第37章 巨大な芋
その布設された構造物は、中央広場の最外周の隅にひっそりと直立していた。
過剰な装飾の金箔や宝石などの贅肉は一切なく、辺境の一介の石工によって彫られた、どこまでも素朴な石の彫刻に過ぎない。
しかし不可解なことに、その座標の脇を通過するほぼ全ての居住民が、一瞬だけ歩行コマンドを停止させる習性を見せ始めていた。一部の個体はただ静かに網膜のデータを同期させ、一部の個体は小さく納得の首を縦に振り、また一部の個体は構造物の土台セクターの前に、一束の青々とした小麦オブジェクトを静かに設置(供物)していった。
マコトは離れた座標からその一連の生体挙動を精密に観察し、一つのシンプルな論理的帰結を出力した。
「人間という知的生命体は、本当に、あの石の構造物が大層お気に入りの仕様らしいね」
その隣に直立していたハンツは、日に焼けた顔面にただ苦々しい微笑みを出力した。彼はこれ以上の不毛な解説プロシージャ(説明)を執行しても投資対効果が皆無であるとデバッグ(学習)していたため、何も言わずに通信を一時凍結することを選択した。
それから数日間のタイムラインが迅速に経過していった。
刈り入れタスクの慌ただしさは緩やかに収束数値を記録し、備蓄倉庫の容量は安全に上限値へと達し、余剰分のデータ(作物)は街の市場へと発送されていった。ルーナの村には、再び日常的な労働ルーチンが戻ってきていた。
しかし、ある日の早朝、ダレクという名の農民の個体が、集会所の中枢セクターへと息を切らせて全力で敗走(激走)してきた。
「村長! モーレン村長!」
執務机の前で今年の流通台帳を精査していたモーレンは、その高音量のアラート(大声)を検知して即座に顔を持ち上げた。
「何かな? 実務の邪魔をしないで継続しなさい」
「今すぐ、こちらのセクターへ立ち入って物理的な目視(確認)を行ってほしいんだ!」
「不都合なゴブリンの群れでも乱入したかね?」
「いいえ、違います!」
「可燃物の自然発火(火事)かね?」
「違います!」
「ならば、一体何のエラーかね?」
ダレクは肺の底から激しい呼気を排出し、仕様を申告した。
「――ジャガイモ、さ」
モーレンは老眼の瞳をぱちくりと瞬かせた。
「ジャガイモ、かね?」
「ああ!」
「あの作物オブジェクトに、いかなる不具合が発生したというんだい」
農民は、自らの耕作地がある東方セクターの方角へと、震える指先を同期させた。
「あいつが……、容積の初期設定が異常なまでにデカすぎやがるんだよ!」
間もなくして。
最高統治者モーレン、第一助手のハンツ、そして数人の農民の個体群が、ダレクの所有する耕作地の座標へと移動を執行した。マコトもまた、彼らの移動コマンドに実直に追随していた。彼の管理思想によれば、「異常な容積の増殖」という特異な環境現象は、客観的なファクトのサンプリング(現物確認)を要求する実務であったからだ。
目的地へと到着した瞬間、すべての知的生命体の歩行がピタリと停止した。
整然と並べられたジャガイモの苗の配列(列)のど真ん中において――。
明らかに他の個体とは初期設定のスケールが異なる、一株の怪物のごとき植物が群生していた。葉の面積は通常の数倍、茎の直径パラメータも著しく太い。
ダレクがガタガタと震える不器用な動作で周囲の土壌データを掘り起こし始めると、土の隙間から、ゆっくりとその物理オブジェクトが具現化され始めた。
球体が露出(見え)し、さらにその容積を拡張させ、増殖を維持し、……。
最終的に、完全に土壌から引き抜かれて大気中へと出力された。
耕作地の全体に、取り返しのつかない重苦しい静寂が沈み込んだ。
そのジャガイモの容積は、人間の大人の頭部パラメータとほぼ同等の等式を結んでいた。
数秒の間、誰一人として音声データを出力(発言)することができなかった。やがて、ハンツが日に焼けた頭を乱暴に掻きむしり、声を絞り出した。
「……そいつは、確かにデカい仕様だなあ」
