1-5:ヤバくなったらわたしが逃げるまで、時間を稼いでくださいね。
しばらく雪原を歩いたのち、わたしは足をとめて周囲を見まわします。
「マロック、なにか匂うと思いませんか」
「うそ!? もしかしてぼく、洗ってない犬みたいにくさいの?」
隣の相棒くんは慌てたようにそう言うと、しきりに自分の身体をくんくんと嗅ぎはじめました。わたしは彼の可愛らしい勘違いに微笑を浮かべつつ、
「あなたのことではありませんて。この辺りに異常な気配を感じませんか、とたずねたのです」
「よかったあ……。体臭めっちゃキツかったのかと」
思いのほか繊細なのですわね、あなた。
それとも銀狼にも思春期というものがあるのでしょうか。
やがてマロックはさきほどのわたしと同じように周囲を見まわしたあと、
「言われてみれば……鼻先がヒクヒクするというか、変な感じ」
「これは魔力の気配です。それも巧妙に隠されている結界術ですから、感じとることができただけでもたいしたもの。さすがは銀狼と褒めてさしあげます」
「えへへ。じゃあこの辺りに猟師さんのロッジがあるわけだね」
わたしは「ご名答」と返します。
それから前に見える二つの樹――ちょうど門のように向かいあって生えているところに向けて、合い言葉を唱えました。
「開けーっ! ごまっ!」
すると次の瞬間、白いもやがぶわっと立ちのぼり、二つの樹の間にロッジへと続く道が現れます。
これほど大がかりな術を見たことのないマロックは、かなり興奮したようで、
「わおっ! やっぱり魔法ってすごいや!!」
「ちょっとお待ちを。――って行っちゃいましたか」
尻尾をふりふりしながら広い道へ突っこんでいくマロックの背中を、わたしは呆れた顔で見つめます。
猟師さんが若いころに使っていたロッジとはいえ、かれこれ数十年は放置されていたのですから、その間に魔物が住みついていたとしても不思議ではないというのに。
まったく……あの子の不用心さは、一度痛い目をみないと直らないのでしょうか。
◇
幸いにもロッジにうろんな先客はおらず、そのうえ猟師さんが施した術の効果がいまだに残っているのか、室内はポカポカと暖かく快適でした。
先に入っていたマロックは、さっそく床に寝そべってリラックス。
一方のわたしはクローゼットを漁って猟師さんのものと思わしき黒いポンチョを見つけだします。しかし手にとってみると、
「げえ……。くさい……」
野郎の体臭でしょうかカビの臭いでしょうか、返り血の臭いもまじっている気がします。虫食いやひっかき傷もいっぱいあり、そのまま投げ捨てたくなるようなオンボロでした。
しかしほかに寒さをしのげそうなものはありませんでしたから、ロッジから出るときはこれを持っていくことにしましょう。
わたしが着るには大ぶりなので、ポンチョというよりマントになってしまいそうですが。
「あとは弾丸の予備があればいいのですけど、探すのに時間がかかりそうなので明日にしますかね。マロック、わたしも一休みしたいので枕になってください」
「ええー……。赤ずきんちゃんてけっこう重いからなあ」
「は?」
低い声で聞き返すと、マロックは「にゃーん」と猫のまねをしてごまかそうとします。
わたしはプライドを捨てた銀狼の背中に、お尻をのっけてあげました。
「休憩がてら今後のことを話しますので、そのまま動かずに聞いていてください」
「ち、ちがうんだってば。君が重いのは暗器やらなにやらいっぱい仕込んでるからで。太ってるっていう意味じゃないんだよお……うう」
ブツブツとなんか言っていますがそれは無視して、わたしは〈雪の女王〉討伐の概要を説明いたします。
「自分の今いる場所が世界のどのへんか、ということをあなたはいちいち気にしていないとは思いますが……冒険者ギルドで猟師さんが言っていたように、この辺りは辺境の辺境、ちょいと北に行けばすぐに未開の地となります」
「へえー。じゃあ地図にも載ってないってこと?」
人間のような質問をしたマロックに、にっこりと笑いながらうなずきます。
赤ずきんちゃんの相棒として生きる道を選んだのならば、冒険に必要な知識は備えておいてほしいところ。なので今もこうして教えているわけですし。
「かの有名なシンドバッドが記した世界地図を開くと、左端の隅っこあたりに昨日までいた町があります。たぶん今はまだ地図の上にいますけど、もうちょい雪原を進むと名もなき土地を歩くことになるでしょう。……そのため標的の住処は、道中にある地形の特徴と、コンパスだけを頼りに探さなければなりません」
「へえ、想像するだけでわくわくしてくるね。遭難はしたくないけど」
それはごもっともな話。
でもまあ、迷うほど複雑な道順ではないので大丈夫でしょう。
なのでやはりもっとも注意すべきは、
「今回のお相手となる〈雪の女王〉についても説明しておきましょう。数年前からこの地に住みついたと言われているものの、いまだにどのような魔物なのかよくわかっていないというのが現状です。しかし女王が使ったと思われる魔法の形跡がたびたび目撃されており、その規模から少なくとも脅威度Sランク以上――つまり神の領域に迫るほどの実力を持っていると推測されています」
わたしの言葉を聞いて、マロックの表情がこわばります。
正体不明の魔物、しかし途方もなく強大な存在だというのはわかっている、と伝えられたのですから無理もないでしょう。
緊張感が出てきたことに満足しつつ、今回の討伐対象の説明を続けます。
「一流の冒険者が何度か調査に赴いたらしいのですが、今のところまだ誰も帰ってきていません。そのためわたしたちは、事前情報なしで女王と戦うことになります。そんなわけで一般的な、というのも変な話ですが……最上位の魔物が持つ能力と照らし合わせてみた場合、あなたの攻撃はいっさい通用しないと考えておいたほうがよろしいかと」
「え、どういうこと?」
「さきほど結界術と呼ばれる魔法を見ましたでしょう。あれは単にロッジを隠すための効果しかありませんが、この世界には物理的な攻撃を遮断する結界というのが存在します」
「つまり〈雪の女王〉とやらはそういうのを使ってくると」
「というより常に張っていますわね。完全防御の結界は魔法系最強ランクのお魔物さまの嗜みですから」
「ええっ!? じゃあどうやって倒せばいいのさ!?」
マロックが怯えたようにそう言ったので、わたしはロッジに入ったときに壁にかけておいた、妖精の彫刻で飾られた古代遺物を指さします。
「鉛玉をぶちこみます。ティンカーベルに撃ち抜けぬものはありませんので」
マロックはしばし黙りこみ、畏敬のこもったまなざしで装飾銃を見つめます。
それからわたしの考えを先読みしたように、こう言いました。
「でもあれって弾の数にかぎりがあるし、一発ずつ装填しなきゃいけないから隙も大きいよね? どうせぼくの攻撃は通らないんだから、赤ずきんちゃんが狙撃するまでの間、敵の動きを牽制しとけばいいのかな」
「あなたは本当に賢い子ですわ」
わたしはマロックの背中にのせていたお尻をどけると、銀色の毛に包まれた頭を優しくなでてあげます。
照れくさそうに笑う彼を見ていると、ついつい意地悪をしたくなりまして、
「ヤバくなったらわたしが逃げるまで、時間を稼いでくださいね」
「赤ずきんちゃん……。ぼくは君のことを信じているよ……?」
安心してください。
あとで骨は拾ってあげますから。




