05│……なぜ、合わせない? -03-
その後も三人で花を植え続けた。
苗を並べ、土をかぶせ、水をやる。
春の陽射しはやわらかく、風は心地いい。
フィーナとカインは時折笑い合いながら作業を進め、ルークランも無言のまま手を動かした。
気づけば、花壇の空いていた場所はほとんど埋まっている。
「……よし、こんなもんか。」
カインが腰を伸ばした、その時だった。
「あっ、やべ。」
急に顔を上げる。
「このあとクラスの集まりあるんだった!」
「え?」
フィーナがぱちりと瞬きをする。
カインは慌てて時計を確認し、「完全に忘れてた」と頭を抱えた。
「悪いフィーナ、片付け頼めるか?」
「うん。むしろ手伝ってくれてありがとう。」
フィーナが笑うと、カインもにっと笑い返す。
「おう!また声かけてな!フィーナならいつでも大歓迎!」
そう言って手を振り、慌ただしく中庭を走り去っていった。
残されたのは、ルークランとフィーナだけ。
風が花壇を撫で、植えたばかりの花が小さく揺れる。
静かだった。
フィーナはルークランを気にする様子もなく、しゃがみ込んだまま花を見ている。
「きれいに咲くといいなぁ……」
嬉しそうに微笑み、そっと葉に触れる。
一方で、ルークランはわずかに視線を彷徨わせていた。
――何か話した方がいい。
そう思う。
貴族社会では沈黙は好まれない。
会話を繋ぎ、場を整えるよう幼い頃から教えられてきた。
貴族令嬢が相手なら、天気や流行、社交の話をしていればいい。
けれど今は、花壇の前でフィーナと二人きりだ。
制御訓練の時の目的のある会話とは違う。
だが、社交用の会話をするのもおかしい。
平民の少女と、目的もなく話す。
そんな経験は今まで一度もなかった。
しかもフィーナは、沈黙を全く気にしていないようだった。
花を見ながら、ふわりと穏やかに笑っている。
その横顔を見ていると、不思議と焦りと同時に、妙な落ち着きも胸に広がっていく。
ルークランはしばらく迷ったあと、ようやく口を開いた。
「……花が、好きなのか。」
フィーナがぱっと顔を上げる。
「はい。私の故郷のシルヴァリア、寒い土地なので…春に花が咲くとすごく嬉しくて。」
その笑顔は、さっきまで花を見ていた時と同じくらい柔らかかった。
ルークランは小さく息を吐く。
――よかった。会話になった。
そんなことを思った自分に、少しだけ驚いていた。
フィーナはふと思い出したように顔を上げる。
「ルナリアって花、知ってますか?」
「ルナリア?」
ルークランは記憶を辿る。
幼い頃から叩き込まれた植物図鑑、地方文献、薬学書。
その中から、ひとつの名前が浮かび上がった。
「ああ。……夜に咲く花だな。」
フィーナの瞳がぱっと輝いた。
「知ってるんですか!」
嬉しそうな声。
「シルヴァリア周辺でしか咲かない花なんです。月の光が強い夜に咲いて、一日しか咲かないんですよ。」
フィーナは両手で小さく花の形を作る。
「淡い青と白の間みたいな色で……風が吹くと、光ってるみたいに見えるんです。」
その声は、好きなものを語る時特有の熱を帯びていた。
「私、ルナリアがすごく好きで。小さい頃はよく弟と森まで見に行ってたんです。」
楽しそうに話す横顔を、ルークランは静かに見つめる。
フィーナは普段、どちらかといえば控えめだ。
けれど今、ルナリアの話をしているときは少しだけ表情が柔らかくなる。
その変化が、なぜか目を引いた。
「……見てみたいな。」
気づけば、そんな言葉が口から零れていた。
フィーナは少し驚いたように目を丸くする。それから、ふわりと笑った。
「すごく綺麗ですよ。」
春の風が吹き抜ける。
花壇の花々が小さく揺れた。
「あ、喋りすぎちゃってすみません。」
フィーナははっとしたように口を閉じ、小さく頭を下げた。
「私、あと片付けるので……。今日はありがとうございました。」
ぺこりと頭を下げる。
ルークランはすぐに答えた。
「……片付けも一緒にやる。」
「えっ?」
フィーナが目を丸くする。
「でも、いいですよ!ルークランさん、さっきまで勉強してましたよね?これ以上お邪魔できません。」
「問題ない。」
短い返事。
「もう終わっている。」
淡々とした口調だったが、引く気配はない。
フィーナは少し困ったように笑ってから、小さく頷いた。
「……じゃあ、お願いします。」
二人で花壇の周囲を片付け始める。
空いた鉢をまとめ、土袋を閉じ、使った道具を木箱へ戻していく。
作業が終わる頃には、日差しは少し傾き始めていた。
「あとはこれを倉庫に戻せば終わりですね。」
フィーナが木箱を持ち上げようとする。
だがルークランが先に持ち上げた。
「俺が持つ。」
「えっ、でも……。」
「構わない。」
結局、ルークランが大きい箱を持ち、フィーナが小さな道具を抱える形になった。
二人は並んで倉庫へ向かう。
石畳の回廊に、夕方の光が細長く落ちていた。
ルークランはいつも通りの速度で歩く。
一定で、無駄のない歩幅。
……だが。
数歩進んだところで、ふと違和感を覚えた。
隣にいたはずの気配がない。
ルークランは立ち止まり、振り返る。
「……セレス?」
少し後ろで、フィーナがしゃがみ込んでいた。
花壇の端に咲いている小さな白花をじっと見ている。
呼ばれてたことに気が付くと、はっと顔を上げた。
「あ、ごめんなさい。」
慌てて立ち上がり、小走りで戻ってくる。
「この花、ルナリアと少し似てて……つい。」
「……そうか。」
再び歩き出す。
だが、しばらくするとまた気配が遠のいた。
振り返る。
今度は、木陰に止まっている蝶を見ていた。
「あっ……ご、ごめんなさい。」
また小走りで戻ってくる。
何度目かに立ち止まった時、ルークランは小さく息を吐いた。
……なぜ、合わせない?
ルークランの歩幅は、いつも一定だった。
幼い頃から叩き込まれてきたものだ。
王候補たる者は、姿勢を崩さない。
歩幅も、速度も、乱さない。
誰かに合わせるのではなく、周囲が彼に合わせる。
それが“正しい在り方”として教え込まれてきた。
それが、ずっと当たり前だった。
だから最初は、フィーナが慣れていないだけだと思っていた。
だが。何度目かに振り返った時、ふと気づく。
―――違う。
フィーナには、“ルークラン・アストレイドに合わせる”という発想自体がない。
その事実に、ルークランはわずかに目を見開いた。
……先に行けばいいだけだ。
ルークランはフィーナへ視線を向けた。
「……先に行く。」
フィーナは、いつもの柔らかな笑顔で頷いた。
「はい。私、あとから行きますね。」
あっさりと。まるで当然のように。
――待ってください、とは、言わないのか。
ルークランは何も言わず前を向き、そのまま歩き出した。
一定の歩幅。
一定の速度。
こちらの方が落ち着く。
……そのはずなのに、なぜか背中が少しだけ落ち着かなかった。




