第33章 神の像
芋の祭りは、深い夜のタイムラインを迎える頃にようやくクローズした。
中央セクターの巨大な焚き火オブジェクトは緩やかに光熱を失って鎮火し、長机やベンチの物理移動による片付け実務が静かに進行していく。夕刻まで主要道路を大声で敗走していた子供の個体群は、今は例外なく親の個体の背中の上で休止状態に入っていた。
ルーナの村には、再び牧歌的な静けさが戻ってきたのである。
しかし、すべての知的生命体が即座に自らの家屋へと帰還したわけではなかった。
まだ片付けの完了していない長机の席では、数人の農民たちが居残り、水椀に残された温かい熱量を口腔へと補給しながら対話を継続していた。
彼らの通信プロトコルは、まだ終了ログを残していなかった。むしろ、ここからが新たなる等式の組み立てのキックオフ(始まり)だったのだ。
「これほど完璧な出力結果を記録した祝祭は、本当に久しぶりだな」
一人の老齢の農民が、満足そうに髭を擦った。
「ああ、間違いねえ。実に見事なタイムラインだった」
「来年の収穫期も、これと同じ良好な数値を維持したいもんだなあ」
すべての個体が深く首を縦に振った。すると、一人の農民が声を潜め、未確定の新規要求仕様を流し込んだ。
「となるとよ……あたしたちはこの場所に、一つの明確な物証を残しておくべきなんじゃないか?」
「物証って……一体何を残すんだい」
「この素晴らしい大豊作の記憶を固定するための、記念オブジェクトさ」
空間に、一瞬の短い静寂が沈み込んだ。
その提案自体は、それほど非論理的なバグではなかった。どのような群生圏(集落)であっても、歴史的な重要変更履歴を保存するために、それぞれ固有のメソッドを実装しているものだからだ。
ある場所では記念樹を植樹し、ある場所では石碑オブジェクトを敷設し、またある場所では集落の防壁ゲートを新調する。
しかし、他の個体が別のアイデアを出力するよりも早く、一人の若い農民が確信に満ちた文字列を発した。
「――『像』を作るのはどうだい?」
「像?」
「ああ、そいつは素晴らしい」
「だが、一体誰の姿を模した構造物にするんだい?」
若い農民は、広場の隅に位置する薄暗い備蓄倉庫のセクターへと視線を同期させた。そこは、先ほどまでマコトが生真面目な動作で麻袋の片付けを代行し、祝祭タスクが終了する最後の瞬間まで地道に実務をこなしていた場所だった。
「――俺たちの『豊穣の神様』の像さ」
空間の全体に、再び重々しい静寂が沈み込んだ。
複数の個体が互いに引きつった視線を交わし合わせた。そのアイデアは、現在の辺境のインフラ規模から見れば、いささか過剰なコストを要求する仕様変更のように思われた。しかし不可解なことに、その場に就いていた誰一人として、そのコマンドを力ずくで却下(拒絶)しようとする者はいなかったのだ。
翌朝のタイムライン。
その書き換えられた新規の要求仕様は、早くも最高統治者モーレンの執務室へとパッチされた。
「……神の像、かね?」
村長は老眼の瞳を見開いて復唱した。
ハンツは日に焼けた首を縦に振った。
「ああ。今年の異常な大豊作のログを、物理的なデータとして村に永続保存しておきたいってさ」
モーレンは自らのこめかみを指先できつきつと圧迫し始めた。
「なぜ、わざわざそんな過剰な構造物を作る必要があるんだい」
ハンツは頑丈な肩をすくめた。
「俺にも分からんよ。たった今、村のトランクラインから受信したばかりのデータだからな」
「一体、誰がそのエラーコマンドをキックオフしたんだい」
「さあな……データ元が不整合を起こしてて、特定できねえ」
実際のファクトとして、発信源を突き止めるのは不可能だった。なぜならそのアイデアは、特定の個体が意図して設計したものではなく、社会のネットワークの中で自然発生したバグだからだ。
