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『異世界に飛ばされた神だけど、誰も俺が神だと信じてくれない』  作者:
芋の神の生誕

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第15章 初の依頼(クエスト)

 冒険者ギルドの受付リサは、三枚の要求仕様書(羊皮紙)を木製のカウンターの上に静かに設置した。

 マコトはそのオブジェクトを精密にスキャン(観察)した。

 三枚の書類。三つの職務。貨幣というエネルギーソースを獲得するための、三通りのプロシージャ(手段)。

 社会設計の観点から見て、実にあじわい深いシステムであった。

 過去数十億年の歴史において、彼は己のプライベートな生命維持コスト(生活費)など一微ミクロンも考慮することなく、ただ無から有へと多次元世界を創造してきたのだ。それが今や、一介の人間として地道に仕事を選択せねばならない。最高管理者としての長い生存ログにおいて、これは完全に未知の新規イベント(初体験)であった。


「これが初心者向けの依頼クエストだよ」

 リサが事務的なトーンで告げる。

 マコトは首を縦に振った。

「尋ねたいのだが、その『初心者』という識別符号の正確な定義(仕様)はなんだい?」

 リサは眼鏡の奥の瞳を僅かに細めて、彼を見つめた。

「……実務を始めたばかりの、未熟な個体のことさね」

「ふむ。極めて明快で、反論の余地のない定義だね」

「そりゃあ、どうも」

「それは、私に対する賛辞リスペクトかね?」

「違うよ」


 マコトは、人間という生命体のコミュニケーションプロトコル(会話)には、著しく非効率的な多重構造レイヤーが実装されているのだという相関関係を、また一つデバッグ(学習)した。


 リサは太い指先で、一枚目の羊皮紙を指し示した。

「まずは、倉庫の清掃業務」

 マコトはその記述データを読み解いた。要求タスクは至って単純であった。物理的な物品の移送、および堆積した塵埃の除去、木製の保管箱の再配置。設定されている完了報酬は、銅貨二枚。

 マコトは即座に脳内で経済等式の演算を執行した。

 昨日、開拓村の宿屋で摂取した有機物スープとパンの決済単価は、銅貨三枚であった。すなわち、案内人ハンツに対する債務(借金)を完全に消去するだけでも、この清掃タスクを最低二回は完了せねばならないという計算になる。

 人間の布いた下位の経済システムというものは、想定以上に運用レギュレーションが過酷であるらしい。


 リサは二枚目の羊皮紙へと指を滑らせた。

「次は、物資の運送業務」

 マコトは再びデータを精査した。

 隣接する集落セクターへの局所的な物理移動。設定報酬は、銅貨四枚。環境の危険度パラメータは著しく低く、等式としての整合性は極めて高いと言える。


 そしてリサは、三枚目の羊皮紙を無造作に叩いた。

「最後は、ゴブリンの討伐業務」

 マコトはその文字列を検知した瞬間、脳内のデータベースから一つの類似データをサルベージした。

 ゴブリン。彼がこれまでに紡ぎ出してきた数多の下位世界線において、最も高い確率で自然発生する、お馴染みの亜人種族バグであった。

 個体特性:小型、好戦的。

 行動仕様:局所的な集落への不法侵入、および略奪。

 生産性:皆無。

 苦情の発生件数:最大値。

 神界の管理事務室の観点から言えば、彼らは生態系の維持管理において「著しく注文が多く、処理の面倒な残業書類」のような存在であった。


「通常、新規に登録された個体は、どのタスクを優先的に選択する傾向があるかね?」

 マコトが実務的な参考データを求めた。

「個体が保有する戦闘スペック(腕前)によるね」

 リサが淡々と応じる。

「ならば客観的な観測事実から逆算するに、現在の私の仕様スペックに最も合致するタスクはどれかね?」

 リサは言葉を失い、完全にフリーズした。

 それは、実務的には極めて返答の難しいバグ(質問)であったからだ。通常、彼女はステータスカードに記述された数値データを基準として、登録者の実力を客観的に評価するのが常であった。レベル、スキル、アトリビュート、過去の戦闘ログ。

