2-22 わたしどうぶつさんとおはなしができるようになったかも!
「てことは……赤ずきんちゃんが危ないっ!!」
チルチルさんが〈青い鳥〉に殺されたという話が事実なら、料理店の中には危険な魔物が潜んでいることになる。
部屋へ戻ってきていない彼女のことが心配で、ぼくはいてもたってもいられなくなった。
ところが前足も後ろ足もガチガチに固まったまま、いくらがんばっても動いてくれそうにない。
幽霊のチルチルさんは、必死に起きあがろうとするぼくをたしなめるように、
『そう慌てるな。お前さんもすでにあのクソ鳥の虜だ。今の状態で助けにいったところで、幸福な幻にずっぽりハマっちまうのがオチだろうよ。まあ銀狼だし多少は耐性あるみてえだが』
「幻……? どういうこと……?」
『ふひひひ。お前さんにはこのオンボロ料理店もさぞかし立派に見えただろうなあ。あいつの〈穏やかな幸福〉は魔除けの結界なんかじゃねえよ。居心地のよさそうな幻で獲物を引き寄せる、釣り針に仕掛けた餌みてえなものさ。ほかの魔物はやべえってわかってるから近寄らねえだけでな』
そう言われて、ぼくは昼間の記憶をたぐり寄せる。
穏やかな風景。牧歌的な雰囲気のお店。優しそうなミチルさんに美味しい料理……どれもこれもぜんぶ〈青い鳥〉が作った幻だってこと?
いやいやいや、ありえないでしょ。だとすれば、とんでもなく強力な魔法だ。
『ミチルはもう手遅れだけどよ、お嬢ちゃんのほうはまだ間に合う。本人はもう忘れちまっているみてえだが……旦那の背中にひっついていたクソガキにゃ見覚えがあるし、俺が手を貸してやるよ。ちょいとばかし痛えけど我慢しろよな』
ぼくはなにか言おうとした。
だけどその前に、お腹をぐちゃぐちゃにかきまわされるような感覚が襲ってくる。
マンドラゴラの叫び声を聞いたとき以上の――このまま死んでしまうのではないかと思うほどの、激痛だ。
猛烈な苦しみの中で声にならない悲鳴をあげる中、チルチルさんはこう言った。
『カスパールの旦那に会ったらよろしくな、狼くん』
そしてぼくは起きあがった。
……今のは夢?
いや、ちがう。
チルチルさんとの会話は現実感がありすぎた。
もしあれが本当なのだとしたら――細かいことを考えてる場合じゃない!
今はとにかく急いで、赤ずきんちゃんを探しにいかないと!!
◇
ひとまずティンカーベルの肩ひもを器用に巻きつけて、ぼくは部屋を出る。
すると建物の様子がおかしいことに気づいた。
ぼくらが泊まっていたのは料理店二階の、ミチルさんが宿泊用に提供している一室だ。
ところが外に出るとそこは一階の食堂。キョロキョロと見まわしても階段はなく、どころか二階そのものが存在していなかった。
変わっているのは間取りだけじゃない。
白かった内装は塗装が剥がれていてボロボロ。床は埃だらけのうえに、ところどころに悪臭を放つ鳥の糞と青色の羽毛が散らばっている。
お店というよりは不潔な鶏小屋のような有様だ。
不穏な気配をひしひしと感じながら、月明かりだけを頼りにうす暗い室内の奥に進む。
ふいになにかが動いたのでぎょっとして視線を向けると、四人の男たちが朽ちかけたテーブルを囲んでいた。
あまりにも痩せこけているので誰……? と思いかけたものの、服装を見て気さくなお兄さんたちだと気づく。ぼくが警戒しながら近づいていくと、
「ヒヒヒ! お嬢ちゃん、小さいわりにずいぶんと過激じゃねえか。おじさんもうヘトヘトで腰が動かねえや」
「あっ! あっ! ああっ! だめだめ! 俺もうだめだよママンんん!! そんなふうにされたらっ! そんなふうにされたらああ!」
