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『異世界に飛ばされた神だけど、誰も俺が神だと信じてくれない』  作者:
芋の神の生誕

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第18章 大陸ごと消去しましょう

 交易都市の頑強な石門を背にして歩み進めるにつれ、周囲の喧騒は緩やかに引いていき、代わりにどこまでも平坦な静寂が荒野を包み込んでいった。目的地である東方の牧場へと続く土路の旅路は、少なくとも最初の一時間のうちは、マコトの予測演算の範囲内に収まる極めて穏やかなものだった。

 頭上からは夏の強い太陽が容赦のない熱量を放射していたが、時折吹き抜ける涼やかな風が、青々とした小麦畑をさざ波のように揺らし、乾いた草木の香気を鼻腔へと運んでくる。どこか遠くの地平線では、名前も知らぬ野生の鳥たちが緩やかな放物線を描いて飛び交い、交易に向かう馬車の車輪が放つ規則的な振動だけが、大地の底から伝わってきた。


 マコト自身、この世界線に墜落して以来、初めて心に小さな安らぎを覚えていた。人間という知的生命体が口を開き、自らの狭い常識でこちらの真実を遮断するたびに、必ず何らかの不条理な大不祥事が起動してきたからだ。それに比べれば、この世界の自然環境は遥かにシンプルで、等式としての美しさを保っている。路傍の木々は決してこちらの意図を誤解しないし、無機質な岩石は彼が創世神だと名乗っても大笑いして台帳を叩いたりはしない。大気を行き交う鳥たちだって、実務的な証明書や前職の雇用契約書を求めて、彼のこめかみを破壊しにきたりはしないのだ。自然とは常に、設計通りの正常な数値を維持しているからこそ心地よい。


 しかし、その均衡はあまりにも唐突に、そして暴力的な音を立てて崩壊した。

 静かな大気を切り裂くように、前方のはるか彼方から、肺の底を絞り出すような甲高い悲鳴と怒号が響いてきたのだ。マコトは人間の肉体という不自由な乗り物の歩行コマンドをぴたりと停止させ、音が伝播してきた方角へと静かに首を巡らせた。


 本道から細く枝分かれした、草むらの深い脇道の向こうから、三人の男たちが必死の形相で土を跳ね上げながら走ってくるのが見えた。彼らの衣服は破れ、背後には緑色の不気味な肌をした、複数の小さな影が影法師のようにぴったりと追随している。ゴブリンだ。

 マコトはその生命体のシルエットを検知した瞬間、脳内のデータベースから生態系のデータを瞬時に引き出した。彼らは粗末な木製の棍棒や錆びついた小刀を滅茶苦茶に振り回しながら、けたたましい不協和音の叫び声を上げて移動している。数は八匹、あるいは九匹。せわしなく不規則な運動を繰り返すため正確な個体数のカウントは難しかったが、追われている人間側が死の恐怖によって完全に恐慌状態に陥っていることだけは、流れる汗の量と引きつった表情から一目で分かった。


「クソが、足がもつれやがる!」

「なんでこんな開拓地の近くに、これほどの数が群生してやがんだよ!?」

「いいから走れ、足を止めたらそこで処理されるぞ!」


 マコトはその押し寄せる混沌とした光景を、一歩も動かずに観察し続けた。現状における客観的なデータ分析を行うならば、怪物の個体数は多数であり、人間の個体数は少数。人間側は防衛手段を持たずに一方的な敗走を執行中であり、怪物側がその脆弱性を突いて追撃のコマンドを維持している。現在のこの脆弱な人間の器に直結する、実務上の重大な問題の発生であった。


 まさにその時、必死の逃走を続けていた男たちの一人が、路傍に直立するマコトの姿を視界の端に捉えた。その絶望に染まっていた瞳に、溺れる者が藁を掴むかのような、すがるような光が灯る。

「おい、そこのあんた! 突っ立ってないでくれ!」

 男は喉の粘膜をからしながら、狂ったように絶叫した。

「頼む、死にたくない! 助けてくれ!!」


 マコトは依然として、大理石のような無表情のままその座標に静止していた。他者からの緊急の救助要請。社会的な相互扶助のレギュレーションとしては、極めて一般的で真っ当な手順だ。しかし、ここには今の彼にとって、無視できない決定的な脆弱性が残されていた。

「私はこれまでの膨大な生存ログにおいて、直接物理的な暴力を以て他者を排除する戦闘行為を、ただの一度として行ったことがないのですがね」

 彼は何一つ嘘偽りのない真実を、そのまま実直に呟いた。しかし悲しいかな、その静かな声が、風の音と怪物の咆哮にかき消されて彼らの受信機に届くことはなかった。三人の男たちはすでにマコトの目の前までなだれ込んできており、その後ろからはゴブリンの群れが、放たれた矢のような速度ですぐ数メートル先まで肉薄していたのだ。


 マコトは眼前にまで迫った緑色の集団をじっと見つめ、自らの脳内で高速の演算を開始した。この発生したエラーに対する、最も効率的で確実な解決策は何か。

 気が遠くなるほど昔の、宇宙の初期化ルーチンを辿れば、この類の生態系バグに対する解決手順は極めてシンプルだった。もし特定の地殻領域が、知的生命体の生存にとって過剰な脅威や不都合なエラーを永続的に生み出し続けているのであれば――。

