第11章 冒険者ギルドという名の機構
適性検査のフェーズが終了したのち、モーレンは再び長い瞑目の時間へと沈み込んでいった。
マコトは机の正面に腰掛けたまま、静かに次のシステム出力を待っている。隣の窓際では、ハンツが今後の対話ログの行方を見守るように、落ち着かない様子で佇んでいた。
昼下がりの太陽は緩やかに西へと傾き、木製の窓枠の隙間から差し込む黄金色の光が、机上を埋め尽くす書類の山の上へ長い影を描き出している。
モーレンは日に焼けた太い顎を擦りむいた。眼前に座るこの若者は、この開拓村の記録に潜む不具合をわずか数秒でサルベージしてみせた個体だ。その圧倒的な実務スペックは、近隣の都市に配属されている上級の役人ですら稀にしか保有していない種類のものであった。
しかし、スペックの高さが自動的に予算を生成するわけではない。この極小の開拓村には、台帳のデバッグを執行するためだけに専属の人員を常勤させる財政的な余力など、銅貨一枚分すら残されてはいなかったのだ。それは、村長という統治実務を担う者にとって、最も不条理で解決困難な現実に他ならなかった。多くの問題は労働力の投入によって処理できるし、いくつかの障害は過去の経験の適用によって回避できるが、「予算の不在」という物理的な制限は、それらのリソースを一切顧みることはないのだ。
「――あんた、本当にこの付近に身寄りや知り合いの個体はいないんだね?」
「いないよ」
「親戚や同郷の者は?」
「いない」
「友人や、融通の利く知人は?」
マコトは数秒、自らの全知のデータベースを検索した。
「東方セクターに群生する第三星灯から、およそ七億年ほど前に生誕記念の祝物を受信したログなら残っているがね」
モーレンがマコトを見た。ハンツは無言で天井の木目を凝視し始めた。マコトは、自らの提示したデータが、人間側の知的リソースにとって適切に処理されなかった可能性を検知した。
「……あたしが聞いてるのは、そういうお伽話の星の精霊のことじゃないんだよ」
「ならば、該当する個体は存在しないね」
「そうかい、困ったねえ」
村長は再び溜息を吐き出すと、視線をハンツへと転じた。そのパラメータの変化を敏感に察知し、ハンツは即座に身体を強張らせて警戒の構えをとった。
「おい、村長。俺はその不吉な目付きが大嫌いなんだが」
「あたしはまだ、一言もコマンド(命令)を発していないよ、ハンツ」
「発してないから怖いんだよ、あんたが企んでることは大体予想がつく!」
モーレンはその抗議を完全に環境ノイズとして処理した。統治者として、彼はハンツという農民の行動特性を長年にわたり観測してきた実績がある。この男は本質的に善良で、少々口がうるさく、頑固な一面もある。しかし最終的には、目の前にあるバグ(困っている他者)を放置できずに、自らのリソースを割いてサポートに回る仕様(性格)なのだ。ゆえにモーレンは正確に予測していた。誰が最初に不満のログを出力し、調子外れな異議を唱えながらも、最終的には最後まで実務の手助けを執行するかを。
ハンツ自身も、村長の論理展開の着地点を直感的に検知したようで、その表情はジワジワと苦渋の色へと書き換わっていった。幸運なことに、モーレンはそれ以上の追及を止め、別の実務的な選択肢を提示することにした。
「――あんたのその無駄に高いスペックを、そのまま等価交換(金に換える)できそうな場所が、一箇所だけ心当たりがある」
「職務の空きポスト(仕事場)かね?」
「まあ、そういうこったね」
ハンツの生体反応に、わずかな安堵の緩和が見られた。対話のベクトルが「仕事の斡旋」に留まっている限り、自らのインベントリ(懐)が直接脅かされるリスクは低いと計算したのだろう。
「一体、どのような機関かね?」
「『冒険者ギルド』さ」
この世界線に漂着して以来初めて、マコトの脳細胞がその固有の識別符号(文字列)を受信した。ギルド、冒険者。構造としては、極めて興味深い記号配列であった。過去数十億年の歴史において彼が編み出してきた数多の下位世界線においても、これに酷似した相互扶助の職能団体が自然発生するログは数多く記録されていたからだ。名称や細部のレギュレーションこそ異なれど、それらの本質的な機能は常に同一であった。すなわち、「不特定多数のタスク(依頼)を集約し、個々の実務能力に応じて労働力を分配する中枢パッチ(機関)」である。社会設計の観点から見れば、極めて高効率で、合理的と言えるシステム設計だった。
「冒険者ギルド……」
マコトはその文字列を復唱した。
「そのシステムの、主たるコア機能はなんだい?」
モーレンはぱちくりと瞬きをした。その質問は、あまりにも基本設計(前提条件)を問いすぎるものであったからだ。あたかも、この世界に生を受けながら冒険者ギルドというインフラの存在をただの一度も認知したことがないかのような、完全な初期化状態を思わせる挙動だった。
「……何だいあんた、本当にギルドのことも知らないのかい?」
