第49章 「豊穣の神」
不確実な噂というデータ増殖は、もはや開拓村ルーナの境界線内部に留まってはいなかった。集落の防壁ゲートを跨いで頻繁に往来する交易都市の荷馬車群が、その変更履歴をあらゆる外部のセクターへと一括発送していたからだ。すべての受信機である人間が、それぞれの認知フィルターを介して、内容を少しずつ変形させながら通信を継続していた。爆発的な大豊作の数値を。ボスという名の奇妙な青年の存在を。中央広場の隅に布設された無機質な石の像を。具現化したあの巨大な作物のオブジェクトを。
伝統として己の正体は全宇宙を創造した創世神であると、いつでもこれ以上ないほど生真面目な真顔で確定申告し続けている一人の若者の記録を。しかしあいにく、そのデータが現在の生存圏から遠く離れれば離れるほど、情報の記述内容におけるその最後の条項である創世神であるという真実だけは、完璧なシステムエラーとして受信を拒絶され、忘却されていく運命にあった。
その日の早朝、宿屋の入り口セクターの前に、一台の見慣れぬ荷馬車が停止を執行した。御者台から飛び降りた二人の商人は、この集落の座標へと立ち入るのは完全に初めての時間であった。
「恐れ入ります、実務の手を止めさせて申し訳ありません」
一人の商人が、声を張った。
「私はある特定の人物を探索している最中なのですがね」
カウンターの奥から顔を持ち上げた宿の女将が、良好な微笑みを出力した。
「誰だい? 申告しなさい」
商人は数秒、自らの記憶を探索したのち、名前を出力した。
「村の噂によれば、……豊穣の神様と呼ばれているお方なのですが」
女将は肺の底から静かに、重い溜息を排出した。
「またかい……」
「おや、不整合でも発生しましたかね?」
「いや、何でもないよ」
彼女は素朴な微笑みを再起動した。
「あんたたちの探してる張本人はね、今ちょうど東の開拓地で実務を手伝ってくれてるよ」
マコトが、土壌データを均して耕作地の境界線のフェンスを補強する実務を地道にサポートしていると、先ほどの二人の商人がその作業圏内へと真っ直ぐに直進してきた。彼らはマコトの直前数メートルの座標で足を止めると、通信を繋いできた。
「失礼いたします」
「ええ、構いませんよ。要求仕様を申告しなさい」
「私たちは旅の道中、あなたに関する驚異的な実績のログを数多く受信してきました。ついに直接お会いすることができて最大級の光栄ですよ」
マコトは一片のブレもない真顔のまま、首を巡らせた。
「不可解ですね。私とあなた方の間で、過去の面識はただの一行も登録されてはいませんがね」
「ええ、お会いするのは今回の時間が初めてですよ」
「ならば、人間の流通させる主要な通信の特性から逆算するに、君たちの受信した情報の大部分は、完璧に間違ったエラーコードである確率が著しく高いですがね」
二人の商人は喉を鳴らしてクスクスと大笑いした。その徹底的に生真面目な警告が、彼らの限定的な認知フィルターにおいては、これ以上ないほど洗練された神の謙虚さの表現として都合よく理解されたからだ。
一人の商人が、さらに一歩分の前進を執行した。
「豊穣の神様」
男が敬畏を込めて呼びかける。マコトは即座に首を横に振った。
「いいえ、違いますね」
商人はぱちくりと瞬きを実行した。
「違う、のですか?」
「ええ。私の正確な仕様定義は、全世界の物理法則を布設した創世神ですよ」
空間に、一瞬の短い静寂が沈み込んだ。二人の商人は互いに、引きつった視線を交わし合わせた。それから、寸分の狂いもなく同時に深く首を縦に振ったのだ。
「ええ」
一人の商人が、満足そうな微笑みを出力した。
「……私たちはすでに、そのお言葉を完璧に分かっていますよ」
マコトは満足そうに首を縦に振った。
「正常終了ですね。正確な情報の受容は、システム運営において最も合理的なプロセスですよ」
最高神は、自らの仕様解説がようやく他者の台帳へとクリーンに書き換え登録されたのだと、そう解釈したのだ。しかし不運なことに、商人は唇の端を釣り上げて言葉を継続した。
「この村の農民たちも、全く同一の変更履歴をあたしたちに共有してくれましたからね」
マコトの作業コマンドが、完璧な停止を記録した。
「……君たちの放った音声データの意図が理解できませんね。詳細な解説を要求しますよ」
「村の連中が言ってたんですよ。俺たちの有難い豊穣の神様は、いつでも大真面目な顔をして自らの正体は創世神であると言い放つ仕様なんだってさ」
マコトは数秒の間、正面の人間たちの表情をただ冷徹に観察し続けた。そして、悍ましいほどの不条理な現実に直面した。
