部屋を出た先
3話の続き
「……逃げられるじゃない……」
ぽつりと呟いた、その直後。
ぐぅ、と間の抜けた音が鳴った。
「……お腹、空いた……」
思わずお腹を押さえる。
さっきまでの緊張が嘘みたいに、現実的な問題が押し寄せてきた。
部屋の中を見回す。棚を開ける。
引き出しを漁る。
だが
「……ない」
あるのは、インスタント食品や菓子ばかり。
人間用の食べ物。
ヴェイルである自分には、ほとんど意味がない。
「……自分で調達するしかないか」
小さく呟く。
けれど、すぐに足が止まる。
(ここがどこかも分からない)
(外が安全かも分からない)
(あいつが、いつ帰ってくるかも……)
正直、気は進まない。
それでも。
「……大丈夫」
小さく息を吐く。
「私は、知識だけはある」
視線を動かす。
そして見つけた。
「あった」
机の上に置かれた財布。
それと、無造作に掛けられていた黒いコート。
少しだけ迷ってから、それを手に取る。
コートを羽織る。
少し大きい。
でも、それがちょうどいい。
深くフードをかぶる。
これなら、多少は目立たない。
財布を握りしめて、扉の前へ。
ゆっくりと、開ける。
光が差し込む。思わず目を細めた。
外は静かな廊下だった。人の気配はない。
けれど。
「……空気が違う」
匂いも、違う。
ここが完全に人間の領域であることを、肌で感じる。
「……私、どのくらい気絶してたんだろ」
小さく呟きながら、歩き出す。
廊下を進み、階段を降りる。
そして外へ。
眩しい。
夜だったはずなのに、街は明るかった。
人の気配も多い。それでも。
(……見られてない)
誰も、自分に注意を向けていない。
それが、妙に落ち着かない。
警戒しながら、街へと足を進める。
しばらくして。
「……あった」
目的の場所を見つける。
精肉店。
ガラス越しに並ぶ赤い肉。
その中から、目当てのものを探す。
扉を開ける。
小さな鈴の音。
「いらっしゃい」
奥から、おばあさんが出てくる。
柔らかい笑顔。
(目立ちたくない)
余計なことは言わない。
最低限でいい。
「……これを一つ」
指差す。
「あいよ、レバーね。100グラムで180円」
スムーズなやり取り。
手慣れている。
(……良かった、勉強しておいて)
内心で安堵する。
だが、そのとき。
「ねぇ、あんた……もしかして」
背筋が凍る。
(……バレた?)
一瞬で思考が戦闘に切り替わる。
呼吸を整える。距離を測る。
(逃げる…?それとも殺す…?)
その選択すら、頭をよぎる。
「ブレイドの人かい?」
「……へ?」
一瞬、理解が追いつかない。
「は、はい」
反射的に答えていた。
「あら、やっぱり。レイくんがいつもその服着て来るからねぇ。同じところの人かと思って」
「あはは……」
(危ない……)
内心で、息を吐く。
バレたわけじゃない。
本当に、ただの勘違い。
「はい、どうぞ」
差し出される包み。
「どうも」
受け取る。
その重さに、少し違和感を覚える。
「……あれ?」
明らかに多い。
「量、違くない?」
「いいのいいの。いつもお世話になってるから、サービス」
「……え」
思わず言葉を失う。
そんなやり取りを見ていたのか。
「お、ブレイドの人か!」
隣の店から声が飛ぶ。
「うちも持ってきな!サービスしとく!」
「こっちもだよ!」
次々と声がかかる。
「え、ちょ……」
気づけば、袋が増えていく。
(目立ちたくないのに……)
困惑する。でも。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
(……こんなの、初めて)
気づけば、拒めなかった。
しばらくして。
両手に袋を抱えながら、店を離れる。
人目の少ない路地に入り。
包みを開ける。レバーを一口。
「……まずい」
顔をしかめる。
飲み込めないわけじゃない。
でも、満たされない。
やっぱり違う。
(人間の血じゃないとだめか……)
ため息が漏れる。
「……これから、どうしよう」
逃げるのか。残るのか。
どちらにしても情報がいる。
特に、ブレイド。あのレイって男も。
そう考えながら顔を上げた、そのとき。
路地の奥。
一人の人間が、通り過ぎるのが見えた。
「……?」
違和感。明らかに、気配が違う。
人間のそれじゃない。
(……ヴェイル?)
直感が告げる。そして。
気づけば、体が動いていた。
音を殺し、距離を保つ。
そのまま、後を追う。
(……何をしてるの、私)
自分でも分からない。
でも
足は、止まらなかった。




