第35章 建設の始まり
翌朝のタイムライン。マコトはいつも通り、備蓄倉庫のセクターへと足を運んでいた。
彼の予測演算によれば、局所的な降水確率が跳ね上がる冬期の到来(雨季)に備え、まだいくつかの棚オブジェクトの構造を補強しておく必要があったからだ。経年劣化によって腐食の兆候が見られる木材は、早急に新規の杭へと置き換えるのが望ましい。事象の破綻(破損)を未然に防止する防衛策は、破綻した後にデバッグを執行するよりも、システム運営の観点から見て遥かに高効率だからだ。
彼が鉄製のハンマーをインベントリから取り出したまさにその時、ハンツが息を切らせて慌ただしい足取りで直進してきた。
「ボス!」
「何かね?」
「村長がな、大至急あんたとの対話接続(呼び出し)を要求してやがるんだ」
「何らかの実務上のトラブルでも発生したかね?」
ハンツは日に焼けた顔面を引きつらせ、苦々しい微笑みを出力した。
「……そうじゃねえことを、神々に祈るばかりだぜ」
集会所の執務室は、すでに数人の農民の個体群によって高密度な熱量を記録していた。
最高統治者モーレンは彼らの正面に直立していたが、その表情パラメータは、昨日よりもさらに深刻な精神的疲弊(過負荷)を検出していた。マコトが境界線を跨いで立ち入った瞬間、村長は老眼の瞳を同期させ、深く首を縦に振った。
「ボス、実務の時間を割かせて申し訳ないね」
「ええ、構いませんよ。要求仕様を申告しなさい」
「あんたが予定通りのタイムラインで到着してくれて助かったよ」
マコトは執務室に就いている農民たちの表情を一人ずつスキャンした。彼らの瞳には、一目でそれと分かる旺盛な熱量(やる気)がみなぎっている。その生体反応を検知した瞬間、最高神の論理回路に微かな不吉なアラートが点滅した。
「一体、どのような仕様変更かね?」
マコトが問いかける。モーレンは肺の底から重い溜息を吐き出した。
「新しい報告ログがあるんだ」
「それは、肯定的なファクト(良い知らせ)かね?」
「受信する側の認知レギュレーションによる、としか言えないね」
マコトは即座に発話を停止した。
これまでの漂流履歴から逆算するに、人間がそのような曖昧な応答を出力する際、その後に続くデータはほぼ例外なく、著しく処理の面倒な大不祥事を含んでいるものだからだ。
モーレンは自らのこめかみを指先できつきつと圧迫した。
「昨晩の祝祭の終了後、あたしたちは深夜のタイムラインまで長時間に及ぶ臨時のミーティング(議論)を執行してね」
マコトは首を縦に振った。
「ええ、継続しなさい」
「そして、……」
村長は一瞬の処理の中断を置いて、冷酷なデータを告げた。
「……彼らの『像を建設したい』という要求仕様を、最後まで却下することができなかったんだよ」
マコトは静かに一度、瞬きを実行した。次いで、二度目。
「それで?」
「あたしたちの布設した防衛ライン(説得)は、システムエラーを起こして完璧に失敗したってことさ」
執務室の中に、水を打ったような静寂が沈み込んだ。マコトは受信した現生データを数秒間精査し、シンプルな論理的帰結を出力した。
「なるほど。つまり、私の昨日執行した渾身の仕様解説は、完璧なエラーに終わったというファクトですね」
「ああ」
モーレンが力なく声を絞り出す。
「大失敗のエラー終了さ」
マコトは正面の長椅子に就いている農民たちへと視線を向けた。
「確認したいのだが、あなた方は全員、昨日のミーティング(面接)の場にログインしていましたかね?」
大多数の個体が、深く首を縦に振った。
「あなた方は、私の出力した正確な仕様解説(言葉)を受信しましたかね?」
「ああ、完璧に聞こえてたぜ、ボス」
老齢の農民が、実直に回答のログを出力した。
「受信したにもかかわらず、未だにその構造物の布設タスクの執行を要求しているのかね?」
「その通りだ」
「なぜかね?」
老農民は唇の端を釣り上げ、これ以上ないほど満ち足りた微笑みを深めた。
「あんたがあそこまで大真面目な顔で俺たちのことを褒めてくれたからこそ、俺たちの頭の中の等式(確信)が完璧にロックされちまったのさ」