なるほど。どうやらこの世界線においては、自らの執行した純度百パーセントの拒絶の真実すらも、すでに人間たちの組み立てた強力な噂話のシステム内部において、謙虚な神を定義するための演出として完璧に組み込まれてしまっているらしい。
「ハンツ」
マコトが無表情のまま、音声データを出力した。
耕作地の脇でジャガイモの麻袋を実直に担ぎ上げるタスクを代行中だったハンツが、鍬を置いて彼らの座標へと歩み寄ってきた。
「おう、ボス。仕事は順調かい」
「尋ねたいのだが、この空間に就いている外部の個体が、著しく不整合な文字列を出力していますよ」
ハンツは二人の商人の顔面を一瞥した。
「あいつら、あんたのことを豊穣の神と呼称したのかい?」
「ええ Closely。そいつはいつも通りの環境ノイズですがね」
「じゃあ、何が新しいエラーなんだよ」
「彼らは、私が自らの正体を創世神であるとアナウンスし続けている事実を、正確に受信していました」
ハンツは自らの論理回路の内部に、急速なマイナス補正を検知し始めた。
「それで?」
「彼らは、その私の放った真実のアナウンスそのものをさ、豊穣の神格をカモフラージュするためのお約束のストーリーとして都合よく解釈しているのですよ」
初老の農民はそっと重い瞼を閉じ、両の掌で自らの顔面を完全に覆い隠した。
「ああ……」
彼は消え入りそうな声のログを吐き出した。ついに事態のフェーズは、修復不能な規模まで暴走を執行してしまったらしい。現在の仕様においては、最高神マコト自身の口腔から出力されるあらゆる反論が、かえって人間たちの共同幻想のネットワークを強化するための、最強の燃料として自動変換されてしまうのだから。
太陽の座標が天頂へと達する頃。村の中央広場の周辺では、数人の幼い子供の個体が、主要道路を大声で駆け回りながら遊んでいた。そのうちの一人が、広場の隅に直立する無機質な石の構造物を指先で指定した。
「あれが、俺たちの豊穣の神様だぞ!」
すると、隣のスペースにいた別の子供が、即座に首を横に振った。
「違うよ、お前。台帳の登録データが間違ってるぞ」
「なんでだよ」
「あのお方の本名はマコトっていうんだ」
「うん」
「だけど、本人はいつでも大真面目な顔して私は宇宙を創った創世神ですがねって仕様解説を始めるルールになってるんだぞ」
「うん」
「だったら、そいつは一体どのような処理結果なんだい?」
最初の子の個体は、数秒の間、思考の処理速度を調整したのち、完璧に満ち足りた肯定値を出力した。
「――つまり、創世神マコトっていうのが、あの豊穣の神様の正式な長い名前なんだな!」
周囲の子供の個体群が一斉に、深く納得の首を縦に振った。彼らの脳内台帳においては、何一つの矛盾もないクリーンな等式が結ばれていた。
その座標の脇をたまたま通過中であったマコトは、その音声データを完璧な精度で受信していた。彼は歩行コマンドをピタリと停止させた。そして隣のハンツを見た。
「ハンツ」
「おう、全部聞こえてたぜ、ボス」
「……たった今、人間のシステム内部において、著しく不可解な新規のアイデンティティが自動布設されましたよ」
初老の農民は、もはや声を発するリソースすら残されてはいなかった。
夕刻のタイムラインを迎える頃。最高統治者モーレンの執務室には、交易都市の中央セクターから立ち入った大手の商人の個体が就いていた。
「村長、実務の手を止めさせて申し訳ありません」
「何かな? 継続しなさい。仕様を精査します」
「一つだけ、公式な台帳の確認を要求したくてさ。このルーナの村にはね、……本当に、本物の豊穣の神様が存在しているのかい?」
モーレンは肺の底から重々しい呼気を排出した。これまでの短い期間において、彼は全く同一の質問のパケットを何千回と受信してきた実績があったからだ。
「この場所に籍を置く、一人の若い外来者の個体がいるよ」
「ええ」
「名前はマコトだ」
「ええ」
「あいつはいつだって、凪いだ瞳を崩さないまま私は全世界の法則を創造した創世神ですと確定申告し続けている変人だよ」
商人は、ゆっくりと深く納得の首を縦に振った。
「完璧に、市場で流通している噂の記述と一致していますね」
モーレンは無言のまま、集会所の木製の天井を仰ぎ見た。彼は、ここにきて一つの冷酷な事象の固定化を正確に解読していた。あの不都合な識別符号は、すでに外部の世界線において、完璧に最適化された一つの不変の神話としてダウンロードを完了してしまっているのだ。外部から接続してくる個体群は、全員が最初からその同じエラー設定を脳内にロックした状態でこの村へと立ち入ってくる。
