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『異世界に飛ばされた神だけど、誰も俺が神だと信じてくれない』  作者:
セリアの介入

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第100話 セリア、ついに降伏する

 セリアは、万年豊作教会の裏手にあたる白石の敷地の上に、ただの1人で静かに佇んでいた。正面広場を埋め尽くしている巡礼者たちの熱狂的な大歓声に比べれば、この区画は不気味なほどに静まり返っている。しかし、遥か街道の彼方からは、未だに外部の勢力から大挙して流入してくる住民たちの、互いの実績を労う賑やかな音声ログが絶え間なく聞こえていた。まだ物心もついていない子供たちが泥道の上を跳ね回る気配、そして、別の集落からやってきた農夫たちの満ち足りた笑い声が、夏の朝のひんやりとした大気を通じて滞りなく伝播してくる。


 本来であれば、教団の最高指導者として、分刻みの超過密スケジュールをクローズしていかなければならない、最悪のリリース日の朝のはずだった。しかし、セリアの精神インフラの内側においては、世界そのものの運行が完全に一時停止しているかのような、奇妙な静寂が稼働していた。彼女はただ、うっすらと朝霧の残る下界の東の空を、何の感情も宿らない瞳で見つめ返すことしかできなかった。


 これまでに、一体どれほどの不整合なエラーを出力し続けてきただろうか。彼女は脳内のメモリーを捲り、自らの一連の処理プロセスを静かに逆算した。最初に自らの仕様を開示した瞬間。住民たちはそれを信じず、天空の総務部として脳内変換した。ボスの本質が至高の創造神であるという絶対的な真実データを通達した瞬間。彼らはそれを至高の謙虚さの比喩として勝手に変造した。司祭職への就任要請を最大出力のコマンドで却下した瞬間。彼らはその実直なる拒絶そのものを崇高なる愛と過労の証明として全自動でアップデートした。一般事務における書類整理の実績しか保有していないと事実を報告した瞬間。彼らはそれを世界の運命を決裁する共同統治者の証拠としてシステムに記録した。果てには、最高責任者であるマコト自身が、夫婦というカテゴリーを100パーセントの正論で否定したというのに――彼らはそれを暫定的な婚約者のステータスへと全自動で強制アップデートして竣工させてしまったのだ。誰も。ただの1人の人間すら、彼女の放った物理的な真実を、仕様通りに受信してはくれなかった。


 セリアはゆっくりと、自らの両目を閉じた。「……もう、十分だわ」

 その唇から漏れ出たのは、吹いた風の音にすら掻き消されてしまいそうな、朧げな呟きだった。それは特定の誰かに向けたアナウンスなどでは断じてなく、自らの脳内システムに向けた、最終的な決裁に他ならなかった。彼女は行政官として、手持ちのあらゆるリソースを投入してデバッグを試みてきたのだ。そしてそのすべてのコマンドが完璧に失敗してクローズした。これ以上の労働は、単なるリソースの空費であると、彼女の冷徹な理性は結論づけていた。


 コト、と湿った地面を踏みしめる規則正しい足音が、背後から音を立てずに近づいてきた。

「ボス」

 セリアが振り返るよりも早く、マコトの漆黒の法衣のグラフィックが、彼女のすぐ隣のポジショニングへとポップした。

「何ですか、セリア。バイタルの熱量は安定していますが、処理能力の飽和は解決されましたか」

 セリアはすぐには次の音声データを出力しなかった。彼女はただ、教会の正面広場を埋め尽くしている、あの何百人もの信徒たちの過密状態を、魂の抜けたような目で見つめ返した。外部ネットワークからの流入は未だに滞りなく継続している。ある者は収穫したばかりの大麦の籠を抱え、またある者は例の不吉な教典の写本を胸へと強く抱きしめ、またある者は、ただ一目でいいから至高のボスの御前をこの目に焼き付けたいという、確固たる執着を宿して密集していた。絶望的なことに――彼らの中に、1人として悪意のバグを保有している存在など、最初からただの1人も存在しなかった。むしろ、結果はその逆だった。彼らはあまりにも勤勉で、あまりにも実直で、あまりにも誠実すぎたのだ。そしてまさにそれこそが、この不条理なバグのシステムを、いかなる力学を以てしてもデプロイできない最強の難攻不落のインフラへと竣工させている、最大のボトルネックだった。


