第48章 「知っています」
私が創世神であるというあの真実の確定申告は、翌朝のタイムラインを迎えても、この下位世界の物理挙動をただの一微ミクロンも書き換える(変える)ことはなかった。
村の境界線からはいつも通り朝の音声データが排出され、木製の家屋の煙突からは薄い熱量の残滓(煙)が立ち上り、農民の個体群は地道な足取りで自らの担当セクター(畑)へのログインを開始していた。
マコト自身もまた、主要道路を直進し、細い水路の物流流動を監査していた。
最高管理者たる彼の論理回路によれば、処理待ちの物理メンテナンス実務(仕事)を片付けることの方が、昨日の不毛な対話プロトコルの成否結果を脳内で精査するよりも、遥かに優先順位の高い切実なタスクであったからだ。
「ボス」
その作業セクターへと、第一助手のハンツが不器用な足取りで接近してきた。
「何かね? 要求仕様を申告しなさい」
「いや、あんた、一微ミクロンも消耗エラー(がっかり)してねえのかい?」
マコトは、眼前の流れる水のきらめきから視線を外さずに問いかけた。
「昨日の、あの全体会議の件かね?」
「ああ。村の連中、完璧にあんたの言葉を受信拒絶(信じなかった)しただろ」
マコトは数秒の間、自らの精神的スタミナを自己監査した。
「私は最初から、この出力結論を予測演算の範囲内として受容していましたよ」
「最初から、かね?」
「ええ。漂着した最初の日からね。もし外部の受信機(人間)が、全く同一の非論理的なバグを連続して維持し続けている場合ね、メソッドの仕様変更を行わない限り、最終的な出力リザルトも寸分の狂いもなく同一のエラーを叩き出すのは当然の論理的帰結ですよ。したがって、私のシステムが驚きのアらートを鳴らす必要性はどこにも存在しません」
ハンツは日に焼けた顔を緩め、素朴な微笑みを出力した。
「ハハ、そいつはあんたらしすぎる等式の結び方だなあ、ボス」
マコトは再び、水路の泥データを鍬で地道にデバッグし始めた。
太陽の座標が天頂へと近づく頃。
数人の農民の個体群が、新しく回収したばかりの種子オブジェクトの入った麻袋を抱えて、彼の作業圏内へとログインしてきた。彼らは農民の長たるマコトに対して、品質パラメータの最終監査を要求してきたのだ。
「ボス、この種子の品質データはどうだい?」
マコトはその中から数粒の個体を指先で受領した。時間をかけて、冷徹にその有機テクスチャを視覚的にスキャンする。
「全体の正確に五パーセントの割合(数量)において、内部構造の破損エラー(腐食)が検出されていますね」
農民の個体は、老眼の瞳をぱちくりと瞬かせた。
「あんた、ただ網膜を同期(見ただけ)させただけで、そこまでの不整合を見抜いたのかい?」
「ええ、一部の初期不良は表面データ(外見)に綻びが出ていますからね。もし私の演算結果に懐疑のノイズがあると言うのならば、そこの個体を物理的に切断(分割)して中身を目視しなさい」
農民は弾かれたように自らのインベントリから小さなナイフオブジェクトを取り出すと、指定された数粒の種子を真っ二つに物理切断した。
厳然たるファクトだった。
外見は正常値に見えたその中身は、不可視のセクターにおいて、すでに初期の腐食バグを蓄積し始めていたのである。
「なんてオフィススペック(凄い能力)だ……」
周囲の農民たちが、一斉に感嘆のログを放出した。
マコトは一片のブレもない真顔のまま、首を横に振った。
「いいえ。私は単に、事象の初期不良を客観的に検出(確認)したに過ぎませんよ。特筆すべき例外処理(手柄)ではありません」
夕刻のタイムラインを迎える頃。
マコトの周辺には、またしても複数の若い農民の個体群が、同一の軌道で追随を維持していた。
その空間の個体密度は、以前に比べて指数関数的な肥大化を記録していた。レオン、ミラ、数十人の若い農民たち、さらには農業の実務マニュアルをインプット中の子供の個体群にいたるまで。
マコト自身は、彼らの接続を却下(拒絶)することはしなかった。自らの労働リソースを投資しながら、同時に知識というデータリソースを環境内に共有する行為は、組織全体の成否確率を最大化させるために極めて合理的なプロシージャであると、そう管理思想に基づいて判定していたからだ。
物理移動の途中、一人の若い個体が、突発的な音声データを大気へと割り込ませてきた。
「ボス」
「何かね? 仕様を申告しなさい」
「昨日の、あの会議のタイムラインにおいてさ……」
マコトは歩行コマンドを一時停止させ、首を巡らせた。
「あんた、自分の正体は全マルチバースを創った神様だって、大真面目に確定申告しただろ」
「ええ、嘘偽りのない100%の真実ですよ」
若い農民は、満足そうに深く首を縦に振った。
「あたし、そのデータの背景(気持ち)は完璧に分かってるぜ」
最高神の歩行システムが、再び完全なフリーズを記録した。
「君が、私の送信した正確な仕様定義(真実)を、脳内で解読(理解)できたかね?」