一人が口にし、周囲の受信機がそれを合理的だとデコードし、次の瞬間には集落全体のあたりまえの常識として流通され始める。噂と流行というものは、いつだって全く同一のアルゴリズムを以て増殖を執行するものなのだ。
「お前は、自らのデータ監査から見てどう判断するんだい?」
モーレンが問いかける。
村長は即座に回答を返さなかった。彼はゆっくりと立ち上がると、窓の外の環境へと視線を同期させた。
遥か遠くのセクターでは、マコトが相変わらず大理石のような無表情のまま、備蓄倉庫の壊れた柵の物理メンテナンスを地道に手助けしている最中だった。漂着した初日と、何一つつまらぬ仕様変更のない実直そのものの姿。
もしもあの青年が、村の連中が自らの姿を模した「崇拝オブジェクト」を勝手に布設しようと企んでいる事実を検知したなら、高確率で即座に拒絶のログを大音量でまくしたてるだろう。
そしてその正論の解説によって、こちらの脳細胞の過負荷(頭痛)がさらに跳ね上がることは目に見えていた。統治者として、これほどこめかみを破壊されるシナリオはなかった。
「……一時保留だ」
モーレンは重い溜息とともに、最終意思を出力した。
「数日間の時間を置いて、状況の様子を再監査しよう」
ハンツは納得の首を縦に振った。
「あたしも、それが一番コストの低い安全策だと思うぜ」
一方で、村中の主要道路で重大な実務問題として処理されているマコト自身は、そのような対話の履歴など、ただの一微ミクロンも関知していなかった。
彼は新しく補強された木製の柵オブジェクトを、冷徹な瞳で精査していた。
「全体の傾きパラメータは、これで完全に正常値へと書き換わりましたね」
彼が実直につぶやく。そこへちょうど立ち入ってきたハンツが、不思議そうに瞬きをした。
「あんた、わざわざ計測デバイスを使って測定したのかい?」
「いいえ。自らの網膜による視覚的なスキャンですよ」
「そいつは測定とは呼ばねえよ」
「しかし、因果律の等式から逆算してみても、極めて高精度な数値を示していますがね」
ハンツは喉を鳴らして笑い出した。
彼はもう、この青年の出力する不整合な文字列に、いちいち驚きのアラートを発するリソースを失っていた。マコトの中においては、路傍の柵の傾きから天体の運行システムにいたるまで、すべての事象が単一の論理的な等式を以て説明可能な仕様になっているのだから。
太陽の座標が天頂へと近づく頃。
一人の農民が、彼らの作業セクターへと不器用な足取りで接近してきた。
「ハンツ、ちょっといいかい」
「何かな? 申告しなさい」
「村の連中が数人、今日の食事交代のタイムラインに、集会所で村長との直接通信を要求しててさ」
「一体、どのようなエラー対応だい?」
「いや、不祥事じゃねえんだ」
農民の個体は、いささか気まずそうに顔面を引きつらせた。
「例の……像の仕様についてさ」
ハンツはそっと重い瞼を閉じた。
「……なるほど。完全に定着(ファクト化)しちまったか」
「何がですか?」
マコトが実直に問いかけたが、ハンツはただ重い溜息を吐き出すだけで、何一つの新しい返信データを送信しなかった。昨晩のあの極小の噂のさざ波が、すでに村の全トランクラインを侵食し、修復不能な規模まで自己増殖を執行してしまった現実を、彼は正確にデコードしていたからだ。
夕刻のタイムラインを迎える頃。
集会所の執務室は、数人の農民の個体群によって高密度な熱量を記録していた。
彼らはモーレンの木製執務机を包囲するようにして長椅子に腰掛けており、空間の様子は、通常の納税監査の会議に比べれば著しくおだやかでリラックスした肯定値を示していた。
「村長」
一人の年長の農民が口を開く。
「あたしたち、新しい要求仕様を持ってきたんだ」
「そのデータの一部なら、すでに今朝ハンツから受信しているよ」
モーレンが感情を削ぎ落とした無機質なトーンで応じる。
「そりゃあ話が早くて助かるぜ。等式が結びやすい」
