06│君の願いが叶うように -02-
夏至祭当日。
夕暮れのレクシア湖は、無数の灯りに照らされていた。
湖畔には小さな光球が浮かび、風に揺れるたび水面へ淡い光を落としていく。
遠くでは、花火の準備をする魔導士たちの姿も見えた。
人々の笑い声。
灯籠を抱えて歩く生徒たち。
いつもより少し浮き立った空気。
その中を、フィーナはカインと並んで歩いていた。
「いやー、マジで助かった。」
カインは上機嫌で笑う。
「クラスの奴ら全員、俺が女子と夏至祭参加できない方に賭けてたからさ。参加するって言って、一人勝ちしてきた」
「ふふ、よかったね。」
フィーナは小さく笑う。
湖面へ視線を向けながら、少し迷うように口を開いた。
「ねえ、カイン。」
「ん?」
「ルークランさんとヴェリアス様って、……その、昔から仲良いの?」
カインは「あー」と声を漏らした。
「まあ、長い付き合いだしな。」
答えながら、ちらりとフィーナを見る。
――あれ?
なんとなく気づく。
フィーナ、ルークのこと気にしてる?
だがカインは深く追及せず、そのまま続けた。
「……でも、あの二人はそういうんじゃねぇと思う。」
「そういう?」
カインは少し考えるように頭を掻いた。
「なんつーかさ。想い合ってる二人って、もっとあったかい感じしないか?」
「……あったかい?」
「うん。俺のすぐ上の兄貴、恋愛結婚なんだけど。」
カインは思い出すように笑った。
「別にいつもべたべたしてるわけじゃねぇし、好きだ好きだって言ってるわけでもないんだけどさ。見てりゃ分かるんだよ。」
「見てれば?」
「目、かな。」
カインは自分で言ってから、少し照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「兄貴が義姉さん見るとき、すげぇ優しい顔すんの。義姉さんもそう。なんか、二人の間だけ空気があったかいっていうか。」
フィーナは少し考える。
それから、ふわりと笑った。
「あ、分かるかも。」
「だろ?」
「うちも、お父さんとお母さんがすごく仲良しでね。」
湖の灯りが、琥珀色の瞳に映る。
「なんていうか……お互いを見る目が、すごく優しいの。」
「そうそう!それ!」
カインがぱっと顔を明るくして、勢いよく頷く。
「ルークとリーザには、それがねぇんだよ。仲はいいけど、あいつらはそういう目じゃない。」
フィーナは少しだけ目を見開いて、それから小さく笑った。
「……そっか。」
その表情を見て、カインはにやっとする。
「安心した?」
「え?」
フィーナは意味がつかめず、小さく首を傾げた。
「な、何が?」
「いや別にー。」
カインはわざとらしく視線を逸らした。
フィーナは意味が分からず首を傾げたが、ふと気になったように問い返す。
「じゃあ、カインは?」
「俺?」
「婚約者とか……いるの?」
カインは一瞬きょとんとして、それから腹を抱えるように笑った。
「いねーいねー。貧乏子爵家の三男坊だぜ?親からは学院で相手を見つけてこいって言われてるくらい。」
「そんなふうに言われるの?」
「三男だからな。家柄より、ちゃんと一緒に暮らせる相手を見つけろってさ。」
カインは肩をすくめた。
「まあ、俺にそんな器用なことできると思ってる時点で、親も大概だよな。」
フィーナは思わずくすっと笑った。
「カインなら、すぐ友達はできそうだけど。」
「友達と結婚相手は違うだろ?」
カインはそう言ってから、少しだけ真面目な顔になる。
「でもまあ、俺は好きでもない相手と婚約とかは無理だな。毎日一緒に飯食う相手だぞ?ちゃんと笑って話せる相手がいい。」
フィーナはその言葉に、少しだけ目を細めた。
「……うん。私も、そう思う。」
湖の灯りが、水面でゆっくり揺れていた。
*
「じゃあ、そろそろ行くね。」
フィーナが灯籠を抱え直しながら言う。
カインはぱっと顔を上げた。
「おう!」
それから、いつもの調子で大きく笑う。
「マジでサンキューな!このお礼は絶対するから!」
「いいよ、そんなの。」
フィーナはくすくす笑って、それから小さく手を振った。
「じゃあまたね。」
「おう!気をつけろよー!」
カインの声を背に、フィーナは湖畔から少し離れた道へ歩き出した。
人の多い場所から離れるにつれ、喧騒が少しずつ遠ざかっていく。
やがて、木々に囲まれた静かな湖畔へ辿り着いた。
夜風が水面を揺らしている。
フィーナはそっとしゃがみ込み、灯籠を膝の上へ置く。
静かな水面を見つめる。
揺れる光。
流れる風。
かすかな波音。
シルヴァリアの夜を思い出した。
――この雰囲気、落ち着くな。
その時。背後でがさっと草を踏む小さな音がした。
フィーナが振り返るとそこに立っていたのは、黒いローブの少年だった。
「……セレス?」
淡い水色の瞳が、わずかに見開かれる。
フィーナも目を丸くした。
