06│君の願いが叶うように -03-
灯籠はゆっくりと湖面の奥へ流れていく。
その光を見届けたあと、フィーナはそっと立ち上がった。
「……じゃあ、帰ります。」
ルークランが顔を上げる。
「花火は見ないのか?」
フィーナは少しだけ視線を揺らした。
「えっと……。」
夜風が、髪を揺らす。
「ジンクスのこと聞きました。」
ルークランがわずかに眉を動かす。
フィーナは困ったように笑った。
「ルークランさん、誘われるの疲れるって言ってましたよね。……だから、帰ります。」
琥珀色の瞳が、どこか気遣うように細められる。
「帰り道で見られると思うので。」
そして、静かな声で続けた。
「ルークランさんは、ごゆっくり。ここなら人、来ないと思います。」
そう言って離れようとした、その時。
「……いや。」
低い声。
フィーナが振り返る。
ルークランは立ち上がりながら言った。
「一人は危ない。送る。」
「でも、まだ人も多いですし……。」
フィーナは困ったように笑う。
「ルークランさんと一緒にいるところを見られたら、また噂になっちゃいますよ?」
ルークランは黙った。
たしかに、祭りの最中だ。
女子寮へ戻る道には、まだ多くの生徒がいるだろう。
少し考えてから、ルークランは湖畔へ視線を戻した。
「……なら、ここで見ていけばいい」
「え?」
「花火が終われば、人も減る」
淡い水色の瞳がフィーナへ戻る。
「それから送る」
フィーナは言葉に詰まった。
それでは結局、ルークランと二人で花火を見ることになる。
「でも……。」
昼間に聞いた話が、頭をよぎる。
「ジンクスが……。」
ルークランは小さく息を吐いた。
「俺は、ジンクスなんか信じてない」
「……じゃあ、どうして皆さんのお誘い断ったんですか?」
ルークランは少し黙った。
遠くで、花火の準備音が小さく響いた。
やがて静かに口を開いた。
「……ただ、既成事実みたいに扱われるのが嫌なだけだ。」
「既成事実?」
「誰かと見れば、“選んだ”とか、“婚約者候補”とか勝手に騒がれる。」
どこか面倒そうな声音。
ルークランは少し視線を逸らしたあと、再びフィーナを見る。
「……だが。」
夜風が、黒髪を揺らした。
「君は、そんなことしないだろう?」
琥珀色の瞳が、静かに揺れた。
当然のように向けられた信頼に、胸の奥が小さく熱を持った。
「……はい」
「なら、問題ない」
ルークランはそう言って、再び湖へ視線を戻した。
フィーナもつられるように夜空を見上げる。
――本当に、いいのかな。
噂にするつもりなんて、もちろんない。
でも。
夏至祭の花火を一緒に見た相手とは、縁が結ばれる。
昼間に聞いた言葉が、胸の奥でもう一度響く。
ちらりと隣を見る。
ルークランは何も気にしていないような顔で、空を見上げていた。
「ほら、始まる」
次の瞬間。
どんっ、と大きな音が夜空へ響いた。
深い藍色の空に、金色の花火が咲き広がる。
湖面へ光が降り注ぎ、水の上で揺れて砕けた。
フィーナは思わず息を呑む。
「……きれい。」
隣で、ルークランがわずかに視線を向けた。
だがフィーナはすでに花火に見入っていて、その視線には気づかなかった。
*
夜空へ次々と花火が咲いていく。
金色。
青。
白銀。
大輪の光が湖面へ映り、揺れるたびに水の上で砕けていく。
「……すごい。」
思わず零れる声。
シルヴァリアでは見たことのない規模だった。
胸の奥まで響く音。
空いっぱいに広がる光。
湖に流れる灯籠。
綺麗で、幻想的で、夢みたいで。
気づけば、隣にルークランがいることも忘れていた。
ただ夢中で、夜空を見上げていた。
やがて最後の花火が、大きな光を残して消える。
余韻だけが静かな湖畔へ落ちた。
「……終わりましたね。」
フィーナはようやく隣へ顔を向ける。
そこで、はっとした。
――ルークランさん。
花火に夢中になって、すっかり忘れていた。
『夏至祭の花火を一緒に見た相手とは、縁が結ばれる。』
フィーナの頬が、じわっと熱くなった。
「……あ。」
ルークランが小さく首を傾げる。
「どうした?」
「い、いえ……その……。」
フィーナは慌てて視線を逸らした。
けれど、もう遅かったらしい。
ルークランは少し考えたあと、静かに言った。
「ジンクスなら、気にするな。俺は信じていない。」
「……でも。」
ルークランがわずかに眉を寄せた。
数秒考え込んでから、ぽつりと尋ねる。
「嫌だったか?」
フィーナは勢いよく顔を上げた。
「ち、違います!」
思ったより大きな声が出て、自分でもびっくりする。
ルークランも少し目を見開いていた。
「そ、そうじゃなくて……!」
言葉がうまくまとまらない。
嫌じゃない。
むしろ、すごく楽しかった。
でも、それを素直に口にしたら、ジンクスまで嬉しいみたいに聞こえてしまいそうで。
そんな勘違いをさせたら、きっと迷惑だ。
視線を彷徨わせるフィーナを、ルークランはしばらく静かに見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……嫌じゃないなら、いい。」
その声音は、どこか安心したみたいに少しだけ柔らかかった。
*
夏至祭の喧騒は、もう遠くなっていた。
花火を見終えた生徒たちは少しずつ寮へ戻り始め、湖畔の道には静かな夜風だけが流れている。
フィーナとルークランも並んで帰路を歩いていた。
今日は何度も置いていかれることがなかった。
ルークランの歩幅がほんの少し緩やかで、フィーナも自然とその隣を歩いている。
夜道を照らす魔法灯が、石畳へ淡い光を落としていた。
しばらく静かに歩いたあと、ルークランが口を開く。
「……何を願ったんだ?」
フィーナがきょとんと振り返る。
「え?」
「灯籠。」
ああ、とフィーナは小さく笑った。
「えっと……シルヴァリアが元気になりますように、って。」
少し照れくさそうに視線を落とす。
「ルークランさんは?」
ルークランは前を向いたまま、淡々と答えた。
「……君の願いが叶うように、と。」
フィーナの足がほんの少し止まりかけた。
「えっ……。」
ルークランは特に気にした様子もなく続ける。
「君の灯籠だからな。」
フィーナはその言葉をゆっくりと受け取るように、瞬きをした。
夜の中でも分かるくらい整った横顔。
揺れない声。
静かな目。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
嬉しい。
ただ、そう思った。
だからフィーナは、小さく笑った。
「……じゃあ、来年は。」
ルークランがわずかに視線を向ける。
フィーナはやわらかく目を細めた。
「ルークランさんの願いが叶うように、って願います。」
夜風が静かに吹き抜ける。
ルークランはほんの少しだけ目を見開いた。
予想していなかったみたいに。
やがて、小さく視線を前へ戻す。
「……そうか。」
短い返事。
けれど、その声はいつもより少しだけ柔らかかった。
二人はまた並んで歩き出す。
夜の石畳を、同じ速さで。




