第22章 誤解
その日の朝、耕作地の全体に奇妙な困惑が群生していた。
作物が全滅したわけではなかった。不都合な怪物の襲撃に遭ったわけでもない。局所的な悪天候に見舞われたわけでもなかった。
事象の出力結果は、むしろその真逆であった。
作物の収穫量が、想定値を著しく上回っていたのだ。
ハンツは畑の中央に立ち、たった今引き抜いたばかりの一株の作物を手の中で厳かに観察していた。その表情パラメータは、まるで枯れ木の上に魚の存在を検出してしまった個体のように、深い認知のエラーに染まっている。
「……おかしい」
初老の農民が、肺の底からかすれた声で呟いた。近くにいた別の農民も、何度も深く首を縦に振る。
「ああ、あまりにも不自然だ」
「私も、全く同感ですね」
彼らから数歩下がった路傍で、最高神マコトは両手で空の衣服の隙間を確認しながら、淡々と対話のログを受信していた。
マコトの客観的な観測データから見ても、作物の出来栄え自体は極めて良好な数値を記録しているように思われた。しかし、周囲の知的生命体たちの生体反応は、いささか過剰な防衛反応を示しているように見えた。
「何か、実務上の問題でも発生しましたかね?」
マコトが生真面目なトーンで問いかけた。
ハンツはぎこちない動作で首を巡らせると、眼前に広がる作物の波を無造作に指し示した。
「問題はな……何一つとして問題が起きてねえってことそのものなんだよ」
「それはシステムとして、著しく肯定的な結果のはずですが」
「だからこそ怖いんだよ! これじゃあ逆に先行きが不安で夜も眠れねえ!」
マコトには、その人間固有の非論理的な思考回路が全く理解できなかった。彼ら知的生命体には、良好な出力結果に対して、わざわざ不必要な疑念を混入させて自滅していくという、奇妙な認知の習性があるらしい。
その間も、農民たちは収穫物の計量タスクを地道に継続していた。
麻袋が次々と積み上げられ、収穫物の山はその容積を急速に拡大していく。山は膨らみ、さらに膨らみ、彼らの予測上限値を軽々と突破して増殖を続けていった。
時間の経過とともに、農民たちの表情は言葉による記述が困難なほどに引きつっていった。マコトの観測ログによれば、彼らは同じ麻袋の数量を何度も数え直し、初期化し、三度目の監査を実行していた。
あたかも、そうして検証メソッドを繰り返せば、台帳の数字が勝手に「常識的な数値」へと書き換わってくれるのではないかと、そう盲目的に信用しているかのような挙動だった。しかし無情なことに、数字は人間の希望を一切顧みることはない。
「……通常に比べて、三割以上もデータ(収穫量)が多いぞ」
一人の農民が、恐怖に震える声でつぶやいた。
「違う、三割どころじゃねえ」
別の農民が、引きつった声で数値を修正する。
「これ、四割近く跳ね上がってやがるぞ……!」
耕作地に、再び重苦しい静寂が沈み込んだ。
ハンツは積み上がった麻袋の山を見つめ、次いでマコトを見つめ、最後に再び麻袋へと視線を戻した。
マコトは、自らの個体が他者から一方的に精査されているのを敏感に検知した。この世界線に漂着して以来、著しく頻発するシステム挙動であった。
「尋ねたいのだが、なぜ君はそう何度も私の個体へと視線を同期させるのかね?」
「……さあな、自分でもよく分からんよ」
ハンツが実直にエラーの申告を行う。
「それは、対話のプロトコルとして著しく不条理な応答だね」
「俺だってそう思ってるさ」
ハンツは再び、日に焼けた己の頭を乱暴に掻きむしった。
論理的な等式から見れば、作物の出力結果がこれほど爆発的に向上した背景には、必ず相関関係のある明確な要因が存在せねばならない。気象パラメータの好転、土壌に含まれる栄養素の急増、あるいは種子の仕様の変更。
しかし不都合なことに、過去の環境データと照合してみても、それらの外的要因は昨年と全く同一の数値を維持していたのだ。
ただ一つ、――明確に異なる新規のオブジェクトを除いては。