モーレンが不思議そうに解説を執行する。
「要するにだ、あそこはあらゆる実務の『依頼』が集まる窓口さ」
「労働力を必要とする個体が、そこに要求仕様(依頼)を提出するわけだね」
「そうさ。で、内容に応じてそれなりの報酬が設定される」
「等価交換のレギュレーションだね」
「で、登録した冒険者たちが、自分の腕前に合わせてそのタスクを受注し、執行する」
「労働市場におけるタスクの最適分配システムというわけだ。極めて合理的だね」
マコトは再び頷いた。構造自体は極めて単純明快であり、論理的なバグも見当たらない。「人間」という知的生命体は、往々にしてこのような組織化を好む習性がある。国家、集落、あるいはギルド。彼らは常に、無秩序な混沌の中にシステムという名の構造を布設しようと足掻き続けるのだ。もっとも、その出力結果が常に正常値に収まるわけではないのだが。
「ならば、私はその機関において、貨幣という対価を獲得することが可能だね?」
「タスクを完璧に遂行し、完了ログを提出できれば、当然相応の報酬が決済されるよ」
「それは素晴らしい。先ほどの不毛な雇用面接のシークエンスに比べるなら、遥かに因果関係が単純で好ましい仕様だ」
ハンツが本日初めて、短く愉快そうな笑い声を漏らした。モーレンもまた苦笑を浮かべ、この青年の指摘が、実務的な観点から見て決して的外れではないという事実を内面的に受容せざるを得なかった。ギルドの契約取引は、役所の官僚主義的な手続きに比べれば、遥かに結果至上主義のクリーンな等式で稼働しているからだ。
「そのギルドとやらは、どの座標に位置しているのかね?」
「ここから一番近い『都市』にあるよ。人間の足で、おおむね半日の移動スパン(距離)だね」
マコトはその環境データを脳内で処理した。半日。現在の脆弱な人間の肉体という乗り物の稼働限界を考慮しても、十分に許容範囲内の実務工程であった。
「――都市、かね」
マコトは静かに呟いた。
この世界線に墜落して以来、彼の観測範囲にはこの極小の開拓村しか存在しなかった。より高密度な生命群生圏である「都市」というセクターには、実に見応えのあるデータが期待できた。より多くの人間、より多くの物流、より高密度な情報ログ。そして何よりも――天界の管理事務室への復旧回線(帰り道)を発見するための、より高純度な手がかりが存在する確率が高い。
モーレンは、マコトの無機質な双眸の奥に、僅かなパラメータの変化(興味)が灯るのを検知した。極めて微小な、注視せねば見落とすほどの変化であったが、この面接が始まって以来初めて、この奇妙な若者が明確に外部のオブジェクトに対して関心を示した瞬間であった。
「もしあんたがそのスペックを活かして貨幣を得たいなら、それが現状における最適解(ベストの選択)だと思うよ」
「分かりました。その方針で実務を開始しよう」
その承認の速度があまりにも迅速であったため、モーレンは逆にいささか困惑の情動を示した。
「あんた、えらい物分かりが良いじゃないか。そんなにすぐ決めていいのかい?」
「私は現在、システムを駆動させるためのエネルギーソース(貨幣)を必要としていますからね。選択の余地はありません」
「そりゃまあ、現実的で結構なこった」
「同時に、私はある重要な環境データ(情報)を探索せねばならない」
モーレンが不審そうに眉根を寄せた。
「情報? 一体、何を調べるつもりだい?」
「天界の管理事務局への、正常な帰還ルート(帰り道)さ」
執務室の中に、一瞬の奇妙な空白が沈み込んだ。直後、ハンツが堪えきれないといった風に大声で笑い出し、モーレンもまた肩を揺らして失笑を漏らした。壁際の台帳を片付けていた役人までもが、本日最後の娯楽を摂取したかのようにクスクスと喉を鳴らしている。
マコトにはやはり、この対話のどのセグメントに笑いのトリガーが存在したのか、全く理解が及ばなかった。しかし、少なくとも今回の住民たちの笑い声には、先ほどまでの拒絶や不審の色はなく、どこか親愛の情動が含まれているように感じられた。それはシステム上のステータスとしては、極めて良好な傾向と言える。人間という知的生命体の挙動を、わずか一日のログだけで完璧にプログラミング(理解)するのは困難だが――ひとまず、この村における職務探索タスクはこれで不採用という形でエラー終了した。そして同時に、新たなメインクエスト(目標)が彼のタイムラインへと追加されたのだ。
冒険者ギルド。彼らが知る由もなかったが、この辺境の開拓村を越えた外側の世界において――さらなる巨大な認知エラー(誤解)の歯車が、すでに凄まじいトルクを以て回転を始めていた。純度百パーセントの真実しか口にしない創世神マコトと、それを超次元的な洗練されたジョークとして処理し続ける不完全な生命体たち。その完璧な論理のすれ違いが、次なる都市のシステムをも根底から揺るがしていくことに――やはり、この時点においては、誰一人として気付いてはいなかったのである。




