第12話 能力測定(ステータス・チェック)
翌朝、最高神マコトは開拓村の境界線を越え、次なるセクターへの移動を開始した。
出発に際し、村長モーレンから一枚の粗末な羊皮紙シートを手渡されていた。地域統治者の直筆による簡易的な「紹介状」である。
「これを持っていきなさい。見見知らぬ都市で身分を証明する際、多少は実務の助け(パッチ)になるはずだ」
村長はそう言って、台帳から顔を上げた。
「ふむ。要求仕様が不明瞭な現環境において、これ一枚でどの程度の成否確率が向上するかは未知数だね。未確定の変数があまりにも多すぎる」
マコトは実直なデバッグ結果を出力したが、携行することによる物理的なデメリット(マイナス補正)は皆無であったため、そのまま受領することにした。
「おい、マコト。もし新しい職務で貨幣の獲得に成功したら、大前提として俺への債務を最優先で決済しろよ」
村の防壁ゲートの前で、案内役を務めてきた日に焼けた農民ハンツが、念を押すように声をかけてきた。
マコトは無表情のまま、首を縦に振った。
「ええ、それはすでに私の最優先処理タスク(義務リスト)に含まれていますよ」
「そりゃあ殊勝なこった」
「ちなみに、処理順位は第7位に設定されています」
ハンツはぱちくりと瞬きをした。
「……なんでそんなに具体的で、しかも妙に後回しなんだよ」
「私の胃袋の維持管理を含め、それよりも局所的かつ緊急性の高いバグ(問題)が他に6件存在していますからね」
ハンツはそれ以上の論理的な追及を放棄し、深く溜息を吐き出した。今日の短い経験から、この青年に対して詳細な仕様(理由)を問い詰めると、自らの脳細胞に過大な過負荷(頭痛)がかかるという基本レギュレーションを学習していたからだ。
二つの個体はそこで通信(会話)を終了し、マコトは一本の未舗装道路を黙々と前進し始めた。
土の路は、パッチワークのような耕作地と深い森の境界線を縫うようにして、地平線の彼方へと伸びている。道中、複数の馬車や家畜を連れた住民の往来を観測した。収穫物を満載した荷馬車を引く農民、あるいは簡素な武装を施した個体群。この世界線の治安維持パラメータは、現在のところ比較的安定しているようだった。
マコトは移動の工程において、周囲のオブジェクトを冷徹に観察し続けていた。鳥の節回し、流れる雲の精緻な描線、植物の葉脈。そして何よりも――人間。
この「人間」という知的生命体は、観察対象として実に興味深い挙動を示す。漂着してからわずか四十数時間のログにおいて、彼らは最高神に対していくつかの重大な基本法則を学習させてくれた。
第一に、食物を入手するには「貨幣」という共同幻想の決済が必要である。
第二に、労働市場における空きポスト(仕事)は、個体のスペックに関わらず常に制限されている。
第三に、一切の不純物を含まない「真実」を出力することは、他者を説得するための最適解(効率的な手段)にはなり得ない。
特に最後のレギュレーションについては、システム設計の観点から見て著しく非論理的であると、マコトは妙な感心を覚えていた。真実のログが最も低コストで正確なデータであるはずなのに、下位世界の住人はそれを「質の高いジョーク」として歪めて受容するのだから。
太陽の座標が天頂へと達する頃、前方の地平線に明らかな生命高密度圏――「交易都市」のシルエットが姿を現した。
頑強な石造りの防壁が開拓村のそれとは比較にならぬ容積を以て、群生する家屋を包囲している。城門の周辺では、膨大な数の個体が列をなし、入場の手続きを執行していた。行商人、武装した個体、物流を担う運送業者。主要道路を満たす喧騒のノイズが、物理的な波となってマコトの網膜を打つ。
マコトはゲートの手前で足を止め、その物流の挙動をスキャンした。都市というセクターは、常に情報の集約中枢として稼働する。彼がこれまで布設してきた数多のマルチバースにおいても、その構造特性は不変であった。知的生命体の個体数が増加すれば、比例して情報の流通密度が跳ね上がる。そして、情報の流通密度が跳ね上がるれば、最高管理者としての復旧回線(帰り道)をサルベージできる確率もまた、数階層上の桁へと向上するのだ。彼は己の論理的帰結に従い、直実な足取りで城門の境界線を跨いだ。
最初のアクセス目標(目的地)は、すでに確定していた。「冒険者ギルド」。
その中枢機関の建築物は、都市の中央広場に隣接する極めて目立つ座標に設置されていた。木製の重厚な外壁には、剣と盾を模した無骨な金属製の記号(看板)が掲げられ、無数の個体が絶え間なく出入りを繰り返している。扉を押し開けて内部へと立ち入ると、濃厚なマナの残滓と、生存競争に身を投じる知的生命体特有の荒々しい覇気が空間を満たしていた。複数のテーブルでは農産物や肉の決済(食事)が行われ、壁際の巨大な掲示板にピン留めされた要求仕様書(依頼書)を、血気盛んな戦士の個体群が値踏みするように凝視している。
マコトはそのノイズを完全に無視し、空間の奥に位置する、頑丈なカウンターの受付窓口へと向かった。