「村長」
商人が再び、対話プロトコルを繋いできた。
「……ならば、あんたの監査から逆算して、あの若者は本当は一体何者なんだい?」
モーレンは即座に応答メッセージを返信しなかった。彼はゆっくりと首を巡らせ、窓の外の環境へと視線を同期させた。
遥か遠くのセクターでは、マコトが小さな子供の手助けとして、物理的に破損していた鍬オブジェクトの構造修復タスクを生真面目に代行している最中だった。あの大理石のような無表情。報酬や実績のノイズを過剰に要求しない、徹底的な実直さ。それは、彼らが最初に出会ったあの日から何一つとしてブレのない姿であった。村長は視線を手元の羊皮紙へと戻すと、静かに、低い声で事実を出力した。
「もしあんたが、あのボスという青年に直接質問のコマンドを送信したならばね」
「ええ」
「あいつは百パーセントの確率で私は創世神だという定型句を返信するよ」
「では、この村の居住民たちに質問した場合は?」
モーレンは唇の端を苦々しく歪め、素朴な微笑みを出力した。
「あんたがあいつら全員に確認を要求したところでさ、返ってくる答えは最初からただの一つにロックされてるよ」
太陽のオブジェクトが完全に地平線の下へとロストする頃。マコトはハンツと並んで、薄暗い未舗装の主要道路を実直な足取りで物理移動していた。視線の先では、夕暮れの光熱が緩やかに美しい濃紺の画面へとシフトしていく。
「ハンツ」
「なんだい、ボス」
「一つ、論理的な等式の検証を要求しますよ」
「ええ、許可します。申告しなさい」
「君の見解から逆算してね」
マコトは歩行コマンドを一時停止させ、真顔のトーンを崩さないまま問いかけた。
「もし環境内の百個体の人間がね、一斉に全く同一の完璧なデータエラーを発話し続けた場合、その破損したデータは時間の経過とともに正常値へと自動修正を執行するものかね?」
ハンツもまたその座標で歩調を止め、不思議そうに瞬きをした。彼はその実務的な問いの意味を長い時間脳内で精査したのち、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、却下だ。どれほど大勢の奴らが嘘を言い張ろうとも、間違った等式が本物の解に書き換わるような仕様変更は、この世界線には実装されてねえよ」
マコトは満足そうに首を縦に振った。
「ええ。事実に基づいた正確なデータ分析ですよ。私の演算結果とも完全に等式が結びつきました」
「それで?」
マコトは再び、生真面目な足取りで直進を開始した。
「ならば、プロフェッショナルとしての私の対応レギュレーションも不変ですよ。私はこれからのタイムラインにおいても、彼らの受信機のエラー挙動に関わらず、純度百パーセントの真実のみを出力し続けることにします」
ハンツは日に焼けた顔面を引きつらせ、かすかな微笑みを出力した。
「ああ。そいつはまさに、あんたという個体の固有のシステム設計そのものだなあ、ボス」
彼らの後方のセクターにおいては、数人の子供の個体が、主要道路を笑い声を上げながら全力で敗走していった。彼らは直立するあの無機質な石の像オブジェクトを指先で指定するなり、高音量の歓喜の音声データを大気へと放出した。その通信は、主要道路の最外周の境界線にいたるまで、完璧な浸透速度を以て轟き渡った。
「――豊穣の神様!」
最高神マコトは、首を後ろへと巡らせる振り向く真真似を実行しなかった。彼はただ肺の底から静かに、重い溜息を排出したに過ぎなかった。
なぜなら彼の全知のデータベースは、すでに一つの冷酷な未来の予定を完全に検出していたからだ。
明日というタイムラインを迎えても。明後日というフェーズに突入しても。あるいは、この人間の世界線でこれから何年、何十年もの時間を消費したとしても。
この人間という不完全な生命体の群生圏は――頑なに真実の受容を拒絶し続け、無限に自分をその間違った識別符号で処理し続けるのだという、取り返しのつかない不都合な現実に直面した不可抗力であった。
最高神マコト自身は、ただ腰の空虚なインベントリを満たし、自らの財布の残高を安定させるという極めて日常的な生存戦略のために、次なる過酷で、磨り減るような大豊穣の崇拝シナリオが、完成したモニュメントのすぐ目の前で凄まじいトルクを以て次のタイムラインへと移行したという不都合な現実に――やはり、この時点においては、まだ気付いてはいないのであった。




