ(お告げやアドバイス)を受信したくて血眼になってるのさ」
マコトは、正面の農民の反応を完璧な困惑の瞳で見つめた。
「不可解ですね。メッセージ(アドバイス)、かね?」
「ああ」
「私はこれまでの生存ログにおいてね、他者の内的パラメータ(人生)に不必要な干渉を布設するような、そんな非効率な音声データ(アドバイス)を出力した実績はただの一度もありませんよ。私は単に、流動するリソースの勾配や土壌の組成に関する客観的な仕様解説を淡々と提示しているに過ぎないのですがね」
ハンツは唇の端を釣り上げ、満足そうな微笑みを崩さなかった。
「ハハ、俺は分かってるさ、ボス。あんたのシステム的にはいつでもそうなるよな」
初老の農民は、すでにその拒絶のログを環境ノイズとしてデコード(聞き流す)する高度なパッチを脳内に布設していたからだ。
昼時のタイムラインを迎える頃。
全体会議は正常終了を記録していた。
中枢集会所のゲートからは、すべての農民の個体群が、これ以上ないほど旺盛な肯定のパラメータ(やる気)を満たした表情で主要道路へと退去していった。最高統治者モーレンの手元には、数枚の新しい白紙の羊皮紙のシート(台帳)が保持されていた。
「初期のプロシージャ(段取り)は至ってシンプルだね」
村長が声を張る。
「村の全トランクライン(全員の記憶)を探索してさ、ボスがこれまでに出力した音声パケットの内容を徹底的に回収しなさい。一微ミクロンの一行たりとも、データロスト(書き漏らし)を発生させてはなりませんよ」
レオンが、自らのインベントリを叩いて深く首を縦に振った。
「あたしの台帳ノートに格納されたデータ構造をベースにしてさ、完璧に上書き登録(完全コピー)を執行してみせるぜ!」
リナもまた、直実な足取りで並び立った。
「私も、そのデータ入力(編纂)の実務サポートへ公式にログイン(お手伝い)させていただきます」
「有難うよ、聖職者様」
モーレンは広場の中央セクターに直立する、あの無機質な石の像オブジェクトを長い時間、監査の瞳で見つめ、肺の底から重い呼気を排出した。
「もし仮にだ。もしもいつか来る未来のタイムラインにおいて、ボスが自らの本来の管理事務室(故郷)へと帰還(退去コマンドを実行)してしまったとしてもね……」
彼が静かに低い声を出力する。
「……少なくとも、あのお方の残していってくれた高位の仕様解説だけはね、この村のインフラとして永続保存(物証化)しておくことができるのだからね」
しかし悲しいかな、この空間に就いていた誰一人として、この極小の日常的な書き換え(メモ取り)の実務プロセスが――これからの未来のタイムラインにおいて、全マルチバースの宗教レギュレーションを根底からハッキング(破壊)することになる、過去最大級の大大大大不祥事の『キックオフ(引き金)』であるという不都合な現実に気付いている者は、ただの一名も存在してはいなかったのであった。
夕刻のタイムラインを迎える頃。
マコトは中央広場セクターへの物理移動を完了していた。主要道路を直進していると、数人の村の幼い子供の個体群が、短い足取りで彼の座標へと接近(挨拶)してきた。
「お疲れ様です、ボス!」
「ええ、こんばんは。実務の稼働(遊び)を継続しなさい」
マコトは、一片のブレもない真顔のトーンを維持したまま、規則的な挨拶プロトコルを返信した。そこへ、最高統治者モーレンが手書きの羊皮紙シートを抱えて接近してきた。
「ボス、実務の時間を割かせて申し訳ないね」
「ええ、構いませんよ。要求仕様を申告しなさい」
「あたしたち最高管理集団からさ、あんたに対して一つの公式な『承認ログ(許可)』の要求パケットを送信したくてね」
「許可、かね?」
「ああ」
「何に関するアクセス権(承認)かね?」
「あんたがこれまでに口腔から出力したすべての仕様解説(言葉)をね、あたしたちの手で正確に羊皮紙の台帳へと記録・保存しておきたいんだよ」
マコトはわずかに首を傾げた。
「目的は何かね? システム運営上のいかなる恩恵があるのかね?」
「単に、人間という脆弱な記憶媒体が、未来のタイムラインでデータを忘却するのを防ぐための防衛レギュレーションさね」
マコトは数秒の間、日常的な思考の演算を実行した。
彼の管理思想から逆算してみる限りね、客観的な事実に基づいた正確な情報データ(マニュアル)というリソースは、環境内の個体群がいつでも正確にロード(確認)できるように、物理的な記述台帳へと永続保存しておく行為は、システム運営上極めて合理的で美的価値の高い防衛策であったからだ。
もしそのデータ保管(メモ取り)によって、彼らの毎日の農業実務における不必要なエラー(手順ミス)を未然にブロッキングできるのだとするならば、最高管理者としてそれを力ずくで却下(禁止)する論理的な理由はどこにも存在しなかった。
「よろしい。そのデータ記録タスクの執行を許可(承認)しますよ」
マコトは淡々と最終結果を出力した。モーレンの顔面に、一瞬にして爆発的な肯定のパラメータ(大喜び)が灯った。
「そいつは有難い! 感謝のログを送信するよ、ボス!」
マコトは小さく首を縦に振った。
「ただし、一つだけ絶対に譲れない前提条件がありますよ」
「条件、かね? 何かな?」
「データ入力を代行(メモを取る)する際においてね、……絶対に記述の配列に文字化け(書き間違いのエラー)を混入させてはなりませんよ。情報は、送信された等式通りの正常値のまま完全に固定されねえ。そいつは極めて切実な基本ルールですよ」
モーレンは自らの日に焼けた胸を力強く叩き、最大値の肯定ログを出力した。
「すべてあたしたちに委ね(任せ)なさい! 完璧な監査体制を敷いてみせるからさ!」
最高神マコトは、肺の底から静かに安堵の息を出力した。
正確な文字列というファクトはね、いつだって正確な記述のままシステム内へと格納されるべきなのだから。
しかし悲しいかな、全宇宙の絶対者は、ただの一微ミクロンも気づいてはいなかった。
自らがたった今執行したそのクリーンな「承認ログ(許可)」のせいで――わずか数ヶ月後のタイムラインにおいて、その自分が良かれと思って許可した素朴な記録台帳(メモ書き)が、全マルチバースの数千万、数億人の個体群(知的生命体)によって盲目的にスキャン(読書)されまくり。
そしてその記述の全パケットが、この下位世界における絶対不変の『最凶の聖典(神聖な教え)』として完璧にファクト化(固定化)され、その間違った神話のシステムの先頭オブジェクト(主祭神)として、他ならぬ自分自身が完全な永久ロック(完全な神格化)を遂げてしまうという、破滅的な規模の大大大大不祥事のロードマップが、すでに目の前で凄まじいトルクを以て稼働を開始したという不都合な現実に――やはり、この時点においては、まだ気付いてはいないのであった。