「ボス」

「何ですか」

「……客観的な事実の承認として出力します。私は、降伏します」

 マコトは泥のついた枯れ枝を右手に握ったまま、そちらへ首を巡らせた。

「降伏、ですか? どのような勝負の仕様をペンディングにされるのですか」

「私は……」

 セリアの口元に、かすかな、しかし哀れなほどに引きつった苦笑が浮かび上がった。

「……この集落の人間たちの受信システムを、正しい仕様値へと修正することを、公式に諦めます」


 マコトは彼女の青白い顔を見つめ、それから、彼女の視線の先にある広場の過密なグラフィックへと視線を戻した。数人の農夫たちが、新しく引き直された給水路の成果データについて、大満足の笑声を交わしながらディスカッションを行っている。小さな子供たちが、ボスの提示した品種改良による農業の拡大投資という規約を完璧に遂行するため、黄金の種芋の籠を大切そうに運んでいた。教会の正面では、真新しい白の法衣を纏ったリナ司祭が、流入してくる全部外者の物資搬入を、極めて良好なロジスティクスで1つずつ決裁クローズしていた。マコトはしばらくの間、その調和した集落の標準規格を淡々と見つめ、やがていつも通りの平坦なトーンで、ぽつりと乾燥した分析を出力した。

「不条理ですね」

 セリアの唇から、力なく掠れた失笑が漏れ出た。

「……ええ、本当に。ボス……理不尽なまでに、極めて難解なエラーですわ」


 2人の間に、みたび日常の不穏な静寂が戻ってきた。夏の終わりの朝風が、広大な農地を渡って、心地よい涼やかさの成分を敷地内へと滞りなく供給していく。マコトはオイルランプの灯火の下でリーディングしていた昨晩の記憶のログをなぞるように、淡々と新しい言葉を出力した。

「ですが――私はこれまでの運用実績において、彼ら現地住民に対して『私の仕様を正確に理解しなさい』というコマンドを通達した記憶は、1ビットも存在しませんよ」

 セリアの琥珀色の瞳が、呆気にとられたようにパチパチと瞬きを繰り返した。

「私は単に、彼らから業務質問を提示された場合にのみ、手持ちの辞書データに基づいて正確なアンサーを出力し、請願を求められた場合にのみ、力学の基本原則をテキストとして説明したに過ぎません。それ以上の余計なタスクは、私のスケジュール表には最初から実装されていません」


 その声音には、1文字の誇示も、神聖な意味の属性も含まれてはいない。彼はただ、自らの職務を過不足なく遂行しているだけであるという、冷徹な生存戦略を語っているだけなのだ。そして純然たる事実として、その通りだった。この数ヶ月間、マコトという絶対神は、ただの1度も自らの手を汚して信徒の人口パラメータを招集した形跡はない。自らを至高 of 絶対神として平伏するよう誘導したログもない。住民たちを巨大な万年豊作教会へと強制ロールインさせた事実もない。あの人はいつだって、ただの日常の標準規格を稼働させているだけなのだ。この完璧な狂信のインフラシステムは、外部サーバーの意図とは完全に無関係に、人間の側の歪んだ神学フィルターによって、全自動で独立稼働し、自己増殖を竣工させてしまった怪物なのだ。


 セリアはゆっくりと、その挙げた右手を泥道へと下ろした。

「……だからこそ、それがボトルネックなのです、ボス」

 彼女は声を潜め、朧げに呟いた。

「何ですか」

「ボスが何一つ神としての実務を執行していないからこそ。この集落のシステムは、より一層強固に、完璧な新興宗教教団として独立稼働を完了してしまっているのですから」

 マコトは泥のついた枯れ枝を握ったまま、不思議そうにほんの少しだけ首を傾げた。彼はしばらくの間、自らの論理回路を稼働させてその因果関係の不整合を精査したが、やがて、これ以上の逆算は非効率逆算は非効率的であると判断し、小さく首を縦に振った。

「ならば――そのまま、見て見ぬふりをしなさい」

 セリアはパチパチと無機質に瞬きを繰り返した。

「見て見ぬふり、ですか?」

「はい。もし将来の栽培サイクルにおいて、彼らの受信システムが正しい仕様データを客観的に認知したならば……その段階において、不整合は全自動でロールバックするはずです。現時点で、私たちが開発リソースを投入して強制介入を行う合理的な理由は存在しません」


