第113話 第二の支部
それから一週間の月日が流れた。
ルナ村は、再び新たな来客を迎えていた。
今回やってきたのは、交易を目的とする商人でもなければ、噂を聞きつけてやってきた参拝者でもない。
村から遥か西に位置する、別の領地の村長だった。
その初老の男は、二人の血気盛んな若者を従え、村長の家に入るなりモーレンに対して丁重に頭を下げた。
「突然の訪問、お許しいただきたい」
「まあ、座りなさい」
モーレンは温かいお茶を器に注ぎ、彼らの前へと差し出した。
「私に何か用かな?」
西の村長は、懐から一枚の古びた地図の巻物を取り出すと、机の上に厳かに広げて見せた。
「実は、主人様に是非とも助言をいただきたく、こうして足を運んだのです」
「助言、だと?」
「はい」
男は地図の一角にある、小さな集落の印を指差した。
「これが、我々の村です」
それから、その指を少し横へとずらし、新しく墨で描き加えられた不格好な建物の図面へと移動させた。
「そして……我々は、この場所に新たな学び舎を建てたいと考えております」
モーレンは言葉を失い、喉の奥で息を詰まらせた。
まただ。
これで二度目、いや、正確に言えば何度目になるのだろうか。
彼はすでに、この恐ろしい増殖の型を嫌というほど知っていた。
「……建築は、すでに始まっているのか?」
「いえ、まだ手は付けておりません。ですが、土地の確保と資材の調達はすでに完了しております。本日はそのために、許可をいただきに参りました」
「許可、だと?」
「はい。ルナ村には主人様が建てられた立派な豊作教会があると聞き及んでおります。我々のような他領の民が、無断でその仕組みを模倣したとあっては、主人様に対して不敬にあたりますからな」
モーレンは、こみ上げてくる頭痛を堪えるように、ゆっくりと自らの額を指で押さえた。
「なぜ、そこまでしてその建物を建てたいのだね?」
西の村長は、どこまでも純朴な笑みを浮かべた。
「民たちが、毎晩のように集まってしまうからですよ。最初は私の家に数人が集まり、聖典を読み合うだけでした。それが隣近所に広がり、今や私の家では到底収まりきらないほどの人数になってしまった。どうしても、より大きな場所が必要なのです」
部屋の隅で黙って会話を聴いていたセリアは、ゆっくりと両目を閉じた。
寸分違わない。
数日前にやってきた最初の男の報告と、そのプロセスが完全に一致している。
民が集まり、聖典を読み、議論を交わす。
始まりはいつもささやかで、しかし誰が命令するでもなく、細胞が分裂するかのように自律的に増殖していく。
「……集まったとき、あなた方は具体的に何をしているのですの?」
セリアが冷徹な声を投げかけると、西の村長は背筋を伸ばして答えた。
「はい。我々はただ、聖典に記された主人の智慧を読み解いているのです」
「それから?」
「そこに記された主人の農法を、実際に自分たちの畑で試すのです。核心が実った暁には、その技術をさらに隣の村の民たちにも教えて回っております」
セリアは、目眩を堪えるように深く息を吸い込んだ。
「隣の村にまで、それを教えているというのですか?」
「はい。彼らが飢えに苦しまぬよう、皆で智慧を共有しているのです」
その回答には、一点の曇りも、邪悪な意図も含まれていなかった。
彼らは、自分たちが宗教の教義を布教しているなどとは微塵も思っていない。ただ、困っている隣人を助けるために、素晴らしい智慧を共有しているだけなのだ。
悪意がないからこそ、弾圧することも、論理的に否定することもできない。これこそが、この怪物の一番の恐ろしさだった。
その時、木製の扉が開き、主人が数本の真新しい作物の苗を抱えて部屋へと入ってきた。
「セリア。こちらの作業は順調だよ」
「――主人」
セリアが振り返ると、主人は室内の奇妙な熱気に気づいたように小さく頷いた。
「来客だね」