 しかし、目の前に座るこのマコトという特異個体には、それらのインフラデータがただの一微ミクロンも存在しない。というより、測定システム側が彼のデータ受容を頑なに拒絶している。

 したがって、現在彼女の手元にある情報ログは、この二十分間の不毛な対話によって蓄積された精神的過負荷(頭痛)のデータのみであった。そしてそのデータは、状況の不条理さを何倍にも複雑化させる機能しか持っていなかった。


「……あたしの偽らざる客観的な見解(本音)を聞きたいかい?」

「ええ、当然です」

「あんたのことは、一微ミクロンも評価(予想)できないよ」

「ふむ。事実に対する誠実なエラー申告だね。素晴らしい」

「……それは賛辞(ほめ言葉)なのかい?」

「ええ、私の最大限のリスペクトですよ」

 リサはきく目を閉じ、長い時間こめかみを押さえていた。どういうわけか、この青年の純度百パーセントの善意を受信すると、自らの精神的スタミナが急速に磨り減っていくのを感じるのだ。


 マコトは視線を戻し、再び三枚の要求仕様書を検証した。

 論理的な等式から見れば、ゴブリン討伐のタスクが最も高密度の熱量(報酬)を約束していた。しかし、そこにはシステム上の決定的な脆弱性が残されていた。

「私はこれまでの生存ログにおいて、物理的な『戦闘』というコマンドを実行した実績が皆無でね」

 リサはぱちくりと瞬きをした。眼鏡の位置がわずかにずれる。

「……あんた、それ大真面目に言ってるのかい?」

「ええ、当然です」

 彼は何一つ嘘を言っていなかった。過去数十億年の生存の歴史において、彼自身が直接物理的な暴力を振るう必要性など、ただの一度として発生しなかったからだ。

 戦闘という下位のプログラムは、世界線システムの構築が完了したのち、被造物たちが勝手に起動させる二次的なエラー挙動に過ぎない。万が一、マルチバースの運行を脅かすような超次元的バグ(天災や悪神の暴走)が発生したとしても、それらの実務的なデバッグ(駆除)は、彼の下位部署に籍を置く他の戦闘特化型の神々が自発的に執行するのが常であった。

 最高神たる彼は、常に安全な管理事務室のデスクの前に就き、因果律の二重帳簿を監査し、業務報告書を査定し、輪廻の魔法陣の回転を巡回管理していたのだ。

 要するに、彼の「事務管理の職歴」は天界最高峰のカンスト値を記録していたが、直接の「前線戦闘ログ」の数値は完璧なゼロ(無)であった。


「だったら、絶対にそのゴブリン討伐の書類には触れるんじゃないよ!」

 リサが、最大級の危険アラート(大声)を発した。

「ふむ。極めて論理的で、防衛反応として正しい決断だね」

 マコトは首を縦に振った。彼も全く同感であった。


 リサは二枚目の運送業務の羊皮紙を、マコトの前へと押し出した。

「こっちのほうが、あんたの生存確率(安全性)が圧倒的に高いよ」

 マコトは要求仕様を再読した。

 目的地とされる隣の集落セクターへの移動スパンは、人間の足でおおむね二時間前後。物理的な積載物は極小の木箱。環境リスクパラメータは極めて低く、設定報酬は銅貨四枚。

 そして何よりも重要なファクト(事実)は――このタスクの遂行プロセスにおいて、戦闘コマンドの起動を要求される余地が微塵も存在しないという点であった。

「よし。この職務タスクを受注しよう」

 マコトが最終的な意思を出力した。


 リサの表情に、ようやくかすかな緩和のパラメータ(安堵)が灯った。

 少なくとも、この不条理な青年がゴブリンの群れに生身で突撃してシステムからロスト(死亡)するという、最悪の大不祥事だけは回避できたのだから。それは現場の事務職として、巨大なバグ修正に成功したに等しい成果であった。