「大陸ごと消去しましょう」

 マコトは無意識のうちに、かつての絶対的な管理手順を口ずさんだ。それは、事象のバランスが崩壊して修復不能に陥った一部の世界線に対して、彼が何度も実行し、一瞬でカオスをリセットしてきた、最高管理者としての絶対的な緊急避難のプロシージャだった。大陸ごと地殻をマントルへと沈めてしまえば、怪物の群れなど一微ミクロンも残らず消滅する。極めて美しく、確実な処理方法だ。


 しかし――そこまで思考を進めて、マコトは自らの現在のレギュレーションを思い出した。現在の自分は、天界の強制的な転生によってすべての創世の権能をアクセス拒絶されている。大陸を消し飛ばして事象を書き換えることなど逆立ちしてもできないし、それどころか、目の前のスープの代金である銅貨一枚すら無から生み出すことのできない、極めて不自由な人間の器に過ぎないのだ。したがって、その全能的な最大出力プランは、実務上のエラーとして真っ先に除外せねばならなかった。

「……いえ、現在の脆弱な仕様においては実行不可能です。却下ですね」

 彼は一人で論理的帰結に納得すると、ため息混じりに小さく首を振った。


 だが不運なことに、必死に走り込んできてマコトのすぐ脇をすり抜けた男の一人が、その静かなつぶやきの前半部分を、完璧な精度で聞き取ってしまっていた。

「……はあ!?」

 極限のパニック状態にあった男の脳細胞が、その言葉の背後にある超次元的な意味を正しく処理できるわけがなかった。彼が耳にしたのは、目の前で大真面目な真顔を崩さない青年が放った、「大陸ごと消去しましょう」という、世界を滅ぼしかねない狂気的な提案と、それに続く、「……いえ、今の仕様では不可能です」という、まるで予算が足りなくて諦めたかのような、底知れぬ独り言だけだったのだ。


 人間という生き物は、生命の危機に瀕すると、自らの防衛本能に従って最も極端な結論を瞬時に導き出す認知特性がある。男は走りながら、完璧に間違った、しかし彼にとっては極めて論理的な解釈を脳内に布設した。

(何なんだこの男は……!? 今、この一帯を、俺たちもろとも大陸ごと吹き飛ばそうとしたのか……!? 不可能ですって、もし可能なら今すぐ消すつもりだったのかよ……!?)


 そんな人間の脳内における激しい矛盾と恐怖のパラメータの変化を余所に、マコトはなおも現実的な解決の数式を模索していた。ゴブリンの群れはいよいよ彼の数歩手前まで肉薄している。八匹、あるいは九匹。個体の体躯は著しく小さく、保持している武器も劣悪。個体間の連携能力も極めて低い。天界の基準から見れば、それほど脅威度の高い存在ではないはずだった。

 問題は、理論上の数値と、実際の物理的な出力は往々にして異なるという点だ。彼は戦ったことがない。ただの一度も。数億年前に神界の全セクターを揺るがした大戦が勃発した際にも、彼の主な実務は後方の物流管理と事務処理の監査、そしてセリアから投げつけられる報告書の査定だったのだ。前線で直接拳を振るうなどという非効率なログは皆無だった。


「通常、人間はこのような事態に直面した際、一体どのような手順で対処するのが一般的でしょうか」

 マコトは、自らの後ろでガタガタと震えている男へと実直に問いかけた。先ほど彼の大陸消去のつぶやきを聞いて完全に腰が抜けていた男は、恐怖のあまり顔面を真っ白に染めながら、迫り来るゴブリンの先頭を、震える指先で必死に指し示した。

「そ、それを! あいつらの最大出力を、今すぐあんたがどうにかするんだよ!」

 男は絶叫した。

「それが、今すぐこの場で執行されるべき実務だろ!」


 マコトはそちらに視線を戻した。

「おや、なるほど」

 それは筋が通っている。目の前にある直接的な脅威は、速やかにシステムから排除せねばならない。ただ、その具体的な攻撃のコマンドが未だに不明瞭なままであった。


 彼はあと数歩の距離まで肉薄してきたゴブリンたちを見つめ、次いで息を切らして土の上に崩れ落ちる三人の男たちを見つめ、最後に再び緑色の怪物たちの挙動へと目を戻した。先頭のゴブリンが下品な唾液を撒き散らしながら声を張り上げ、粗末な棍棒を頭上高くへと振り上げる。

 マコトはその運動の軌跡を厳かに観察すると、一片のブレもない実直なトーンで、仕様書を読み上げるように告げた。


「客観的な統計データから見せていただくと、あなた方は著しく個体の最大出力が低いようですね。非常に弱そうです」


 当然、ゴブリンたちが人間の言語を理解できるわけもなかった。しかし、その背後でへたり込んでいた三人の男たちは、その冷徹な物言いに文字通りひっくり返りそうになった。マコトの声の響きが、眼前の怪物に命を脅かされている者のそれではなく、まるで今年の小麦の収穫報告書の不備を淡々と監査している役人のそれと完全に一致していたからだ。恐怖のパラメータが、一微ミクロンも検出できない。だからこそ、その場の空気は悍ましいほどの不条理なズレに包まれていった。


 怪物の咆哮が響き渡るただ中、マコトはなおも真顔のまま、実務的な解決の等式を組み立てようと思案を継続していた。彼らが知る由もなかったが、この荒野 the 分岐路において――彼の意図せぬところで、全マルチバースを揺るがすレベルの新たなる誤解のシナリオが、すでに完璧な論理のすれ違いによってキックオフされていたのである。


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2026/09/09 公開予定

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