「はい」
西の村長は、主人の姿を見るなり弾かれたように立ち上がり、その場に深く平伏した。
「主人様! 我が村の窮地をお救いいただき、本当にありがとうございます!」
主人は不可解そうに小首を傾げた。
「私は君の村を認識していないし、救うためのアプローチも行っていないが」
「あのお方が残された聖典の通りに土を耕したところ、我が村の収穫量はこれまでの倍以上に跳ね上がりました! 民一同、感謝に堪えません!」
主人は、事実に対する客観的な分析として頷いた。
「それは君たちの労働効率と、土壌の管理が適切だったという結果に過ぎないよ。よく働いたね」
西の村長は、その言葉に顔を紅潮させ、至高の喜びを噛み締めるように笑みを浮かべた。
「――ああ! ですから、我々はもっと多くの民に、その智慧を学んでほしいと願っているのです!」
主人は、当然の正論として頷いた。
「知識の共有は、全体の負担を軽減する。互いに教育を施し合うのは、極めて合理的なアプローチだ」
「はい! まさに我々もそのように考えておりました!」
セリアは、再び目の前で繰り広げられる絶望的な光景に、魂がすり減っていくのを感じていた。
主人はただ、一般的な組織論として「知識の共有は良いことだ」と事実を述べただけだ。しかし、この狂信的な村長の脳内では、それこそが新しい拠点設立に対する『絶対的な神託』へと変換されて届いている。
西の村長は、さらに勢い込んで地図を指し示した。
「主人様が許してくださるならば……我々もその建物を、『主人の学び舎』と名付けたいと考えております!」
主人は数秒間思考し、淡々と答えた。
「建物の識別名など、個人の自由だよ。民たちがその場所を認識しやすい名称であるならば、論理的な問題は存在しない」
西の村長は、感激のあまり身体を震わせた。
「それは……つまり、主人様がお許しくださるということですね!?」
主人は少し不思議そうに目を瞬かせた。
「許可? 君たちが学びの場を必要としているなら、それを建てるのは君たちの自由であり、私が制限する権利も理由もないが」
「ありがたき幸せにございます! 主人様!」
男は、主人の「禁止する理由がない」という言葉を、「大いなるお墨付きをいただいた」と解釈し、歓喜に満ちた表情で深く頭を下げた。
「我々一同、決して主人様の御期待を裏切るような真似はいたしません!」
男たちが最高の敬意を払いつつ退出していった後、部屋には再び重苦しい静寂が戻ってきた。
モーレンは、机の上に取り残された地図の図面を、複雑な表情で見つめている。
「……セリア様。前回の報告があったときは、私もただの偶然だと思っていましたが」
セリアは力なく、しかし乾いた声で頷いた。
「ええ、私もそうですわ。でも……これで『二つ目』ですわね」
その時、部屋の扉が慌ただしく開き、村の若者が一通の書状を携えて駆け込んできた。
「村長! セリア様! 隣町の商隊から、緊急の書状が届きました!」
モーレンがそれを受け取り、急いで封を切る。そこには、短いながらも衝撃的な文字列が刻まれていた。
『東の村における、主人の学び舎の建築が完了し、本日より民の受け入れを開始した』
書状の最下部には、その村の民数百人の、感謝と忠誠の署名が血判のようにびっしりと並んでいる。
モーレンから書状を渡されたセリアは、その文字を一行ずつ追い、やがて力なく窓の外へと視線を投げた。
遥か遠くの畑では、主人がすでに次の作物の選別を始めるべく、農民たちに囲まれて淡々と指示を出している姿が見える。
主人は、未だに何も気づいていない。
自分がただの一度も命令を下さず、ただの一度も布教を望んでいないにもかかわらず――東の村で『第一の支部』が正式に稼働を始め、そして今しがた放った何気ない言葉によって、西の地に『第二の支部』の種が植え付けられてしまったという、恐ろしい現実に。




