05│……なぜ、合わせない? -04-
ルークランは先に倉庫へ着くと、黙々と片付けを始めた。
使い終えた道具を分け、土袋をまとめ、空いた箱を棚へ戻していく。
動きに無駄はない。
幼い頃から叩き込まれた整理の癖が、自然と身体に染みついていた。
しばらくして、ぱたぱたと小さな足音が聞こえる。
「お待たせしました。」
フィーナが倉庫へ入ってきた。
少し息を弾ませながらも、いつものように柔らかく笑っている。
ルークランは小さく頷き、そのまま作業へ戻った。
フィーナも隣へしゃがみ込み、道具を一つずつ丁寧に拭き始める。
汚れを落として、向きを揃え、そっと棚へ戻す。
まるで壊れ物を扱うみたいに、優しい手つきだった。
ルークランは思わずその動きを目で追う。
……丁寧だな。
花を扱う時と同じだ。
土に触れる時も、苗を植える時も、全部が柔らかい。
ぼんやり見ていたことに気づき、ルークランは小さく視線を逸らした。
「……手伝う。」
フィーナがぱちりと瞬きをする。
「え? 大丈夫ですよ。」
にこっと笑う。
「ありがとうございます。」
だがルークランは、フィーナの手から半分ほど道具を受け取った。
「そんなにゆっくりしていたら、日が暮れる。」
言った瞬間。
―――あ。
少し嫌な言い方だったかもしれないと思い、ルークランはわずかに眉を寄せた。
だがフィーナは全く気にした様子もなく、むしろ嬉しそうに笑った。
「ふふ、そうかもしれません。」
それから、柔らかく続ける。
「ありがとうございます。ルークランさんって優しいですね。」
ルークランの手がぴたりと止まった。
優しい。
そんなふうに言われるとは思っていなかった。
むしろ今のは、急かした嫌な言い方だったはずだ。
なのにフィーナは、少しも嫌そうではない。
不思議そうに彼女を見つめるルークランの横で、フィーナはまた楽しそうに道具を並べ直していた。
道具を棚へ戻し終えると、ルークランは静かに手袋を外した。
黒い布地に、土の跡がついていた。
新しい手袋を取り出し、はめ直す。古い方は、脇のごみ入れへぽんと放った。
「えっ、捨てるんですか?」
フィーナが目を丸くする。
「汚れている。」
「これくらいなら、きれいになりますよ。」
フィーナはそう言うと、手袋を拾い上げ、倉庫の外へ出た。
ルークランは思わず目で追う。
入り口のすぐ脇の水道で手袋を水で流す。土の色が薄れ、水が茶色く流れていく。
迷いなく、手慣れた手つきで。
ルークランはしばらく、その様子を見ていた。
やがてフィーナは手袋をぎゅっと絞り、振り返った。
「はい。寮で乾かしてくださいね。」
その瞬間、フィーナははっとしたように目を丸くする。
「あっ……すみません、勝手に……。」
フィーナは手を引こうとしたが、ルークランは黙ったまま手袋を受け取った。
汚れたものを身につけることは、周囲への失礼にあたる。
だから取り換える。それは義務であり、迷うことでもなかった。
だが、フィーナも、迷わなかった。
黒い布地はきれいになって戻ってきた。
ルークランはそれをひとしきり見つめてから、口を開いた。
「……感謝する。」
フィーナの肩から、すっと力が抜けた。
*
しばらくの静寂ののち、フィーナが少し迷うように口を開いた。
「あの……私、ルークランさんに聞きたいことがあって…。」
ルークランが視線を向ける。
「なんだ。」
フィーナは小さく言った。
「故郷のシルヴァリア、最近、土地に元気がなくなってるんです。」
その声はいつもより少し静かだった。
「前はもっと作物が育ってたって、お父さんも言ってて……。私も、覚えているんです。子どものころはもっと畑が元気だったなって。でも、王都の土地は今もすごく元気ですよね。」
ルークランは少し考える。
「……そうか?」
フィーナは頷いた。
「はい。花も木も、全部すごく綺麗です。」
ルークランは記憶を辿る。
王都近辺の収穫量。
領地報告。
近年の農作物の統計。
「……たしかに、ここ数年は王都近辺は豊作だと聞くな。反対に、王都から離れるにつれ収穫量は減っている。」
フィーナが少し身を乗り出す。
「原因って、分かってるんですか?」
その問いに、ルークランは一瞬だけ黙った。
そして周囲を見回す。
倉庫の中には二人しかいない。
外から聞こえるのは、遠くの鳥の声だけだ。
ルークランは少し声を落とした。
「……伝承の封印のことは知っているか。」
フィーナは驚いたように瞬きをする。
「はい。シルヴァリアでも、昔話みたいに聞きます。」
ルークランは小さく頷いた。
「他言はしないでくれ。」
