第36章 像の完成
土台の基礎工事が完了するスピードは、マコトの予測演算を遥かに凌駕していた。
彼の客観的な環境監査によれば、あの手動の建設プロセスを完遂するためには、通常であれば最低でも数日間のスパンを要求されるはずだったのだ。
割れ水路の座標から巨大な石のオブジェクトを搬入せねばならない。不揃いな地盤のデータを平坦に均さねばならない。さらに、基礎構造が物理的な衝撃によってスライド(変形)を起こさぬよう、木製の支柱オブジェクトを精密な軌道で設置せねばならなかった。
しかし現生物理データは、完璧に違っていた。
集落のほぼ全知的生命体が、それぞれのマンパワーを提供してこのタスクに同時接続してきたのだ。彼らは複数のチームに分かれ、交代制のルーチンワークを維持していた。一部の個体が石を物理移動させ、一部の個体が粘土の組成を調合し、また一部の個体が頑強な角材のセッティングを進める。
数日間の処理時間を要求されるはずだった基礎工事は、わずか一日という驚異的なスパンで完了ログを出力したのである。
「人間という生命体の共同の実務能力は、想定以上に高効率ですね」
マコトは一片のブレもない真顔のまま、小さな呟きを出力した。
その隣の座標に直立していたハンツが、日に焼けた顔面を緩めて微笑んだ。
「そいつは、全員が同じ一つの目的を脳内でロックオンしている時に限った仕様だけどな」
「なるほど。それは興味深いシステム特性ですね」
「あだ名(あん?)何がだい、ボス」
「個体群が同一の処理目標を共有するだけで、全体の生産スペックがここまで飛躍的にアップデートされるというのは、組織運営の観点から見て極めて美的価値の高いファクトですよ」
ハンツは喉を鳴らしてクスクスと大笑いした。
「あんたは本当に、何でもかんでも役所の作業報告書みたいな等式で処理したがる男だなあ」
「事実、ただの客観的な観察事実ですからね」
それからの数日間のタイムラインにおいても、建設タスクの進捗は着々と継続されていた。
ちょうど隣のセクターの集落から、一人の不器用な職人の個体がルーナの村へと立ち寄っていた。彼は高名な彫刻家などでは決してなかった。ただの地道な石工の個体であり、年に数回のタイムラインにおいて、住民たちからの墓石の加工や耕作地の装飾オブジェクトの製造といった極小のタスクを契約(受注)しているだけの末端の技能職に過ぎなかった。
しかし、村のトランクラインから漏れ聞こえてくる「豊穣の神様」の変更履歴(噂)を受信するにつれ、彼の技能パラメータは急激に興味の値を上昇させていった。
「よし、そいつの製造タスク、あたしが引き受け(受注)ましょう」
石工の個体が、自信満々のトーンで宣言した。
「……お前、本当に実行可能なのかい?」
最高統治者モーレンが、怪訝そうに眉根を寄せた。
「あたしはこれまでのキャリアにおいて、高位の神仏の像を彫った実績はただの一度もねえよ」
「それこそが、あたしのこめかみを破壊している一番の懸念なんだがね」
石工は喉を鳴らして愉快そうに笑い出した。
「だったらよ、村長。ただの一介の『地道な農民の姿』を模した構造物だと思って、気楽に処理すりゃあいいだけのことさ」
モーレンは、その返答に対して安堵の処理を行うべきか、あるいは精神的過負荷(頭痛)を再起動すべきか、自らの論理回路の判断を保留した。
マコトがその新規の技能職(石工)の存在を検知したのは、見知らぬ大人の個体が、自らの顔面データを四方八方の角度から執拗にスキャン(観察)している挙動を目撃した時のことだった。
その男は、数秒おきに納得の首を縦に振り、次いで自らの顎を擦りむき、再びマコトへと視線を同期させていた。
「尋ねたいのですが、何かこちらの個体(私)に対して、処理待ちの要求でもお持ちかね?」
マコトが生真面目なトーンで問いかけた。
石工の個体は、これ以上ないほど広範な笑みを出力した。
「いや、何でもねえよ」
「ならば、なぜそのような挙動になるのかね?」
「あんたの顔面の描線データを、今まさに記憶インベントリに格納している最中なのさ」
「目的は何かね?」
「出力結果に、不整合を起こさねえようにするための防衛策さね」
マコトはわずかに首を傾げた。
「出力結果……? 一体、何を製造しているのかね?」
石工はその瞬間、自らの発言パケットに重大なリーク(漏洩)があったことを瞬時に察知した。
彼は慌てて、数メートル離れたセクターに直立していたハンツへと視線を走らせた。ハンツはそっと重い瞼を閉じ、両の掌で自らの顔面を覆い隠してフリーズしていた。何一つの新しい返信データも送信してこない。
「何かな?」
マコトが実直に復唱を求める。
