第34章 私は同意していない
最高統治者モーレンは、自らの執務机を包囲するようにして腰掛けている農民たちをじっと凝視していた。
構成員の総数はそれほど多くはなかった。わずか六人。しかしその六人は、この開拓村ルーナに籍を置くほぼ全ての農民集団を代表する実務の担い手たちであった。そして今日、彼らは寸分の狂いもなく全く同一の要求仕様を持って、この中枢セクターへとアクセス(来訪)してきたのだ。
豊穣の神の像の布設。
モーレンは未だに、この不都合な通信がこれ以上の自己増殖を執行する手前で、完全に機能停止させられるのではないかと、微かな希望の演算を維持していた。
「そいつはあまりにも、過剰なコストを要求する大袈裟な仕様変更だよ」
村長は本日何度目か分からぬ拒絶ログを出力した。
「ですが、村長……」
一人の農民が声を張る。
「あたしたちはただ、今年の大収穫のログを物理的な記念データとして残したいだけなんだ」
「あたしは記念データを残す行為そのものを却下(拒絶)しているわけじゃないよ」
モーレンが冷淡に解説を付け加える。
「あたしが却下しているのは、その『像』の布設さ」
「なんでだい?」
「あんたたちが像を作ろうと目論んでいる張本人(対象オブジェクト)が、一微ミクロンもそれを要望していないからだよ」
執務室の中に、冷酷な静寂が沈み込んだ。その厳然たるファクトについては、その場に就いている全員がすでに正確に受信(把握)していた。
ボスはいつだって大真面目な真顔のまま、こちらの言葉をデバッグ(否定)してくる。「豊穣の神」という識別符号を出力されるたびに、彼は即座にアクセスを拒絶し、自分はそのようなローカル仕様の存在ではないと言い放つのだ。
問題の焦点は……、彼はその拒絶ログの後に、必ず別の突飛な文字列を継続させるという点にあった。
「私は、宇宙を設計した創世神ですよ」
そしてそのデカすぎる仕様(文字列)のせいで、村の誰一人として彼の言葉を本物の事実としてデコード(信用)できないという、悍ましい認知エラーが成立していた。
「まさに、そこなんだよ!」
長椅子の端に就いていた老齢の農民が、我が意を得たりといった風に日に焼けた胸を叩いた。
「ボスはただの一度だって、自分への報酬や実績の付着を要求しねえ仕様なんだ。……だからこそ、あたしたちの手で像を作るべきだって理屈になるだろ!」
モーレンは無言のまま、集会所の木製の天井を仰いだ。
一体どのタイムラインのどのセクターから、「過剰な謙虚さ」が「本物の神であることの物証」へと脳内で勝手に書き換え(アップデート)されるようになったのだろうか。統治者としての理性が、ジワジワと過負荷で磨り減っていくのが分かった。
その頃、集会所の外側のセクターにおいては。
マコトが、家畜の囲いフェンスを補強するための物理メンテナンス実務を地道に手助けしていた。木の柵の向こう側からは、一個体のヤギが彼の挙動をじっとロックオン(凝視)している。マコトもまた、その凪いだ瞳をヤギの網膜へと同期させた。
「おや、君の生体パラメータ(健康状態)は極めて良好の数値を維持しているようですね」
彼が実直につぶやくと、ヤギは短く「メェ」という音声データを出力した。
マコトの論理回路によれば、この低位生命体との通信プロトコルは、人間に比べるなら遥かにシンプルで等式としての美しさを保っていた。ヤギは決してこちらの発言を歪めて解読(誤解)しないし、不必要な感情のノイズを混入させて自滅したりはしないからだ。
そこへハンツが、新しく加工された木製の板オブジェクトを複数抱えて、不器用な足取りで立ち入ってきた。
「おい、ボス。まだその作業タスクは完了してねえのかい」
「ええ。あと数工程の物理移動を執行すれば、完了ログが出力されますよ」
マコトはその板を受領すると、フェンスの破損箇所への設置コマンドを実行し始めた。
しばらくの間、無言のまま物理メンテナンスを継続していたが、やがてハンツが、どこか探るようなトーンで言葉を投げかけてきた。
「おい、ボス。もしもな、……もしも村の連中が、あんたの姿を模した像を作りたいって言い出したら、あんたのシステム的にはどう判断するんだい?」
マコトの木製ハンマーを振り下ろす物理運動が、完璧に停止した。
「――却下ですね。絶対に同意(承認)しませんよ」
