05│……なぜ、合わせない? -01-
五月の風が、学院の回廊をやわらかく吹き抜けていた。
制御訓練を始めてから、もう何度か日を重ねている。
三日に一度。
放課後に錬成ドームで向かい合い、呼吸を合わせ、魔力を流す。
うまくいく時もあった。
光が静かに形を保ち、呼吸がするりと合う。そういう瞬間は、確かにある。
けれど、毎回そうはいかない。
前の訓練でできたことが、次にはできなくなっていたりする。集中が乱れればすぐに揺れ、また一から合わせ直す。
成功より失敗の方が、まだずっと多かった。
訓練のたびに、ルークランは必要なことしか言わなかった。
「もう一度」か、短い指示。雑談はない。
ただ向かい合い、同じ手順を繰り返す。
三日に一度、それだけが二人の時間だった。
だから、普段から一緒にいるわけではなかった。
教室で目が合えば軽く会釈をする。
回廊ですれ違えば、「おはよう」と短く言葉を交わす。
それだけだ。
ルークランはいつも四大公爵家の友人たちと共にいて、フィーナもまた、ミアやラナと過ごしている。
ただ、以前より少しだけ、互いの姿を見つける頻度が増えたような気がしていた。
*
休日の昼下がり。
中庭には穏やかな陽射しが落ち、レクシア湖から吹く風が木々を揺らしている。
ルークランは噴水近くのベンチに腰掛け、本を読んでいた。
ページをめくる音。
水のさざめき。
遠くで響く学生たちの笑い声。
――静かな時間だった。
そのとき、ふと視界の端にふわりと白いローブが映る。
顔を上げると、フィーナが中庭を歩いていた。
両手で小さな木箱を抱えている。
少し重いのか、腕に力が入っているのが遠目にも分かった。
声をかけようと立ち上がろうとしたところで、ルークランの視線が止まった。
――彼女の隣に、誰かいる。
赤毛の髪をツンツンとセットしている少年。
背は高く、引き締まった体つき。
制服の上着を肩にかけ、フィーナが持っている箱と同じものを2つ抱えながらフィーナの隣を歩いている。
「だからさ、それも俺が運ぶって言ってるだろ?」
呆れたような、けれど優しい声。
フィーナが困ったように笑う。
「大丈夫だよ。このくらいなら持てるもん。」
「いや、絶対重いだろ。ほら。」
少年はそう言いながら、フィーナの持っている箱の下に自分の箱を差し出した。どうやら上に乗せろ、という意味らしい。
フィーナは少し迷いつつ、箱を乗せる。
「ありがとう、カイン。」
「どういたしまして。」
自然な笑顔だった。
あまりにも自然すぎて、ルークランはフィーナの顔から視線を外せなくなった。
――カイン・ローディル。
アストレイド領でもある北方防衛を担ってきた騎士家系、ローディル子爵家の三男だ。
幼い頃からルークランはカインの父から剣を教わっていた。
その縁で、カインとも自然と顔を合わせるようになったのだ。
騎士の家らしく真っ直ぐで、裏表がない。
声も大きく、よく笑い、妙に面倒見がいい。
ルークランにとっては、昔から気を遣わず話せる数少ない相手でもあった。
そのカインが、今……フィーナの隣で笑っている。
フィーナもまた、訓練の時とは違う柔らかな顔で笑っていた。
その笑顔から、視線が離せなかった。その感覚の正体を掴む前に、カインがこちらへ気づいた。
「あれ、ルークじゃん。」
気軽な声にフィーナがはっと顔を上げる。琥珀色の瞳がこちらを見る。
ルークランはゆっくりと本を閉じた。
カインが片手を上げる。
そして隣のフィーナへ向き直った。
「あ、フィーナ。こいつ、ルークラン・アストレイド。幼なじみなんだ。」
「え?カインとルークランさん、幼なじみなの?」
フィーナが少し驚いたように目を丸くする。
カインは「ああ!」と気軽に頷いた。
「小さい頃から一緒に剣の訓練しててさ!俺の親父が……ってあれ?フィーナ、ルークのこと知ってんのか?」
「うん、あの……魔力測定の時から……。」
少し控えめな返事。あまり触れてほしくなさそうに口にするフィーナをよそに、カインはぱっと表情を明るくした。
「あー!あの測定の時か!……って、わりぃ!言い方良くなかったな。」
「…いいよ、本当のことだもんね。」
あまりにも悪気のないカインの言い方に、フィーナが優しく笑う。
ルークランはそんな二人を見比べ、静かに口を開いた。
「……カイン。どうしてお前が、セレスと?」
「ああ、先生に頼まれたんだよ。」
カインは箱を軽く持ち上げる。
「中庭の花壇、人手足りないから手伝えって。」
フィーナもにこりと笑った。
「そうなんです。今日は人が少ないみたいで……。カインがちょうど近くにいて。」
「な。」
二人は自然に顔を見合わせて笑う。
その空気に、ルークランの眉がわずかに動いた。
「……二人は元々知り合いだったのか?」
「いや?」
カインはけろりと答える。
「さっき初めましてしたところ。」
「……初対面?」
ルークランの声音が少し低くなる。
「なのに呼び捨てか。お前は昔から距離感がなってない。」
「別にいいだろ?」
カインは全く気にした様子もない。
「友達になったんだからさ。な?」
そう言って、隣のフィーナを見る。
フィーナはくすっと笑った。
「うん、カイン話しやすいし。」
――話しやすい。
柔らかく頷くその様子に、ルークランはなぜか胸の奥が妙に落ち着かなくなるのを感じていた。
カインがふと思い出したように顔を上げた。
「そういやルーク、こないだ誕生日だったよな。もうデビューしたのか?」
ルークランはちらりとフィーナを見た。
フィーナはきょとんとしている。
「……した。」
「誰いた?どこのご令嬢が可愛かった?噂だとすごかったらしいじゃん――」
カインが楽しそうに身を乗り出す。
「問題なく終わった。」
「えー、それだけ?」
カインが軽く笑う。フィーナは首を傾げて尋ねた。
「デビュー?」
「おお。貴族って十六になると——」
カインがフィーナの方へ向き直った瞬間、
「カイン。」
静かな声だった。
カインはルークランの目線を受けて、ぱっと口を閉じた。しまった、という顔をしてから、肩をすくめてフィーナへ向き直った。
「えーと、……この話はお終い!始めようぜ、フィーナ。」
カインが袖を軽くまくりながら言う。
フィーナはちらりとルークランを見たが、すぐに小さく笑ってカインに向き合った。
「うん。」
二人はベンチ近くの花壇へ向かう。
春の花が並ぶその一角には、まだ植えられていない苗と土袋が置かれていた。
ルークランはベンチに座ったまま、本を開き直す。
……が。
自然と視線がそちらへ向いてしまう。
視線をページへ戻す。文字を追う。それでも、気づけばまた向いていた。