 彼女はギルド公式の承認印(魔導スタンプ)を拾い上げると、羊皮紙の表面へと手際よく叩きつけた。

 タスク、承認。

 最高神マコトにおける、異世界漂流後初の「公式な職務クエスト」が、ここに正式にキックオフされた瞬間であった。

 社会の階層から見れば、極めて極小の、ささやかな一歩に過ぎない。しかしマコトにとっては、現在の資産ゼロの現実から脱却するための、極めて重要で美的価値の高いマイルストーン(業績)であった。


 リサはカウンターの奥から、目的の物理オブジェクト(パッケージ)を差し出した。

 それは、手のひらに収まる程度の、丁寧に封印された小さな木箱であった。質量は著しく軽い。マコトはその物体を両手で実直に受領した。

「いいかい、マコト。絶対に紛失ロストするんじゃないよ」

「ええ、データ保持の完全性は約束しよう」

「絶対に内部を開封ハッキングするんじゃないよ」

「ええ、セキュリティ・レギュレーションに従おう」

「そして何より――絶対に、何か余計で『奇妙な真似』を起こすんじゃないよ」

 マコトは数秒、思考の処理速度を調整した。

「尋ねたいのだが、その『奇妙』という識別符号の、具体的な要求仕様(定義)はなんだい?」

 リサは、その余計なコマンド(言葉)を発したこと自体を、脳内で激しく後悔し始めていた。

「……あんたが、普段から大真面目に執行している、すべての挙動のことだよ!」

「おや、なるほど」

 マコトは己の論理的結論に納得し、深く頷いた。

「対象環境に完全に最適化された、これ以上ないほど明快な仕様定義だね。完全に把握した」

 リサの脳細胞の奥底が、パチンと不吉な音を立ててパニック(頭痛)を再起動した。


 ――そんな彼らの一連の実務交渉(やり取り)を、酒場の隅のテーブル席から、冷徹に注視し続けている一個の生命体(個体)が存在していた。

 特徴的な、衣服の隙間から覗く茶色の頭髪。腰のベルトには、実用的な鋼鉄製のウェポン。その瞳には、一目でそれと分かる濃厚な「自己のスペックに対する絶対的な自信(過信)」のパラメータが浮かんでいた。

 その若い人間の戦士――アルノは、先ほどから受付カウンターで不祥事を連発している奇妙な新入りの姿を、一瞬の瞬きすら惜しむように観察していたのだ。


 ステータス、解読不能。

 自身の年齢を、四十億年と大真面目に申告する重度の中二病。

 己の本質を、世界を創った創世神と言い放ち、そして今、最も難易度の低い極小の運送タスクを受注した、資産ゼロの哀れな青年。

 興味深い。実に、観測価値の高いオブジェクト(逸材)だ。


 アルノの唇の端が、愉快そうに釣り上がった。

 彼のこれまでの短い実務経験(生存ログ)によれば、このような環境に適応していない不器用な「バグを抱えた個体」というものは、往々にして、自らの高いスペックによる適切なサポート(お節介)を喉から手が出るほどに必要としているものなのだ。

 そして極めて都合の良いことに、アルノ自身は、他者のタスクを代行してやるという「実務(お助け)」に関して、己の右に出る者はいないと盲目的に信用(勘違い)している仕様(性格)であった。


 戦士アルノは、椅子を乱暴に押し退けて直立すると、完璧な自信に満ちた足取りで、マコトの後方へと接近を開始した。

 最高神マコト自身は、自らのタイムラインのすぐ目の前に、次なる巨大な「認知エラー(問題)」が凄まじい実体を持って正確に直進してきているという不都合なファクトに――やはり、この時点においては、まだ気付いてはいなかったのである。


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2026/09/09 公開予定

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