マコトは再び、わずかに首を傾げた。
その提示された文字列には、彼の全知のデータベースを以てしても、整合性の取れる因果関係がただの一微ミクロンも検出されなかった。
「私は昨日、自分は豊穣の神ではないという厳然たる事実を確定申告したはずですがね」
「ああ、聞いたさ」
「良好な大豊作の出力結果は、あなた方自身のマンパワーの投入によるリソースの成果であると、正確な評価シートを提示したはずですがね」
「そいつの等式も完璧だったぜ」
「ならばなぜ、最終的な出力結論が全く同一のエラーを維持し続けるのかね?」
空間が、再び重苦しい静寂へと沈み込んだ。農民たちは互いに、引きつった視線をリレーさせた。やがて、一人の村の女性の個体が、低い声を絞り出すようにして呟いた。
「……だって、ボスはいつだって自分より、あたしたち人間の生存格(幸せ)を最優先に考えてくれるお方だからね」
「それは、私の実務的な質問に対する正確な解ではありませんよ」
マコトは無表情のまま、客観的な指摘を出力した。
「君の出力した文字列は、単に私の内的ステータス(人格)に対する個人的な評価パラメータに過ぎません。私が求めているのは、因果の等式を結ぶための論理的な解説(理由)なのですがね」
誰一人として、新しい応答データを返信してくる者は存在しなかった。
なぜなら彼ら人間という生命体にとって、その信仰という名のバグは、あまりにも自然に脳内回路に布設されているため、言葉による数式(説明)でデコードすることが元より不可能な領域に達していたからだ。
モーレンが一つ、重々しい咳払いを執行した。
「――何はともあれ、だ」
村長は木製の机の上で、一枚の粗末な羊皮紙の設計図のシートを押し開いた。
「もし仮に、その布設タスクの執行を認めざるを得ないのだとしても……あたしのレギュレーションとしては、極めて容積の小さい、極小の構造物(小さな像)に留めたいと考えているんだ」
マコトは即座に首を横に振った。
「いいえ、却下ですね」
モーレンは、その迅速な拒絶ログの受信を、最初から予測演算の範囲内として受容していた。
「ボス」
「何かね?」
「あんたがそうやって大真面目にアクセスを拒絶(拒否)すればするほど、あいつらの頭の中の確信パラメータは跳ね上がる仕様なんだよ」
「それは、システム設計の観点から見て、著しく非論理的ですがね」
「あたしも分かってるさ」
「ならば、なぜ?」
「それが、人間という不完全な器の厳然たるファクト(現実)だからさ」
マコトは静かに沈黙した。
この人間に満ちた下位世界へと漂着して以来、彼は数多くの新規データ(学習ログ)をインプットしてきた実績があった。しかし、彼の保有する全知のデータベースのどのセクターを探してみても、このような「拒絶すればするほど肯定値が跳ね上がる」という狂った因果律に対処するためのレギュレーション(解決策)は、ただの一行も登録されてはいなかったのである。
その時、執務室の最外周の隅に就いていた一人の若い農民の個体が、自らの右手を物理的に持ち上げた。
「……だったらよ」
全ての網膜が、一斉にその座標へと同期された。
「……まずは、像の『土台』の布設タスクから始めるのはどうだい?」
「土台、かね?」
「ああ。像本体のデザインは後回しにしてさ。とりあえず、構造物を設置するための基礎セクターだけを先に環境整備(建設)しておくのさ」
「なるほど、そいつは効率的だな」
「もし後からボスが気が変わって、仕様書の追加変更(像の設置)に同意してくれたら、その時はその土台の上にパッチを当てれば(載せれば)いいだけだからな」
「間違いねえ、素晴らしい等式の結び方だ!」
複数の農民が一斉に同意のログを送信し、深く首を縦に振り始めた。
マコトはその対話プロトコルの推移を、ただ真顔のまま静観していた。彼らは最高管理者の直前において、自らの姿を模した崇拝オブジェクトの建設タスクを、着々と実務プロセス(段取り)へと落とし込みつつあった。あたかも、この執務室に直立している彼の最終意思(拒絶ログ)など、システム運行において何一つつまらぬ環境ノイズ(不具合)に過ぎないとでも言わんばかりの挙動であった。