その拒絶の応答ログは、あまりにも迅速に出力された。ハンツが自らの質問文の全パケットを送信し終えるよりも、遥かに早いタイミングだった。
「……おいおい、まだ俺は詳細な仕様解説をしてねえぞ」
「その必要性は皆無です」
「なんでだい?」
マコトは、右手に保持していた木板の描線データを冷徹に精査した。
「『像』という物理構造物は、社会運営の観点から見れば、特定の概念を記号化するための象徴として機能するものですからね」
「そりゃあ、その通りの設計思想だな」
「ならば、その象徴の基本設計が最初から不整合を起こしている場合、それを受信する人間側のデータベースには、永続的に歪められた誤解のデータが自動布設されることになります」
ハンツはぱちくりと瞬きを繰り返した。
「そいつは……」
彼は自らの脳内台帳でその理屈を精査し、小さく首を縦に振った。
「……確かにな、筋の通った正論だぜ」
マコトは再び、フェンスの釘を物理的に打ち付けるルーチンワークへと復帰した。
「それ以前の問題としてね」
「なんだい」
「私は、豊穣世界のローカル仕様(豊穣の神)ではありません」
「ハハ、そいつは俺もよく分かってるさ」
「ならば、その間違ったラベルを模した構造物の建設は、存在の定義として完璧に矛盾しています」
「そいつの理屈も、間違いねえな」
ほんの数十秒の間、ハンツは自分たちの対話プロトコルが、これ以上ないほど論理的で完璧な整合性を保っているのだと、そう安堵の処理を行っていた。
しかし悲しいかな、彼は熟知していた。この開拓村を埋め尽くす大多数の知的生命体(人間)のシステムは、今しがた自分たちが共有したクリーンな等式とは、全く真逆のレイヤーで稼働しているという冷酷な現実を。
昼下がりのタイムラインを迎える頃。
最高統治者モーレンは、ついにマコトの個体を中央集会所の執務室へと呼び出した。
境界線を跨いで立ち入った瞬間、マコトの網膜には、早朝からこの中枢セクターに就いたままであった数人の農民たちの姿が投影された。すべての個体が、一斉に彼の方へと視線を同期させる。
「ボス、実務の時間を割かせて申し訳ないね」
モーレンが低い声を響かせる。
「ええ、構いませんよ。要求仕様を申告しなさい」
モーレンは長椅子に座る農民たちを一瞥し、それから肺の底から静かに溜息を出力した。
「彼らは、中央広場に『豊穣の神の像』を布設したいと要求しているんだ」
マコトは静かに首を縦に振った。
「その事象については、不整合であると断定します」
モーレンはまだ、自らの送信すべき説明パケットをすべて流し込み終えてはいなかった。しかしマコトの論理回路は、人間側の言葉を最後まで受信するコストを省き、即座に最終決定のリザルトを出力したのだ。
「私は、絶対に同意(承認)しませんよ」
彼は完全に凪いだトーンで、冷酷な事実を告げた。
農民の個体群が、互いに引きつった視線をリレーさせた。一人の農民が、自らのシステム限界を振り絞るようにして問いかけてきた。
「……なんでだい、ボス。何が不都合なんだよ」
マコトは一片のやましさもノイズもない純粋な瞳で、正面の農民を見据えた。
「なぜなら、今年のこの良好な大収穫の結果を出力したのは、私ではないからです」
「え……?」
「いいですか」
マコトは、仕様書の条項を一つずつ読み上げるように、実直に言葉を継続した。
「実際に初期の種蒔きタスクを実行したのは、あなた方です。日々、土壌の水分管理(水やり)を執行したのも、あなた方です。不都合な雑草の間引き(デバッグ)を継続したのも、あなた方です。毎日、太陽のオブジェクトが昇るあの日からロストするその瞬間まで、自らの労働リソース(肉体)を投資し続けたのは、他ならぬあなた方自身ですよ」
彼は、執務室に就いている農民たちの顔を一人ずつ冷徹にスキャンした。
「この現生環境に具現化された『大豊作』という名の成果は、あなた方自身のマンパワーの投入による実務執行の対価です。管理事務室に籍を置く私の実績ではありません」
マコトは一瞬の中断を置いて、結論を流し込んだ。
「もし仮に、この場所に何らかの物理構造物を布設せねばならぬルールなのだとしたら――最もその仕様に合致(相応しい)するのは、私ではなく、一人の『農民の姿』を模した像であるべきですがね」
集会所の全体が、水を打ったような静寂へと沈み込んだ。
誰一人として、彼の出力した高密度の音声データを遮るコマンドを実行(口を挟む)しようとはしなかった。隣の防壁ゲートの傍でその交渉ログを受信していたハンツもまた、無言のまま直立していた。