ダレクは狂ったように何度も深く首を縦に振った。
「俺の生存ログを開始して以来、……こんな異常な最大出力の作物を目視した実績は一度もねえよ」
マコトはその巨大な物体の前へと直実な足取りで歩み寄り、膝を折り曲げてその場に身を沈めた。あらゆる角度から、その現生物理データを冷徹に精査(観察)する。
「不可解ですが……興味深いサンプルですね」
マコトがつぶやく。モーレンが即座に、鋭い網膜のデータを彼へと同期させた。
「ボス、あんたのデータベースから逆算して、この現象の発生原因は解読できたかね?」
マコトはジャガイモの表面の有機テクスチャへと指先を結置した。それから、周辺の土壌データを視覚的にスキャンする。
「土壌の組成が極めて肥沃に最適化されていますね」
「ああ、そいつはファクトだな」
「水分保持のも安定した数値を維持しています」
「間違いねえ」
「さらに、周辺の植物の根系が不法侵入してこなかったため、栄養素の独占処理が執行された形跡が残されています」
モーレンは小さく首を縦に振った。
「それで?」
マコトは数秒の演算を経て、論理的な等式を出力した。
「――生物学的な確率変動ですよ」
「ん?」
「いかなる生命の種族であってもね」
マコトは天気予報でも読み上げるかのような淡々とした真顔のトーンで仕様解説を継続した。
「そのタイムラインの運行において、稀に平均値を遥かに逸脱して成長を執行してしまう特異個体が自然発生するものです。これは、黎明に布設された自然法則の範囲内における、極めてありふれた確率の誤差に過ぎませんよ」
農民たちは、無言のままその音声データを受信していた。
論理的に見れば、その指摘は何一つ歪みのない、完璧に筋の通った正論であった。あまりにも、整合性が取れすぎていた。
しかし不運なことに……、背後に就いていた一人の老齢の農民が、不穏な音声データを大気へと漏らし始めたのだ。
「……あるいはよ」
全ての知的生命体の網膜が、一斉にその座標へと同期された。
「……俺たちの『豊穣の神様』の加護が、直接上書き登録されたからじゃないかね?」
マコトは一片のブレもない真顔のまま、即座に首を横に振った。
「いいえ、却下(違います)ですね」
全ての視線が、再び彼というオブジェクトへとホールドされた。
「私は、このジャガイモの現生物理データを、たった数十秒前のタイムラインにおいて初めて目視したばかりですよ。私の実務が関与した成果であるという因果関係は、設計図の等式として完璧に矛盾しています」
老農民は、これ以上ないほど温かい、完璧に満ち足りた微笑みを深めた。
「ああ、よく分かってるさ、ボス」
マコトは肺の底から静かに長い溜息を吐き出した。
またしても、この拒絶ログ(お約束)の往復か。
昼時のタイムラインを迎える頃。
その巨大な作物のオブジェクトは、村の中央広場へと物理移動(運搬)されていた。
初期の目的としては、単に他の居住民たちへの環境共有(お披露目)に過ぎなかった。しかし出力されたリザルトは、彼らの予測上限値を遥かに超越していた。
「うわあ……」
「なんて容積だ……」
「台帳の数値を疑いたくなるレベルだぜ」
子供の個体群がその周囲を大声で敗走(駆け回り)し、大人の個体群も次々とその座標へと集結して網膜を同期させていく。まもなくして、村に滞在していた交易都市の行商人の個体までもが立ち入ってきた。
「こいつは素晴らしいリザルトだ」
行商人が、自らの頭脳へとデータを格納しながら鼻を鳴らした。
「もし交易都市の中央セクターへとこの物理オブジェクトを搬入(お持ち込み)したなら、市場全体の注目パラメータが跳ね上がること間違いなしだぜ」
最高統治者モーレンは、事態のベクトルが再び著しく不健全な方向へとキックオフされつつあることを正確に検知していた。
そしてその不吉な予測演算は、寸分の狂いもなく完璧に的中(ファクト化)した。
一人の村の女性の個体が、声を潜めて切り出したのだ。
「……俺たちの豊穣の神様の像が完成して、まだ数日しか経ってねえよな」
