第102話 作戦会議
翌日の夜、村長の屋敷は再び密議の場と化していた。
しかし、前夜とは異なり、部屋の明かりは大半が落とされている。木製の分厚い長机の中央に、ぽつんと置かれた小さなオイルランプ。その微かな炎だけが、机を囲む者たちの顔を赤黒く浮かび上がらせていた。
セリアは緊張に満ちた面持ちで、一座の顔ぶれを一人ずつ見回した。
マコト。
モレン村長。
そして、村の青年であるハンス。
集まったのは、わずかこれだけの人数だった。この計画を知る者が少なければ少ないほど、外部へ情報が漏洩する危険性は低くなる。少なくとも、セリアはそう信じたかった。
「――夜遅くに集まっていただき、ありがとうございます」
セリアは声を潜めて切り出した。
ハンスは落ち着かない様子で、何度も首の後ろをさすりながら眉をひそめている。
「なあ、セリア。こんな薄暗いところで、一体何の話を始めるんだ? まるで密輸の相談でもしているみたいじゃないか」
セリアは深く息を吸い込み、覚悟を決めてその言葉を口にした。
「私は、『万年豊作教会』を解散させたいと思っています」
部屋の空気が、一瞬にして凍りついた。
ハンスは信じられないものを見るように何度も瞬きを繰り返し、モレン村長は厳しい眼差しをセリアに向けたまま、彫像のように硬直している。
「解散、だと……?」
老村長が、地を這うような低い声でその言葉を繰り返した。
「はい」
セリアは毅然と頷いた。
「それこそが、私がこの地に足を踏み入れた真の目的です。私は、この肥大化しすぎた致命的な勘違いを、今すぐ終わらせなければならないんです」
モレン村長は、痛ましげに視線を落とした。
このルナ村で、最初にマコトを『万年豊作の神』と呼び始めたのは、他でもない自分自身だ。すべての発端は、己の軽率な信仰心にあったのだと、老人は深く悔いているようだった。
「……もし、それがボスの御意志であるならば」
村長は声を震わせながら、隣に座るマコトを仰ぎ見た。
「わしも、身を引き裂かれる思いではあるが、微力を尽くそう。教会の看板を下ろし、信徒たちを説得する」
しかし、セリアは即座に首を振ってそれを否定した。
「いいえ、違います。これはボスの命令ではなく、私の独断です。そもそもボスは、最初から誰一人として、自分のために教会を建ててくれなどと頼んではいません」
その言葉を受け、当の本人であるマコトが、実用書から目を離さずに淡々と頷いた。
「その通りだね。私は一度も、組織の設立や会費の徴収を求めたことはないよ」
ハンスは困惑したように頬を掻いた。
「だったらさ、話は簡単じゃないか? ボスがみんなの前に出て、『俺は神様じゃないから解散してくれ』って一言言えば、それで済む話だろ」
セリアは、仮面のような歪んだ苦笑を浮かべた。
「言いました。これまで何度も、耳にタコができるほど言いました」
「え? じゃあ、その結果はどうなったんだよ」
「結果ですか?」
セリアは言葉を切り、血を吐くような思いで告げた。
「――私が、聖下(最高指導者)に祭り上げられました」
部屋に、先ほど以上の重苦しい沈黙が満ちた。
普段ならどんな冗談にも大笑いするハンスですら、返す言葉が見つからず、ただ口を半開きにしている。ボスの「嘘を吐かない真実の言葉」が、人間の歪んだフィルターを通ることで、どれほどの質量を持った怪物に変貌するのか、彼はその恐ろしさをまだ本当には理解していなかった。
モレン村長が、気まずそうに小さく咳払いをした。
「ゲフン……。それで、セリアよ。具体的にどのような策を考えているのだ?」
セリアは傍らの革袋から、数枚の紙片を取り出した。
最上部には、太い文字で『万年豊作カルトセクト解体計画』と記されている。それをランプの明かりの真下へと差し出した。
「物事には必ず原因があります。彼らが盲信しているのは、ボスが『万年豊作の神』であるという前提です。ならば、その前提が完全に誤りであるという客観的事実を突きつければ、組織はその存在意義を失い、自ずと瓦解するはずです」
「なるほど」
ハンスが感心したように頷いた。
「土台をひっくり返すってわけか。確かに、神様じゃないって完全に証明されちまえば、お祈りする理由もなくなるもんな」