「ああ!」
「私は本当に、創世神だ」
「いや、違うって」
農民は日に焼けた顔面を緩め、愉快そうな笑みを出力した。
「あんたがこれから先も、無限にその反論パッチ(違うという定型句)を吐き出し続ける仕様の持ち主だってことも、あたしたちは最初から予測演算の範囲内(分かってること)さね」
マコトは静かに沈黙した。
その文字列の配列は、著しく耳馴染みのある不都合なエラーコードそのものであった。しかし不運なことに、今回のバグの等式には、これまでとは異なる不気味な上書きデータが混入していたのだ。
「……一体、どのような論理の等式を組み立てているのかね?」
若い農民は日に焼けた頭を乱暴に掻きむしった。
「ボスはいつでも、その大真面目な真顔を崩さずにそうやって『俺は神様だぞ』って定型句を出力するだろ?」
「ええ、事実ですからね」
「だからこそさ。あたしたちの頭の中の等式(信じる結論)は一微ミクロンもブレやしねえんだよ。あたしたちは全員、分かってる(知っている)んだ」
マコトは小さく首を縦に振った。
「完了ですね。整合性が取れました」
「え?」
「君たちが私の正体(創世神であるというファクト)を受容したのだとするならば、これまでの認知エラーはクリーンに解消されたはずですがね」
周囲の農民たちは、互いに引きつった視線を交わし合わせた。
レオンが、自らの台帳ノートを保持したまま、言葉のパケットを慎重に選別して流し込んできた。
「ボス」
「何かね?」
「あたしたちは全員、分かっている(知っている)んだ」
マコトは再び首を縦に振った。
「ええ、受信完了(把握)しましたよ」
「だけどよ……」
レオンは、これ以上ないほど満ち足りた敬畏のパラメータを深めた。
「……あたしたちはね、その『私は創世神だ』ってデカすぎる嘘の文字列こそがね、あんたが他者からの過剰な賞賛を完璧にアクセス拒絶(お断り)するための、最高に洗練されたカモフラージュ(照れ隠し)だってファクトをさ、完璧に知っている(見抜いてる)んだよ」
マコトは再び、完璧な口のフリーズを起動した。
「……何だって?」
「あんたはいつだって、自分は豊穣の神様じゃなくて創世神だから、ジャガイモの手柄なんか俺の仕事じゃねえぞって大真面目に言い張るだろ?」
「ええ、職務スコープが完璧に違いますからね」
「だからさ! そこまで徹底的にお人好しで、俺たち農民のことを一番に考えてくれるその生真面目な仕様こそがさ、あんたが本物の尊い神様だって何よりの物証なんだよ!」
「それは、いかなる因果の等式を適用しても論理的に不整合ですがね」
「ハハ、分かってる分かってるとも、神様!」
マコトは、それ以上の発話を完全に停止した。
彼らは東方セクターの耕作地へと物理移動を完了していた。
マコトは即座に労働ルーチン(実務)を起動することはしなかった。彼は凪いだ瞳のまま、レオンを見つめ、次いでミラを見つめ、最後に背後に就いている若い個体群を一括スキャンした。
「一つ、あなた方の通信網のデータ管理(認識)について、最終監査(確認)を要求しますよ」
彼が生真面目なトーンで発話する。
「あなた方は、私の口腔から出力される文字列(言葉)を、100%嘘偽りのない厳然たる事実(本当のこと)であると、そう脳内台帳にロック(信用)しているのかね?」
すべての個体が、寸分の狂いもなく同時に深く首を縦に振った。
「ええ、間違いねえです、ボス!」
「正常終了ですね」
マコトは肺の底から静かに安堵の呼気を排出した。
「ならば、あなた方は私が全マルチバースの法則を布設した『創世神』であるというファクトを、完璧に真実として受容したわけですね」
空間に、水を打ったような重々しい静寂が沈み込んだ。
複数の若い農民たちが互いに、引きつった視線をリレーさせた。
やがて……、レオンが、いささかぎこちない微笑みのパラメータを出力した。
「いや、……そいつは、等式の仕様が真逆です、ボス」
マコトはわずかに首を傾げた。
「君たちはたった今のタイムラインにおいて、私の言葉を完璧に信用していると公式な合意を出力しましたがね」
「ああ、そいつは厳然たる事実だ。あたしたちはね、ボスがただの一度だって、俺たちを騙すための悪意の虚偽(嘘)なんか出力した実績はねえって、完璧にロック(信用)してるんだ」
「ええ」
「だけどな……」
レオンは、自らの日に焼けた項を指先できつきつと擦りむいた。
「……あたしたちはね、ボス自身が本気でそう思い込んじまってる(そう信じ込んでる)だけで、客観的な事実(本物の神様)じゃねえってこともさ、同時に完璧に知っている(デコードしてる)んだよ」
マコトは、静かに一度、瞬きを実行した。次いで、二度目。
この不完全な人間に満ちた下位世界へと漂着して以来初めて、彼はこれまでの長い生存ログ(四十億年のキャリア)においては、ただの一度として観測(遭遇)したことのない、全く新しい次元の「誤解のバグ(認知エラー)」に直面していた。