「ああ」
「で、その直後に、この広場にこれほどの容積の作物が具現化(大出現)した」
そのつぶやきの音量自体は極めて極小だった。しかし、人間という生命体が持つ固有のトランクライン(噂好き)にとっては、十分すぎる浸透速度を誇っていた。
わずか数分間の処理時間ののち、中央広場のあらゆる座標において、全く同一の非論理的な等式(誤解)が自己増殖を開始したのである。
マコトはその巨大なジャガイモの前に直実な足取りで立ちはだかり、その形状データを長い時間、無表情に見つめ続けていた。それから、小さく首を縦に振った。
「もし、この物理オブジェクトを適切に切断(調理)するならば」
最高神の実直な呟きが出力される。
「複数の家族の生存コスト(食糧)を、一括して同時に補給することが可能な、極めて美的価値の高いエネルギー資源ですね」
ハンツは日に焼けた顔面を引きつらせ、クスクスと大笑いした。
「あんた、このバグを前にして、頭の中の等式(考えること)がそこなのかい、ボス」
「ええ、当然です」
「なんでだよ」
「ジャガイモというシステムの最優先の仕様定義は『他者に摂取(消費)されること』ですからね。それ以外の付加価値など考慮する必要性はどこにもありませんよ」
その回答は、何一つ歪みのない「完全な正論」であった。どこまでもシンプルで、客観的で、等式として美しかった。
ハンツは微笑んだ。しかし、その微笑みのパラメータは、背後のセクターから漏れ聞こえてくる居住民たちの通信(ヒソヒソ話)をデコードするにつれ、急速に消失(真顔に逆戻り)していった。
「見ろよ……」
「ボスは、あの巨大な奇跡を目の前にしても、ただの一微ミクロンも実績(ドヤ顔)を誇る気がない仕様なんだ」
「そいつが、あのお方の尊い本質だからな」
「ああ、間違いねえ。いつでも俺たち人間の腹を満たすことだけを大真面目に考えてくれてやがるんだ……!」
マコトは、背後の個体群へと首を巡らせた。
「何か、システム上の不整合でも発見しましたかね?」
複数の農民が弾かれたように身体を引きつらせ、手をヒラヒラと振った。
「い、いや! 何でもねえです、ボス!」
「あたしたちはただ、最大級に崇拝(感動)してるだけですから!」
マコトは隣のハンツを見た。
「ハンツ」
「おう、ボス。全部聞こえてたぜ」
「……彼らはまたしても、全く関連性のない個別の事象を脳内で強引に直結させて、不都合なエラー結論(誤解)を自動生成していますね」
「そいつがな、人間って不完全なシステムの、昔からの基本仕様だからな」
マコトは再び、目の前の巨大なジャガイモオブジェクトへと視線を同期させた。
彼の保有する全知のデータベースのログを照合してみる限り、この現象は単なる自然環境の確率の誤差であった。極めて稀なイレギュラーではあるが、物理法則の範囲内において発生し得る、当然のファクト(事実)なのだ。
しかし不運なことに……、人間という知的生命体は、そのような冷徹な等式よりも、遥かに「ドラマチックで美しい言い訳(物語)」を好んで受容するバグ仕様の持ち主であった。
そしてその日の夕刻、ルーナの村の居住民たちの共同幻想のシステム内部においては、あの巨大なジャガイモの定義は完全に書き換え(アップデート)を完了していた。
それはもはや、単なる大自然の出力結果という無機質なデータなどではなかった。
彼らの脳内台帳に公式に書き込まれたその新規のラベル(ファクト)は――。
――「豊穣の神、マコトによる、記念すべき最初の『奇跡(加護)』」。
最高神マコト自身は、ただ腰の空虚なインベントリを満たし、自らの財布の残高を安定させるという極めて日常的な仕事のために、次なる過酷で、磨り減るような大豊穣の崇拝シナリオが、完成したモニュメントのすぐ目の前で凄まじいトルクを以て次のタイムラインへと移行(起動)したという不都合な現実に――やはり、この時点においては、まだ気付いてはいなかったのである。