ハンツの視線が、再びゆっくりとマコトの方へと固定された。
マコトはそのパラメータの変化を観察し、ある重要な事実を思い出した。人間という不完全なシステムは、往々にして「因果関係の誤認」を起こす習性がある。全く関連性のない事象を、自らの限定的な視野の中で勝手に等式として結びつけてしまうのだ。
彼は実務的なサポート(親切心)から、不要なバグを未然に修正するための確定申告を行うことにした。
「私は、この事象の発生要因(原因)ではありませんよ」
マコトは偽らざる客観的事実をそのまま実直に出力した。
直後、ハンツの身体が完璧に凍りついた。隣にいた農民の個体も、同じくフリーズした。周囲の耕作地で作業をしていた複数の生命体までもが、一斉にこちらへと首を巡らせる。
マコトは首を縦に振った。これで余計な認知バグは排除され、状況のログはクリーンに初期化されたはずだった。
しかし悲しいかな、人間側の受信機は、それを全く異なるエラーコードでデコード(解釈)したようだった。
「……あたしたちは、まだ何一つ言葉を発していないよ、ボス」
ハンツが低い声を絞り出す。
「ええ。だからこそ、先手を打ってバグの修正を執行したのですよ」
「……何だって?」
「他者に対して理由なき不審の視線を向ける行為は、往々にして、脳内で非論理的な因果の等式が形成されつつあるプロセスの証拠ですからね。予測演算は容易です」
農民たちは、互いに焦白した視線を交わし合わせた。
やがて、そのうちの一人が唇をガタガタと震わせながら、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……こいつ、気づいてやがるぞ」
「どこにだい?」
「俺たちが今、頭の中で考えてた思考データに、先回りでパッチ(修正)を当ててきやがったんだ……!」
マコトは無表情のまま頷いた。
「ええ、当然です。現在の生存環境においては、人間の挙動特性など極めて容易に予測可能なパラメータに過ぎませんからね」
耕作地を満たす静寂が、ますます悍ましい不条理のズレへと沈み込んでいった。
彼ら農民たちの限定的な認知能力から見れば、この青年の徹底的に生真面目な回答は、自らの思考盗聴を平然と肯定した「底知れぬ上位存在の間接的な告白」として歪んで受容されたからだ。
マコト自身にとっては、これは単なる長年の管理実務経験に基づく、普遍的な行動予測のファクト(事実)を述べたに過ぎなかったのだが。
ハンツの脳内で、最最大級の不吉なアラートが鳴り響き始めていた。
彼の短い生存ログ(経験)が、このマコトという青年が実務に関与した瞬間から、村の因果律のシナリオが著しく過酷な大騒動へと起動されつつあることを正確に検出していたからだ。
「――とにかく!」
ハンツは事態の泥沼化を防ぐために、早口で言葉を遮った。
「大収穫ってのは、本来ならおめでたい肯定的なファクト(良いこと)なんだ!」
「ええ、その通りですね」
「だったらあたしたちは、ただその出力を喜んでりゃいいんだよ!」
「それも、論理的には正しい態度ですね」
「よし、これでこの話は完了だ!」
構造としては、完璧な等式が成立したはずだった。しかし悲しいかな、人間という生き物は、目の前に明確な結論が提示されたからといって、自らの思考の稼働(好奇心)を停止させるほど合理的な設計にはなっていない。とりわけ、バグを目の当たりにした個体群はなおさらだった。
昼時の食事交代に入る頃には、この耕作地における「大収穫のエラーログ」は、爆発的な勢いで村全体のネットワークへと拡散していった。
農民が自らの家族へとデータを送信し、家族が隣人へと共有し、隣人が別のセクターへと流通させる。太陽の座標が天頂へと達するよりも早く、この開拓村のほぼ全個体が、「今年のハンツの畑の出力結果は異常である」というファクトを共有するに至ったのだ。
そして必然的に、次なる検証コマンド(問い)が起動する。
――なぜか?