「その通りです。信仰の根拠そのものを消滅させる。これが唯一の手段です」
その時、それまで静かに議論を聞いていたマコトが、おもむろに一本の指を立てた。
「セリア、一つ確認させてほしいのだが」
「はい、何でしょうか、ボス」
「なぜ彼らに対して、私が『麦の神ではない』という事実だけを証明する必要があるんだい?」
「え? それは、ボスが麦の神様ではないからです。事実と異なる誤解だからですよ」
「確かに私は麦の神ではない。それは真実だ」
マコトは至って理性的に、淡々と論理を進めた。
「では、仮に彼らが私の言葉を完璧に理解し、私が『万年豊作の神ではない』と納得したとしよう。その後、彼らは私が『この世界を構築した創造神である』という本来の事実を、素直に受け入れるのだろうか」
「――あ」
セリアの思考が、完全に停止した。
部屋を、これまでで最も深い静寂が支配した。
ハンスは呆然と村長を見つめ、村長もまた、ランプの炎を見つめたまま固まっている。
言われてみれば、あまりにも当然の指摘だった。
もし、マコトが「私は豊作の神ではない」と証明することに成功したとして。その後、人々は彼の言葉をどう解釈するのか。
――「そうか、この御方は農耕ごときを司る小さな神ではなく、もっと別の恐ろしい神だったのだ!」と、新たな、より巨大な勘違いへスライドするだけではないのか。
あるいは、さらに別の奇妙な称号を生み出してしまうのではないか。
セリアは激しく頭を振り、脳裏をよぎった不吉な予測を強引に振り払った。
「そ、それは次の段階の話です! とにかく今は、この肥大化し続ける『麦の教会』を止めなければなりません。これ以上の被害拡大を防ぐのが最優先です!」
「分かった。君がそこまで熟考した上での結論なら、私は従おう」
マコトはそれ以上、反論しなかった。
彼にとって、セリアがこれほどまでに深刻な表情で知恵を絞っている以上、そこには何らかの人間的な合理性があるのだろうと判断したのだ。創造神としての広い器は、助手の奮闘を静かに見守ることを選択した。
セリアは再び、計画書へと視線を落とした。
「第一段階です。明日、ボスには信徒たちの前に立っていただき、ご自身が『万年豊作の神ではない』という事実を、はっきりと告げていただきます」
「簡単なことだ。私はいつもそのように発言している」
「ですが、今回はもっと、こう……決定的というか、一切の弁明の余地を与えないほど克明に、厳格に説明してください」
マコトは不思議そうに小首を傾げた。
「これまでの私の説明は、厳格さを欠いていた、という意味かい?」
セリアは引きつった笑みを浮かべた。
「……ええ、ちょっとだけ。人間の脳は、主語を都合よく省略する癖がありますから」
「なるほど。思考の省略か。人間の認知構造におけるバグの類だね。理解した」
マコトは深く得心したように頷き、真摯な眼差しでセリアを見つめた。
「ならば明日は、そのバグが介在する余地のないほど、徹底的に細部まで事実を列挙しよう」
セリアは、ようやく胸のつかえが取れたような気がして、安堵の溜め息を漏らした。
「ありがとうございます、ボス……!」
この世界に転生事故で落とされて以来、初めて、物事が正しい方向へと動き出す兆しが見えた気がした。明確な計画。確実な一歩。明日、すべてが変わるのだ。
しかし、薄暗い部屋の片隅で、モレン村長は一人、静かに思考を巡らせるマコトの横顔をじっと見つめていた。
老人の胸中には、セリアの歓喜とは真逆の、言い知れぬ不穏な予感がどす黒く渦巻いている。
(……まずい。これは非常にまずい流れではないか?)
村長は思い出す。この若き主が、物事を「徹底的に、真面目に説明しよう」とした時、事態が平穏に収まった例など一度としてない。あの淀みのない誠実な瞳から放たれる『真実』は、常に周囲の人間を狂気的な解釈の深淵へと叩き落としてきたのだ。
だが、今にも泣き出しそうなほど必死だったセリアの顔を見ると、老村長はそれ以上の懸念を口にすることができなかった。彼はただ、迫り来る明日の嵐を予感しながら、そっとその不安を胸の奥底へとしまい込むのだった。