そのセリフは、尋常ならざる純度の「誠実な善意」に満ち満ちていた。そして実際のファクトとして、マコトの内面には一片の嘘も自己顕示欲も実装されてはいなかったのだ。彼はただ、客観的な仕様書のデータから逆算して、農民たちの労働実績を正確に評価(申告)したに過ぎなかった。自らはただ、少しばかり隣で雑草取りの手伝いという雑務をこなした居候に過ぎないのだから。
しかし、……。
これまでに墜落以来、数え切れぬほど発生してきたあの最悪のシステムエラーが、やはりこの中枢セクターにおいても、全く同一の不条理な等式を結んで稼働をキックオフしてしまった。
執務室に就いていた農民たちの認知フィルターは、最高神の実直な正論を、完璧に歪んだエラーコードでデコード(解釈)し始めたのだ。
「……あいつ、自分を模した像の建設すら却下しやがったぞ」
一人の農民が、感動のあまりその唇をガタガタと震わせながら、低い声のログを吐き出した。
「ああ。それどころか……全ての奇跡の手柄を、俺たちの泥臭い努力のおかげだって、あそこまで大真面目な顔で褒め称えてくれやがったんだ」
老農民が、畏怖の混ざった深い溜息を出力した。
「……神聖(尊すぎる)だ。これ以上ねえほど、俺たちの命をリスペクトしてくれる、本物の尊い神様だよ……!」
マコトはわずかに首を傾げた。
「……何かな?」
モーレンは無言のまま、自らの両の掌で老眼の交じった顔面を完全に覆い隠していた。プロとしての長年の統治経験に基づく予測演算が、この後のタイムラインに待ち受けている、修復不能な規模の大大大大不祥事のシナリオを正確に検出(先読み)してしまったからだ。
「ボス」
村長は力なく、消え入りそうな声を出力した。
「何だい、村長」
「……あんたのたった今執行した、その渾身の仕様解説だけどね」
「ええ、完璧に送信されましたが」
「――大失敗のエラー終了だよ」
マコトは静かに口を閉ざした。
彼は正面で涙を流し始めている農民たちを見つめ、次いで壁際で虚ろな目をして佇むハンツを見つめ、最後に再びモーレンへと視線を同期させた。
「私は、すべての因果関係を網羅した、不純物のない真実を出力しましたがね」
「ああ、そいつは事実だね」
「 拒絶の理由についても、これ以上ないほど論理的に解説を付け加えましたが」
「そいつの等式も完璧だったよ」
「ならばなぜ、このようなシステム応答になるのかね?」
モーレンは肺の底から、本日最も重い溜息を吐き出した。
「そこがな、あんたの言う『人間』という不完全なシステムの基本仕様だからだよ」
マコトはしばらくの間、執務室の全セクターを見渡したのち、自らの脳内台帳の備考欄に、極めて物悲しい新規の変更履歴を書き加えることにした。
「私は、人間という生命体のシステム構造(挙動特性)を、一微ミクロンも解読(理解)できませんね」
壁際のハンツが、引きつった表情のまま苦々しい笑みを出力した。
「ハハ……心配すんな、ボス。あんただけじゃねえ、俺たち人間自身だって、自分たちのこの狂った等式(仕様)は一微ミクロンも理解できてねえんだからな」
中央集会所の内部にいた誰一人として、この瞬間、自らの生存のタイムラインが取り返しのつかない決定的な「分岐点」を跨いでしまった事実に気付いている者は存在しなかった。
マコトは、自らの保有する全知のデータベースから導き出された最も論理的な等式を以て、像の建設タスクを徹底的に拒絶(却下)した。
しかし不運なことに、その一切の見返りを求めない純度百パーセントの「高潔な正論」こそが、かえって人間たちの共同幻想のシステム内部においては、――この眼前にいる奇妙な青年は、何が何でも、自らの全ての全力を以て『崇拝し、神格化せねばならぬ絶対者』であるという、最悪の確信を強固にロック(上書き登録)させてしまったのである。
そして知的生命体の持つ「畏怖(情動)」という名のノイズが、プロフェッショナルとしての「理性」を完璧にハッキング(凌駕)してしまったとき――。
その誤解という名の植物は、これまでのどのタイムラインよりも凄まじいトルクを以て自己増殖を開始し、開拓村全体のシステムを根底から書き換えるためのクリティカル・バグへ向けて、静かに、しかし確実な破壊音を立てて成長を継続していくのであった。