「うめえ、超うめえ。こいつは三大珍味のひとつ、金剛亀のスープじゃねえか。それに超一級品の竜宮酒、それも千年ものだ。生きているうちに一度は味わってみてえと……」
「ア、アアア、アアー……」
やばい。どいつもこいつも正気じゃない。
奥にいるひとりなんて口からだらんとよだれを垂らしていて、今にも事切れてしまいそうな雰囲気だ。
部屋を出る前は、まだ半信半疑だった。
でもこんなものを見せられたら、信じるしかない。
ぼくらはずっと騙されていたのだ。
ピーちゃんに、あの恐ろしい〈青い鳥〉が作りあげていた幻に。
「ううん、なにやら物音がしますわね」
「あ、赤ずきんちゃん……っ!?」
可愛らしい声が響いたかと思ったら、食堂の奥から彼女がひょっこり顔を出した。
痩せこけていることもなければ、喋りかただっていつもどおり。
ぼくは心の底からほっとした。
チルチルさんの幽霊がまだ間に合うと言っていたとおり、赤ずきんちゃんはおかしなことになっていない。
たぶん幻に取り憑かれているのは、四人の冒険者とミチルさんだけなのだ。
「ねえねえ、ここヤバいって! ピーちゃんがぼくらに幻を見せて騙しているみたいでさ、ひとまず一回外に出て対策を考えたほうがいいかも!」
とにかく危険を伝えようと、チルチルさんの幽霊から聞いた話をかいつまんで説明する。
だけど赤ずきんちゃんは状況がまだよくわかっていないのか、ぼくを見ながら可愛らしく小首をかしげた。
それから不思議そうな声で、
「あらあら、おおかみさんがしゃべっていますわね。めずらしいこともあったものです」
「え、なにを言っているの……? めっちゃ今さらだし、ぼくは……」
「ねーねー、おばあさま! わたしどうぶつさんとおはなしができるようになったかも!」
彼女はぐるんと首を動かして、うしろに声をかける。
するともうひとり、誰かが姿を現して、
『ちがいますよ、可愛いあなた。それはただの動物ではなく、危険な魔物。私とあなたを食べようと、おうちの中に入ってきたのです』
「まあ、たいへん! どうしたらいいの、おばあさま!」
食堂の奥から出てきた人物を見て、ぼくはぎょっとする。
服装を見れば、ミチルさんだ。
ただし白骨化していて、昼間に見たぽっちゃりした女性の面影はどこにもない。
なのに赤ずきんちゃんはそれを『おばあさん』と呼んで、ニコニコと笑みを向けている。
……おかしい。絶対におかしい。どう見たって幻に取り憑かれている。
ぼくがあまりのことに呆然とする中、
『悪い魔物は、追い払わないといけません。やりかたは前に教えたはずですよ。今のあなたならきっと大丈夫。さあ早く、その狼をやっつけておしまいなさい……ピヨピヨピヨ』
白骨化したミチルさんがカタカタと近づいてくると、暗がりにまぎれていたのか、その頭蓋骨に小さな影が乗っていった。
今まで喋っていたのは彼女じゃない。こいつなのだ。
鮮やかなブルーの、小さな鳥。
だけどその姿からは想像もつかないほど――邪悪で強大な存在。
「悪い狼じゃないよ、ぼくだよ!! 君の相棒、マロックだってば!!」
「やだ、こわい。でもおばあさまのいうとおり、なんとなくまものとたたかえるきがします。もしかしてわたし、ねているあいだにものすごいちからにめざめていたのかしら」
『そうですよ。魔物に食べられたくないでしょう。あなたもわたしも』
「いやいやいや、マジ冗談でしょありえないでしょ。お願いだから……正気に戻ってよ赤ずきんちゃああん!!」
ぼくは必死に叫ぶ。
だけど赤ずきんちゃんは、畑を荒しにきた野良犬を追い払うみたいに手を振りあげて、いつもの調子でこう叫んだ。
「暴虐の覇王よ。我が願いに応じ憤怒の鉄槌を振るいたまえ! ――破壊の鎮魂歌!!」
次の瞬間、ぼくの視界が真っ白に染まった。