窓口の奥には、丁寧に衣服を整え、薄いフレームの眼鏡を着用した一人の若い人間の女性が就いていた。年齢パラメータは人間の尺度でおおむね二十五歳前後。その瞳は鋭く、書類を仕分ける手つきには一切の無駄がない。彼女のワークスペース(机上)は、マコトがこの世界に墜ちて以来目にしてきたどの人間の環境よりも、美しく整然と最適化されていた。実務の担い手として、極めて良好な初期評価であった。
「冒険者ギルドへようこそ。受付のリサです」
女性の個体は顔を持ち上げ、隙のない事務的な微笑みを出力した。
「私は、マコトだ」
「本日は、ギルドへの新規登録(アカウント作成)をご要望でしょうか?」
「ええ、そのタスクの執行を要求します」
リサは手際よく、一枚の羊皮紙の登録台帳を取り出した。その流れるような物理的挙動は、実に効率的で美しい。マコトはシステム上の効率性を好むため、静かに観察を継続した。
「では、本格的な手続きの前に、まずは個体の基本パラメータの測定を行いますね」
「測定かね?」
「ステータスの確認です」
マコトはわずかに首を傾げた。彼の膨大な全知のデータベースにおいて、いささか耳慣れない識別記号であった。
「ステータス、とは一体どのような仕様かね?」
リサは、手元に準備していたペンを止めて瞬きを繰り返した。その瞳には、あたかも「昼天に輝く恒星(太陽)の本質は何か」とでも問われたかのような、根本的な認知エラー(困惑)の色が浮かんでいる。
「……ステータスをご存知ないのですか?」
「ええ、私のいた天界の管理事務室には、そのような機能は実装されていませんでしたからね」
リサは数秒の間、沈黙した。それから、この眼前の生真面目な青年は、著しく情報の流通が稀薄な最果ての辺境セクター(未開の村)から流れ着いたため、インフラに関する基本データが欠落しているのだと、自らの保有リソースに基づいて極めて論理的な解釈を下した。
「ステータスカードとは、一個体が保有する根源的な能力値を記号化したデータのことです」
リサは事務的なトーンを維持したまま、丁寧に仕様を読み上げ始めた。
「個体の戦闘習熟度を示す『レベル』。発現した固有魔術回路である『スキル』。属性数値を記号化した『属性』。それらすべての現在パラメータを出力するカードです」
マコトはリサの解説を漏らさず受信し、深く吟味した。なるほど。実に見事な発展形だ。天界の運行システムには存在しなかったが、下位世界の人間たちは、一個体の能力を客観的に数値化して管理するための新たなミドルウェア(仕組み)を独自に開発し、実用化していたらしい。生命の進化プロセスとして、著しく印象的なデータであった。
「具体的な起動方法(やり方)は?」
「こちらの測定用魔晶石に、直接手を触れてください」
リサが、カウンターの上に一個の小さな透明な結晶体を設置した。マコトは指示されたコマンドに従い、右手の指先をその結晶の表面へと静かに接触させた。
直後、魔晶石の内部から淡く柔らかな光の術式が起動し、空間を一瞬だけ照らしたのち、静かに霧散していった。リサは何も記録されていない空白のステータスカードを拾い上げると、それを魔晶石の出力インターフェースへと接触させ、数値の同期が完了するのを待った。
数秒の、不毛な空白時間。――何も起きない。
リサはぱちくりと瞬きをした。それからカードの位置をデバッグ(微調整)し、再度魔晶石への接触コマンドを実行する。やはり、何も出力されない。女性の整っていた眉根が、緩やかに中央へと寄せられていくのが分かった。マコトはそのインジケーターの変化を、純粋な好奇の瞳で見つめていた。
「何か、システム上の不具合でも発生したかね?」
「……少々お待ちください」
リサは二度目の試行を行ったが、カードの表面は純白の空白を維持したままであった。不自然な沈黙が、受付カウンターの周辺へとジワジワと伝播していく。周囲のテーブルで要求仕様書を眺めていた数人の冒険者たちが、異変を察知してこちらへと視線を転じ始めるのが分かった。
リサは引き出しから、より出力強度の高い第二の魔晶石を取り出した。起動。カード接触。――空白。次いで、第三の魔晶石。――空白。さらに、ギルド長専用のマスター測定用とされる第四の魔晶石。――やはり、完全なる沈黙。
出力されたステータスカードの表面には、インクの残滓すら存在しなかった。
文字列:なし。数値:なし。レベル:なし。スキル:なし。あらゆるパラメータの欄が、不気味なほどに完璧な「ゼロ(空虚)」を示していたのだ。
マコトは自らのデータベースと眼前の現生物理データを照合し、生真面目なトーンで問いかけた。
「なるほど。つまりこの測定デバイスのハードウェアが、一括して経年劣化を起こしているという解釈で相違ないね?」
リサは即座に回答を返すことができなかった。その視線は、自らのキャリアの中でただの一度として目にしたことのない、完璧な「不保持」を証明する純白のカードへと釘付けにされていたからだ。
社会の全インフラを規定するステータスシステムそのものが、一個の生命体を前にして、その存在の定義(仕様)を完全に拒絶している。受付嬢としての長年の実務経験に基づく直感が、彼女の脳内で最大級のアラートを鳴り響かせていた。
今朝、シフトに就いた時点において彼女が切望していた「退屈で平穏な一日」という予定調和のタイムラインは――いま、この不条理な青年の漂着によって、完全に、跡形もなく強制終了(バグ修正)されたのである。




