第32章 名誉ある客
収穫祭というものは、本来ならば簡素な祝祭として執り行われるはずだった。
それこそが、最高統治者モーレンの布設した初期計画であった。
木製の特設舞台はなし。過剰な演出の催し物もなし。集落の外部から特定の個体を招聘する予定も皆無。ただ、住民全員で一箇所に集まり、良好な収穫結果というファクトに対して等価の感謝を捧げながら食物を分け合う。それだけの素朴なルーチンワークのはずだったのだ。
しかし悲しいかな、知的生命体の組み立てた未来の予定というものは、往々にして別の個体の乱入によって仕様変更を余儀なくされるのが常であった。
太陽の座標が天頂へと達する少し前の時間帯。村の防壁ゲートを跨いで、一台の頑強な荷馬車が進入してきた。
それは、開拓村の住民が所有するオブジェクトではなかった。
木製の車体後部には、交易都市の中央セクターに籍を置く、高名な商会の識別符号が掲げられている。御者台に就いているのは日に焼けた中年の商人の個体であり、彼は年に数回のタイムラインにおいて、この集落の農産物を一括で購入していく常連の取引相手であった。
「おや、しばらくぶりだね」
モーレンが台帳から顔を上げて声をかける。商人は、馬の手綱を引きながら親しげな微笑みを出力した。
「ああ、村長。街の市場でな、今年のあんたたちの耕作地が異常な大豊作の数値を叩き出してるってログを受信してさ。居ても立ってもいられずに荷馬車を走らせてきたんだ」
「そいつは厳然たる事実だよ」
「いやあ、最初に噂を耳にしたときには、システムエラーか何かだと思って信用してなかったんだがねえ」
モーレンは唇の端を苦々しく歪め、かすかな苦笑を返した。ここ数日間のタイムラインにおいて、彼は全く同一の感想を耳にしすぎており、脳内回路がその音声データを環境ノイズとして処理し始めていたからだ。
「ちょうど良いタイミングでこの座標に到着したらしい」
行商人は、荷馬車の上から広場の様子を見渡した。
「何か、特別な実務でも起動しているのかい?」
「極小の、ただの収穫祭さ」
「ほう?」
商人は、長机の上に次々と並べられていく茹でジャガイモの山に視線を同期させた。
主要道路を大声で駆け回る子供の個体群。そして、いつもより著しく緊張のパラメータを低下させ、おだやかな様子で談笑している農民たち。
「……なぁ、村長」
男は御者台から飛び降りると、モーレンへと向き直った。
「……あたしも、その祝祭タスクに参加しても構わないかい?」
モーレンは喉を鳴らして短く笑った。
「ただの食事の共有(おすそ分け)で良ければ、拒絶する理由はどこにもないよ」
「そいつは有難い!」
太陽の座標が西へと傾き始める頃。
村の境界線には、さらに数人の新しい個体(外部の人間)が次々と漂着し始めていた。彼らは、モーレンが公式な招待状を送信したから来たわけではなかった。単に、この辺境の開拓村において未だかつてない大豊作の祭りがキックオフされているという音声データを道中で受信し、自発的に足取りを向けてきたに過ぎない。
行商人、旅の御者、さらには主要道路をたまたま通過中だった低位の冒険者の個体群。
彼らは本来、この集落で局所的な急速補給(一休み)を行うためだけに立ち寄った旅人だった。しかし、村全体の持つ無条件の歓迎レギュレーション(お祭り騒ぎ)によって、彼らもまた長机の席へと誘導され、作物の熱量を無償で享受する例外処理を受けることになったのだ。
「随分と、空間の個体密度が跳ね上がってきたな」
ハンツが水椀を片手に呟いた。
モーレンもまた首を縦に振る。
「あたしの予測演算を遥かに上回る規模だよ」
統治者としての本能は、この外部リソースの過剰な流入に対して、かすかな警戒アラートを発していた。しかし、彼らをシステムから力ずくで排除(追い出し)しようとまでは考えなかった。
祝祭とは、良好な出力を他者と共有するためのタイムラインなのだ。接続してくる個体数が多ければ多いほど、社会運営の観点から見れば良好な進捗と言えた。
マコトは中央広場の隅において、木製の長机を物理移動させるサポートを執行していた。そこへ、一人の幼い子供の個体が近づき、彼の衣服の裾を不器用な手つきで引っ張った。
「ボス」
「何かね?」
「お母ちゃんが、こっちの座標へ来いって言ってるよ」
マコトはその子供に追随し、一つの長机のセクターへと移動した。
席に就いていた村の女性が、彼に向けて隙のない良好な微笑みを出力した。
「ボス、早朝から会場の環境整備を手伝ってくれて有難うね」
マコトは一片のブレもない真顔のまま、首を横に振った。