「私は未だ、その新規タスクの執行に同意(承認)していませんがね」
マコトが淡々と正論を出力する。
農民たちは、一様に良好な微笑みのパラメータを崩さなかった。
「分かってますよ、ボス」
「だからこそ、あたしたちはまず『土台』から始める仕様(作戦)を選んだんですからね」
最高神マコトは、再び完璧な口のフリーズを記録した。
彼は自らの論理回路を最大処理速度(フル稼働)させ、彼らの意思決定プロセスにおける論理的な整合性を解読しようと試みた。
しかし悲しいかな、出力された解は――皆無。
等式はどこまでも破綻していた。
太陽の座標が天頂へと達する頃。
村の中央広場に隣接する空き地セクターにおいては、複数の農民たちが、近くの割れ水路から巨大な無機質な石のオブジェクトを物理移動(運搬)させ始めていた。
別の個体群は樹木の幹を物理切断(伐採)し、また別の個体群は昨晩の祝祭が執行された広場の土壌データを均し、基礎工事(環境整備)を開始していた。
マコトはその凄まじい熱量で駆動している物理運動を、離れた座標から静かに静観していた。
「ハンツ」
「おう、ボス。どうしたんだい」
「尋ねたいのだが、彼らは一体どのようなタスクを執行しているのかね?」
「土台の基礎工事(環境整備)さ」
「あの間違った仕様を記記号化するための、崇拝オブジェクトの、かね?」
「ああ、そうさね」
「私は、明確に却下のログを出力したはずですがね」
「おう、聞いたさ」
「彼らもまた、私が却下したというファクトを正確に受信(把握)していたはずですがね」
「ああ、あいつらも全員分かってるさ」
「ならばなぜ、彼らは自らのリソース(肉体)を投資して、その無駄な労働ルーチンを維持し続けているのかね?」
ハンツは唇の端を苦々しく歪め、苦笑のパラメータを深めた。
「なぜかって……それはな、ボス」
初老の農民は一つ、処理の中断を置いて、低い声のログを吐き出した。
「……あんたがそうやって大真面目な顔で『却下(違う)』って言い張り続けることそのものが、あいつらにとっては最初からプリセット(予測演算)された当然の仕様だからさ」
マコトは正面の農民の顔を数秒間、ただ無表情に見つめ続けた。
そして、先ほど脳内で通過した過去の記憶ファイルをサルベージした。
主要道路ですれ違った、あの幼い子供の個体。
その母親の出力したという、最悪の変更履歴。
『豊穣の神様は、絶対にそうやって違うよって言う仕様なんだ』
恐ろしいことに、現在のこの環境においては、最高管理者たる彼の放つ「純度百パーセントの拒絶(真実)」すらも、人間たちの間ではただの「神のsuciを証明するための当然のステップ(お約束)」として都合よくデコードされてしまっていたのだ。
等式の最終結果は完璧に固定化されていた。
彼がどのような文字列(言葉)を発したところで、システム上の出力結果は寸分の狂いもなく同一のエラーを維持し続けるのだ。
マコトは肺の底から静かに、短い溜息を出力した。
それは、この下位世界へと墜落して以来、そして悠久の過去数十億年にわたるマルチバースの管理実務の歴史においてすら、彼自身がただの一度として体験したことのない、未知の生体反応であった。
困惑。それではない。
脳内台帳に記録されたその新規のエラーの名称は――『不可抗力(お手上げ)』。
彼の直立している座標からわずか数メートル離れた空き地セクターにおいて、硬い石が激突する物理的な衝撃音が、高音量の大気ノイズとなって響き渡り始めた。
コン、コン、コン、と木製のハンマーが土台の石を固定していく。
基礎となる最初の一一個の石オブジェクトが設置された。
次いで、第二の石。
さらに、第三の石。
最高神マコト自身は、ただ腰の空虚なインベントリを満たし、自らの財布の残高を安定させるという極めて世俗的なタスクのために、次なる過酷で、磨り減るような大豊穣の神格化という名の大大大大不祥事の『基礎』が、自らのタイムラインのすぐ目の前で凄まじいトルクを以て建設を開始したという不都合な現実に――やはり、この時点においては、まだ気付いてはいなかったのである。