その声音は、いつもの穏やかさより少し低い。
「まだ確定ではないし、関係があるのかも分かっていない。だが……封印が揺らいでいるかもしれない、という話がある。」
フィーナの表情が静かに曇る。
「そう、なんですね……。」
小さく視線を落とす。
「封印……。」
それは、自分たちではどうにもできないほど遠くて大きな話に聞こえた。
「じゃあ……どうにも、ならないのかな……。」
肩が少し落ちる。しゅん、と目に見えるくらい落ち込んでいる。
ルークランは思わずその横顔を見た。
……放っておけない。なぜか、そう思った。
少し考えてから、静かに口を開く。
「レイナード教授は、その辺りの研究をなされている。」
フィーナが顔を上げた。
「え?」
「封印と土地の魔力循環についても詳しい。」
ルークランは続ける。
「今度、一緒に話を聞きに行こう。」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、フィーナの表情がぱっと明るくなった。
「……いいんですか?」
「構わない。」
フィーナは嬉しそうに笑った。
「良かった……。」
フィーナはほっとしたように胸へ手を当てた。
「ルークランさんに相談して、良かったです。」
にこにこと嬉しそうに笑う。
琥珀色の瞳がやわらかく細められていた。
その表情を見た瞬間、ルークランの胸の奥がわずかに熱を持つ。
不意に、あの匂いがした。
入学式の日から時折感じる、甘い匂い。
花の香りにも似ているのに、それだけではない。
なぜか、落ち着く匂い。
ルークランはその感覚を振り払うように、小さく息を吐いた。
「……貴族として当然の役目だ。」
淡々とした声。
だがフィーナは素直に頷く。
「そうなんですね。でも、ありがとうございます。」
まるでそのまま信じているような返事だった。
ルークランは少しだけ視線を逸らす。
……違う。
いや、間違ってはいない。
困っている者を助けるのは、確かに貴族の役目だ。
だが。
レイナード教授へ繋ごうと思ったのも、わざわざ一緒に行くと言ったのも。
本来ならそこまで自分がする必要はない。
なのに、フィーナが嬉しそうに笑うと、それで良かったと思ってしまう。
理由は、よく分からなかった。
やがて片付けも終わり、ルークランは倉庫の扉へ手をかけた。
重い扉が閉まり、金属の鍵が小さく鳴る。
外へ出ると、空は薄く橙色へ染まり始めていた。
「じゃあ私、これ返してきますね。」
フィーナが鍵を受け取ろうとした、その時。
ルークランは自然にその手から鍵を取った。
「……俺が行く。」
フィーナが目を丸くする。
「え?」
「もう暗くなる。」
ルークランは鍵を握ったまま言った。
「君は早く寮へ戻った方がいい。」
静かな声音。けれどそこには、有無を言わせない自然さがあった。
フィーナは少し驚いたあと、ふわりと笑う。
「ありがとうございます。」
頬が少し赤い。
夕暮れのせいだけではない気がした。
琥珀色の瞳も、どこか柔らかく揺れている。
ルークランはその顔から、なぜか目を逸らせなかった。
*
鍵を返し終えたころには、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
男子寮へ続く石畳を、ルークランは一人で歩く。
一定の歩幅。
一定の速度。
……のはずなのに、頭に浮かぶのはフィーナのことばかりだった。
カインに昔の話を聞いて、楽しそうに笑っていた顔。
ルナリアの花を語る時の、少し弾んだ声。
故郷の話になった瞬間、しゅんと落ち込んだ横顔。
思い返すたび、胸の奥が妙にざわつく。
――制御対象。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
測定不能の光。
不安定な魔力。
自分だけが制御できる相手。
だから気になっていたのだと思っていた。
だが今日見た彼女は、それだけじゃなかった。
花を見て足を止め、蝶を見つけてしゃがみ込み、くだらない話で笑う。
制御対象ではない、一人の、普通の女の子だった。
ルークランはふと足を止める。
視線を上げると、回廊の外の木々が春の風に揺れていた。
若葉が芽吹き、枝の間を小鳥が横切っていく。
夕方の風が頬を静かに撫でた。
――あの子は。
あの時、何を見ていたんだろう。
花。
蝶。
空。
自分なら通り過ぎるだけのものを、フィーナは立ち止まって見ていた。
ルークランはしばらく揺れる木々を見つめたあと、小さく息を吐く。
……次、聞いてみよう。
そう思った自分に、少しだけ驚きながら。