「いいえ。住民全員がそれぞれのマンパワーを投入しているのですから、私だけが特別な実績(手柄)を保有しているわけではありませんよ」
「それでもさ、あんたが働いてくれたのは事実だろ」
女性は、たった今熱量の処理が完了したばかりの、湯気を立てる一皿の焼きジャガイモをマコトの正面へと設置した。
「さあ、お食べ」
マコトはその物理オブジェクトをじっと精査した。
「私はまだ、この食物の決済に値する等価の労働を支払っていませんがね」
「いいから、ただのプレゼント(贈り物)だよ」
マコトは再び、この下位世界特有の非論理的な概念に直面していた。
贈り物。システム設計の観点から見れば、因果関係の等式を著しく曖昧にする、極めて非効率な処理手順であった。しかしこれまでの短い漂流ログにおいて、この例外処理を頑なに拒絶しようと試みると、かえって周囲の人間が奇妙な情動エラーを起こして状況が泥沼化するというファクトを学習していたため、彼は実直にそれを受容することにした。
「……分かりました。リソースを補給しましょう」
女性は、完璧に満ち足りた表情を浮かべた。
その隣の長机の席では、先ほど村に立ち入ったばかりの交易都市の行商人たちが、その一連の実務交渉(やり取り)をじっと凝視していた。
「……おい、見たかい。村の連中、あの若い個体に対して著しく高い敬意のパラメータを同期させてるぜ」
一人の商人が、声を潜めて呟いた。
「ああ、間違いねえな」
同僚の個体が同意のログを返す。
「一体、何者なんだい、あいつは」
彼らの背後をたまたま通りかかった一人の農民が、エールの木椀を揺らしながら、世間話のトーンで気安く回答を出力した。
「ああ、あいつは『ボス』さ」
「ボス?」
「そうさ。村の外の奴らは、あいつのことを別の名前で識別してるらしいがね」
農民は一瞬の中断を置いて、自慢げに唇の端を釣り上げた。
「――『豊穣の神様』、さ」
行商人は、眼鏡の奥の瞳を爆発的に見開いた。
「豊穣の神……?」
「そうさ」
「ただの、あだ名(比喩)ではなくてかい?」
「さあな。だけど村の連中はみんな、本気であいつをそう呼んで処理してるぜ」
商人は、離れた座標に直立しているマコトの姿を再びロックオンした。
青年は今、農民の手助けとして木製のベンチを黙々と物理移動させている最中だった。
その外見データ(様子)は、周囲の農民たちと何一つとして違っていなかった。
高位の聖職者がまとうような高価な衣服を着用しているわけでもなく。
魔力を伝導させるための洗練された杖を保持しているわけでもない。
神殿の最高管理者が発するような、過剰な威圧の覇気もゼロ。
どこまでも普通。あまりにも、常識的な正常値に収まりすぎている。
「……あの若者が、本当にその張本人なのかい?」
「ああ、間違いねえ」
「この村の耕作地の出力結果を、数階層上の桁まで跳ね上げたっていう?」
すると農民は、即座に首を横に振ってエラーを申告した。
「いや、あいつ自身は、自分はそんな奇跡の要因じゃねえって大真面目に否定してるぜ」
商人は、ホッと安堵の息を漏らした。
「なるほど、やはりただの勘違い――」
「あいつ、自分は豊穣の神じゃなくて『創世神』だから、ジャガイモの管理なんか本来の仕事じゃねえんだってさ。ハハハ!」
空間に、完璧なフリーズが沈み込んだ。
行商人は、焦点を失った瞳で農民を見つめ、次いで再びマコトを見つめ、最後に農民へと視線を戻した。
「……はあ?」
「なぁ、最高に洗練されたジョークだろ?」
農民はそう言い残すと、愉快そうな爆笑のログを響かせながら敗走していった。
夜のタイムラインを迎える頃。
中央広場では、本格的な祝祭がキックオフされていた。
中央セクターの巨大な焚き火オブジェクトに炎の術式が点火され、長機の上は多種多様なジャガイモの食物で埋め尽くされ、広場の全体には爆発的な音量の談笑データが満ち満ちていた。
マコトは広場の最外周の隅において、ハンツと並んで木製ベンチに腰掛けていた。彼はただ真顔のまま、知的生命体たちが互いにリソースを等価交換(食事の共有)している様子を静観していた。
「ハンツ」
「なんだい、ボス」
「人間の布いたこの祝祭というシステムは、私の演算結果から見ても、それなりに高効率な仕様ですね」
ハンツは喉を鳴らして笑い出した。
「効率的、かね?」
「ええ。全ての個体が一つのセクターに集結して一括してリソースを補給し、全員のマンパワーを投入して会場のデバッグ(清掃)を行い、全員の表情パラメータが良好な肯定値を示している。社会維持の観点から見ても、極めて美しい設計思想です」