石工は観念したように、低い声で事実を出力した。
「……像、さ」
マコトは無機質な静寂を保ったまま直立していた。それから、ゆっくりと首を巡らせて隣の農民を見た。
「ハンツ」
「おう、ボス。全部聞こえてたぜ」
「私の記憶ログが正しければ、私は一昨日の中枢ミーティングにおいて、その構造物の布設タスクを徹底的に拒絶(却下)したはずですがね」
ハンツはぎこちなく、首を縦に振った。
「ああ。そいつは厳然たるファクトだ」
「ならばなぜ、現在のタイムラインにおいて、すでに製造の実務(石工の投入)が執行されているのかね?」
ハンツは即座に応答メッセージを返信しなかった。
なぜなら人間の社会システムにおいて、その後の展開を説明するための論理等式は、現在の彼のデータベースを以てしても「完璧なエラー(理解不能)」の領域に脱落していたからだ。
マコトは最終的なバグ修正のため、再び最高統治者モーレンの元へと直進した。
集会所の執務室へと立ち入ると、村長は新しく上書きされた建設仕様書のシートを険しい表情で精査している最中だった。
「モーレン」
「あ……、ボス。仕事は順調かい」
「ええ。一つ、論理的な等式の検証を要求したいのですがね」
モーレンは肺の底から重い溜息を吐き出し、羽根ペンを置いた。
彼はすでに、この青年の口腔から出力される文字列のスコープを、正確に予測システムに組み込んでいた。
「……例の、像の件かい?」
「ええ」
モーレンは台帳をパタンと閉じた。
「継続しなさい。すべて受け止めよう」
「私は、明確に却下の意思を出力しました」
「ああ、そいつは事実だね」
「あなた方も、私の拒絶ログを正確に受信(把握)しました」
「そいつのパケットの不備もねえよ」
「それなのに、現生環境においては建設の実務工程が着々と執行されている」
マコトは小さく首を縦に振った。
「私は現在、この一連の手続きにおける、正確な因果律を完璧にロストしています」
モーレンは喉を鳴らしてクスクスと苦笑を漏らした。
滑稽だったからではない。自らの統治能力の全リソースを以てしても、この目の前の純粋なバグ(人間というシステム)の挙動特性を、言葉による数式で解説することが不可能であるという事実に、彼自身も直面していたからだ。
「ボス」
「何かね?」
「時としてな、……」
村長は自らの言葉のパケットを、慎重に選別して出力した。
「……生命というものは、他者から拒絶(お断り)されればされるほど、かえってその対象に対する敬畏のパラメータを爆発的に跳ね上げてしまう仕様の持ち主なんだよ」
マコトは静かに沈黙した。
「それは、システム運営の観点から見て、著しく非効率ですね」
「あたしも分かってるさ」
「論理的にも、完璧な矛盾を孕んでいます」
「間違いねえな」
「ならばなぜ、それを維持し続けるのかね?」
モーレンは唇の端を苦々しく歪め、素朴な微笑みを浮かべた。
「その答えをあたしがプログラミングできてりゃあ、毎日の村の実務管理もどれほどイージーな仕様になっていたか分からねえよ」
四日後のタイムラインを迎える頃。
石工の個体は、自らの保持していた鉄製のチゼル(鑿)を木製の作業台へと静かに設置した。
「――製造タスク、すべて完了だぜ」
その宣言と同時に、中央広場の周辺に就いていた多数の農民たちが一斉に集結し、網膜のデータをその構造物へと同期(注目)させた。彼らの表情パラメータは、完璧に満ち足りた肯定値を示していた。
その布設された像オブジェクトは、それほど巨大な容積を持ってはいなかった。高さパラメータは、人間の成人の器をわずかに上回る程度。
形状は至ってシンプルであった。
一人の平凡な衣服をまとった青年が、直立している。
その両の手のひらには、一束の豊潤な小麦の描線と、いくつかの丸みを帯びたジャガイモのオブジェクトが実直に保持されていた。
表情は完璧に凪いでおり、タ言のノイズも吐き出さぬ静かな瞳が、真っ直ぐに前方の地平線を見据えている。
世界線の絶対王者がまとうような高価な衣服のデータは皆無であり、お伽話の伝説に登場するような神々しい光熱のパラメータもゼロ。
それはどこまでも普通であり、まるで毎日の労働ルーチンの中で「ただそこに佇んで他者をサポートしている農民」の姿そのものだった。
「見事だ……」
一人の農民が、感動のログを漏らした。
「完全に、ボスの外見データと一致だぜ」
「ああ、瞬き一つしてねえあの平然とした瞳の再現度が高すぎる」
「間違いねえ、俺たちの本物の神様だ……!」
モーレンはその構造物を長い時間、監査の瞳で見つめていた。
認めざるを得なかった。実務の仕上がりとしては、これ以上ないほど良好な数値を記録している。