その問いのパラメータは、個体から個体へと次々にリレーされ、その通過プロセスにおいて内容が緩やかに書き換わっていった。
「今年の気象パラメータが良好だったからじゃないか?」
「いや、大気の組成も日照時間も昨年と全く同じデータだぞ」
「新規の種子を採用したのか?」
「ハンツが外部から新種のオブジェクトを購入したログは存在しない」
「ならば、あの耕作地の地力そのものが急激にアップデートされたのか?」
「土壌のデータも昨年と寸分違わぬ粗末なままだ」
その時、一人の住民が、過去の重要な変更履歴(仕様変更)をサルベージした。
「……ハンツは数日前から、あの街から流れ着いた奇妙な外来者を雇用してたはずだぜ」
空間の対話ログが、一瞬にして完璧に静止した。
村の全知的生命体が、その識別符号(名前)の指し示す本質を完全にロックオンしたからだ。
ボス。
己の本質は宇宙の法則を布いた創世神であると大真面目に主張し、貨幣を一枚も所持せず、文字の読み書きと算術計算において天界最高のオフィススペックを現実に証明してみせた、あの風変わりなインテリの青年。
「……まさか、そんなことは論理的にあり得ないだろ」
「ああ、お伽話じゃあるまいし、あり得ないね」
「構造として、非論理的すぎる」
「その通りだ」
彼らは一様にその可能性を拒絶し、システムから除外することに合意した。
――そして合意したまま、自らの脳内リソースのすべてを、その可能性の検証へと割き続けたのである。
人間という生命体には、事象の発生確率がゼロに近ければ近いほど、かえってそのデータに対する思考の稼働率(執着)を跳ね上げるという、著しくユニークなバグ仕様(習性)があったからだ。
夕刻のタイムラインを迎える頃には、村の内部において、この大収穫のファクトと「ボスの漂着」というオブジェクトを脳内で直結させる個体の数量は、指数関数的な増加を記録していた。彼らがそうしたのは、真実を信用したからではなかった。むしろその逆で、一微ミクロンも信用していないからこそ、この不条理な現生データを説明するための、より整合性の高い「別の言い訳(仕様書)」を持ち合わせていなかったからに過ぎない。
最高神マコト自身は、そのような人間の脳内で急速に増殖しつつある認知エラーの存在など、ただの一微ミクロンも感知してはいなかった。
彼はただ、実直な足取りで、収穫された大量の麻袋を村の備蓄倉庫へと物理移動(運搬)する実務を淡々と代行していた。
マコトの見解によれば、今日という一日の実務進捗は、極めて満足度の高い数値を記録していた。
タスクの完了:成功。
不都合な怪物の乱入:皆無。
処理の面倒なゴブリンの群れ:不在。
役所主義的な雇用面接の発生:なし。
認知過負荷を伴う適性検査の要求:ゼロ。
そして何よりも好ましいことに、彼が自らの正体を「創世神」と口にしても、大笑いして台帳を叩くような非論理的なノイズを発生させる者が、本日はただの一名も観測されなかった。
実に美しく、クリーンに最適化された、平和な一日。
最高神マコトは、自らのタイムラインのすぐ目の前において、この開拓村を全滅させかねない規模の「過去最大にして最悪の誤解の種子」が、今まさに恐ろしいトルクを以て発芽を起動したという不都合なファクトに――やはり、この時点においては、まだ気付いてはいなかったのである。
そしてその誤解という名の植物もまた、人間たちの盲目的な信用というエネルギーを吸収し、自らの最終的な収穫期へ向けて、静かに、しかし確実な音を立てて成長を継続しているのであった。