ハンツは素朴な微笑みを深めた。
「あんたにそう評価してもらえると、俺たちの地味な苦労も報われるってもんだぜ、ボス」
まさにその時、最高統治者モーレンが、数人の外部の行商人たちを先導しながら彼らの座標へと接近してきた。
「村長、本日はこれ以上ないほど素晴らしいタイムライン(歓待)をありがとうございました」
商人の個体が、丁重な礼のコマンドを実行した。
「いいえ、問題ありませんよ」
「それにしても……私たちは道中、この村に関する驚異的な変更履歴(噂)を無数に受信してきたのですがね」
モーレンは、その先の展開を完璧に予測演算していた。
「一体、どのような内容かね?」
「作物の収穫量の爆発的なアップデートについて」
「備蓄倉庫の容量不足について」
「そして何よりも、……」
商人は、視線のベクトルをマコトの個体へと完全に同期させた。
「――『豊穣の神様』について、ですよ」
モーレンは数秒の間、そっと重い瞼を閉じ、自らの理性をメンテナンスした。
あの不都合な識別符号は、ついにこの開拓村のネットワーク圏外へと完全にリーク(拡散)してしまったらしい。自らの予測演算よりも、遥かに迅速な処理速度であった。
「……あいつは、決してそのような神では――」
村長は発話を中途でフリーズ(停止)させた。
その拒絶ログ(言い訳)は、これまでの歴史において自らが何十回、何百回と繰り返してきた耳馴染みのある定型句そのものだったからだ。そして極めて不条理なことに、自らがその正論を出力してデバッグを試みるたびに、なぜか周囲の受信機側の誤解パラメータはさらに跳ね上がるという、最悪のバグ仕様が成立していた。
商人は、満足そうな微笑みのパラメータを崩さなかった。
「いやあ、あたしたちもただ、その特異なオブジェクトに深い好奇心を抱いているだけですから」
モーレンは、肺の底から本日最も長い溜息を吐き出した。
「……だったら、あそこの青年に、直接質問のコマンドを送信してみなさい」
「ええ、そうさせていただきます」
商人の個体は深く首を縦に振ると、真っ直ぐマコトの座るベンチへと歩みを進めた。
ハンツはその接近を検知するなり、隣の最高神の耳元へと声を潜めた。
「ボス」
「何かね?」
「俺の環境センサーが告げてるぜ。あんたとの対話接続を要求してる個体(街の商人)が、真っ直ぐこっちに直進してきてる」
マコトが無表情に首を巡らせると、行商人はこれ以上ないほど洗練された丁重な動作で、上体を斜め下へと物理移動(お辞儀)させた。
「突然のアクセス、失礼いたします」
「ええ、構いませんよ。申告しなさい」
「私はこれまでに、あなたの保有する驚異的な実績を数多く受信してきました」
マコトはわずかに首を傾げた。
「ふむ。人間の流通させるネットワークのデータ特性から逆算するに、君の受信した情報の大半は、完璧に間違ったエラーコード(不正確なもの)である確率が著しく高いですがね」
商人は喉を鳴らしてクスクスと大笑いした。
その徹底的に生真面目な警告が、彼の限定的な認知フィルターにおいては、「これ以上ないほど洗練された謙虚さの表現」として都合よくデコードされたからだ。マコト自身は、単なる客観的なデータ監査の結果を実直に出力したに過ぎなかったのだが。
「ハハハ、そいつは傑作だ。……ですが、私は今日、この座標であたしたちの網膜をあなたと同期(お会い)できたことを、最大級の光栄(パラメータの向上)だと感じていますよ」
マコトは再び首を傾げた。
「光栄、かね?」
「ええ」
商人は、一切の不純物を含まない誠実な微笑を出力した。
「何しろ、……」
男は一瞬の中断を置いて、仕様書の結びを宣言するように言い放った。
「……この素晴らしい芋の祭りにおける、最大の『名誉ある客』の正体を、こうして自らの目で確認することができたのですからね」
最高神マコトは、静かに瞬きを繰り返した。
それから、ゆっくりと首を巡らせ、隣のハンツの顔を見つめた。
「ハンツ」
「おう、全部聞こえてたぜ、ボス」
「……またしても、システムの一部に深刻なデータ不整合が検出されましたよ」
初老の農民は、もはや声を発するリソースすら失ったかのように、ただ虚ろな瞳で天井のない漆黒の夜空を見上げ続けた。
なぜなら彼の野生の直感が、自らの目の前にあるその極小のエラーのさざ波が、――もはや、この下位世界のいかなる統治レギュレーションを以てしても、絶対に機能停止させることのできない、破滅的な規模の大大大大不祥事へと完全に起動してしまったのだと、冷酷に確信していたからである。