――いや、良好すぎた。それこそが、これからのタイムラインにおける一番の懸念であったのだが。
間もなくして、マコトがその座標へと物理移動してきた。
彼は新しく布設された「神の像」の目の前でピタリと足を止めると、その構造物の天頂から最下部セクターにいたるまで、時間をかけて冷徹にスキャン(観察)し続けた。有意な時間の中断。
「ふむ」
彼が静かに呟いた。
隣のスペースに直立していたハンツは、自らの生体パラメータ(緊張度)が上限値へと近づくのを検知していた。
「……どうだい、ボス」
マコトは再び、石の表面に刻まれた微細な描線データを精査した。
「顔面の立体構造の再現度については、極めて高い精度(正常値)を記録していますね」
石工の個体は、即座に誇らしげな微笑みを出力した。
「そりゃあどうも! あたしの技能スペックを甘く見てもらっちゃ困るぜ」
「肉体の体積パラメータの比率も、実物の器とほぼ同等の等式を結んでいます」
石工の肯定値が、さらに一段階跳ね上がる。
「だろ!?」
「しかし」
マコトは自らの右手のインデックス(人差し指)を厳かに持ち上げた。
「保持している付属オブジェクト(プロパティ)の基本設計が完璧に間違っていますよ」
石工はぱちくりと瞬きを実行した。
「……はあ? 間違い?」
「ええ」
マコトは像の両手に握られているジャガイモの固体を指し示した。
「私はこれまでの生存ログにおいて、このような形状の不完全な作物をこのような非効率な手順で保持(手づかみ)した実績は、ただの一度も残っていませんからね」
広場を満たしていた音声データが、水を打ったように静止した。
マコトはさらに、隣の一束の小麦オブジェクトへと指を滑らせた。
「こちらの付属データについても、等式としての整合性を欠いています」
「……だったらよ」
石工の個体は、かすれた声を絞り出すようにして問いかけた。
「……本来の仕様なら、一体何を保持しているべきだったんだい?」
マコトは一片の揺らぎもない、大真面目なトーンで回答を出力した。
「もし仮に、私の個体を正確に記号化した像をビルド(製造)せねばならぬルールなのだとしたら――私が両手で保持しているべき最も正確なプロパティは、全マルチバースの運行管理に関する『業務報告書(台帳)』であるべきですがね」
広大な中央広場の全体に、悍ましいほどの完璧な静寂が沈み込んだ。
ハンツはそっと重い瞼を閉じ、両の掌で己の顔面を完全に覆い隠した。
最高統治者モーレンもまた、ただ無言のまま目を閉じ、自らの理性のメンテナンスを執行していた。
正面の石工にいたっては、自らの全思考リソースがフリーズ(処理停止)し、大理石の彫刻のようにその座標で固まっていた。
彼が自らの脳内で予測演算していたあらゆる修正申告(ダメ出し)のパケットのどれを探索してみても――この目の前の青年が「像の建設そのもの」ではなく、まさか「保持している付属小道具の正確性」に対して、ここまで大真面目な危険アラート(ツッコミ)を放ってくるなどとは、ただの一微ミクロンも予測できていなかったからだ。
数秒の不毛な処理時間ののち、一人の農民が堪えきれないといった風にプッと失笑のログを出力した。
それをトリガーに、別の個体群の音声データが連動し、次の瞬間には、広場全体がドッと一段高音量の温かい爆笑の暴風に呑み込まれていった。マコトは無表情のまま、彼らの表情パラメータの変化を監査(見つめ)していた。
「尋ねたいのだが、この対話の等式のどのセクターに、そのような爆笑のトリガーが含まれていたのかね?」
ハンツは日に焼けた顔を緩め、微笑みながら首を横に振った。
「いや、何でもねえよ、ボス」
「ならば、なぜ?」
「像の仕上がりはな、もうこれでシステム上『完璧』なんだよ」
マコトは再び、目の前の無機質な石の構造物を見つめた。
彼の全知のデータベースから逆算するに……このオブジェクトは、一微ミクロンも完璧などという正常値には達していなかった。
なぜなら、この建設タスクにおける最大にして最凶のシステムエラー(バグ)は、石の表面に刻まれた描線データの綻びなどではなく――。
この『像』が一体「誰を本質として定義(製造)」されてしまったのか、というその因果律そのものに、破滅的な規模の誤解の等式が上書き登録されていたからに他ならなかった。最高神マコトは、ただ腰の空虚なインベントリを満たすという極めて日常的な生存戦略のために、次なる過酷で、磨り減るような大不祥事のシナリオが、完成したモニュメントのすぐ目の前で凄まじいトルクを以て次のタイムラインへと移行(起動)したという不都合な現実に――やはり、この時点においては、まだ気付いてはいなかったのである。