「ルークランさん?」
思わず立ち上がる。
「あれ……どうして……?」
ルークランは少しだけ瞬きをしたあと、静かに尋ねた。
「君こそ、どうして一人で?カインは?」
「あ、えっと……。」
フィーナは灯籠を抱え直す。
「最初だけなんです。一緒に回ったのは。……灯籠は、一人で静かに流したかったから。」
それから少し迷って続けた。
「ルークランさんは?ヴェリアス様と……。」
ルークランは小さく息を吐く。
「……リーザとは口裏を合わせてもらっただけだ。」
「口裏?」
「あいつも誘いが多くて大変だったからな。」
淡々とした説明。
「一緒に参加するという噂を流しただけだ。」
フィーナは少しだけ目を丸くした。それから、小さく笑う。
「そうなんですね。」
夜風が静かに吹き抜ける。
無言。
けれど、不思議と居心地は悪くなかった。
湖面に揺れる灯りが、二人の間へ静かに光を落としていた。
しばらく静かな時間が流れたあと、フィーナがふと思い出したように顔を上げた。
「ルークランさん、灯籠は?」
「……あ。」
ルークランがわずかに目を逸らす。
「忘れた。」
フィーナはきょとんとしたあと、思わず吹き出した。
「ふふっ……ルークランさんでも、そんなことあるんですね。」
肩を揺らして笑う。
ルークランは少しだけ眉を寄せた。
「……それどころじゃなかったからな。」
「それどころ?」
フィーナが首を傾げる。
ルークランはちらりとフィーナを見て、すぐに目を逸らした。質問に答えるつもりはないようだった。
フィーナは少しだけ考えてから、そっと灯籠を抱え直す。
「……じゃあ、一緒に流しますか?」
ルークランがフィーナを見る。
「いいのか?」
「え?」
「一人で静かに流したいんじゃなかったのか。」
フィーナは小さく笑った。
「はい。でも――」
夜風が、やわらかく髪を揺らす。
「ルークランさん、静かに灯りを見てくれそうなので。」
その言葉に、ルークランは一瞬だけ言葉を失った。
それから、小さく息を吐く。
「……そうか。」
その声は少しだけ柔らかかった。
フィーナは湖畔へしゃがみ込み、灯籠をそっと水面へ置いた。
淡い光が、ゆらりと揺れる。
「魔力を流すんですよね。」
「ああ。」
フィーナは小さく頷いたものの、そのまま指先を止めた。
灯籠を見つめる琥珀色の瞳が、わずかに揺れる。
――もし、また暴走したら。
そんな不安が、ほんの一瞬だけ胸をよぎった。
すると隣で、ルークランが静かに口を開く。
「……大丈夫だ。」
フィーナがはっと顔を上げる。
淡い水色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
「俺がいる。」
低く落ち着いた声だった。
根拠を並べるでもなく、励ますでもなく、ただ、それが当然みたいに。
不思議と胸の奥の緊張がほどけていく。
フィーナは小さく息を吐いて、こくりと頷いた。
「……はい。」
ルークランも隣へ膝をつく。
肩が触れそうなくらい近い。
二人は同時に、静かに魔力を流し込んだ。
金色の光。
黒い闇。
灯籠の中で二つの魔力が溶け合うように揺れる。
その瞬間。
フィーナの胸が、微かにざわめいた。
――あ。
柔らかな闇。
包み込まれるような、静かな魔力。
暴走したあの日。
制御できなくなった光を、優しく覆ってくれた感覚に似ていた。
フィーナは思わず隣を見上げる。
夜風に揺れる黒髪。
静かな横顔。
淡い水色の瞳。
胸の奥が、少しだけ騒いだ。
次の瞬間。
ぽう、と柔らかな光が灯った。
フィーナが小さく息を呑む。
「……きれい。」
湖面へ流れ出た灯籠は、他の灯りの中へ静かに溶け込んでいく。
揺れる水面。
無数の光。
夜の風。
二人はしばらく並んだまま、その灯りを見つめていた。
やがてフィーナが、ぽつりと呟く。
「シルヴァリアでは、家族で一緒に灯籠を流すんです。」
ルークランが静かに視線を向ける。
「みんな、あんまり喋らなくて。ただ静かに、灯りを見てて……。」
懐かしそうに笑ったあと、フィーナは少しだけ迷うように視線を揺らした。
「……ルークランさんは、シルヴァリアへ来たことありますか?」
ルークランは不思議そうに瞬きをした。
「ああ。何度か。」
あまりにも自然な返事だった。
「父上の視察の同行でな。」
淡々とした声音。
特別な意味は、何もない。
フィーナは小さく「そうなんですね」と笑った。
けれど胸の奥が、少しだけ静かになる。
もし、あの時助けてくれた“神さま”がルークランさんなら。
こんなふうに尋ねたら、何か言ってくれるような気がしていた。
けれど、ルークランの様子はあまりにも普通で。
(……違う、のかな。)
ほんの少しだけ残念に思いながら、フィーナは湖面へ視線を戻した。
二人で流した灯りは、ほかの灯籠に混じって、静かに遠ざかっていった。