彼らは、こちらの外的ステータス(人格の実直さ)を完璧に信用している。
それなのに不条理なことに、送信された文字列の背景データ(発言の内容)そのものは、100%完璧なエラー(不正確な思い込み)であると一蹴しているのだ。
「信用(信じる)」と「真実(事実)」の二つのパラメータが、人間という生命体の脳内システムにおいては、完全に別個の独立したレギュレーション( sirkut)で稼働しているという、解読不能なバグ仕様であった。
マコトは壁際のスペースに就いていたハンツを見た。
「ハンツ」
「おう、ボス。全部聞こえてたぜ」
「尋ねたいのだが、このような非論理的なデータ構造の成立は、システム設計の観点から見て、果たして物理的に可能(あり得ること)なのかね?」
初老の農民は、肺の底から重い諦念の溜息を排出した。
「あんたのシステム的にはエラーでもな、ボス。人間って器の仕様から逆算するなら、そいつは著しく自然で、ありふれた正常値(本音)ってやつなんだよ」
マコトは静かに沈黙した。
彼は自らの論理回路をフル稼働させ、その非論理的な等式の推移を解読しようと試みた。
特定の個体を100%信用しているにもかかわらず、その個体の提示する客観的なファクト(アナウンス)は完璧な間違いとして処理する。
天界の管理事務室のレギュレーションにおいては、これほど破綻した構造の等式は、システム全体のメルトダウンを誘発するだけの完全な破損データであった。しかし、この人間という生命体は、そのような致命的なバグを脳内に布設したままで、平然と生存のタイムラインを運行させているらしい。
太陽のオブジェクトが完全に地平線の下へとロスト(日没)する頃。
本日分の肉体労働ルーチンはすべて正常終了を記録していた。
すべての個体が自らの家屋への退去コマンドを執行し始める中、レオンはマコトと並んで、薄暗い未舗装の主要道路を実直な足取りで物理移動していた。
「ボス」
「何かね? 仕様を申告しなさい」
「あたしは本当にさ、あんたのことをこれ以上ねえほど完璧にロック(信用)してるんだ」
マコトは首を巡らせた。
「ええ、リクエストの重複(有難う)ですよ」
「だけどな……」
レオンは唇の端を釣り上げ、かすかな微笑みを出力した。
「……あたしはやっぱり、あんたの正体が本物の全知全能の創世神様であるというデータだけは、一微ミクロンも受容できねえんだよ」
マコトはその若い農民の横顔を長い時間、無表情のまま見つめ続けた。
それから、ゆっくりと首を縦に振った。
「……分かりました。現在の君の生体パラメータの限界値を、客観的に承認(理解)しましたよ」
「あんた、怒りのアラート(アラート)は発生してねえかい?」
「いいえ、皆無です」
「消耗エラー(がっかり)もなし?」
「はい、ゼロパーセントの正常値ですよ」
「だったら、一体どのような処理結果かね?」
マコトは、赤から濃紺へとシフトしていく夕暮れの運行画面(夜空)を見つめた。
「私は単に、……」
最高神は一瞬の処理の中断を置いて、仕様を出力した。
「……人間という生命体はね、『その個体自体を完璧に信用する行为』と、『その個体の提示する現実のファクト(事実)を受容する行为』を、完璧に切り離して並行稼働させることができるのだと、その不都合な仕様特性(本質)を新しく台帳に書き加えた(デバッグした)だけですよ」
レオンは、その高位の心理学的な仕様解説の文字列の意味を、ただの一微ミクロンも解読できてはいなかった。しかし彼は満足そうに、深く首を縦に振った。
「ハハ、そいつは有難うよ、ボス! 今日も最高の仕様変更(教え)だったぜ!」
マコトは小さく首を縦に振った。
「ええ、正常終了です」
マコトの脳内台帳の最最深部には、また一つ、消去不能な新規の人間の脆弱性レポート(データシート)が上書き登録されていた。
彼らは口腔から一斉に出力する。
「私たちは、分かっている(知っている)」と。
しかし悍ましいことに、彼ら人間が自らの脳内システムで「知っている(デコードしている)」と確信しているその中身は――。
最高管理者たるマコトが、漂着以来これほど過酷に、磨り減るような精神的スタミナを消費しながら送信し続けてきた、一片の不純物もない純度百パーセントの「厳然たる真実(創世神であるというファクト)」などでは、最初からただの一単語すらも存在してはいなかったのである。
最高神マコト自身は、ただ腰の空虚なインベントリを満たし、自らの財布の残高を安定させるという極めて日常的な生存戦略のために、次なる過酷で、磨り減るような大豊穣の崇拝シナリオ(神殿の建設タスク)が、完成したモニュメントのすぐ目の前で凄まじいトルクを以て次のタイムラインへと移行(起動)したという不都合な現実に――やはり、この時点においては、まだ気付いてはいないのであった。