農民は満足そうに微笑みを出力した。
「あたしたちは村の中央に、一つの像オブジェクトを布設(建設)したいんだ」
「だから、一体何の像を模した構造物なのかと、あたしは今朝から問いかけているんだよ」
空間が、水を打ったような静寂へと沈み込んだ。
やがて農民は覚悟を決めたように、偽らざる客観的な本音をそのまま実直に出力した。
「――『豊穣の神様』の像さ」
モーレンはきく目を閉じ、自らのこめかみを圧迫した。
予測演算の範囲内であった。しかし、その不都合な文字列を公式なミーティングの場で直接受信した厳然たるファクトは、やはり彼の脳細胞に凄まじい過負荷(頭痛)をもたらした。
「……そいつは、あまりにも過剰なコスト(大袈裟)だよ」
村長は自らの理性をメンテナンスしながら、言葉を慎重に選んで出力した。
「なぜなら当のボス自身、これまでのタイムラインにおいて、一度として自らの正体を豊穣の神などとは申告(認めて)していないのだからね」
すると、農民の個体は我が意を得たりといった風に、深く納得の首を縦に振ったのだ。
「だからこそ、あたしたちは最大級のリスペクトを差し出すべきなんだって!」
モーレンは言葉を失い、完全にフリーズした。
……一体、どのような論理のジャンプを執行すれば、その狂った結論へと着地できるというのか。
別の農民が、自発的に同調のログを流し込んできた。
「そうだよ、村長。もしあいつが、自分の執行した奇跡を鼻にかけてチヤホヤされたい仕様の俗物なら、最初から『俺は豊穣の神様だぞ』ってドヤ顔で確定申告してるはずだろ?」
「ああ、間違いねえ」
「なのに、あいつはいつだって大真面目な顔で『いいえ、私は創世神ですがね』って、わざわざ別の突飛な嘘をついてまで、自分の本当の手柄を頑なに拒絶し続けてる」
「その徹底的な生真面目さと、お人好しな仕様こそがさ、あいつが本物の尊い神様だって何よりの物証なんだよ!」
モーレンは、完全に自らの思考回路の主導権をロストしていた。
彼が自らの常識の全リソースを以てデバッグ(正論)を試みるたびに、なぜか人間側の認知フィルターは、それを「神の高潔さを証明する新たな上書きログ」として都合よくデコードしてしまうのだ。これまでのマコト自身の不毛な解説プロシージャと、完全に同一の最悪のチェーンエラー(バグ)が、今まさに自分のワークスペースの前で発生していた。
そんな村の中枢のノイズを他所に。
マコトは薄暗い備蓄倉庫の前において、無機質な岩石の上に腰掛け、地道に鍬のデバッグ(錆び取り)の実務を執行していた。
今日という一日の進捗は、彼の管理思想から見れば、極めて安全で満足度の高い数値を記録していた。
彼を豊穣の神と呼ぶ音声データの発信:皆無。
正体の解説を求める不毛な対話プロトコルの起動:ゼロ。
正確な仕様解説(真実)を出力して大爆笑されるエラーの発生:なし。
彼は、本日のタイムラインは極めてクリーンに最適化されていると、そう実直に評価していたのだ。
自らの置かれた周囲の知的生命体たちが、彼の全知のデータベースにはただの一微ミクロンも存在しない、悍ましいほどに不条理な構造物(崇拝オブジェクト)の布設に向けて、血眼になって議論を継続しているという不都合な事実に――最高神マコトは、やはり、この時点においては、まだ気付いてはいなかったのである。
像。
その物理的な形状や描線データは、未だ現生環境にはただの一微ミクロンも実体化(出力)されてはいなかった。
しかし、村の居住民たちの共同幻想のシステム内部においては、その絶対的な構造物は、すでに完璧な強度を以て中央広場に直立していたのだ。
そして、そのシステム変更を最も不都合なバグとして除外(却下)したいはずの張本人こそが、最終的には――その構造物のデザインそのものとして完全な固定化を遂げてしまうという因果の理を、まだ誰も解読できてはいなかったのであった。