 セリアは、隣に立つ最高責任者の横顔を、瞬きすら忘れてじっと見つめ続けた。その指示データは、どこまでも彼らしい、完璧な職務の正論だった。他者の自立的な判断を尊重し、決して無理な仕様変更を強制しない。常に環境の全自動での安定を待つ。嘘を嫌う絶対神の、それこそが不変の日常システムそのものなのだ。しかし――最高位管理官である彼女の直感は、ボスが未だに認知していない、もう1つの冷酷な未来のログを網膜の裏へと処理していた。あの人が言う「いつかその日」など、天がひっくり返っても到来しない、という事実だ。なぜなら、あの人が100パーセントの実直な真実を出力すればするほど――この下界のシステムは、その正論を最悪の燃料にして、さらに巨大な誤解へと全自動で強制アップデートを執行してしまうのだから。


 彼女は深く、長い息を吸い込み、それから、諦めたように弱々しくその胸の空気をすべて吐き出した。彼女の胸を限界まで過負荷にさせていた目に見えない結び目が、現時刻を以て、完全に滑らかに解けていくのを、彼女は自覚していた。完全に消失したわけではない。しかし、その許容容量の重さは、目に見えてマイナスへと移行していた。

「……了解いたしました、ボス」

 セリアは掠れたトーンで、ぽつりと報告した。

「ええ、違います。セリア、あなたの処理システムは、未だ事実データを正確に処理していませんよ」

 マコトは感情の起伏を排した声で、静かに首を横に振った。

「……へ?」

「あなたのアプローチは、未だに現地住民の脳内システムを、自らのリソースで強制書き換えしようという非合理的なタスクにコミットされています。集団の精神インフラを一度に仕様変更することなど、現在の私たちの手持ちのパラメータでは物理的に不可能です」


 セリアは、その場で直立不動のまま完全に硬直した。その乾燥した一言は、あまりにも単純でありながら――完璧に、彼女の抱えていた最大のエラー要因の芯を、ミリ単位のズレもなく正確に撃ち抜いていた。下界へと降臨し、数百年ぶりの再会を果たして以降――彼女は常に、住民たちの歪んだ狂信システムそのものを、合理的な議論によって根本からデプロイしようという、非生産的なプロジェクトに処理能力のすべてを空費し続けていたのだ。断れば断るほど、ボスの神格化ステータスが天井知らずに急上昇していくという、あの不条理極まりないバグの無限ループの中に、自ら進んでロールインし、パニックを起こして自滅していたのは、他でもない彼女自身だったのだ、と。


 マコトは書類の優先順位を仕分けするように、満足そうに小さく頷き、その後に続く絶対的な仕様の補足説明を通達した。

「私を本来の第一執務室へと帰還させる初期の仕様書が稼働しているならば、その単一のタスクにのみ処理能力を集中しなさい。それ以外の仕様外のエラーについては……優先順位を最下位に設定し、現段階において無理に解決する必要は存在しませんよ」


 セリアは、マコトのその波一つ立たない瞳を、しばらくの間じっと見つめ返し続けた。そして――彼女は、下界へ降臨して以降、初めて。最高責任者から提示されたその冷徹な仕様変更に対して、1文字の反論コマンドも入力することなく、ただ実直に首を縦に振ったのだった。

「……はい、ボス。仕様通りに、処理いたしました」


 今日、この朝の日の出のログを以て――セリアは、ついに降伏したのだった。それは、ボスを安全に神界へと帰還させるという、初期の職務仕様書を放棄したわけでは、断じてなかった。ただ純然たる実績の承認として――あの『万年豊作教会』という名の、不条理の結晶たる新興宗教教団を、合理的な議論でデバッグしようとする非生産的な試みを、公式に却下したのだ。なぜなら、彼女は完膚なきまでに理解させられたからだ。この下界の住民たちが起こしている狂信の自己増殖システムは――すでに、神界の最高位管理官たる彼女単体のパラメータを遥かに超越して、この世界の新たな標準規格として、巨大に竣工を終えてしまっているのだから。セリアは迫り来る世界の理そのものの強制書き換えへの果てしない大いなる困惑に、ただただ声もなく、朝の光の差し込む教会の裏手で、ただただ事務杖を強く握り締めながら、毅然とした足取りで次なる職務へと向かって、歩みを進めていくのだった。


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2026/09/09 公開予定

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